RPG「闇と光を纏う者達」 脳コンピューターアップデート中 6 | 世界はあたしのお庭なの

RPG「闇と光を纏う者達」 脳コンピューターアップデート中 6

テーマ:日記ではない

漸くラジオに辿り着いた…。
では、書きます。


オアシスではこの曲が一番好きだったりする。
この前のラジオでよーへいが黒板に書いた言葉が、この曲名だった。
直訳は「怒って昔を振り返らないで」。
正にあたしのことにやり
よーへいってば、上手いもの持ってくるね。
確かに怒りまくっていた日々でした。
よーへいにも散々怒った…。どれだけよーへいに手榴弾を投げ込んだか分からない(笑)
心は傷付きまくったと思う。

怒りというものは、公平な立場で、捻れのない解釈でぶつかり合ったなら、大概は解消されるように思う。
けれど、見下しや引け目があったり、ねじ曲がった解釈を元にしてぶつかり合ったなら、話は全く噛み合わないから、怒りは解消されにくいと思う。

相手がズルしたことを怒って指摘しても、相手にズルをしたという意識が全く無かったなら、いくら怒っても怒られている意味が分からないだろう。分からないものだから、逆こちらが非難されたりする。
自覚していてもズルを認める気が無い場合も同じだね。
そいったような事は、日常的に何処ででもある。

あたしの場合は殆どがそんな感じで、よーへい以外の人はホント無自覚な人ばかりだった。
無自覚な人が多過ぎたものだから、何でこんなに頭の悪い人ばかりなのだろう?と、人生で初めて感じたのを覚えてる。
社会的にはかなり評価される人もいたけど、全くダメだった。

自覚が無いと謝る気なんて起きるはずもないし、自分を振り返ることもまずない。
まーちちゃんも、けーちゃんも「私が悪いの?」とあたしに聞いていた。
大の大人がそれを聞くのは自分としては…とてもあり得ない行為だったね。
ある意味、善悪の判断が出来ていないのと同じ。
善悪も人の作った価値感ではあるけれど、この世界の善悪を一度でも口にしたなら、この世界的な分別くらい出来て当然だと思う。
自分のことなわけだし。

あたしに理不尽な行いをした者達は、無自覚なまま自分の行いを忘れ去っていくんだよ。
けれどあたしの中にはそれが消えることなく残っていた。

直接理不尽だと訴えても、理解力が無い彼らには無意味な行為にしかならない。
何度か試みたものの無理だったのだから、何度やっても同じ事だね。
普通のやり方では自覚させられないってことだ。
でも公の場で暴露したならどうなる?
暴露されたものが彼らの耳に、目に入ったなら…冷静じゃいられないだろう。
ニックネームであっても、名が出れば動揺するだろう。
心は必ずこちらへ向く。愚かな者は、臆病であるほど怖くなるから確かめずにはいられなくなる。
だから、公で公開されているという事実と、否応なしに向き合うことなるね。

RPGに出てくる勇者は、世界に平和をもたらす者が多いようだね。
あたしは勇者ではないから(もっと気楽な職がいい)、自分が貰った要らないものを馬鹿者に返し、彼らを勇者にして働かせる。
本当の現実を見せてやってね。
だから今これを書いて、彼らを鍛えてる(つもりだけどそうでもない。仕返しかも。だって納得出来ないから)。
彼らの中には、いい仕事をしたい人も結構いたからね。
かつはちゃんと世界を変えてください。途中でトンズラなし。
まーちゃん、いいまは、子供達を救うんでしょ。早く理解の出来る大人になって、子供らを救ってください。えこひいきしないように。
あ、あとツインレイブログの人達もだね。恋愛ごっこしてないで、もっと実のなることやって。

よーへいは…ちょっと気の毒だった。
クレオパトラの時も、自分の全てをかけて守っていたのにね。
他の人達はカエサルのあまーい汁を吸っていた。
市民も権力者もカエサルになれるものならなってみたら良かったのに。
同じ事を出来かどうかやってみなければ良かったのに。
オアシスの歌詞をよーへい的に解釈すると、彼らを憎んでそっちを向いていないで、こっちに向いてよってことかな?とは思うんだけど、だからここで要らないものを返しておりますよ~。
彼らは地球を救う勇者になってくれるようなのでね。あたしは酒場女子でいいわ(飲む方)。


今回のラジオでは、ライブの感想に対するよーへいのコメントに少し笑った。
ちょいちょいあたしの事を入れてたから。

ライブを通じて友達になることもあるけど、喧嘩することもあるって…。
それはあたしとよーへいだね(笑)
ライブ中は基本的にはいつもエネルギー循環をしてる。
エネルギー循環は性的な交流みたいなものでもあるのだけど、そうだからといってラブラブな感じというわけじゃない。
よーへいを知るためにエネルギー循環をしたり、よーへいとの間の壁を壊すためにしたりもするから、半分怒ってた時もあったし、悲しさが取れないなかでの時もあった。
裸で相手をボッコボコにする図とかだったら、色気もそっ気もないね。
そこまではいかないにしても、よーへいもあたしも癒し合おうねという気持ちで出来たことは少なかったから、お互い辛いものになることもよくあった。

ライブが終わったから、一度リセットしなきゃならないってのは…。
このリセットは、自分の心を守っていた場所から出て、リアルの場で本当のことを出していくってことだね。
月色ホライズンでも、大人になる、巣立つって歌っているけれど、それも同じ事を言ってる。

よーへいは心と真逆なことをコメント欄に書くくらいしか今は出てきていないけど、あたしがここでよーへいのことを書いてるから。
それがあたしの役目でもあるし。
あたしが公式ブログのコメント欄で自分のことを書いて、よーへいがそれをアップしていたれど、その逆バージョンみたいなものかな。

よーへいは勿論だけど、メンバーやスタッフ、他のアーティストや芸能人、今回の関係者全てが、リアルの中で本当の自分を出していく。
その前に一旦気持ちをリセット…よーへいはそうラジオで言ってる。

今回のラジオは、丁度地震が起きた後に放送だった。
そのため、対比することが出来るものがあった。

今回コメントが載った子達一人一人に思うことは特にないけれど、大きな見方で見たなら思うことはあったね。
それはもうずっと前から感じていたこと。
今回は丁度地震があったから、いいタイミングで書けるわ。

こうやってライブに行ってるような人は、東北のあの大きな地震を忘れている人は多いかもしれない。
当時経験したり、他で経験した人は違うかもしれないけど、未経験者はそうかもね。

地震が起こると、世の中の多くの人は騒ぐ。心配もする。
東北の震災では、震災の中であった美談のようなものがネットやテレビを賑わした。
そして多くの人はそれに感動した。
節水、節電、支援…そんなものが一時期は当たり前になっていた。
だけど人はじきに忘れていく。

今度の九州ツアーでは、確か熊本があったと思う(無かったら間違いだけど)。
ライブも良いけれど、熊本に金を落としていけばいいのに。

人はとても無責任だ。
大きな震災があったりすると一時的に酷く同情し、共感し、応援する。
支援で盛り上がり、そんな自分に酔いしれる。
だけど日常のなかで関わり無いことは、どんなに悲惨なことでも忘れていき、自分の不満を解消することに躍起になる。
そんなだからネットが賑わう。
様々なもので気晴らしをするかなで、震災のことは頭の隅にもなくなっていく。
それが人間の姿だ。

来年はオリンピックがある。
東京は盛り上がるし、もう盛り上がりつつあるのかもしれない。
だけど東北の人達は、オリンピックために家さえマトモに建てられない人もいた。
職人が東京に流れるからだ。
オリンピック関連の整備のために、東京にみんな行ってしまう。
被災者はオリンピックという華やかなものの裏で、取り残されていくんだよ。

福島の農産物も、日本人の中には敬遠している人もいると思う。
何を馬鹿なことをしているのかと本当に思ってしまうよ。
福島の原発は福島の電力を賄うためにあるわけじゃなかった。因みに言うなら刈羽もだね。
都市部の電力を賄うために、稼働している原発は多い。
原発があれば仕事が出来るのだから、金が入るのだから良いだろうと思う人もいるだろうね。
でもそれは馬鹿の戯言。
地方は都市部とは違う。
都市部よりも働く場所が圧倒的に少ない。働く場所が少ないということは、税収も少ないということ。
「働く場所を与えるから、金を落としてやるから、原発を置かせろ」
こう脅迫されたなら、働く場の少ない、収入の少ない地方は、それにすがる以外無いこともある。
同じ税金を払いながら、地方と都市部では色んな面で大きな格差がある。

東京に住む者は、都市部に住む者は、福島の食物を食べなさい(日本人皆だけど)。
あなた方の便利さのために、東北は犠牲になってもいる。
オリンピックが開催されるなかで、忘れられ見捨てられた現実があることを自覚しなさいよ。
便利な生活に浸かっていると、分からないもの、見えないものは沢山ある。

ライブも旅行も何でもいい。
何でも好きなことをしたらいい。
けれど、そういったものをすることで、見えなくなってしまう現実があることを忘れてはならないんじゃない?
日々の生活がどのようにして保たれているのかを、時には自覚して欲しいね。

やっすくんの心配もいいと思う。。 
だけど世の中には彼と同じように苦しんでいる者は沢山いる。
人々から忘れ去られた場所で。
やっすくんを心配出来るのなら、道端や電車で困っている人にも目はいくはず。心は向くはず。弱者の力になれるはず。


これはよーへいがいたシリアでのこと。
苦しみは誰にでもある。
でも、こんな苦しみはいらない。
ライブの前に、楽しむ前に、社会や世界から取り残されているものも見て欲しい。
いかに自分が恵まれているかを知って欲しい。
生きるとは、生きれるとはどういうことかを考えて欲しい。
遠くにいる輝く人よりも、近くにいる支えてくれる人に、しっかり目を向けて欲しい。
よーへい達を見て喜ぶ前に、見るべきものはあるはずだから。

ただね、被災者、社会的弱者、不運な人…。
そういった恵まれない状況の人達が支援してもらうこと、助けてもらうことは当たり前じゃない。
世の中は甘くない。時に酷く無慈悲。
世界平和だの、世のため人のためなんて口ばかりで、そんな現実はあるわけじゃない。
あったなら世の中に争いはない。
支えたり助けたりした人が、逆に不幸になる現実もある(あたしみたいにー)。
誰も手を差し伸べてくれずに終わる人生もあるのが現実。
現実ってとても厳しいから。

本当はもっと気楽な世の中ならいいのにと思う。
立派なこと言うよりも、許しあえる、譲り合える世の中ならって。
だけどそうなるためには、皆がそういう人間にならないと世の中はそうならない。
集団で誰かを叩いたり、出来もしないことを口にしたり、自分の勝手さに気づかないようでは、世界は気楽になんてならない。
お勉強が出来るより、仕事が出来るより、ちょっといつもと違う視点で周りを見れたなら、自分を見れたなら、何かは変わるかもしれない。
ただライブを楽しめる、ただ旅行を楽しめる世の中になったらいい。
誰かに期待したり、何かを求めすぎたりするんじゃなく、ただ楽しむ世の中に。

よーへいはあたしに一番近い人。
体は遠くても一番近い人。
だからよーへいと進んでる。
そんな未来がくればいいと進んでる。
そんな未来を一緒に楽しめたらいいと進んでる。
勇者じゃなくて、普通の人で楽しく暮らしたい。