【今だけ一般公開中】第7回:羽生選手が今語る、あの瞬間[2014年グランプリシリーズ編]

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ソチオリンピック後、2014年11月のこと。上海で行われたグランプリシリーズ第3戦の公式練習中に、羽生選手と他選手が衝突するというアクシデントが起こりました。
「今語る、あの瞬間」第3回目の今回は、心配する周囲の反対を押し切ってまで棄権しなかった理由、痛みをこらえて最後まで演技し切った時のこと、その後のリハビリをどう乗り越えたのかを伺いました。

羽生選手インタビュー

衝突の瞬間のこと

-フリースケーティング直前の公式練習中。突然、観客席から悲鳴があがりました。氷上には、倒れ込んだ2人の選手の姿。あの時、羽生選手の身に何が起こったのか、ご本人の言葉で語っていただきました。

とにかく練習に集中していた

あの時は、お互いに自分の練習に集中していて、周りが見えていませんでした。演技をしている時は、必ずしも進行方向を見ているわけではないので。振り向いた瞬間には、もう相手の選手が目の前にいました。時速60㎞とか70㎞のスピードが出ている状態だから、どうしようもなかったです。みぞおちを打って飛ばされ、そのまま顎を強く打ってしまいました。

とにかく練習に集中していた

絶対に出場したい

その瞬間はとにかく痛かった。そして、みぞおちを打ったせいか呼吸ができなくて、どうやったら息ができるんだろう、と思うほど苦しかったです。頭がぼんやりとして何も考えられないまま、時間だけが過ぎていました。顎と耳の上を縫ってもらったのですが、麻酔なしの処置だったので、これもすごく痛くて。でもしばらく休んでいたら落ち着いてきて、歩けるようになってきて。そうしたら「絶対滑れる、絶対出場したい」と思ったんです。

全ては
グランプリファイナルのために

-応急処置を受け、脳震盪の心配はないと診断されたものの、油断ならない状況。痛みをこらえ、心配するコーチや両親の反対を押し切って出場したその真意はどんなところにあったのでしょうか。

ここで終わりたくない

この試合に出場することにこだわったのは、シリーズの最終戦となるグランプリファイナルに絶対に出たいと思っていたから。それだけです。グランプリファイナルに出るには、この試合でポイントを獲得しなくてはなりませんでした。ショートである程度点数を取っていたので、フリーがよくなくても最後まで演技をすれば順位という形でポイントがもらえます。そうすれば次のNHK杯に可能性をつなげることができると思いました。それに昨年、オリンピック、世界選手権、グランプリファイナルで三冠を取っていたので、シーズンチャンピオンという意味を持つグランプリファイナルは絶対勝ちたいと思っていたんです。

ここで終わりたくない

最後まで立っていよう

演技の時は、膝の内側が痛くて、足が曲がらない状態でした。今思うとよく滑れたなと思います。転んでも、ジャンプを回り切れば得点はもらえる。3回転ジャンプを回りさえすれば2点、3点はもらえるから絶対回ろうと。本当は立っているのも大変だったのですが、なぜか気持ちだけは「4回転だって跳べる」と思っていました。無事に滑り終えることができた時は、やりきった、という気持ちでした。キスアンドクライではとにかくほっとして…涙が止まりませんでした。

リハビリ、そして再びリンクへ

-事故の後、羽生選手はリハビリのためしばらく休養を取ることになります。しかし衝突のダメージは思っている以上に大きいものでした。思うように体が動かずに苦しんだ日々を語っていただきました。

もう滑れないかもしれない

あの試合の後、お医者さんからは1週間で歩けるようになると言われていたのですが、実際は10日間ぐらい歩けませんでした。小走りができるようになって、リンクに乗ってみたのですが、痛みが強くてとても滑れませんでした。それまでにも怪我をしたことはありましたが、あんなに痛かったことはなくて…もう滑れないかもしれないと本気で思いました。スケートをやめようと思うくらい、気持ちも落ち込んでいました。

母の言葉に感謝しています

生まれて初めて母に、「もう滑れない」と弱音を吐きました。それに対して、母の反応は意外なものでした。「とにかくやってみたら?」と。小さい頃から、僕がやめたいと言うといつも「やめれば?」と言っていたのに…。「リハビリのつもりで、氷の上で毎日ちょっとだけ滑っていたら、そのうちに状況が好転していくかもしれないよ」と言われて。そうしたらなぜか急に元気が出て、滑れるような気がしたんです。さらに「次のNHK杯で絶対優勝する!」という気力も湧いてきました。
今、事故のことを振り返ってみて、もしあの時、試合を棄権していたら、そして母の一言がなかったら、今の自分はなかったかもしれない。あの時の母の言葉に、改めて感謝しています。

母の言葉に感謝しています

「今語る、あの瞬間」はいかがでしたか?
次回のYUZU DAYSでは、
新テーマ「フィギュアが教えてくれたこと」を
お届けします。
第10回では羽生選手の人生において、
フィギュアがどんな存在なのかを
解き明かしていきます。
4月初旬公開をお楽しみに!

ママの公式スポンサー P&Gの想い

P&Gは「ママの公式スポンサー」(海外では「Thank you, Mom」)というテーマで、オリンピックを応援し続けています。ロンドン2012オリンピックから、ソチ2014冬季オリンピック、リオ2016オリンピック、平昌2018冬季オリンピック、そして2020年の東京オリンピックまで、P&Gはこのテーマを世界中で伝え続けていきます。

オリンピックは、選手の活躍によって生まれる感動だけでなく、選手とその選手を子どものころからずっと支え続けてきた家族とのつながりを強く感じられる機会でもあります。そんな彼らの絆に触れることで、世界中の人々にも自分のママや家族の大切さ、感謝の気持ちに改めて気づいてほしい。このテーマには、P&Gのそんな願いが込められています。

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カヨコ
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2019/06/21
あの瞬間テレビで見ていました あっと言う間💥氷上で倒れ動けない羽生選手 早く誰か助けに行ってと祈っていました😭 その後 跳ぶ と叫んで出場し転んでも最後まで演じた 赤色のファントム 凄かったです 終わって顎から血が出ていて キスクラで 私も一緒に泣いていました💧 その後の大変だった事 お母さまだからこその羽生選手を わかっている言葉💕 2014年の GPF 金色とブルーの入った ファントム衣装の演技 素晴らしかった🎉 この時のオペラ座の怪人🥇 今年のFaoi のマスカレイド マスクの中の 芯の強さ と言ってましたね💫 両方共、素晴らしいプログラムですね💎 これからも感動させてくれる (振り幅スケ-タ-と言ってました)羽生選手ずっと応援します🇯🇵💞 P&Gさん、素の羽生選手の事を聞けて ありがとうございました😄
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おかだ
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2019/06/17
あの頃、私はテレビを見ない生活をしており、またフィギュアスケートはじめスポーツ全般に興味がなく、羽生選手のことをよく知りませんでした。 たまたま実家に帰っていた時に、父がワイドショーを見ながら「出しちゃダメだ!」と怒っていたのです。 「本人が滑りたいと言ってもダメだ!」 「大事にしなくちゃ!」 「羽生は『日本の宝』なんだから!!!!!!!」 あの時、さまざまな意見が出て、羽生さんも苦しんだと思います。 でも、おっさんという生き物は、応援するスポーツ選手にはなぜか上から目線なんですよね。 野球でもサッカーでも、応援するチームの選手どころか監督までバカ呼ばわりすることがある。 そしてもう一つ、心配のあまり怒ってしまうという生態も持ち合わせています。 あの時の父は、羽生さんのことを心底心配し、「日本の宝」を守れなかった歯がゆさからテレビに向かって怒鳴っていました。 当時の羽生さんの辛さを思えば、許してあげてほしい…とまでは言えませんが、羽生さんを応援していたがゆえのことだと理解してもらえたらなと思います。 父は、羽生選手の平昌オリンピックの金メダルを、本当に喜んでいました!
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きな子26
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2019/05/10
あっ!ぶつかった、ぶつかった!とアナウンサーの緊張した声! どこ打ったんだ?と解説者の佐野さん。 倒れ込んでまるで虫の息のような羽生 結弦選手をどうしちゃったの?どうしたの?と手を握り、自然に涙が出ていました。 今、羽生 結弦選手のその時の様子を改めて語って頂き、本当に大事故だったなと、、、 演技を改めて続けたとき、白いスタンド襟に血がついていたり演技終了後、点数が出て泣き崩れた顔を覆った爪の中に食い込んでいる赤いものを見た時は心が自分のことのように動揺したのを今でもはっきり覚えています。 この後もいろんな怪我や病気が続きましたね。 どうぞ、どうぞ、1日も早く怪我が回復し羽生 結弦選手の思うままに、思う存分滑ってくださることを祈っています。
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