フォーサイト、魔導国の冒険者になる   作:空想病
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武技〈強殴〉については、書籍三巻・P92の記述を参考にしております。


ズーラーノーン -8

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 ・

 

 

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の中で、男は必死に策を講じている。

 ありったけのポーションを骨の身体に振りまいても、弱い回復量しか見込めないポーションでは、ただの焼け石に水。

 いっそのこと、自分を少しでも癒す方向に使うべきかとも思考できるが、骨の竜に咀嚼され、今も骨の剣山に貫かれている状態……継続ダメージを癒しきることは、完全に不可能。バルトロの急所を微妙に外した牢獄で、中途半端に回復しても、この骨の竜の硬さは砕けない。

 金に糸目をつけず、組織の力で収集したマジックアイテムの類も、ここではガラクタ程度に堕するもの。

〈転移〉の指輪も、第六位階以下の魔法は発動できないモンスターの内部では、発動することはできない。

 だからこそ、男は諦めることなく、策を講じ続ける。

 ポーションを振りまきながら、その時を待つ。

 闇の中で、ただ一点のみに、己の拳を繰り出す準備を整える。

 そして──

 

 

 ・

 

 

 アルシェ、イミーナ、クレマンティーヌが一人の奴隷を救出している間。

 

「いい、加減、強すぎ、じゃ、ねぇか」

 

 ヘッケランは肩を大きく弾ませ、右肩の傷を強く押さえつつぼやく。

 カジットと魔法戦を演じる吸血鬼──化け物が高度な魔法を使うだけでも、旧来の冒険者界隈では「ありえない」と評される最難事であるが、魔導国の冒険者たちにとっては、割とあり得る事態であるという風に教練を受けてきた。人工ダンジョン・第二階層の戦闘で、そういった化け物たちとの手合わせは数多くこなしてきたのだから、当然すぎる思考ともいえる。

 

「ええ。尋常ではない力──それより何より──強い“意志”を感じます」

 

 ヘッケランの傷を十数秒で癒すロバーデイクは、そのように推察していた。

 人工ダンジョンで戦ってきたアンデッドたちにも、戦い続けているうちに、そういうものが──使命感のような在り方を持っていることを感じ取れるようになっていた。

 そして、シモーヌという吸血鬼にも、どこかそれと似たような何かを感じつつある。

 舐め切っていた一回目の戦闘とは、まったく違う。

 己の威信と矜持をかけて、目の前に存在する敵を抹消せんと欲する幼女の表情……お遊戯に興じる童女ではなく、歴戦の勇士ともいうべき誇り高さが、彼女の矮躯を戦闘の場に留めている。

 どう考えても不利な戦況……神聖属性ポーション……数の差、そういったものを無視してでも、シモーヌは「逃げる」という行動選択をとってくれない。

 

「いったい、どうして、何が彼女にそこまでさせるのかは存じ上げませんが──早急に決着をつけないと。我等の手持ちのポーションも、ほぼ尽きましたし。私の魔力も……」

「ああ。わぁってるよ──おしッ!」

 

 ヘッケランは、塞がった傷を確認するように肩をまわす。

 魔法で召喚したアンデッドの骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)──頭蓋骨を守る兵隊が砕かれまくったカジットを援護すべく、前進。

 

「交代!」

 

 最後の骸骨戦士が砕かれるより先に、戦線に復帰したヘッケラン。首肯するように後退していくカジットは、ヘッケランの盾になるべく、骸骨たちへ突撃を命じる。

 

「くそ!」

 

 短く毒づきながらも、絡みつかん勢いで剣を振るうアンデッドどもを薙ぎ払ったシモーヌ……その首筋に、ヘッケランは〈斬撃〉を浴びせかけた。だが、

 

(浅かった!)

 

 判断から一秒もせずに回避。

 吸血鬼の爪と武装が襲撃してくるよりも先に、その場を飛び退いて離れた。

 

(相手のサイズが()っこすぎると、剣を当てるのが難しい──!)

 

 ウレイリカとクーデリカ、アルシェの双子の妹たちを彷彿(ほうふつ)とさせる背丈や体躯は、いろいろな意味でやりづらい(まと)だ。

 単純な小ささや細さもさることながら、見た目が完全にあどけない少女の姿というのが、人間の良心の呵責に訴えかけてくる。ふと、ウレイとクーデが微笑みながら遊ぼうと近寄ってくる姿まで幻視してしまうのだから、本気で始末におえない。

 いままでヘッケランが相対してきた連中の中で、最もやりにくいタイプだ。これが大の男や、純粋なモンスターの異形であれば、ここまでの葛藤は懐くことはなかったと断言できる。おもにそういった連中を相手に、ワーカー時代からずっと戦い続けてきたのだ。

 それでも、ヘッケランは剣をさげない。

 一瞬の躊躇を振り払い、油断することなく二の太刀を浴びせかける……しかし。

 

「ウザっ、たい!」

 

 冒険者の一撃に呼応し、吸血鬼の振るうノコギリの速度は、まるで旋風の怒濤だ。

 少しでも憐れみなどに耽溺しようものなら、逆にヘッケランの首が断ち切られるだろう凶刃の鎌鼬(かまいたち)を、戦士の眼で完全に見切る。

 そんなヘッケランの完璧な見切りに対し、シモーヌは動じることなく、追撃。

 

「チクチクチクチクチクチク──(かゆ)いんだよ、クソ雑魚が!」

「ッ、そいつぁどうもすいません、ね!」

 

 ノコギリの蹂躙をかいくぐり、〈双剣斬撃〉で脇腹を盛大に抉り斬った。

 苦悶に呻くシモーヌ。

 だが、先ほどまでの悲鳴と比べれば、そこまでのダメージは負っていない──神聖属性ポーションの効果時間が、切れかけているのだ。

 カウンターぎみに殺到するノコギリの驟雨を、カジットの魔法盾が防ぎ払う。

 ヘッケランは、カジットとロバーデイクの並ぶ位置にまで後退し、注意深く敵の様子を観察しつつ、同僚に感謝を送る。

 

「ありがとうございます、カ──頭蓋骨さん」

《気にするな。あと、焦らずにいけ。クレマンティーヌたち、三人が戻るまでの時を稼ぎ、戻ったところで一斉に叩けばよイ》

 

 当然の判断であった。ヘッケランは納得したように、頬を伝う汗を拭いながら頷きを返す。

 

《こちらも疲弊しているが、奴も確実に追い込まれている。吸血鬼の回復速度は異常だが、それも無尽蔵とはいかぬからナ》

 

 傷を再生させるシモーヌは、ノコギリをブンブン回しながら守りの姿勢を維持している。

 ちょっとした小休止時間を得て、ヘッケランはカジットに応答。

 

「ええ。それはわかってますけど」

《回復する前に殺しきろうという判断も、無論悪くはない。だが、無理は禁物だ。生者の血肉を浴びて喰らうモンスターの特性は、おまえさんがやられれば体力の回復に使われるということ。つまり、人間であるおまえさんたちだけは、絶対にやられてはならン》

 

 カジットの注意が耳に痛い。

 ここまでやりにくい敵というのは、おそらく人工ダンジョン・第三階層のラスボス……あの植物少女以外では、初めてかもしれない。

 

《もしも、あそこで奴が奴隷の血を飲み、少しでも快復していたら──最悪、チームを二つに分けてでも、情報を持ち帰る必要に迫られただろウ》

「それは──確かに」

「ええ……最悪の想定ですね」

 

 ヘッケランとロバーデイクは首肯を落とす。

 一方のチームが敵のバケモノを抑え込んでいる間に、もう一方が安全圏を目指して──生存し、得られた情報を確実に持ち帰る義務を果たすという、あたりまえな分担方式だ。

 無論、チームを分ければ、戦力の低下は必至。

 残った方がどうなるのかは────

 

《なぁに。案ずるな。儂とクレマンティーヌは、おぬしら人間よりも強い上、死の恐怖というものも存在しない。殿(しんがり)は任せておケ》

 

 アンデッドだから。

 そう気安く言ってくれるカジットであるが、ヘッケランは軽く笑いながら首を振ってみせる。

 

「いや……頭蓋骨さんは、死の螺旋に似ているとかいう儀式魔法のことを、王陛下に詳しく報告しなきゃですから」

「まず第一に帰還すべきなのは、敵の魔法に精通するあなた以外いないと思われますが?」

「それに、アンデッド同士の戦いだと、有利な属性が使えないわけですから、足止めし続けるのは難しいかもですし」

《ふむ。一理あるが──儀式の情報については、儂があの御方に正式に仕えることになってからだいぶ経っておるし……っと、話はここまデ》

 

 吸血鬼が傷口を完全に塞いだ。

 激情に身を任せ、特攻突撃を行うほどに冷静さを欠いてくれれば、まだ対処しやすい方である。

 だが、さすがにズーラーノーンの幹部クラスだけあって、そう簡単に事が運ぶわけもなさそうだった。

 

「殺してやる……絶対に、絶対絶対絶対に、オマエラ全員ブチ殺シテヤル」

 

 薄桃色の髪を振り乱し、深紅の血眼を見開いて、牙列をガチガチ咬み合わせる狂姫は、恐怖などへの耐性をアイテムで与えられている冒険者の背筋に、冷たいものを感じさせる。

 ヘッケランは考える。

 もしもここでチームを二分した場合のことを脳裏に描く。

 あれと対峙しながら残された方は、確実に死亡することになる────だが(・・)

 

「幸い、俺ら冒険者は、魔導王陛下が蘇生させてくれるって、確約されてるからな」

《……フフ。そうだったナ》

「ええ。ヘッケランのいう通り。我々がここで倒れても、まだ先へいけるでしょう」

「だな! よし。なんだったら、ここで俺様の超・オリジナル武技のお披露目を!」

「──そんなもの、いつの間に習得されたので?」

「いや。悪い。言ってみただけ」

「調子に乗らないようにと、イミーナさんに叱られますよ?」

「へいへーい」

《……意外と余裕そうだな、おぬシ》

 

 そう評されたヘッケランは笑みを深める。

 しかし、気安い冗談を口にしながらも、やはり死の恐怖は内臓を重く凍てつかせるようだった。

 

 怖い。

 ものすごく怖い。

 たとえ生き返るとわかっていても、死ぬことが怖くないはずがない。

 

(それでも、いや、だからこそ、戦って生き残る──生き残らないと)

 

 生き残って任務を果たす──そうすれば、フォーサイトは──

 リーダーの決意を後押しするように、吸血鬼の幼女が突進してくる直前、ヘッケランたちの背後から魔法の弾丸が幾つも着弾していく。

 父を──奴隷を助けに行った、アルシェの〈魔法の矢〉だ。

 

《ゆくゾ!》

「っしゃ!」

 

 アルシェの一撃を号砲として、ヘッケランたちも突撃。

 遅れて合流してくるイミーナとクレマンティーヌと共に、戦闘を再開。

 

 そうして。

 千日手じみた遣り取りの応酬にも、ついに終わりが見えてきた。

 

「くそくそくそくそくそ、クソクソ、クソったれのガキ共があああああ────ッ!」

 

 悪態をこれでもかと吐き続ける、十二高弟のシモーヌ。

 召喚された骨の竜(スケリトル・ドラゴン)で高位階魔法使用者としての強みを封じ、徹底的に吸血鬼対策の装備に換装しきったフォーサイトたち。

 魅了の魔眼は効かず──怪物と張り合う前衛が骨肉の戦いを繰り広げ──徹底的に、幼女姿の吸血鬼を攻め抜いていく。

 

 大広間を駆けまわって、使い切った銀矢を回収し再射撃するイミーナ。

 杖に乗り〈飛行〉するアルシェから放たれた〈魔法の矢〉と〈雷撃〉。

 仲間たちを的確に強化し、治癒の力を与えて癒していくロバーデイク。

 ヘッケランの保有している神聖属性ポーションは、……残り一本だけ。

 

「もう、一息だ!」

 

 攻撃を防いだヘッケランの号令の通り、フォーサイト全員で抑え込んでいた吸血鬼は、随分と追い込まれていると判る。

 眼や鼻や口から血を零している様は、とてもではないが、血を使役するモンスターにはあるまじき狂態ぶりだ。

 それでも、脅威的である事実に変わりない。

 人間を容易に破断破砕できる膂力に掴まれたら、一巻の終わりだ。

 

『が、ァ、あああ、雑魚どもがぁッ、ズ、図にノりやがってェェェえええええッ!』

 

 血を大量に失った、吸血鬼の断末魔じみた大叫喚。

 解けた薄桃色の髪は汚れ煤けて、ルビーの瞳を真っ赤に充血させながら、傷を負った背や腹や腕や脚から大量の赤色を溢し続ける。

 蝙蝠の翼は力なく広間の床に引きずっており、ヘッケランたちは〈飛行〉のアイテムも不要になった。

 終わりは近い。

 だからこそ、油断してはいけない。油断するわけがない。

 ヘッケランも武技の連続使用で、体中がガタつき始めている。

 ポーションを服用しても、こういった武技の精神力関係は、容易に回復するものではない。

 

「……吸血鬼といえども、頭を落として、潰せば終わり──だな」

 

 発動した〈急所感知〉の武技でも確認できた。

 アンデッドとは言え、首を落とされれば、否が応でも動けなくなるのが道理。

 呼吸を整えて、敵の弱点に武技を叩き込む準備を整える。  

 二本目の神聖属性が切れたが、あそこまで弱まれば必要ない。

 焦りは禁物。急ぐような事態ではない。

 

「──いくぞ!」

 

 フォーサイトが一丸となって、最後の攻撃に移ろうとした、その時。

 

 ドゴォ!

 

 轟音が、どこからか聞こえた。

 出所を探るべく周囲を見渡した一行……彼らが見つめる先にいたのは、カジットが召喚し、第六位階魔法専用の“盾”として安置されていた、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)

 そのアンデッドの頭から、白い骨の欠片が──

 ありえない可能性に、アンデッド二名が心底(おのの)く。

 

《な、まさか、ありえんゾ!》

「ちょ、あれだけの傷でェ?」

 

 竜の頭蓋骨……その額部分に、血まみれの人間の拳が、突き出ていた。

 手が引っ込められるのと同時に、竜の額に開いた風穴から、崩壊するダムのように、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の頭が砕け崩れた。

 独りでに倒れ伏す死の竜の残骸には、一人の男の気配。

 

 

 

「………………シモーヌッッ!!」

 

 

 

 青年の声音と共に、何か、赤い塊が、飛び出してきた。

 それは、人間の肉。

 そして、吸血鬼が、肉食獣めいた反応速度で、血肉の塊にかぶりついた。

 

「しまった!」

 

 盛大に音を立てて咀嚼し、血を啜り上げる幼女。

 皮も骨も残さずに人肉を平らげ、少なからず回復したアンデッドは、ヘッケランたちを一瞥(いちべつ)

 そうして翼を広げ、骨の竜の残骸から、一人の男を連れだしていった。

 

「……遅いわよ、バルトロ」

 

 幼女が告げたのは、骨の竜によって完全に身動きが取れなくなっていたはずの、十二高弟の名前──

 

「ハっ。最高速で、カッ飛ばして、きたんだ。……大目に、見やがれ、この我儘姫が」

 

 応える男は信じられないことに、骨の竜を内部から殴り砕いて、脱出を果たした。

 カジットは、事実を否定するよりも先に、目の当たりにした現実へ推論を立てる。

 

《まさか、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の内部にポーションを浸透させ、そうして脆弱になった一ヵ所を、一点突破したト?》

 

 回復薬(ポーション)は、位階魔法の発動現象とは、まったくの別。

 が。そうだと仮定しても、バルトロの体の状態で……右足が切り落とされ、残る部位も例外なく竜の牙でズタズタに噛み千切られた重傷の身で、まさか“拳”で穴を開けるなど。どんな魔法詠唱者にも想定不可能だ。確かに、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は殴打攻撃に弱い。だからこそ、殴打攻撃主体の十二高弟を、再起不能・回復が追い付かないレベルに破壊して、マジックアイテムを起動できないモンスターの内に閉じ込めたはずが……それが完全に裏目に出るとは。

 

「武技〈強殴(きょうおう)〉──アイツが極めたオリジナルのそれは、〈強殴(きょうおう)極撃(きょくげき)〉なんて名前だったっけ──でも、まさか骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を内部から突破するっテ──」

 

〈能力向上〉や〈能力超向上〉などを併用していると考えても、一撃で骨の竜を滅ぼした手腕は見事と評するほかなかった。

 殴打武器系の武技〈強殴〉──拳闘士であるバルトロは、よほどの相手だと認めない限り、発動しようとも思わない──発動した相手は、ほぼ例外なく肉体が四方に吹き飛ぶほどの、拳撃の“極み”。それを繰り出す相手を選別することは、バルトロの数少ない信念であった。

 それほどの武技を、体力気力の削がれた──四肢が崩壊し、竜の頭蓋内にて拘束された状態で繰り出すなど、想像の埒外(らちがい)である。

 

「惚れた女のために、地位も身分も捨てて、剣の腕も魔法の才能もないのに、拳ひとつでのし上がったっていう、大馬鹿野郎──」

 

 さすがのクレマンティーヌも、幼女趣味の(ロリコン)男の奥義に対し、脱帽を禁じ得ない。

 

「──やっぱりブチ殺して、そのあとでもう一回ブチ殺しておいた方が良かったかもネ」

《……そうだな。しかシ》

 

 十二高弟洗礼の術式によって、盟主に忠実なバケモノが増えるリスク以上の──難事。

 バルトロが、生きて、シモーヌの傍に寄り添う。

 ふと、ひとつ疑問が生まれる。

 ヘッケランは訊ねずにはいられない。

 

「……なぁ。さっきの、あの、人肉って」

 

 吸血鬼が餓狼のごとく食らいついた、人の肉。

 

「いや、嘘、でしょ。だ、だってそんな」

 

 背筋を這う怖気(おぞけ)のまま首を振る女房相手に、ヘッケランは事実を示す。

 

「でも──あいつの右脚、あそこまで、“太腿の根元”まで、斬られてなかった、よな?」

 

 ヘッケランが戦闘のさなかで、異様に動体視力が良くなった目でチラ見した記憶は、正しい。

 意見を伺うようにクレマンティーヌとカジットを見つめると、二人は首肯で応えてくれた。

 無論、魔法で召喚された骨の竜(モンスター)の内部に、他の人間が食料としておさまっているはずがない。

 つまり、最初のあの肉の出所は──人間の生皮を剥ぎ取れる力量の持ち主なら、その手刀の一振りで、己の肉体を削ぐことも容易だろう。

 そこまでの犠牲をまったく惜しむことなく、バルトロという男は、傍らに立つ幼女を眺める。

 

「──お互い、随分と、まぁ、やられた、な」

「……ええ。悔しいけれど、実際そのとおりね」

「──この脚じゃ、もうまともに戦えやしねぇ。チッ。せめて本気で、あそこの冒険者共と、殴り合っておくべきだった」

「……今さらなことを口にしないことね。十二高弟ともあろうものが、情けないったら」

「──かはッ。確かに。んじゃ、あと、できる、こと、は、──“ひとつ”だな」

「……いいの?」

 

 声を出すことも苦し気なバルトロは、片足立ちの姿勢からゆっくりと膝をついた。

 男が跪拝することで視線の高さが同じになった二人は、恋人同士が睦言を紡ぐように、最後の時を過ごす。

 

「約束、ちゃんとおぼえていたのね。偉いわ、バルトロ」

 

 懐かしそうに頭を撫でる幼女に、男は苦笑を吐血と共に零した。

 

「ごほ──もう、二十年、以上、前、だけどな──よぉく、覚えてるよ」

 

 六つの時の、はじめての、舞踏、会──そう途切れ途切れに告げる男が、まだ坊やだった頃に、シモーヌはひとつの約束を交わした。

 

「……苦しいのがいい? 楽なのがいい?」

「ははは。好、き、に、しろ、よ」

「じゃあ、遠慮なく」

 

 二人が何をする気なのか──全員が黙って見届けたのは、失敗だったかもしれない。

 敵からの反撃や、罠の可能性がある以上、速攻の挙に出るのはリスクが大きすぎた。

 そうして見届ける間に、十二高弟たち──青年と幼女は体を重ね……

 

「──ハ、ァ……」

 

 一瞬の出来事。

 皮と肉の弾け裂ける音──噴き出す赤色の勢い。

 シモーヌが、バルトロの太く逞しい首筋に抱き着き、そこへ牙を突き立てた。

 激痛。

 苦辛。

 陶酔。

 昂揚。

 二転三転する男の熱い表情は、幼女の小さな肢体を力いっぱい抱き締め返しながら、思慕の微笑みに固定される。

 男は呻き囁く。

 

「──こ、れで、──やく そく──」

 

 水音を奏で、喉音を響かせながら、人血を吸いつくす異形の姫君。

 吸血鬼の幼女は頷くように、褒めるように、慈しむように、吸血速度を一気に加速させる。

 

「──あ──、 、────て           」

 

 バルトロの声が、途切れた。

 あれだけ力強く羽交い絞めにしていた両腕が、行為の絶頂後のように、力なく垂れさがる。

 深紅の橋が、幼女の牙と、首筋の噛み痕を繋ぐ。

 大の男の血を完全に吸い尽くしたシモーヌは、事切れた十二高弟の死体を、愛する恋人の最後を看取ったように、床へ下ろす。

 

「私も……愛してるわ、バルトロ。あの御方の、次の次くらいに。

 だから永遠に、この私の(なか)で、ずっと────いき続けなさい」

 

 血まみれの男の見開いた瞼を指でおろし、死相の唇を己のものと重ねる。口元に広く付着する鮮血を舐め啜った幼女は、さきほどまでとは打って変わって、冷厳な表情で冒険者一行を見つめる。

 

「やっぱり、強い(にんげん)の血は──いいわね」

 

 そう告げるシモーヌ。

 力なく垂れさがっていた翼が、燃えさかるかのように空を羽搏(はばた)く。

 

 

「さぁ、これで第三ラウンドよ」

 

 

 卑怯、とは言わない。

 むしろ、敵ながらに天晴(あっぱれ)とも評すべき、復活の手際。

 血染めのドレスで口元を拭いながら、吸血鬼は超然とした態度で、宣告する。

 

「私の吸血(しょくじ)を邪魔しなかったお礼に、作戦タイムをあげるわ──さぁ、どうする? 降伏する? それとも──逃げる?」

 

 単純に逃げられるとは……これっぽっちも思えない。

 敵の宣告に応じるべく、ヘッケランは懐にある最後の水色ポーションを、用意した。

 最悪の戦況。

 脳内に浮かぶのは、先ほどのカジットとの会話。

 そして、フォーサイトのリーダーとして、ヘッケランはひとつの決断を下す。

 

「皆、聞け…………俺はここで、あの吸血鬼をひとりで食い止める。おまえらは、一刻も早く、この城から脱出しろ」

 

 目指すのは、城の中枢にあるという転移魔法の部屋。そこにたどり着き、なんとか脱出を果たして、ここで見聞きした情報を余すことなく、国に持ち帰る──それが、魔導国の、冒険者としての責務だ。

 予想に違わず、全員が驚愕の表情でヘッケランを見つめた。

 なかでも、副リーダー……イミーナの反応は、予想通りすぎた。

 

「な、なに、何言ってるのよ、この馬鹿! 馬鹿! 大馬鹿! あんぽんたん!」

 

 涙声をこぼし、瞳を潤ませて拳を力なく振るう半森妖精(ハーフエルフ)の姿は、身につまされるものがある。

 二人の事情を知っているロバーデイクとアルシェ、何となく察しがついているクレマンティーヌとカジットが黙して見守る中、ヘッケランは男としての感情を隠すように、諦観じみた理屈を並べ立てる。

 

「このまま、あの吸血鬼を相手にしていても、ジリ貧になる可能性が高い。俺らの任務を完遂するためには、もう、ここで、チームを二つに分ける必要がある。幸い、俺には神聖属性のポーションが残っているし、骨の竜の指輪──魔法無効化の装備も残っている。全員が脱出するのに必要な時間は、確実に稼げる」

「その役目なら、私や頭蓋骨っちゃんでも、よくなイ?」

「いいや。元十二高弟が案内人を務めてくれた方が、チームを一番安全に脱出可能にしてくれるはず。それに、アンデッドのお二人だと、あのお嬢ちゃんを倒すために有利な属性は使えない──倒しきれずに返り討ちにあう可能性を否定できない──幸い、血を吸って回復したとはいえ、相手は体力減耗した吸血鬼(ヴァンパイア)。ここで殿(しんがり)を務めるべきは、間違いなく俺だけでいい」

「ふざけないで!」

 

 男の胸倉を掴み、感情的に吠えるイミーナ。

 

「ここで! 皆で一緒に戦えば! 絶対に勝率は上がるでしょう! なのに、どうして……たった一人で残るなんて!」

「ここで大事なことは“勝つ”ことじゃあない。

 “一刻も早く情報を持ち帰る”こと、“生きて帰る奴を、一人でも多く残す”ことだ。

 ここで得た情報を、確実に持ち帰れる奴を、選ばないといけない。そして、生き残る可能性を上げるためには、居残る戦力・切り捨てる数は、少なくした方がいい。んで、俺ら六人の中で、あの吸血鬼を相手に、ひとりで一番時間を稼げるのは、間違いなく俺だけだ」

 

 正論であった。

 このメンバーの中で、吸血鬼を圧倒しうる戦いをこなせるとしたら、神聖属性を身に帯びた状態のリーダーのみ。

 あの吸血鬼との勝負にかかずらって、フォーサイト全員が敵の援軍や予想外の奇襲に囲まれて脱出不能に陥ることだけは、絶対に避けなければ。

 そして、装備や魔力を消耗した神官や魔法詠唱者が居残っても意味はなく、アンデッド同士では確実な勝利は見込めない──いっそ逃げることに徹させることで、国へと帰還する案内を務める要員として、クレマンティーヌとカジットは有用な働きを示してくれる。元十二高弟の二人に足止め役をやらせるのは、どちらかというと愚策であるはず。

 ヘッケランは笑う。

 

「気にすんなよ。このさきも絶対安心とは限らないし。むしろ、おまえらのほうがキツい目にあうかもしれない。第一、もし俺がしくじっても、魔導王陛下なら蘇生させてくれるだろうし」

「ッ、でも!! ──でも……」

 

 酷な判断を迫っている。そう判っていても、ヘッケランはチームを代わりに率いる者に──副リーダー(イミーナ)に、託すしかないのだ。

 

「──後は頼む」

「………………わかったわよ」

 

 結った髪を乱暴に振り乱して、イミーナは胸倉を掴んでいた右腕をおろす。

 すねたように、覚悟したように、リーダーの命令を再確認する。

 

「私たち五人は離脱、する。アンタは……っ」

「心配すんなって」

 

 双剣を左手に集め、今にも泣きだしそうな女の頬を右手で撫でながら、ヘッケランは微笑みかける。 

 

「あの吸血鬼をぶっ倒して必ず追いつく。少しは信用しろよ?」

「…………ばか」

 

 頬を朱に染めて、瞳を伏せながらコクンと頷くイミーナ。

 キスしたいくらいに愛しい女に後事を託して、ヘッケランは気を引き締める。

 シモーヌという吸血鬼と、あらためて対峙する。

 そんなリーダーの背中に、仲間たちは言葉をかけていく。

 

「ヘッケラン──〈聖域(サンクチュアリ)〉のアイテムで、背後の奴隷部屋は封鎖しておきました。これで、吸血鬼が回復する手段はないはず。一時間かそこらで効果は切れますが、どうか気兼ねなく戦ってください」

「助かるぜ、ロバー」

「理解した……先に行ってる……絶対に、追いついて」

「任せろ、アルシェ」

「皆のことは、私らがちゃんと見届けてあげるネ」

《儂らであれば、転移魔法の部屋までこやつらを送り届けられる。安心するがいイ》

「お願いします、お二人とも」

 

 全員が覚悟と準備を整えた。それを見て取って、シモーヌは尋ねる。

 

「作戦タイムは終わり? じゃあ──始めるわよ?」

 

 ヘッケランは、最後の神聖属性のポーションを飲み干し、空のビンを放り投げた。

 神聖な力が、全身すみずみに行きわたるのを感じながら剣を構える。

 

「──いけッ、おまえら!」

 

 走るクレマンティーヌを筆頭に、イミーナとロバーデイクとアルシェ、カジットが大広間から先の区画に進む。ここからさらに上層を目指す道のり。

 そして、意外にも、シモーヌは逃げる五人を追う素振りすら見せない。

 ただ一人対峙するヘッケランを警戒して、動けない──だけとは言えないだろう。

 

「ご立派なことね。ようやく私に勝ちきれないと、判断がついた?」

「は。違うね。

 もうアンタの相手は、俺一人で十分だって、そう理解しただけさ」

「……減らず口を叩く」

 

 そんな冒険者の馬鹿っぷりに対し、吸血鬼は艶やかに微笑んだ。

 遊びに興じる子供ではなく、純粋な戦闘者としての誇りに満ちた表情──

 

「さぁ、“戦いましょう”」

 

 振動音を響かせるノコギリを両手に、十二高弟・シモーヌは躍りかかる。

 魔導国の冒険者・ヘッケランは応じるように、〈双剣斬撃〉を放った。

 

 

 

 ・

 

 

 

「──ふむ」

「どうかなさいましたか、アインズ様?」

 

 ナザリック地下大墳墓にて。

 アルベドたち守護者と共に、冒険者たちの戦いを〈水晶の大画面〉で見守っていたアインズは、泰然と指を組んで考える。

 

「さすがに。この状況は、まずいか? どう見る、コキュートス?」

 

 意見を求めた先にいるのは、氷山とも見まがう蟲の悪魔。

 

「ハッ。フォーサイトハ、御身ガ注目スル魔導国ノ冒険者タチノ中デモ、格段ニレベルアップヲ果タシテオリマス。今回ノ任務中ニオイテモ、徐々ニ“(チカラ)ヲ増シテオリマス”。ソレ故ニ、コノ程度ノ苦境モ、難ナク乗リ越エテ当然──ト、申シ上ゲタイトコロデスガ」

「ああ。さすがに装備やアイテムを消耗した状態で、あのレベルの吸血鬼の相手は、荷が勝ちすぎるか……」

 

 しかも。今はヘッケランが単独で、仲間たちを逃がし「足止め」役に徹することになった。

 冒険者としての任務を、義務を、責務を果たすために。

 アインズは少しの間、考える。

 異世界産の吸血鬼(ヴァンパイア)……第六位階魔法を操る……盟主とやらとの繋がり……

 

「すべては、私の計画通り(・・・・・・)……そうだな、デミウルゴス?」

「ええ、まさに(・・・)!」

 

 喜色満面に頷くデミウルゴス。そして、各守護者たち。

 アインズは先ほどの会話を思い出す。

 権謀術策の悪魔──デミウルゴスに語らせた、アインズ・ウール・ゴウンの、計画

 本当、いつの間にそんな計画を自分は立案したのだと問いかけたい気持ちをぐっとこらえつつ、二分したフォーサイトの状況をまっすぐ見据える。

 

(昔、かわいい子には冒険をさせよ、って、誰かが言っていた気がするけど……さすがに彼らの冒険具合は、手厳しい気がしなくもないな……うーん)

 

 自分が何の気もなく贔屓にしている……アインズのかつての仲間たちを思い起こさせる冒険者チームの行く末を思うと、やはり、このまま座して見守るというのは──

 

(……少しだけ、我儘を言ってみるか?)

 

 そうして、NPCの一人を脳裏に浮かべ、魔法を唱えた。

 

「〈伝言(メッセージ)〉」

 

 

 ・

 

 

伝言(メッセージ)〉を受信したシモベは、アインズの決定に対し、一も二もなく賛同した。

 

 

 

 

 

 

 

 



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