RPG「光と闇を纏う者達」 脳コンピューターアップデート中 5
テーマ:日記ではない
朝になると昨日のことが次々と整理され、また違った側面が見えてきたり、書くべき過去が情報として入ってきたり…。
毎朝なかなか面白い。
かつと話すようになり始めてから、脳がせわしなく動くようになった。
最初の頃はとても疲れたけれど、今はもう慣れた。
では書き始める。
昨日の流れで、けーちゃんとの過去を思い出した。
あたしが納得のいかなかった過去の出来事。
けーちゃんはいいまの行動が度を越し始めた頃、あたしに対して「いいまと会って話してみない?」と、言ってきた。
あたしは彼女がとても冷静に話せる状態とは思えなかったため、会わないと伝えた。
その後、いいまの行きすぎた行動は、あたしがけーちゃんに送ったLINEの文章を安易にいいまに見せまったことも、かなり影響しているのだと何度か指摘した。
けーちゃんはそんなあたしを鬱陶しがった。
暫く経ってから、それでもいいまと直に話してみようか?…あたしはそう思い直した。
もしかしたら話にならないかもしれない。
けれどやってみなければ分からない。
あたしは次にけーちゃんに会った時、「いいまに会ってみるよ」と、伝えた。
返ってきた言葉は…。
「面倒臭いから嫌だわ」
だった。
けーちゃんは続けた。
「二人の揉め事の間に入るのは面倒臭いから嫌。そういうのにもう関わりたくない」
その時のあたしは、それならいい…そう思った。
あたしはけーちゃんを責めなかった。
あの頃のあたしは、いつも「仕方ないよね」だった。
人を当てには出来ないし、嫌なものは無理強いしたくない。
揉め事が嫌なのは誰でも同じ。
それでも楽しく話せる時があるからいい。
そんな感じで終わらせていた。
鈍いと言えば鈍く、お人好しと言えば馬鹿がつくほどお人好し。
今はもう、あの頃のあたしには戻れないし戻らない。
けーちゃんはあたしに断り無く、いいまに公式のコメント欄のことを相談した。
あたしのことを心配して、いいまに相談をしたと言った。
彼女が全く知らなかったことを、彼女には全く関係なかったことを、「友達が心配」という理由を付けて、けーちゃんはいいまに話したわけだ。
本当に心配だったのか?
単に会話を盛り上げる「話題」として提供したかっただけじゃないのか?
一般的とは言えないあたしの行動をネタにして、いいまと会話を楽しみたかっただけじゃないのか?
もしも本気であたしを心配していたなら、「面倒臭い」という言葉は出ない。
自分が話した結果で起こったものでもある事を、途中で投げ出して「関わりたくない」とは言わないだろう。
あたしは、けーちゃんがいいまにコメント欄のことを話したことで、あり得ない被害にあっている。
いいまはあたしの行動を同級生や知り合いに話しては、アイツはおかしいのだと言っていたという。
全く関係のない人に対し、彼女はそういった行動を取った。
誰もあたしを指摘しては来なかったけれど、言われなきことを言いふらされた事で、あたしは一時期とても苦しくなった。
それを何というか知ってるのだろうか。
名誉毀損だ。
けーちゃんはいいまの名誉毀損的行為を、手助けしたことになる。
いいまと全く変わらない。
けーちゃんはこの文章を読んでいる可能性はかなり高い。
理由はある。
この前のんちゃんの記事を書いた時、突然ひろりんから連絡があり、「写真の記事を消して欲しい」と言ってきた。
あたしはおかしいと思った。
ひろりんはあたしの記事を以前も読んでいたけれど、彼女が今また書いていることに気付くとはちょっと思えなかった。
ひろりんは、よーへいの公式ブログのコメント欄を頻繁に確認するようなマメな人間じゃない。積極的に確認するという感じではなかった。
のんちゃんから指摘されたとも考えにくい。
恐らくのんちゃんの目に触れる前に、消して欲しいと言ってきたのだろう。
それらが当たっているとしたなら、ひろりんに記事の情報を流したのは、まーちゃんか、けーちゃんになる。
3人はあたしが会わなくなった後も度々会って話していたようだから、ひろりんが2人から聞いた可能性は高いだろう。
だとしたら、まーちゃんも、けーちゃんも、記事を読んでいるはず。
もしも読んでたとしたなら…。
まーちゃんやひろりんに話を聞いてもらうか?
それとも似たような状況のいいまと共感しあい、あたしの文句を言うのか?
それとも二人で対策を練るか?
傷を舐めあうか?
また…他の誰かに話をするのか?
自分と向き合う術を知らない者は、一人では何も出来ない。
不安になると似たような境遇の者と接触し、傷を舐め合うか、愚痴を溢すか…。
自分と向き合う勇気がある者なら、誰かと群れずに、指摘されたことから生まれる恐れ、痛み、苦しみ、怒りと向き合うだろう。
そして自分の中にあった愚かさと出会うだろう。
ひろりんは記事を消して欲しいと言ったけれど、あたしは消せないと伝えた。
もう世界の変革は始まってるから、これはやめられないとも伝えた。
あたしが書いたことに何か怖さを感じたなら、自分を見てみるといい。
怖くなる理由が自分の中にあるはず。
その怖さを取り払っていったなら、あたしやよーへいと同じ道を進むことになる。
だけどそれから目を背けたなら、自分にいいわけしたなら、のんちゃんみたいな人達と同じ道に進むことになる。
そうなったなら、ひろりんとは協力関係にはなれない。協力者として協力しあうことはないかもしれない。
でも目を背けずに解消していったなら、何処かでまた協力しあえると思う。
あたしはよーへいと進むよ。
ひろりん、気をつけて。
ひろりんには色々感謝してるから、あたしの分かることを正直に伝えてる。
伝わらないならそれでもいい。
じゃあね。
あたしはそうLINEで送った。
ひろりんは、心は伝わってるよ!と返事をくれた。
そして、消してとはもう言わなかった。
ひろりんはそういう人だから。
あたしは何度か言われたことがある。
けーちゃんは口が軽いから気をつけて。いいまには何でも言うから気をつけてと。
だけどあたしはけーちゃんを信じていたし、明るく楽しく心配性なところが好きだった。
だから、けーちゃんには良いところが沢山あるし、そんな人じゃないと思ってると伝えた。
ひろりんも明るくて楽しい人。あれで結構心配性。
でも二人の間には大きな差がある。
どんな差かは、もう書くまでもないと思う。
けーちゃんはあたしに、「自分が一番苦しいと思ってるんじゃないの?」と言ったことがあった。
あたしは納得の出来ないことをされたら、自分のこの苦しみは、本来あるものじゃないと主張する。あなたに酷いことをされたと言う。
だけど、いまだかつて一度も自分が一番苦しいとは思ったことがない。
あたしがそう思わない人間に育ったのは、高校を卒業した後、就職先で出会った長野の友達が過去に困難を経験しながらも、明るく生きている姿を間近で見てきたからだ。
当時のあたしはとても呑気で、ストレスのスの字も知らない人間だった。でも、長野の友達はそうじゃなかった人も沢山いた。先輩もそうだった。
困難は人によって様々だったけれど、どれをとっても楽なものはない。どれも苦しい。
それでも人に当たることなく、そのままの姿で馬鹿やったり楽しんだりしていた。
そんな姿がカッコ良かった。
長野を離れてからは、何かしらの困難が訪れる度に、彼らも頑張っているから頑張ろうと思った。
地元の長年の友達も同じ。あたし以上に大変な人生を送ってる人もいる。それでも前向きでいつも素敵だ。
お茶の人達や着付けの人達にも、同じものを感じた。
介護関係の話をしてきた人も、苦労人は沢山いた。
「自分が一番苦しいと思ってる」のは、けーちゃんだろう。
あたしが過去の苦しさを書いているのを読んで
、自分の過去の苦しさを思い出した。
そして…。
「そんなのは私も経験してる。苦しいのなんて当たり前。理不尽なのは当たり前。誰だってある。自分だけが苦しいと思わないで」
こんな風なことを心の何処かで思ったんじゃないだろうか。
他人は他人。自分は自分。
その見分けがつかないようでは、自分のことは一生分からない。
けーちゃんとやっすくんが繋がっていて、やっすくんにも省みるべき自分があるのだとしたなら、今はその時なんだろう。
それは本人が一番よく知っている。
あたしは謙信の時、このように人と向き合った。
集団ではあっても、個人個人で自分を見つめ、自分を知り、他者のせいにはせず、責任を押し付けず、自分の行動は自分は責任において行った。
間違っても、面倒臭いと途中で放り投げるようなことは無かった。
仲間を見捨てて、自分だけが助かろうとすることもなかった。
上杉の家臣には、戦で負けると感じた者の中には、自分の耳に穴をあけて名前書いた布を縛り、敵方に誰の首か分かるようにして自害した者もいた。
何故そうしたか?
それは最後まで自分で生きたことを証明するため。
今はそんなことしたら、あたしは馬鹿者と言うだろうけれど。
死と隣り合わせで生きたあの時代は、敵に下ると自分を捨てて生きなければならない現実があった。
最後まで自分で生きるのは、揺るぎない信念を持ち、勇気と決断力と行動に移せる力がある者でないと出来ない。
たたそれは、力の強い者だから出来るというものじゃない。
か弱くても、自分を見失わない生き方の出来る者なら自分を捨てずに生きられる。
勇気だの信念だのと書くと、小難しく感じるけれど、小さな勇気を持った小人は、幼稚園にも小学校にもいるだろう。
彼らの方が自分を揺るがせないし、いいわけもしないしそのままだ。
どう生きるか?という問いは、いつも自分の目の前にある。
リアド君はかつての知り合いだろうか?
彼からはそんなものを感じたりする。
あと、ストレートに出してくる純粋さも。
気のせいじゃないなら、かつての知り合いに感じたものを、今また感じているのかもしれない。
よーへいは謙信と紫式部の過去世を、今生きてる。
あたしは…カエサルだね。
カエサルが議会で告発のようなことを何度もしている。
あたしは今、カエサルを生きているらしいね。