FF14の映画を見て、初めて映画館で号泣してもうた…
自分は目の前で人が死んでも「あー死んじゃった」ぐらいにしか思わないサイコパスなんですが…。
劇場版FF14 光のお父さんでは、オープニングが始まるまでの冒頭10分で号泣してしまいました。
たぶん仕事一筋な親父と、一人でゲームやってる子供の映像が自分の幼少期と被ったんでしょう。
周囲からしたら「え?そこで泣く?」みたいなシーンなのに、自分だけ涙と鼻水がすげえ勢いで噴出して、手で押さえても液体があふれるぐらいに泣いてました…。
オープニングが流れ始めたとき、後ろにいたカップルのお客さんが心配してくれて、ちょっと高級そうなポケットティッシュを渡してくれて助かりました。
(肩を叩かれたとき、殴られるんじゃないか?と警戒して睨みつけてしまった自分が情けない…。)
リアルでもネットでも迫害され続ける生活を送っているので、人から親切にされることに慣れておらず、そこでまた余計に涙が止まらなくなってもうて…。
ほんと近くにいたお客さんには申し訳ないことをしてしまったと思っています。
父親役に感情移入して泣きっぱなし…
多くの人は主人公である息子役に感情移入するんでしょうが、なぜか自分は父親役に感情移入してしまいました。
仕事一筋で生きてきたが、仕事をやめて自分は無価値じゃないかという不安を抱える
自分はリアルでもネットでも「おまえに生きる価値はない」「さっさと死ねよ」みたいなことを言われ続けているので、この親父さんの一言一句が自分のように思えてしまって…。
あと、ゲームにハマるにつれて息子との距離が一時的に広がっていくシーンは、幼少期の伏線(ファミコン時代)と相まって泣けましたね。
マジメな人間が陥りやすい「他人と距離を広げてしまう」「他人からも距離を広げられてしまう」という2つの特性を、ファミコンとPS4に分けて極めて自然な形で描いているのが良かったです。
健全かつ自然な形でゲームを表現している
ネトゲの実写化といえば、我らがドラクエ10の誇る「ゆうべはおたのしみでしたね」がありますけれども。
だいたいネトゲをドラマチックに描こうとすると「美人とヤッた」「金持ちを釣った」みたいな下劣な話ばかりになりがちなんです。
「ゲームで性欲や物欲を満たしましたw」というトンデモストーリーを美談として取り上げるので、ますます一般社会からは危険視されるし、出会い系サイトなんかと同一視されるのがお決まりパターンになっています。
しかし、「劇場版ファイナルファンタジー14 光のお父さん」は親子関係の修復という、極めて自然なお話に留められています。
負け組が美人の彼女を捕まえて人生一発逆転したり、大した努力もせずにトントン拍子にお金を稼いでいくといった、大掛かりな夢物語はありません。
この「劇場版ファイナルファンタジー14 光のお父さん」という作品は、一言で言ってしまえば”ネトゲを通じて父親と会話する時間が得られた”というだけのお話なんです。
でも、その「父親との会話」という部分が上手く表現されていて、MMO=チャットツールという図式をプラスに描いているのは素直に素晴らしく思えました。
よくよく考えると、ドラクエ10って20文字の制限があるせいで、まともな日本語で会話することが難しいから、こういうMMOの良い部分が強調されづらいんですよね…。
ドラクエ10はゲーム内で会話がやりづらい分、ゲーム外のSNSやブログ等で怒鳴り散らす人間ばかり目立ちやすい。
「あー、ネトゲって本当はこういう遊び方するんだよな」という当たり前のことを思い出して、ここ最近のドラクエ10で起きた事件は決してMMO全体に当てはめられないと反省してしまいました。
せめてゲームだけでも他人に優しくしようと思える
映画の中では「MMO初心者あるある」みたいな小ネタも挟み込まれていて、場内でも時々笑い声が聞こえてきました。
自分も他のネットゲームをやっているときは、ああいうのを見ると笑っちゃうくらい微笑ましく思っていたんですが、最近は殺意すら覚えるぐらいに余裕がなくなっていますね…。
どうしてもドラクエ10をやっていると、他人に対して「できるやつ」「できないやつ」という二分化をしてしまいがちで、それがエスカレートすると「人間」「動物」みたいな差別感情さえ沸き起こってきます。
最近はFF14がギスギス要素を排除する方向に動いたこともあって、「温かいエオルゼア」と「殺意と憎悪のアストルティア」というのが、各種ゲームレビューサイトでも定説みたいに書かれています。
自分は攻撃的な人間にはなりたくないと思っていたのですが、見知らぬ人々からYouTubeをやっているというだけで言葉の暴力を受け続けるうちに、自分もだんだんと彼らと同じく負の感情が強くなっていったものでした。
しかし、「劇場版ファイナルファンタジー14 光のお父さん」を通じて、MMOの遊び方の原点を思い出せた気がします。
初めてネトゲのフィールドに立ったとき、見知らぬ人からサポートを受けたり、たわいもないチャットに盛り上がったり…。
「劇場版ファイナルファンタジー14 光のお父さん」はエオルゼアの美しい映像を通じて、「できるだけ他人に優しくしよう」と考え直させるきっかけを与えてくれました。
館内にいたFF14プレイヤーに感謝
映画の冒頭でアホみたいに号泣してしまって、また映画の後半でも涙腺崩壊して過呼吸みたいになってしまって…。
同席していた他のお客さんからしたら、たぶんめちゃくちゃ目立っていたと思うし、警察を呼ばれてもおかしくなかったと思います…。
後ろの席にいらっしゃったお二人にはずっと心配されてましたし…。
ちょっと離れた席に座っていた人からは、映画が終わったあとに未開封のペットボトル飲料を差し入れられたりして、いろいろな人に声をかけていただきました。
他人の視線を感じるたびに「SNSに晒されるかも?」とか「悪口を言ってるかも?」とかマイナス思考が止まらなかったのですが、本当にみなさん優しい人ばかりで、他人を警戒してばかりの自分が恥ずかしくなるばかり…。
咳き込んで倒れたら汚水をぶっかけられるような人生を自分は歩んできたので…。
決して安くない映画の時間を邪魔してしまった自分に対して、これだけ親切にしてくれたFF14プレイヤーには感謝してもしきれません。
「光のおとうさん」が本当にいたのかどうかは諸説ありますけれども…。
「ネトゲには聖人のような人がたくさんいる」というのは事実なんだとわかりました…。
こんなクズみたいな自分がお返しとしてできることは、一人でも多くの方に「劇場版ファイナルファンタジー14 光のお父さん」を見ていただいて、ネトゲの良い部分も理解してもらうことしかないなと思った次第です。
今後は「一割の悪党を見て残り九割も悪と断じる」という考え方を改めて、悪い部分も忘れないようにしながら、もっと良い部分を広げていけるような活動を心がけていきます…。
本当にFF14プレイヤーの皆さん、自分が人間の心を取り戻せるきっかけを与えていただきありがとうございました。
↑人間の心を取り戻した私の人間宣言です。