RPG「光と闇を纏う者達」 脳コンピューターアップデート中 3 | 世界はあたしのお庭なの

RPG「光と闇を纏う者達」 脳コンピューターアップデート中 3

よーへいとのエネルギー循環後、クレオパトラの頃の記憶と今までの自分が重なったので、その事について書こうと思う。


クレオパトラが子供の頃は、家族間での争いが絶えなかったけれど、かつやのんちゃんが同じように転生していて、彼らとは始めは楽しくやっていた。
かつとは一度めの過去世で嫌なことはあったものの、生まれ変わった後は、また初めからの付き合いだった。
だけど彼らは次第に変わっていき、最終的には苦しい存在になってしまった。
そんな頃、カエサルと出逢えた。
その頃のあたしにはたった一人の信じられる人であり、頼りに出来る人だった。

カエサルはエジプトの揉め事を収めると、ローマにあたしを呼び寄せられるよう、準備をしに帰っていった。
数年経った後、漸くクレオパトラはカエサルと再開した。
これで、幸せは永遠に続くかと思った。
けれどそうはならなかった。

カエサルの愛人であるセルウィリアは、愛されているのは自分だと主張した。
とても悲しい人だった。
彼女の人生は決して楽なものではなかった。孤独をとても感じていたようだった。
そんなものから生まれる苦しさが、カエサルに対する執着を生んでいたようだった。
たとえ苦しい人生でも、誰かに依存していい理由にはならない。
あなたは愛されてなかったと彼女に伝えた。
けれど彼女はそれを信じることはなく、変わることもなかった。

これは暫く前に思い出したもの。
これを思い出した時に感じたのは、セルウィリアの強すぎる執着だった。
カエサルは彼女の執着の強さを知っていた。その執着が一歩間違えると強い攻撃性に変わることも知っていた。下手をすればクレオパトラに向かうことも。
だから彼女を敢えて離さず近くに置き、攻撃的にならないよう、彼女の望むものを与えていた。
あたしはそれを感じた時、セルウィリアはよーへいのファンの人達と同じだと思った。
セルウィリアの行為と、マリエちゃんを殺すと書いたファンの行為は全く変わらない。
セルウィリアだったななこまは、そのままで変わっていない。

最初の頃は、よーへいは音楽がとても好きなんだろうと思ったから、あたしは時に邪魔になってしまうよねって思った。
アーティストとファンは、ライブで同じ時を共有して楽しんでるのだから、あたしはそれを邪魔するわけにはいかないって。
だけどずっとよーへいを感じて知っていったら、よーへいはあたしと出逢うために音楽を始め、曲作りもライブも、あたしとリアルで会うために続けていることを知った。
それ以降、あたしはよーへいとファンの人達を知るために、ずっと観察してきた。

セルウィリアもそうだったけど、ファンの人達も同じで、よーへいにとても依存している。
クレオパトラだったあたしも、カエサルに沢山甘えていた。一人になってみて、出逢うためにカエサルがどれだけのことをしていたのかを知った。
カエサルを殺したのはあたしだと思った。
セルウィリアの思い込みをそのままにしていたのは納得出来なかったけれど、結局はそれもクレオパトラを守るためにやっていたこと。
他の女性達のこともそう。
もしも自分が色んな事を分かっていて、カエサルが頼れるような人間だったなら、セルウィリアや他の女達、権力欲にまみれた男達を、カエサルはきっと遠ざけられたはず。
クレオパトラだったあたしは、カエサルに憤りを感じてた一方で、自分の不甲斐なさを嘆いた。
だからカエサルから離れて、あたしは紫式部と上杉謙信の過去世を一人で送った。
憤りと不甲斐なさを解消するために。一人でも生き抜けるように。

そんな生き方をしていたら、いつしか人に甘えらなくなっていた。
甘えられなくなったというより、甘えようと思えなくなった…かもしれない。

自分自身の力で生きようとすればするほど、男性には本気でぶつかり、女性とは距離ができた。
口先だけで終わる男性は馬鹿にし、男性に媚びる女性は見下した。
男女の関係なく協力しあえる、認め合える人とだけ関わるようになった。
あたしはいつしか甘え方を忘れてしまった。


よーへい達のインスタで、よーへいに甘えるコメントしてる人を何度も見たよ。
そういうコメントを見ると、凄くイライラした。
ななこまがインスタで、何だかとてもよーへいさんにご飯を作ってあげたいと書いていたのも、気色悪かった。
そういう人達は、みんなぶりっ子に見えた。

以前そういったものを見た時、何であんなにイライラしてたのかが、今日分かったよ。
エネルギー循環をして分かった。
よーへいにいつもと違う甘え方をしてる自分を見て、やっと分かった。
あたしはよーへいを自由にしたかったんだって。

2017年12月。
ライブでブラのことがあった。
それ以降あたしはよーへいを酷く拒否するようになった。
拒否してしまう自分を分かってたから、よーへいの行動を規制しない人の方が、よーへいには合うんじゃないかと思った。
パフォーマンスで、あれ嫌、これ嫌なんていう女は面倒臭いと思ったし、あたしは自分の考えをよーへいに押し付けるのは嫌だったから、離れれば良いって思った。でもよーへいはそれを凄く嫌がったね。
だけどあたしは、正論だの道理だの倫理だの関係なく、その人が望んでいないことをするのは嫌だったから、よーへいとは離れた方がいいとその時は思ったの。

だけどよーへいの一部のファンは、インスタに悩みを書いたり、よーへいさんと~したいと書いたり、馴れ馴れしい言葉で書いていたり…。
たとえよーへいが気にしてなかったとしても、それはよーへいに書くことじゃない、それはよーへいに求めるものじゃないって思った。

クレオパトラの時も、執着する女性達だけでなく、ローマの人達はみんなカエサルに依存していた。
女性問題だ何だと言ったって、カエサルほどやれる人なんていなかった。
色んなことで彼は責められたりしたけれど、カエサルがいなかったらローマはなかった。
カエサルの恩恵を受けて生きてた多くのローマ人は、カエサルが死のうが生きようがどうでも良かったよう。
亡くなっても、それなりのものを提供してくれる代表者がいたなら、それにくっついていればいいから。
彼らはローマを良くしようと動くわけじゃない。
ただ、その時の代表者がそれなりなら、自分達は安定を得られるから良いの。

一部のファンも同じ。
本当のよーへいじゃなくても、自分の欲求を満たしてくれるよーへいがいてくれたらいいだけ。
本気でよーへいを知りたいんじゃなくて、自分の現実を楽しく塗り替えてくれるよーへいがいてくれたらいいだけ。
よーへいの幸せは何なのか、苦しみは何なのかなんて興味はなくて、ただ無限に幸せを与え続けてくれたらいいだけ。
そんなのっておかしい。

さっき、やっすくんのお休み報告があった。
真面目な文章だった。
でもそんなんじゃなくていい。
ファンの人達に申し訳ないと書いていたけれど、そんなんじゃなくていい。
ドラムをやりたくてバンドをしたのなら、ファンじゃなくて自分に謝るだけでいい。
求めてたものをさせてあげられない、自分に謝るだけでいい。
ファンの人達には、今までちゃんと音楽を渡してる。作品を作って世に出してる。
ファンは納得してそれを買うんでしょ。
聴きたいから買うんでしょ。
それが需用と供給。
ちゃんと仕事してきてる。
ちゃんと音楽やってきてる。
それ以上の何があるの?何がいるの?
何もいらないよ。
ファンの人達は求めすぎ。
買う、観る、楽しむがファンが出来ることでしょう。
やってじゃない!
してほしいじゃない!
それ、おかしいんだよ。
それが異常なのが分からないのはおかしいんだよ。

いつからなの?
いつからそうなるの?
音楽もスポーツも、自分がやりたいからし始めたはずなのに、どうしてファンのためになっていくの?
応援してくれるから?
お金を出してくれるから?
そうじゃない。
そんなんじゃないはず。
売り手であり、買い手であるだけ。それ以上のものなんてない。
いつまでも自分がやりたいからでいい。
自分のためにやってるでいい。
誰のための命なの? 
誰のための時間なの?
誰の体?
ファンの人達おかしい。
ライブをもうやめてって何故言わない?
よーへい達がすると言っても、何故もういいよと言えないんだろう。

あたしはカエサルが亡くなってから、人間のそんな部分を沢山見てきた。
確かにね、あたしの家族…過去世からの仲間も、あたしに甘えてるところはあるよ。
だけど自立しようとしてる。
記憶があれば、彼らはもっと楽に自立してたとは思う。
でもそれが無くても、今自立の道を進んでる。
好きなアーティストや俳優がいても、そういった人達に夢を見ることはない。
輝いて見える人がいても、いいねと尊敬するだけで、何かを求めることはない。
ただそんな姿見て、時々元気だけを貰う。
そして自分の人生を歩く。 
羽生くんが頑張りすぎてると、休めばいいのにさーと当たり前に言う。
だって人間だから。誰だって疲れる。誰だって休みたくなる。
そういうものじゃない?

励ましや応援の中には欲求という底知れぬ「闇」が潜んでる。
それはとてもしつこく輝く者にまとわりつく。
励ますようで、応援しているようで、実は人の生気を吸い続けてる。
まるでヒルのよう。

だからあたしはあたしの「闇」で返す。
「闇」に燃え盛る紅蓮の炎で、生気を吸い続ける者達の心を焼くの。 
それがクレオパトラの選んだ道だった。

でもね、今日はそうでないクレオパトラの時の自分を見た。知ったよ。
よーへいに甘えるのは心地いい。
こういう女なら悪くないと思えた。
誰があたしをどう思おうと、あたしはあたしが満足できる自分でいたい。
よーへいの心はあたしが貰うから。
あたしはその心に甘えるよ。 

やっすくん、今はお休みの時なのかな。
あたしは凄く辛かったけど、休めたこと自体は良かったと思ってる。
体も心も無理してたから。
休んでみたから、無理のない一日ってどんなものかな?ってのを考えてこれた。
今は以前よりゆったり生きれてる。
それがこの2年でのちょっとした収穫。
ちょっとしたものだけど、この先の人生にはとても必要な収穫。
心と体のお休みは誰にでも必要だから。