15歳でシニアデビューを果たした羽生選手は、技術、表現ともに磨きをかけていきました。その翌年に起こった東日本大震災は、羽生選手と家族にどのような影響を与えたのでしょうか。「成長の軌跡」第2回目の今回は、輝かしい成長の裏で、困難と向き合った日々に感じていたことを、特別に語っていただきました。
鮮烈なシニアデビュー
羽生選手のシニアデビューは、ジュニアに昇格して2年目の2010年の秋。通常、大学1年生頃までジュニアに残る選手が多い中、高校1年生での参戦は異例の早さです。さらに、グランプリシリーズの初参戦となるNHK杯では、初の4回転トウループに成功。鮮烈なスタートをきったシニア時代は、どんな日々だったのでしょうか。
自分を成長させるために、
シニアの道を選んだ
早めにシニアに進んだのは、当時出場したジュニアグランプリを全試合優勝することができて、1日も早くシニアという大きな舞台で戦いたいと思ったからです。もちろんコーチや両親、いろんな方から勧められたこともあったのですが、僕自身も早く挑戦したいという気持ちがありました。シニアでは演技時間も長くなるし、4回転も入ってくるので体力的にも技術的にも難易度が高くなります。より厳しい環境に身を置いて、試練があった方が絶対成長できると思っての決断でした。
自信が過信だと気づいた時、
前に進めた気がします
最初のNHK杯で4回転を成功させたことは、シニアでやっていく自信になりました。なぜなら、その頃は練習でも4回転の成功率は50本のうちの1本ぐらいの確率でしたから。でもそれは自信というよりも過信だったんですね。その後のロシア杯以降は全然決まらなくて…ジュニア気分でいた自分の甘さを痛感しました。そこからは、もがいてもがいて、練習を重ねました。だからこそシーズン最後の四大陸選手権でやっと成功して、2位になった時はやっぱり嬉しかったです。
自分の想いを表現するスケートへ
2011年3月11日、東日本大震災。2月にシニアデビューシーズンを終えたばかりの羽生選手は、自宅近くのリンクで練習中に被災し避難所へ逃れました。スケートを再開した後は、復興チャリティのためなどのアイスショーに参加するため全国を転々。言葉には尽くしがたい体験を、羽生選手はどのように受け止めていたのでしょうか。
仙台を離れ、
アイスショーで全国を巡る日々でした
震災後は、東神奈川のリンクでお世話になりながら、震災のチャリティのためなどのアイスショーに参加していました。父は仙台で仕事があり、姉も学校があって仙台を離れられなかったので、僕と母の2人で全国のアイスショーを転々とする、ホテル暮らしの日々でした。その頃からですね、母と二人三脚になってスケートに打ち込んでいくようになったのは。
スケーターとして、
仙台の人間として感じていたこと
震災直後は、スケートを続けていいのかどうか、迷ったこともありました。多くの方が地震や津波のいろんな被害に遭われている中で、僕はまだ生活もスケートもできるような状態にあるにもかかわらず、自分が被災者代表のように見られていいのだろうか、被災地のことを語っていいのだろうかという申し訳なさを感じていました。こんな大変な状況の中でスケートを続けることが被災地の役に立つのだろうか、と思ったこともありました。でも同時に、そんな自分をたくさんの人が心配し支えてくれていること、そしてスケートができるということがどんなに有り難いことなのか、ということを改めて感じました。仙台で生まれ育った人間として自分に何ができるのか、また一人のフィギュアスケーターとして何が伝えられるかということを考え続けていくきっかけになったと思っています。
自分の経験、想いを表現していきたい
震災後、初めての公演は神戸でした。この時、皆さんの前でホワイトレジェンド=白鳥の湖をやらせていただいたのですが、その時にはじめて、この白鳥の湖で、「言葉にできない想いを皆に伝えたい」、「自分が経験して、感じたことを表現したい」と、切実に思いました。シニア1年目で自分の力が通用しなかったこと、そして震災を体験して、自分が表現したいことは何なのか、この曲に合わせて自分がどういう気持ちで滑ればいいのかとか、そういうことをかなり考えるようになりました。この時の「白鳥の湖」をきっかけに、自分の想いを表現するスケートに変わっていったと思います。
羽生結弦選手 シニアデビューの頃の出来事
- 15歳
シニアデビュー- NHK杯で4回転トウループを成功させ4位入賞、四大陸選手権の代表に選出。
- 四大陸選手権にて銀メダル獲得、男子史上最年少のメダリストになる。
- 16歳
東日本大震災- 復興チャリティーなどのアイスショーに参加するため全国を転々とする。
YUZU DAYS次回の「成長の軌跡」は、
新天地・カナダに移った時のこと、
現在の生活について語ってもらいます。
日々の練習で大切にしていることなど、
ここでしか読めない話をお楽しみに!
ママの公式スポンサー P&Gの想い
P&Gは「ママの公式スポンサー」(海外では「Thank you, Mom」)というテーマで、オリンピックを応援し続けています。ロンドン2012オリンピックから、ソチ2014冬季オリンピック、リオ2016オリンピック、平昌2018冬季オリンピック、そして2020年の東京オリンピックまで、P&Gはこのテーマを世界中で伝え続けていきます。
オリンピックは、選手の活躍によって生まれる感動だけでなく、選手とその選手を子どものころからずっと支え続けてきた家族とのつながりを強く感じられる機会でもあります。そんな彼らの絆に触れることで、世界中の人々にも自分のママや家族の大切さ、感謝の気持ちに改めて気づいてほしい。このテーマには、P&Gのそんな願いが込められています。
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