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【コラム 竹下陽二の「Only Human~みんなただの人間~」】

生涯一捕手のノムさんに生涯一記者を誓った夜

2019年6月25日 13時51分

 今月29日に84歳になるノムさんこと野村克也さんと先日、東京ドームでの巨人戦のナイター後、食事に出掛けた。前祝いのつもりがノムさん行きつけのすし屋で逆にごちそうになってしまった。この場を借りて、お礼を申し上げます。と、書くと、いつも行ってるような印象を受けるかもしれないが、外食は初めてである。試合前の食堂でお茶している時、「ナイター後、食事するんですか? たまには、一緒にメシでも行きましょうよ」と軽いノリで誘ってみたところ、「いいよ」と応じてくれた。私とノムさん、それにもう一人の野村シンパ記者の3人で。

 ノムさんとの付き合いはかれこれ30年以上。ノムさんがヤクルト監督で、私が番記者という関係だった。その頃から、遠征に行くたびに「お前ら、どっか、オイシイところ知らんか?」とか「カラオケでも行きたいのー」とさりげなく番記者たちを誘い、「誰か企画しろ」と言わんばかりに私にチラリと視線を向けた。シャイなノムさんはそれ以上は言わなかった。私も「いいですねえ」「パーッと行きますかあ」と調子良く答えはするものの、生来のめんどくさがり屋で、率先して企画することなく放置、今に至るのだった。それにしても、いいかげん、先延ばししすぎである。

 30年目の食事会は夜10時前から幕が開いた。ノムさんはテーブルに着くと、出されたお茶をすすりながらぼそりと言った。「最近は死ぬことしか考えとらん。いかに、楽して死ぬかとかな。ふふふ」。またまたあ、何をおっしゃいますと言いながら、私は軽く流す。昔からよくノムさんは縁起でもないことを言うのである。1990年代初頭のヤクルト監督時代から「こうやって、1日1日、死へと近づいていくんやなあ」とか「お前、オレの葬式にきてくれるやろ。誰が泣いてたかな、あとであの世で教えてくれな」などとよく言われたものだ。ただ、今は年齢が年齢だけに笑えないところも正直、あるのだが。

 最愛の妻サッチーさんが亡くなってから、1年半以上が過ぎた。サッチーさんのいない生活には慣れたのだろうか。ふと、気になったので、ノムさんに聞いた。すると、ノムさんは「全然、慣れん。毎晩のように、夢に出てくるんや」。エッ!? そうなんすか!?

 奥さん、何か言いますか? と聞いたら「アンタ、なにしてんのよ! しっかりしなさい! と怒られてばかりや。それにしても、アイツ幸せだったのかあ。仮に生きてても、絶対に答えてくれんだろうけど」とふふふと力なく笑った。そして、「オレより先に逝くなよと、あれだけ、口を酸っぱく言ったのに、先に逝きよって。あんまり、言いすぎたのかあ」とつぶやいた。そうなってほしくないことをしつこく口にしてしまったことを悔やんでいるようだった。先に逝くなではなく、長生きしろよ、と言うべきだったか。私が「野球でも、高めに手を出すなと口を酸っぱく言うと、逆に高めを意識して、高めに手を出すことって、ありますよね?」とついピント外れとは思いながら野球における心理論でたとえ話をすると、ノムさんは「それもあるかもしれんな」と真顔でうなずいたのだった。それから、サッチーさんの思い出話から野球話、たわいない世間話をしながらスシをつまんだ。幸せな時間だった。番記者として、ノムさんと食事に行く機会はもっとあったはずなのに、そのうち、そのうちと延ばしてきた。自分のめんどくさがり屋が恨めしかった。

時計の針はもう0時に近くなろうとしていた。ふと、思い出したように、ノムさんが「それにしても、お前も昔から知ってるけど、出世せんなあ」とあわれむような目で私を見た。心外に思った私は「ボクはモノを書くために新聞社に入ったんです。出世の2文字は私の辞書にありません!」とサラリと言った。すると、ノムさんはまじまじと私の顔を見て「お前、いいこと言うな。見直したわ」とうれしそうにニヤリと笑った。ノムさんの後ろには、サッチーさん直筆の「憤の一字」と書かれた色紙と「生涯一捕手」と書かれたノムさん直筆の色紙が飾られてあった。私が生ビール一杯でほろ酔い加減の勢いで「今度、生涯一記者と色紙に書いてください!」と頼むと「いいよ」と快諾してくれた。酔った頭で、これは、間違いなく家宝になると思う私がいた。

 足腰は多少弱くなっているノムさんだが、内臓は丈夫なようで次から次へとにぎりずしが胃袋に消えていった。そして、ノムさんスペシャルと言うべき締めのパフェもペロリと平らげた。私もいただいた。深夜のパフェの味は格別だった。すし屋の大将に店員さんもまじえ、さらに、よもやま話に花が咲いた。私たちがすし屋を出たのは、深夜の1時前だった。すし屋で店員さんの肩を借りてノムさんが送りの車の後部座席に乗り込んだ。私も後部座席に乗って、隣のノムさんに「また行きましょう!」と語りかけた。ノムさんはいつのように「いいよ」とコクリとうなずいた。また、ボンヤリしてると、次は30年後に天国でなんてことになりかねないので、こちらが企画します!

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