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16歳、火山シンフォニア。 作者:ナターリヤ・ミハルコワ
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第一章 火山屋女子高生、現る

・20XX年2月9日 山口県下関市、柴田涼乃and衣笠有菜の自宅(06:52)


ーポーリュシカ・ポーレ…♪

 柴田涼乃は「ポーリュシカ・ポーレ」と共に、いつもと変わらない朝を迎えた。

「よく寝た…」

 愛用の赤いメガネを取ろうと身を起こし、手を動かしていると何かと目が合った。

「ドーブラィエ・ウートゥラ、チェブラーシカ」

 友人から贈られたチェブラーシカのぬいぐるみと目が合い、いつものようにロシア語で語りかけていると、彼女の鼻をいいにおいが通り抜けた。

(さては…ありなちゃんがまたボルシチを作ったな)

 そう思いながらメガネをかけ、ぐーぐーなるおなかと格闘しながら下関南高校の制服に着替え、床に散乱する論文の類いをまたいでキッチンに向かおうとした時…

「きゃっ!」

ードシーン!

「すずちゃん、またこけたのね…」

 衣笠有菜の声だった。

 下関地方気象台の火山防災官(史上最年少)を務めている彼女は、ある事情をもつ火山バカ女子高生の柴田とルームシェアをして2人で暮らしているのだが、ドジな柴田が論文やらコードやら机の角に足を引っかけるせいで、一週間に一度は「ドシーン!」という音を聞く羽目になっていた。けさもまた、論文をまたいだ先にあった机の角に足を引っかけ、転んでしまったのだという。

「おはよ」

「ありなちゃん…おはよ」

「これで何回目?ドジやらかすの」

「今の家じゃあもう215回目」

「すずちゃん数えてんだ…それより、スカート注意は女子の基本でしょ!」

「あーっ!見えてんの…?」

「全くすずちゃんは鈍いね!さては…けさもAso-4火砕流のことばっかり考えてたでしょ?」

「ありなちゃんこそ!ごはんは?」

「ボルシチと黒パンがおいてあるよ」

 こんな訳で、柴田がキッチンに行くと、そこにはもうボルシチと黒パンが並べてあった。2人はキッチンの横にある小さなテーブルを囲み、いつもと同じように朝食をとる。

「いただきまーす」

ー7時になりました。けさのニュースをお伝えします…

 2人が朝食をとっているとテレビからニュースが流れてきた。火山バカの2人は知らなかったが、世間では総理大臣の国会答弁をめぐって大騒ぎになっているらしく、キャスターが与野党の動静を事細かに伝えている。

「ありなちゃん、火山はどう?」

 ニュースを横目に、2人は火山活動の状況について話していた。

「桜島は絶賛ブルカノ(式噴火)中。霧島はマグマ注入中だし、我らが阿武火山群は生死不明…怪しい地震はあるんだけどさ」

「阿武火山群は生死不明か…相変わらずだね」

「すずちゃん、今日誰かと会うんでしょ?」

「えっ⁉なんでわかったの?」

「テレパシー」

「ぎょっ!」

「ウソ!顔に書いとるってまじ。"今日はゆかちゃんと会うよ〜"って」

「まあ…そうだけど。ゆかちゃんが小倉まで来てくれるんだから、博多から!…っていけね、もうこんな時間だぁ〜!」

「いってらっしゃ〜い。私がまとめた週間火山活動ジャーナル忘れないでよ?」

 やけにロシアチックな朝食を食べ終えた柴田はあわてて自宅を飛び出した。


・同日 下関南高校、1年1組(12:40)


「涼乃さんったら…"火山活動ジャーナル"は忘れんくせにお昼ごはん忘れるなんて、どういうことよ⁈」

 柴田の同級生のバレリーナ、益田夏鈴は呆れ果てていた。

 というのもこの10分前、いつもいっしょに昼食を食べるはずの柴田が突然、

「ランチトート忘れた…」

とおなかが空きすぎて今にも倒れそうな表情で泣きついて来たのである。そのくせ柴田の手には「火山同好会」の友人たちに渡す"週間火山活動ジャーナル''が握られていたのだから、益田は

(こいつまじで火山バカだ…)

というふうに呆れ果てた。だが、おなかが空きすぎて倒れそうな柴田を放っておく訳にはいかず、仕方なく自分の弁当を分けてあげたのだという。

「おいしい?」

「かりんちゃんスパシーバ!めっちゃおいしいよ」

「こういうの何回目?先週も私の弁当食べたよね」

 柴田が弁当を忘れたのは初めてではなかった。

 火山バカというのは寝ても覚めても火山のことばかり考えている人種である。火山のことを考えていると他のあらゆることー生理的欲求すらー忘れてしまうのだ。それほどまでに彼女たちにとって火山というのは重要な存在であり、柴田に言わせれば

「初恋の相手であり唯一の婚約者」(!)

なのである。

 火山はウソをつかないし、問いかければ必ず答えてくれる。ただそのメッセージは火山学という特別なメガネをかけなければ見ることができない。普通の女子高生にはただの殺風景な景色や石ころでも、彼女たちにとっては火山の生涯や思い出を語ってくれるラブレターなのである。恋に熱を上げた女子高生が大好きな彼氏しか見えないように、火山バカ女子高生は火山しか見えない、いや見ないのである。

「かりんちゃんは火山同好会入る気ないよね?」

「ない!私バレエしか興味ないから」

 そんな火山バカ女子高生の柴田が、ボリショイ・バレエ団志望のバレリーナである益田となぜ仲よしなのかは不明だが、事実2人はとても仲が良く、予定が空いている日にはよく2人で出かけていた。

「涼乃さんはバレエ音楽なら何が一番好き?」

「そりゃあチャイコフスキーのくるみ割り人形に決まってるでしょ」

 柴田はロシア音楽にとても詳しく、普通の女子高生が全く知らない曲目や歌手をたくさん知っていた。もしかしたらロシア音楽が2人の友情を深める接着剤だったのかもしれないが、詳細は全くもって不明である。

「かりんちゃんのおかげでおなかいっぱいになった。スパシーバ!」

「明日は弁当あげないからね?」

 そういうと、益田は柴田に半分食べられた自分の弁当を食べ始めた。


・同日 下関地方気象台(13:01)


 衣笠はその頃、下関地方気象台の現業室で萩周辺の地震活動の様子を映したモニターを、部下の水上真衣と共に見つめていた。

「今日はまだ発生してませんね…」

「昨日までは多かったけどね。地殻変動のデータさえあれば、テクトニクス地震か火山性地震の区別がつきそうだけど」

 阿武火山群が存在する萩周辺では、2月初旬以来ごく小規模な謎の地震が多発していた。この地震は(特定できた限り)震源が阿武火山群の想定火口域と一致しており、衣笠は阿武火山群の火山性地震とみていたが、断定することはできなかった。

 もともとフィリピン海プレートの沈み込みによる小地震が時々発生する萩周辺では、火山性地震とテクトニクス地震の区別をつけることは難しく、低周波地震や火山性微動でも発生しない限り阿武火山群の火山性地震だと断定することは(地震波形だけでは)難しかった。そこで衣笠は、マグマの動きがあるかどうかを探るために地殻変動のデータを欲しがっていた。

 しかし、阿武火山群に地殻変動を監視する装置ーGNSS連続観測システムや傾斜計、ひずみ計ーは一切なく、国土地理院の持つ電子基準点も、あまり役にたちそうとは言えない位置にあった。

「ありな先輩(水上は衣笠をこう呼んでいた)、いったいどうしますか?」

「私には当てがあるけど…気象台の人間としてやっていいのかな?」

「もしかして…先輩のルームメイトっていう女子高校生を使う気ですか⁈確かめっちゃ火山に詳しくて、南高で火山同好会やってるとかいいましたけど…ロシア語ペラペラのコですよね⁈」

「するどいね。ロシアの火山学者を応援に呼ぶ気だよ私は」

「ルームメイトの女子高校生が知ってるってことですか⁈」

「その通り!この話したら私のルームメイトは即食いついてくるよ」

 衣笠いわく、柴田はロシア人火山学者たちとも知り合いらしく、その気になれば阿武火山群の観測にロシア人火山学者たちを動員できるのだという。阿武火山群はロシア人を始め世界中の火山学者たちにとって魅力的な火山であり、火山学者ならどこの誰であれ阿武火山群のことを知っていた。何せ世界で唯一、安山岩で平たい溶岩台地ができるのだから…。


・同日 下関駅、JR九州415系100番台車内(17:03)


「閉まるドアにご注意ください」

 関門海峡を挟んで隣り合う小倉と下関を結んでいるのは、かれこれ50年近く使われているJR九州唯一の交直両用電車、415系100番台(なぜか"分オイ"こと大分車両センター所属)だった。

 そのロングシートに改造された車内に、南高の制服を着た女子高生ー要するに柴田涼乃のことーが1人、座っていた。

 この日、柴田は小倉で友人の白石由香に会うことになっていた。彼女は、柴田が去年まで住んでいた博多に住んでおり、柴田とは小中通して同級生だった。何より、博多に出てきたばかりで火山とロシアのこと以外何もわからない、ルームメイト以外の身寄りが全くいない火山バカ女子が博多という九州一の大都会でかわいく·おしゃれに生きていけるようになったのは、ルームメイトの衣笠だけではなく、白石の支えによるところが大きかった。

 そんな「最高の親友」に会いにいく柴田の心はなぜか重たかった。

 要するに、一人の火山バカ女子高生として阿武火山群で起きている謎の地震のことが気になりすぎるのである。今こうして窮屈だけどふかふかな、JR九州にまだまともな座席設計者がいた頃のロングシートに腰掛けている間にも、彼女は阿武火山群のことが気になって仕方がなかった。

「あれ、柴田さんじゃないですか?」

「えっ、私に何か用?」

 声をかけてきたのは柴田の同級生たち3人組だった。彼女たちは、小倉にあるおしゃれなカフェにこれから行くという。

「柴田さんは何しに?」

「大親友に会いに。よかったら私の隣に座ってくれる?一人でロング座るの苦手だから」

「いいよ。だって柴田さんは異性恐怖症もちだし」

「知ってるんだ」

「恋ばなとかできないんでしょ?」

「火山以外には全く…」

「柴田さんらしいね!」

 過去に何があったのか本人は語ろうとしないが、柴田はかなりの異性恐怖症もちとして南高では知らない人がいなかった。すぐ近くに異性が来るとガタガタ震え、声をかけられようものなら悲鳴をあげて逃げ出してしまうほどだった。もちろん例外はあって、南高の教員に対して悲鳴をあげることはなかったし、ロシア人に至ってはセクハラ以外なら何をされても平気だった。全体的に見て、インテリゲンツィアに対する発作は穏やかだったし、火山学者に対する発作は全く起こしたことがないという。彼女が最も激しい発作を起こすのは、30~40代の異性に対してだった。発作で警察沙汰の騒ぎになったことも一度ではない…。

 そんな彼女の姿を見て同級生たちはいろいろ理由を推測していたのだが、おかしな推測ー例えば「柴田さんは前世が火山(!)だったので火山以外には恋ができないらしい」ーが出回ったこともあった。他にも、「過去にトラブルに巻き込まれたから」(柴田の過去が博多時代を除いて一切不明だったことがこの説の信憑性を妙に高めていた)というまともな説はもちろん、「生まれつき子供が作れない体なのがばれないようにするために異性を拒んでいる」という突拍子もない説(柴田はこの説に珍しく猛反論した。その上この説を流した人物を特定して「次やったらブートヴォ(モスクワの元処刑場、現在は修道院)送りだ!」と怒鳴り付けたらしい)が出回ったことすらあった。


 列車はガタン、という音と共に小倉に向けて発車した。眼下に下関総合車両所運用検修センターが見えると鉄橋を渡り、やがて全長3614mの関門鉄道トンネルの坑口が見えてくる。

ーガタンガタン、ガタンッ!

 トンネルへ入ったのと同時に走行音がかなり大きくなった。立て付けの悪いサッシが震え、轟音が容赦なく乗客たちの耳をつんざく。となりに座る人の話し声さえ聞こえない中、ただ走行音と車掌の「ご用のお客様はいらっしゃいませんか~!」という精いっぱいの声だけが聞こえる。

「ありなちゃん…あのときはありがとう…」

 そんな中柴田は、何度もロシア語でこうつぶやいていた。この世界初の海底トンネルを通るたびに思い出すことが何かあるらしい。

ーガガン、ガガンゴトン、ギーッ…

 ますます大きくなる走行音。耳をふさいで耐える人もいる。柴田たちもまた、それぞれ好きな曲をイヤホンで聴きながら、早くトンネルを脱出しないか、と念じていた。

「何聴いてる?」

「最終のエレクトリーチカ」

「えっ」

「ソ連時代の有名な曲。彼氏が彼女とデートし過ぎていっつも最終電車に乗り遅れて月見ながら線路歩いて帰るって歌詞」

「柴田さんって恋愛に興味あるの?」

「小説とか歌は好きだけど、恋をすることはやっぱり火山以外にはない!」

「だよね~」(以上全てすごく大声)

 そうこう言っているうちに列車はトンネルを抜け、電気的に九州と本州を隔てるデッドセクションに差し掛かろうとしていた。ここから南は火山とおしゃれとかわいいにあふれたポーランドと同じ規模の経済力を持つ愛すべき九州、ここから北は(少なくとも柴田の考えでは)暗くてかわいくなくてカオスな本州(←この評価は下関に限る。同じ本州でも、宇部や萩、遠く岡山は柴田にとって九州と同じ魅力を持つ)であるー少なくとも電気的な意味では。

 正確にいえば、このデッドセクションを境に南は交流2万ボルト60ヘルツ、北は直流1500ボルトで電化されており、ここを越えられるのは(旅客列車では)今のところ交直両用の415系しかない。JR九州も一応老朽化対策のための延命工事ーしばしばロングシート化を伴うーをしているようだったが、車体に錆が浮いた車両もしばしば目にした…。事実、彼女たちが生まれてこのかた、一度も新型車両は入っていない。もっともそれは、「国鉄山口」と揶揄される山口県全体に言えることだが(「走るプレハブ」キハ120系は例外だが、あれは新車の風上に置く訳にいかない!)。

「おっ」

 車内の電灯が、非常灯を除いて全て消えた。デッドセクションに突入したのだ。しかしすぐに電灯は点き、そのまま門司駅に停車した。


・同日 北九州市小倉北区、紫川沿いのカフェ(17:54)


「すずちゃんまだかなあ…?」

 その頃白石由香は、紫川沿いにあるおしゃれなカフェで柴田の到着を待っていた。

 紫川は福智山山系に源を発し、小倉を南北に貫いて流れる全長20kmの二級河川で、白石のいるカフェあたりでは川幅も広くゆったりと流れており、「紫川10橋」という10本のおしゃれな橋がかけられていた。

 そんな紫川のほとりにあるおしゃれなカフェの、紫川を望むテーブル席に座る白石は、なにやらロシア語で書かれた資料を机に広げ、水を飲みながら時々入口の方に目線を向けていた。彼女はかれこれ15分、こうして柴田が来るのを待っていたのである。

「いらっしゃいませ」

「あっ、すずちゃん!」

 ようやく柴田がカフェにやって来た。よく見ると、彼女の着ている南高の制服に少し土がついていて、ここに来るまでの間に何かドジをやらかしたらしい…。

「あ~ゆかちゃんに会えてうれしいよ!3ヵ月前に天神で会ったとき以来…」

「すずちゃん、ドジやった?」

「何でわかった?小倉駅の階段でこけたけど」

「そりゃ3年と1ヵ月クラスメイトだったんだから。スカートに土ついてるよ」

 白石に指摘され、柴田はようやく制服のスカートについた土を払い落とした。それから二人はテーブル席に座り、白石はカプチーノを、柴田は(暑がりなので)アイスミルクティを注文した。

「これ、最近見つけたの」

 そう言って白石は件のロシア語の資料を柴田に差し出した。

「こ、これ。ロシア科学アカデミー火山地震研究所の、シヴェルチ火山の最新の論文じゃん!これ、ゆかちゃんどこで手に入れたの?!スパシーバスパシーバスパシーバっ!!」

「私だってロシア語わかるよ」

 白石はかつて、柴田にロシア語を教えてもらっていたのだ。その関係で火山関係の用語はわかるらしい。

「ほら、ピロクラスチチェスキー·パトークってあるじゃん…」

「火砕流ね。私でもときどきかむのにゆかちゃんはペラペラって、いつの間にかゆかちゃんのロシア語すごくうまくなってる!」

「そりゃ、すずちゃんが下関に戻ってからも、私はすずちゃんのこと忘れてないから。あんな火山バカで、ルームシェアっていうすてきな生き方してて、身一つで博多にやって来た女の子のこと忘れるわけないよ…」

「ゆかちゃんは最近どうよ?」

「順調。すずちゃんから仕入れた火山·ロシア情報のおかげで友達増えた」

「うちの情報で友達増えるなんて初耳!」

「そりゃレベルの高いコたちばっかりなんだから!すずちゃんこそどう?ありなちゃんとうまくいってる?」

「こっちは阿武火山群対策でありなちゃん共々てんてこ舞い。ありなちゃんとならうまくいってるけど、この前言い争いしちゃって」

「何があった?」

「火山学上のね。今度の祖国防衛の日(ロシアの祝日、2月23日)にありなちゃんが休みとってくれたんだけど、どこの火山に行くか大もめ…順当にいけば萩なんだけど、阿蘇か九重か由布岳か…全部行きたいんだ~!!」

「いつものことじゃん。でもありなちゃんのことは大事にしなさいよ?ありなちゃんに見捨てられたら、すずちゃん身寄りないんだからね!」

「まあね…でももしそうなったらかえrー」

「そっから先言っちゃダメ!」

 白石が柴田の言葉を遮った。何か絶対に口にできない秘密があるらしい。

「びっくりした…ごめんゆかちゃん、ここ小倉だしゆかちゃんの前だからつい気が緩んで」

「確かにそうだけど」

 火山バカandネジ抜けガールの柴田と違って白石はとてもしっかりしていた。柴田がイリーナ·マヤコフスカヤという親交のあるロシア人火山学者に送った手紙のなかで、彼女は白石と過ごした博多時代のことに触れたことがあり、そこで白石のことは「ウームナヤ·ジェンシィナ(聡明なる女性)」という称号付きで書かれていた。柴田に「ウームナヤ·ジェンシィナ」と呼ばれた人物は、白石の他には衣笠と柴崎かおり(やはり火山学者で、彼女がなぜ「涼乃」なのかを知る人物)、それとオリガ·ギリーナ(ロシア科学アカデミー火山地震研究所·カムチャツカ火山噴火対策チームの責任者)だけらしい…それほどまでに白石は柴田にとって重要な人物だった。


「美味しそうパスタあるけど頼んでいい?」

「いいけど、何で聞くの?」

「ゆかちゃんにとって飯テロになっちゃ嫌だから」

「私も頼むから飯テロなんかならないよ!」

 そう言って二人は大好物のトマトソース·パスタを注文した。しばらくしてパスタが届き、2人は久しぶりに夕食を共にする。その横では紫川がいつものようにゆったりと流れていた。

「そういえばゆかちゃん、小倉までどうやってきたの?」

 柴田が、ずっと気になっていたということを聞く。

「学校終わったとたんに博多駅にダッシュして快速に乗ってきたよ!帰りも小倉駅から快速で帰る。何せ特急代浮くから。時間かかるし、ロングシートになっちゃうこともあるけど…すずちゃんは?」

「こっちも南高から階段ダッシュで東駅に出て、バス乗って、下関駅からぼろぼろの普通列車…ありなちゃんとの思い出があるからなつかしいよ」

「そんなに4年前のことがなつかしいの?」

「だって、あのときありなちゃんが私のこと助けてくれたからこそ、今の私がいるわけであって…」

 そういうと、柴田はしばらく黙り込んでしまった。

「すずちゃんごめんっ!つらいこと思い出させちゃって」

「いいのゆかちゃん。これが私なの…ってありなちゃん!?」


ー最終のエレクトリーチカ♪

 突然柴田のロシア製スマートフォンに衣笠から電話がかかってくる。彼女は白石に断ると、ブレザーも着ずに(暑くて制服の黒いベストしか上着を着ていなかった)2月の冷たい空気に包まれた外に出た。水辺特有の(彼女にとっては)涼しい風に吹かれて、胸元まで伸びた黒髪がリボンのように揺れる。

「ありなちゃん何かあった?」

「霧島の新燃岳火山で小規模噴火」

「そのくらいで電話?」

「マグマが大量に貫入してるの!火山性微動も地殻変動もすごくて、マグマが今にも出てきそう」

「なら一大事じゃん!すぐ帰った方がいい?」

「私の方で監視するからすずちゃんはゆかさんとゆっくりして…せっかく会ったんだから」

「了解っ。テレグラムに状況アップしてくれたらそれでいい。じゃあ、小倉駅ついたらまたかけるね」

「パカー!(ロシア語でじゃあね)」

 戻ってきた柴田の顔を見て白石は、

(こりゃどっかの火山が噴火したな)

と察した。パスタに付いてきた白パンをほおばりながら白石が聞く。

「どこか噴火した?」

「何でわかったゆかちゃん!?霧島が噴火したけど」

「すずちゃんはね~、どっかの火山が噴火したとたんに目付きがめっちゃ鋭くなるんだよ~!」

「そうなの?!気づかんやった…」

 大好物のトマトソース·パスタに舌鼓を打ちながら柴田は質問に答えた。彼女の表情は、それまでの女子高生らしいかわいいそれではなく、火山学者がフィールドワークに出るときの、険しいそれに変わっていたー霧島の噴火を衣笠に聞かされたから。南高最強の火山バカ女子高生は、大親友と旧交を暖めつつも、霧島のことしか考えていなかった。阿武火山群のことすら忘れて…。


・同日 柴田涼乃and衣笠有菜の自宅(20:54)


 その頃衣笠は、VCMS(火山危機管理専門家支援システム)の画面とにらめっこしていた。これは火山学者がどこにいても噴火の可能性が高い火山の活動状況を確認したり、他の火山学者と議論したり、データを共有できるシステムであり、早い話火山学者専用のフコンタクチェのようなものだった。

 今、彼女のパソコンに表示されたVCMSの画面には霧島·新燃岳火山の活動状況や、他の火山学者から寄せられた意見、暗灰色の噴煙を噴き上げる新燃岳火山の写真が映し出されていた。

「これ、2011年噴火みたいなことになりそうだな…」

 一人しかいない小さな部屋の中で彼女はそうつぶやいた。


 彼女がいるのは自宅アパートの一室。ほのかなピンクの壁紙が貼られた部屋の中には、今彼女がVCMSを見ている机と火山灰·火山岩サンプルを入れる小さな戸棚、ベッド、柴田とおそろいの黒いロシアのコートやかわいい服をかけておくこれまた小さなワードローブ、火山学の本やファッション誌が並ぶ本棚が置かれており、壁にはカムチャツカ火山群のカリムスキー火山がストロンボリ式噴火を起こした時のきれいな写真やゲオルギーのリボンが貼られており、クローゼットには"ルバーシカ"やお気に入りのおしゃれでかわいい服、段ボールに入った火山岩サンプルが収められていた。

 この部屋には2つのドアがあり、1つは柴田の部屋に、もう1つのドアはダイニングキッチンに続いていた。ダイニングキッチンには二人掛けの机と26型のテレビ(なぜかロシア国営テレビが映る)があり、壁にはロシア語で「ロシア連邦ー世界で1番広くて自由な、火山とシラカバとおしゃれの国!」と書かれた赤い小さな横断幕が掛けられ、机の上にはデジタル時計(温度·湿度計付き)が置かれていた。

 柴田の部屋は女子高生の部屋とは一見思えないものだった。

 なぜなら、ドアを開けたとたんにプーチン大統領のポスターに見つめられるのだ。他にもイコンがあしらわれたロシア正教会の教会暦、火山のポスター、小さなロシア国旗とソ連国旗、赤い横断幕ーやはりロシア語で「同志諸君!私たちは火山とシラカバとおしゃれの国ロシア連邦と共に生きていこう…」と書かれていたーが壁に掛けられていた。部屋の中は資料や論文が散乱していて(柴田は片付けが苦手なのだ)、明らかにドジをやらかした、としか思えない散らかり方をした資料もあった…。

 そして衣笠の部屋と最も大きく異なるのはベッドがないことである。

 柴田はかなりのドジでしかも寝相が悪いので、ベッドで寝ようとすると一晩に2回は落ちて悲鳴をあげていた。事実、九州のとある火山の調査のためホテルに宿泊した際、3日間でベッドから落ちた回数はなんと13回。調査どころではなくなってしまった…それ以来彼女は絶対ベッドに寝なかったし、どうしてもベッドで寝なければならないときは体をベッドにくくりつけるほどだった。なので当然自分の部屋にベッドはなく、布団ーかわいいロシアのチェブラーシカ柄ーを敷いて寝ていた。暑がりなのでかけ布団は薄めである。

 机には友人たちと撮った写真が飾られていた。パソコンにはいろんなロシア語のシールが貼られており、そのうちの1つには「私は火山と恋してみたい」(!)と書かれていた。本棚にはロシア語で書かれた火山学の本やお気に入りのファッション誌「ピーテル·ティーン」。



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