”no”
これは…。
朝の面白かったと言った記事のことも引っ掛けてはいるけど、一番はそのことを言ってるんじゃないね。
因みに朝の面白かった記事は、ノスタルジック系のものは、あたしは良いとは思えなかった。
文化や社会のためってのは、あたしは違うかなと思ったよ。
個人って、決して国や社会、文化のためにあるワケじゃないからね。
過去や全体を守るために個人があるわけじゃない。
そういった考え方に良いも悪いもないけれど、あたしは個が生きないなら、文化は要らないと思ってるよ。
確かに素敵だなと思える文化はある。
だけどそれはそれ。それを守ることが中心になると、個はそのために生きなければならなくなる。
伝統的なものはあたしは好きだけど、それを守るために多くの人が時間や労力をかけてもいるよね。
好きでやるならいいけれど、全ての人がそうじゃない。そういったものを受け継がなきゃならない環境に生まれたがために、背負わされてる例も多いし、世界遺産というだけで維持のために多くの資金が使われてたりする。
あたしはそれに賛成は出来ない。
過去を守るために今の時間や金を使う必要は、本来は無いと思ってるよ。
ただ、過去からの文化や遺産を清算するには、社会を変化させるには、それなりの面倒はあるだろうし、労力は必要になるとは思う。
まあそんなところ。
よーへいがNOと書いてるのは、あたしが出していない記事についてだね。
自分としてはノスタルジックになってるつもりは無かったんだけど、書き方がああだったから、余計にそう思われはするかも。
源氏物語もそうだよね。
あれ、本当は論文みたいなものだったから。
書き方によって、読み手って色んな受け取り方をしてしまうし、そうなってしまうのは仕方ないとも思うし。
あたしがあの記事で書きたかったのは、自分の性の拒否と男性の性の拒否に至った心の動きだよ。
カエサルから離れただけでなく、行為そのものを受け入れられなくなったかつての自分の心の動き。
それまではかなり単純だったと思うんだよね。
心の動きはね。
だけど他の女性の感情や強い執着に触れて、人の感情がどう作用するのかってのを初めて考えるようになったし、自分自身の中にそれまで感じたことのない喪失感も感じた。
ここが大きなポイントだったのだろうなと、今朝感じたんだよ。
それまでは…カエサルは好き。だから一緒にいたいだったとする。
だけど、カエサルは好き。だけどあたしのことは好き?ともなったと思うんだよね。
純粋な感情ばかりを周りに置いてたクレオパトラだったからそこ、それまでは思ってもみなかったものが、ポン!と出てきた。
今回の自分を見てても思うんだけど、人って汚いところ沢山あるよねってそれなりに思って生きてきたなら、割りとあっさりやれてたと思うの。
だけど人は分かり合えると信じて疑いもしなかったんだよ。この年までね。今は…それじゃあねって笑えるけど。
過去世もそういう部分はきっとあって、だからこそ真逆なものに触れた時、それまで信じてたようなものが本当にそうなのか分からなくなったっていうかね。
天敵のいない場所で育った動物は、人や他の動物を恐れないんだよ。
だから人間や外から入ったきた天敵となりうる生き物に、直ぐにやられてしまう。
アホウドリって、確かそんなような理由で名前をつけられたんじゃなかったかな?違ってたらゴメンだけど。
自分を守るつもりも優位にするつもりも全く無いけれど、少なくともゼウスからカエサルまでのよーへいと、アテナからクレオパトラまでのあたしでは、心が対応できたものは違っていたと思うんだよ。
良いも悪いも無いんだけど、それまで続けていた行動や行為が、自分とは真逆なものを目の当たりにしたことで、信じていたものは本当だったのだろうか?とか、自分は必要な存在ではなかったのだろうか?と思ったのは確かだと思う。
それは…現世のあたしが生きて感じてきたことが、語ってる気もするんだよ。
記憶と別にね。
あたしはいつも思ってたからね。
付き合った人にはそうだったし、友達や家族にもかな。
相手の行動やそこにあるだろう気持ちを読むと、今のあなたにあたしは必要ないねと、よく思ったんだ。
本人は必要だって言うかもしれないね。でも、あたしはあなたを満たせられないと感じると、そう思ってしまう。
でもこれって不思議でね。
そんな風に思うほど邪険にされたとか、関係が悪かったとかでもなかったりするの。
相手の求めてるものと、あたしが差し出せるものにギャップを感じるから、そうなっていたのだと思う。
深刻に考えるようなことでなくても、そう思うことはしばしばあった。
不思議だった。
だからかもしれないけど、過去世が影響しているようにも思えてね。
あたしだけじゃ分かる限度があるんだけど、もしそういったものが自分の中にあるなら、それを解消しなきゃならないでしょ。
面倒だなあとちょっと思うんだよ。
だって過去世の記憶が全部あるわけじゃないら、いつも手探りだもんね。
本当にそう思ったろうか?
何かに影響されてないだろうか?
そんなことを考えながら、現在を見て過去を探る。凄く面倒だよ。
だけど一度目の過去世でのかつのことが、現世にもかなり響いていたから、面倒でも見なきゃならないかなと思って。もう随分過ぎるほど前のことなのにさ。
ここで書いている過去世のことも、外れてるものはあるかもしれない。
過去世を知ってる人には笑われてるかもね(読まれてたら)。
でもそれを承知でやってるの。
自分の頭の中にあるものを出さないと、次にいけない部分が自分にはあるのも分かるから。そればかりじゃないけど、感情が動いてしまうものに関しては、留めておきすぎると不安定になる原因になってしまうから。
そんな自分の傾向も見てきたつもり。
あれは消しておく。
ここにこれだけ書いたらもういいかな。
よーへいに伝わればそれでいいから。
記事として出すものにしても、自分がこうだと思って出すものは良いんだけど、過去世やら、みえ世界やらを見ながら、こうかな?ああかな?と気付きや分析の繰り返しで書いて出すものは結構難しい。
あたし、むやみに人の感情動かしたいわけじゃないので。
納得出来ないから暴言だらけになる記事も書いたけど、ああいうのはまだやり易い。
そのまんまだからね。相手が読んでもいいと思ってやってるし。
だけどそうでないものは、人の感情が関わらないものであるならいいなとは思う。
どう感じてもらっても構わないんだけど、あまり後に引かなければいいなと本当は思うよね。
あたしの記事に執着することないよってね。
執着から生まれる自由もあるけど、執着のないところにも自由はある。
あたしの記事に執着する価値があるかどうか、読み手は考えてくれたらいいなあと思うよ。
マメに来てくれてる人…いるようなので(汗)