(cache)【長州力引退、永遠のライバル藤波辰爾への思い〈4〉藤波を超えた人気沸騰の維新軍団】    : スポーツ報知

【長州力引退、永遠のライバル藤波辰爾への思い〈4〉藤波を超えた人気沸騰の維新軍団】   

長州力
長州力

 “革命戦士”長州力(67)が26日、東京・後楽園ホールで行われる「POWER HALL2019~New Journey Begins」で引退する。

 「藤波さんがいたから今のオレがいる」と語る長州は、引退試合で永遠のライバル、藤波辰爾との対戦を熱望。結果、越中詩郎、石井智宏と組んで、藤波、武藤敬司、真壁刀義と対戦することになった。引退興行は、全国の映画館でライブ・ビューイングされることが決定。プロレスのライブ・ビューイングでは、過去最大規模の上映館に達した人気を示している。「Web報知」はこのほど、引退直前の長州を単独取材しプロレス界を代表するライバルストーリーを残した藤波辰爾への思いに限定してインタビューし連載する。4回目は「維新軍団」。

 1983年4月3日。蔵前国技館でのWWFインターナショナル選手権で長州は、藤波を破りベルトを奪取。革命戦士の人気が爆発した。

 「誰の人気とかそんなの考えてなかったですよ。とにかく必死でやって、その時代にテレビに乗っかってその時代に評価されたというか。それだけですよ。それでも上には猪木さん坂口さんがいたわけだから。俺1人で活躍したなんて、考えてもいない」

 長州の反逆の原点は、藤波へのジェラシー。ただ、長州が革命を起こしてからは、各会場で長州人気が沸騰していることを肌で感じていたのは実は藤波だった。

 「ボクへのジェラシーとか長州は当時、言ってましたけど、今度は逆にボクより長州への声援がどんどん大きくなることを実感してました。あれは確か大阪だったと思うけど、試合後にボクに向かってウイスキーの瓶が飛んできたことがあってね。逆にボクの方が長州へジェラシーを持つようになりました」

 長州の入場曲「パワーホール」が会場に響けば観衆は総立ちになった。その光景に藤波が嫉妬を覚え、革命戦士はファンの声援をバックに、研ぎ澄まされた動きを試合で見せた。一介の中堅レスラーだった時代とは明らかに別人とも言えるプロレスラーとなった。そして長州はアニマル浜口、谷津嘉章、小林邦昭らと「維新軍団」結成しプロレス界に一大旋風を巻き起こした。

 「オレなんかにプロレス界を変えられるわけがない。そんな感覚はまったくない。そう思うんだったらそういう具合にそちら側でそういうものを書けばいい」

 「革命前」と「革命後」のファイトスタイルの変化はやはり、藤波との「名勝負数え唄」が進化を呼んだ。日本のプロレス史でライバル同士がこれほどまでに熱く激しくしかも、興行としても「外れのない」試合は、かつてない戦いだった。

 「だから、彼とやりだして実際に肌を合わせることで見ているだけじゃわからなかった“あぁ、こういうスタイルで、こういう間でこういう動きをするんだな”っていうか、見ているのとやるのとでは違うっていうあれがありましたよ。それから彼と交わる機会が多くなって、自分も“こういう風になってこういう具合に動けるな”ってそんな積み重ねみたいなものですよ」

 それは、自分の中で眠っていた「力」や「才能」に目覚め気づいたという意味なのだろうか。

 「気付くことはあったけど、“あぁ、これは違うな”っていう部分でそんな大したことでもないですよ。お互いの反応の良さがお互いにとって良かった。うん、良かったっていうか反応の良さがリングの中でやるたびに見せられることが多くなってきたなっていう感じだよ」

 それは藤波が引き出したのか。

 「そういう具合にも見られるでしょうね。それも間違いじゃないですよ。これはリングに上がった違う2人の人間が動いて意識の反応をしあっているわけですよ。お相撲さんでも一緒だよな。その取組が多くなっていくと、立ち合いって相手のクセもあるし、疑心暗鬼になっている部分もあるしひょっとしたら横にスカされるんじゃないかなって、そういう立ち合いの部分でも真剣に考えて意外とナーバスになりながらでもお互いが反応を示していくことができた。まして彼は身体能力もそうだし、能力的にもやっぱりプロレスがすごい好きで入った人とボクはちょっとこの先を考えてプロレス界を選んだ者とは違いますよね。当時、彼より反応がいい選手がいたかも分からないしいたと思いますよ。例えばジュニアだったらグラン浜田とか、佐山(サトル)しかりね。だけど、ボクにとって彼が一番肌があったんでしょう。反応の仕方がね」

 ここまで話すと長州は話を打ち切った。

 「だから、これはもうやめた方がいいですよ。もういいでしょ。本当に…断ればよかった。ひとりのプロレスおたくに説明しているみたい…。もう本当に延々としゃっべてきた」

 高度なジャズのセッションのようにお互いが絶妙な反応を示していた長州と藤波。すべては藤波が長州の反逆を真っ向から受け止めたことで生まれ、「長州力」の看板は進化を遂げた。だからこそ今、長州の中で沸き起こるのは、ライバルへの感謝だった。しかし、「名勝負数え唄」が中断する時が来る。1984年9月。長州が新日本を離脱したのだ。(続く。取材・構成 福留 崇広)

格闘技

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請
ExelateDataExelateData