今の自分と過去の自分と
よーへい、ありがと。
消えてしまったから仕方ないのだけど、今の自分と過去世の自分とが重なると、どっちが自分の気持ちなのか分からなくなることがある。
でもよくよく考えると、どっちもなんだよね。
現世の自分が感じたことと、過去世の自分が感じたことが重なる瞬間ってあって、そういう時に現世と過去世を同時に感じて、苦しくなったりする。
今までもそんなことは度々あって、よーへいを困らせたりした。
困らせる自分を感じる度に、よーへいが今のあたしに拘る理由が分からなくなった。
過去世の自分は何の躊躇いも、何の疑問も持たないで一緒にいたのだろうに、色んなものを見て感じてきた自分は、大事だと思うものほど何処かで距離を取るようになった。
それは相手を失う怖さとかではなくて、相手の負担になる悲しさのように思う。
それでいつもよーへいに助けてもらうんだけどね。
あとは父を思い出す。
ああそっか、こんな感じだったのかって。
じゃあ仕方ないかなあと、ちょっと自分を客観的に見れたりする。
よーへいに感じさせてもらったり、こうなる自分を父を見て確認したり。
そんなのは今までもよくあった。
過去世を覚えていたなら、よーへいが諦めずに進もうとしてくれてるのが何故なのか分かったのだろうけど、記憶の無いあたしは分からなくて。
負担だろうと思うと、自分からよーへいを離したくなったりするんだよね。
それは家族にしてもそうだった。
自分は必要ないだろうと思って離れようとすることと、負担になりたくなくて離れようとすることは、違うようで同じなんだろうと思う。
相手を満たせないと思うからそうなるし、相手を苦しませると思うからそうなる。
変わってしまう前の自分は、ただ相手が笑ってくれてたら良かった。
相手の笑顔だけで幸せだった。
でも笑顔に出来る自分ではなくなったから。
それは過去世でもそうだったのだと思う。
よーへいが何で笑顔になってたか、よく知ってたろうから。
今日を生きてるのか、いつかの過去を生きてるのか、時々分からなくなるけれど、今日はまた分かったことがあったからいいかな。
今エネルギー循環をして、よーへいを感じたら涙が出た。
涙は嬉し涙でも悲し涙でもなくて、こうやって感じられるんだなあの涙だった。
過去と今がごっちゃになって時に戸惑っても、こうやって感じられるんだなあって。
よーへいだとこんな風に感じられるんだなあって。
言葉よりも行動よりも、そのまんまのもの。
偽れない感覚。
言葉も行動も中身は分からないけれど、中身しかない「感じる」は、皮の被らない真実なのね。
よーへいが見えないところでしてくれた色々を思いながら感じると、偽りのないことはちゃんと分かる。
コメント、書いてくれたよね。
一見非難してるように見えるけど。
反対は一切無いって。
いつかの過去の反対は一切無いってことだよね。
いつかのあたしに見せてたのだろう姿に、偽りは無かったって。
それが本当かどうかは、もう分かってるのに。
負担になったり、何にも応えられなかったりすることが、あたしは何処かで嫌だったんだと思う。
父と自分を重ねるつもりは全く無いけど、何も出来なくなる自分の不甲斐なさに感じる憤りは、そう変わらないと思うから。
父のようにはならないようにと、父を見ても思えるんだよ。
彼があたしに残してくれたものだね。
過去世からの関係は、不思議で面白くて、切なくて幸せなものだったりする。
よーへいから感じるもの、昔からの仲間から感じるものはそんなもの。
今を生きながら、同時にそんなことも感じてる。
いつもありがとう。