Mt.KAZENOKAMIのブログ

がんばっぺ!常陸!磐城!陸前! 茨の道を突き進め~! 乳ガンよ、飛んでいけ~! あれっ? 飛んでった?(笑)

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当時のアサヒグラフより。


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事故機です。ボーイング727-200型機、機体番号JA8329
画像はお借りしました。



    全日空機雫石衝突事故

全日空機雫石衝突事故(ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ)は、1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。

岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985年8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

         ーWikipediaー



       過去記事

全日空機雫石衝突事故(1)
https://blogs.yahoo.co.jp/kazenokami1016/16711876.html

全日空機雫石衝突事故(2)
https://blogs.yahoo.co.jp/kazenokami1016/17776401.html

全日空機雫石衝突事故(3)
https://blogs.yahoo.co.jp/kazenokami1016/19294619.html




ばんだい号墜落事故から一月も経たぬ7月30日。。。

続いてしまいましたよね。
忘れもしません。

岩手の伯父(親父の兄)が消防団員として現地(現在の慰霊の森付近。墜落現場の一部)に入り、リアルタイムで話を聞かされました。

当時、小学生(7歳)の私は、ショックを受けましたね。

あの日から、47年が経ちました。




衝突後、双方の機体はともに操縦不能になった。全日空58便についてはしばらく降下しながら飛行していた。その後、水平安定板と昇降舵の機能を喪失していたため、降下姿勢から回復できず速度が急加速し、音速の壁を突破したことにより約15,000ft(約5,000m)付近で空中分解し墜落、搭乗していた乗員乗客162名全員が死亡した。

          ーWikipediaー





全日空機雫石衝突事故は、ほぼ全面的に、自衛隊側に非があるとされた(されている)事故です。

1985年8月12日の日航機墜落事故(日本航空123便墜落事故)についてもそうですが、まず、自衛隊が疑われ、目の敵にされますよね。

まあ、日航機墜落事故に関しては、当ブログでも、散々、書いていますし、事故当時から自衛隊が関係していると思っていますが、全日空機雫石衝突事故については、自衛隊は、ほぼ無罪だと思っています。




雫石事故から40年以上が経ち、事故を思い出し検索してみたら、事故の概要が伯父から聞いた話や当時の目撃談とは違っているのに気付きました。

特に食い違いが甚だしいのは、推定衝突地点です。

政府事故調査委員会の報告書。

色々と不都合があるので、『真実』を報告しないのだと思っています。


当時はまだ常設の航空事故調査委員会が設置されておらず、事故調査のため「全日空機接触事故調査委員会」が総理府に設置された。

         ーWikipediaー




一昨年、雫石事故に関する気になる書籍を発見したのですが、先日、遂にメルカリで購入出来たんですよ。
たったの420円(送料込み)で


イメージ 3

  ジェット・ルート J11L
    全日空・自衛隊機
   空中接触事故の真相



ジェットルートJ11Lは盛岡市の市街地の上空をほぼ南北に通っている航空路で、自衛隊機が訓練空域を逸脱してジェットルートJ11Lの中に入ったことに気づかず訓練飛行を続行したとされていました。

しかし。。。

事故調査委員会の報告書による推定衝突地点と著者や目撃談による推定衝突地点とは7km~8km違っていますし、私が推定した衝突地点とは10km違っています。
(事故調査委員会の推定衝突地点より西側)

そうなると、全日空機がジェットルートJ11Lから大きく逸れているだけでなく、自衛隊の訓練空域(領域訓練空域)に入った事になります。

私の推定衝突地点は、現在の『道の駅 雫石あねっこ』の少し北西です。

あの日、全日空機の飛行経路になっていたジェット・ルートは、自衛隊の訓練空域(臨時訓練空域)で、航空路とはちがっていて、視界が良い時には、そこで曲技飛行を訓練することも許容されていたのです。

当時は、自衛隊に罪を擦り付けれぱ、丸くおさまったのです。

更には、機体の残骸から、F-16F戦闘機は右主翼の付け根付近をうしろからボーイング727機の右水平尾翼の前縁でひっかけられた形で接触した事が、すぐに確認されていました。
にも関わらず、『自衛隊の犯罪』と決め付けられていました。


イメージ 4

ジェット・ルート J11Lより。
目撃状況図です。
全日空機残がい物(主として重量物)落下地点は、現在の慰霊の森付近です。


イメージ 5

ジェット・ルート J11Lより。
事故機残骸の散布範囲です。
報告書の推定接触位置は、明らかに不自然です。


イメージ 6

御所湖の西側に白鳥飛来地があります。
慰霊の森(全日空機が墜落した現場)の北西の方向にあります。


イメージ 7

白煙をひきながら墜落していく全日空機の一部です。
写っている山々は、箱ヶ森、南昌山、東根山。志波三山ですか
山の位置が上の画像と同じなので、衝突位置は、慰霊の森の北西の方向だとわかります。
ちなみに、ジェット・ルート J11Lは、慰霊の森の東側です。


イメージ 8

ジェット・ルート J11Lより。
盛岡市内から西南西の方向を撮った画像です。




全日空側に過失は無かったのか、自衛隊側に過失は無かったのか。。。

いずれにしても、航空行政立ち遅れが事故の発端です。

旅客機と戦闘機が、同じ空域を飛びまわっていたのですから。

あれだけ、ニアミスが起きていたのに、航空行政はアバウトなもので、危機感がありませんでしたよね。



どちらが悪い、とかいうより、責任は国にあると思います。

162人の命を奪った罪は重いぞ。



ちなみに、元教官と訓練生について。

有罪判決を言い渡された元教官は、自衛隊法の規定により失職した。元教官は再審請求も辞退し、パイロット職に復帰することもなかった(2005年8月死去)。また、訓練生は最高裁判決後、戦闘機から救難機パイロットに転じ、2003年(平成15年)10月に定年退職するまで人命救助の任務に当たった。

          ーWikipediaー




空の安全を祈っております。

犠牲になられた162名の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 

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