「慰霊の日」の23日、県内各地で慰霊祭が執り行われた。戦後74年。時折、強い風雨が吹き付ける中、参列者は鎮魂の祈りと平和への思いを新たにした。

 糸満市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」。沖縄戦後、野ざらしにされた遺骨を収集し初めて建立された慰霊碑である。親族がどこで戦死したかわからない遺族らが手を合わせる場所だ。

 早朝から多くの家族連れが参拝した。宜野湾市の知念康子さん(81)は車いすを娘に押してもらいながら孫7人を含む11人で訪れた。父親が南部で死亡した。「子ども4人を残して悔しかっただろう。基地があるとまたやられる」と過重な基地負担と沖縄戦を重ね合わせた。

 今年新たに判明した42人の氏名が刻まれ、戦没者の総数が24万1566人となった「平和の礎」。

 刻銘板に刻まれた親族を確認すると、ごちそうやお茶、線香を手向けた。泡盛で名前を清め、いとおしそうになぞるお年寄りの姿も。

 南城市の宮城和子さん(76)は義理の両親が南部で犠牲になった。夫が3年前に亡くなったため、次男とその孫4人で傘を差しながらやって来た。「いつまでも平和が続き、子や孫たちを見守ってください」と祈った。

 戦争体験者が年々減少し、沖縄戦の風化が叫ばれる。

 そんな中で、2人のお年寄りは子や孫の世代と魂魄の塔や平和の礎をいっしょに訪ねることで苛烈な沖縄戦や戦後の苦難の歴史体験を伝えようとしているようにみえた。

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 糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が営まれた。

 玉城デニー知事が就任後、初めて平和宣言をした。

 辺野古新基地建設問題では、2月の県民投票を取り上げた。圧倒的多数の県民が辺野古埋め立てに反対していることが明確に示されたにもかかわらず、工事を強行する政府を「民意を尊重せず、地方自治をも蔑(ないがし)ろにする」と批判。翁長雄志前知事と同じように、辺野古移設断念を強く求めた。

 玉城知事の平和宣言で特徴的だったのは、結びをウチナーグチと英語で発信したことである。「先祖から受け継いだ、平和を愛し、(他者の痛みに寄り添う)沖縄のチムグクルを子や孫に伝えなければなりません」との趣旨で、戦争のない安心して暮らせる世界を構築していこうと呼び掛けた。

 多様性と寛容性にあふれた社会の実現についても全身全霊で取り組むことを誓った。

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 玉城知事は辺野古新基地建設問題で「対話によってこの問題を解決していく」と平和宣言で述べた。

 しかし、安倍晋三首相は追悼式後の記者会見で、米軍普天間飛行場の「一日も早い全面返還に向けて全力で取り組みたい」と、新基地建設を進める考えを変えなかった。

 玉城知事が対話を求めた直後にこれを拒否する安倍首相の姿勢は平和宣言を軽んじているとしか思えない。実際、会場でも、見送りの空港でも知事と首相が対話する場面は一度もなかった。

 異様というほかない。