”安寧” 違う視点 | 世界はあたしのお庭なの

”安寧” 違う視点

テーマ:日記ではない

会報の事を書く前に、この記事を今度は違う視点で見てみる。

「安寧」は、よーへいからのそのままのメッセージとして受けとる。
安心してていいよという意味で。

次に記事の内容。
真ん中の一文の中の「終われてる」を誤字として、「追われてる」に変える。
その上で、記事を解釈する。

「この記事の内容はあたしのことを言っている」という視点で考えてみると、不自然な点がある。
人の評価に頼るというところと、コンナハスデハナカッタというところ。
あたしは人の評価は重要視していないし、頼ってもいない。
それは人間の評価基準の殆どが人間によって決められたものであり、その内容はというと極めて狭い視点で作られたものになっているから。
あたしやよーへい以下の考えによって作られた評価は、あたし達を評価するには値しない。
あたしやよーへいを越える知能と能力を持った者の評価であれば、意味があるのではないかと思える。
コンナハスデハナカッタは、以前は思ったこともあったものの今は全くない。
だから、この記事はあたしには当てはまらない。

「この記事の内容はよーへい自身のことを言っている」という視点で見てみても、よーへいはあたしと同様の考えだから当てはまらないない。

最後に「一般的人のことを言っている」という視点で見てみる。
その場合は当てはまるね。
多くの人は人からの評価に頼っている。
人から評価されることに喜びを感じている。
ネットでイイネが盛んなのは、人間にそういった傾向があるから。
けれど、たとえ評価されたとしても、されただけ仕事が忙しくなったり、 人から頼られたりで、いつも時間に追われてる感じになる人も多いだろう。
評価されればされるほど頼られるからね。
こんなはずじゃなかったのに…と思う人もいるように思う。

逆に、実は実力がないのに幸運にも評価された場合。
された時は気分が良いかもしれないけれど、実際には実力がないからその後にボロが出る。
焦るばかりで実にならない。
結局は…こんなはずじゃなかったのにとなる。
実力の伴わない評価は、時に自分を苦しめる事にもなるね。

そんな感じ!