シェークスピアに名を借りて

Groundlingsという。

ステージの前の土間で立って舞台上で演じられているドラマを見上げて追っているひとたちのことで、もともとはRedlion、The Rose、Globe Theatreのような17世紀につくられた劇場に
集まるビンボ観客たちについて使われた言葉だった。

いまでも使われます。

なんでかって?

ロンドンの有名な悪徳不動産投資家Thomas Brendからロンドンの内外のそこいらじゅうにあった不動産をひきついだ息子のNicholas BrendからリースされたSouthwalkの敷地に、新しく劇場がつくられて、この劇場がGlobe Theatreという名前なのだけれど、この劇場は楽しいつくりで、かぶりつきがいちばん安いチケットを買ったひとびとが案内される区画になっていて、でも椅子なんかはなくて、土間に立って観るシステムになっていた。

演劇好きのビンボ人たちは、こぞって劇場に通って、この土間に犇めいて立って、
エールを片手に、シャイロックにブーイングを飛ばしたり、Henry Vのスピーチに涙をぬぐったり、名前を呼ぶことも不吉なThe Scottish Playにさぶいぼをつくったりしていた。

精確なサイズや構造はわからなかったが、なにしろ周りにペダンティックで詮索好きな人間が山ほどいるシェイクスピアなので、だいたいどんな劇場か判っていて、
1997年に初代の構造を再現した三代目Globe Theatreが開場すると、Groundlingsたちも復活する。

それで、ね。

ニュージーランド人たちは、ビンボ国ニュージーランドの伝統の知恵で、ブリキと鉄パイプのscaffoldingで仮設Globe Theatreをつくってしまったらどうだろう、と考えたもののようでした。
2016年に、一回限りのつもりでCBDの、そのまたど真ん中に忽然とGlobe Theatreが現れます。

そのときのことをよくおぼえている。

アオテアセンターの横でなにかの工事をやっているのは知っていたが、ある日、普段はあまり出向かないCBDに友達夫婦に会いに出かけてみると、そこには忽然とロンドンの冬を嫌ったGlobe Theatreが地球の反対側に避寒旅行にやってきていた…わけはなくて、近付いてみると、ブリキでつくられた、なつかしいGlobe Theatreがある。

すっかり喜んでしまったぼくは、$10のチケットを買って、黒ビールを手に入れて、土間に立って、南半球にいるとは到底おもえない出来のA Midsummer Night’s Dreamを観てました。

そのときに、いまは多文化社会だが、ついこのあいだまでは連合王国人だらけだった国の人間たちらしく、あるいはまだまだ連合王国人まるだしの人々もいっぱいいて、もう会話のなかでGroundlingsという言葉が使われていた。

主宰者のおっちゃん自身が、「どうせ一年でオカネを使い果たして終わりですから」と述べていた仮設劇場Pop-up Globeは、あにはからんや、たいへんな人気で、初めのうちこそ空席があったものの、後半は超満員で、土間に文字通り立錐の余地もなく犇めく観客をかきわけて、観客たちと冗談をとばしあいながら、ステージへ向かう俳優たちも、日に日に自信を深めて、仮設劇場の身軽さ、次の年からEllerslieという、住んでいる家からクルマで10分くらいのところに引っ越していまでも毎日シェークスピアをやっている。

それどころか、メルボルンにも劇場をつくって、こちらも盛況らしいが、行ってみると、カンパニーの演者が足りないのか、いまはまだオークランドのほうが質がいいようです。

2016年、2017,2018と足繁く通ったが、別に嫌になったわけではないのに、今年はほとんど行っていない。
今年はアルコールが入っていると出来ないことをたくさんやっているので、ビールやワインを飲みながら観るという習慣になってしまっていて、シェークスピアとホロ酔い気分が不可分で、ドライな気持では行く気が起こらないのか、それとは関係なく、今年は、まあいいや、という気持がどこかにあるのか、理由は判らないが、そもそも自分がやることの理由を詮索したことがないので、判りません。

幕間に野外にしつらえてあるバーで、知らない人とテーブルを囲んで、ワインを飲みながら世間話をする。

家の猫のうちRの名前は、サセックスから来たという女の人が名付け親で、猫さんが眠っているぼくの頭を踏み台に窓の桟へジャンプして、失敗してこけて大騒ぎをしたりするたびに、その人が述べた連合王国の惨状のことをおもいだしたりする。

今日は劇は観なくて、Tシャツを買いたいんだけど、いいかい?と述べて、入り口のゲートを開けてもらって、構内に入ってすぐの売店で、胸にでっかくGroundlingと書いたTシャツを買った。

クルマに戻る時に、シェークスピアの戯曲のいくつかはグループによって書かれたらしい、というニュースについて話した。

近所においしいベーカリーがどこかにあるか、知ってますか?
わたしはノースショアに住んでいるので、この辺りのことは、ちっとも判らない。

ああ。ここを出て左に曲がって、初めの角を右に行って200メートルくらいまっすぐ行ったEllerslieの並びにあるベーカリーが安くておいしいの。

その5軒くらい先にあるフランス国旗を出しているベトナム人たちの店は、だいぶん高いけど、ポッシュな味のパイがあって、それもおいしいとおもう。

明日は、雨かな、オークランドは雨が多くて、湿気まである。
ぼくは昔東京にいたことがあるんだけど、あそこは、こんな天気だった。

言ってしまってから、ずっと昔、日本にいたなんて、ほんとうにあったことだろうか?

と考える。

頭のなかだけで想像して、なんだか東京にいたことがあるつもりになっているだけなんじゃない?

時々、記憶のなかの東京の街に、誰も人間がいなくて慌ててしまうことがあるんだよ。

無人の町で、ぼくは途方にくれて立っている。

未来をおもいだして、この町がやがて意味のある言語を失って、たしかにすぐそばを歩いているひとたちが、ぼくの眼には映らなくなってしまっていることに狼狽する。

町並が少しずつ褪せたようになって、ほんの少しだけど輪郭が淡くなって、まるで消え入るように、遠くの建物はかすれて、風に飛ばされる砂のように、建造物の上の半分が風のなかにとばされていっているのが見えている。

あの日本の人たちのはにかんだ笑顔を、もういちど見ることがあるだろうか。

日本語で述べうる現在を、あの町はいまでも持っているだろうか。
持っているとして、そのいまの時の時は英語にも翻訳可能だろうか。

飛行機で11時間という距離よりも、もっとずっと遠くになってしまった国のことを、ただ言語だけを頼りに思い出す事には何か意味があるのか。

記憶のなかの未来の東京は、突然、そこで途切れてしまう。
まるで誰かが意地悪をしてハサミで断ち切ってしまったように突然絶たれた未来。

なぜ?

もうぼくは日本について思い出すことに疲れてしまっているだけなのかも知れないけど。

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2 Responses to シェークスピアに名を借りて

  1. mikagehime says:

    Groundlingって言葉、
    初めて聞いたわ。
    日本だと何て言うのかな。
    桟敷客ともまた違うのよね。

    ガメさんの思い出にある東京は、
    まだ面白かった豊かな東京だよ。
    今の東京は疲弊してる。
    未来はわからないけど、少なくとも今は 面白みのない観光都市。
    右も左も同じ景色、同じ店。
    景色も服も飯も音楽も酷い。
    片隅の善意も風前の灯火。
    いつかまた、あの面白い街に戻れるのだろうか。私が育った頃の東京に

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  2. 変な言い方かもしれないけど、日本の街は硬質な部分が少ない感じがします。プラスチック。消費するには足るけれど、蓄積するには土台として軽すぎる。(海外はどうなのかしら)
    私は昔住んでいた神戸の事はあまり思い出せなくなってきましたが、仕事で滞在した奈良の山野や季節の色はまだ覚えています。
    自分の故郷を忘れていくというのは寂しいものです。

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