【今だけ一般公開中】第2回:羽生選手が語る、成長の軌跡[幼年〜ジュニア編]

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4才の頃にフィギュアスケートを始めた羽生選手。無我夢中でスケートを楽しんでいた幼年時代から一流のアスリートへと成長していく日々を、「成長の軌跡」として全3回にわたってお届けします。1回目では、スケートを始めたきっかけからジュニア時代までの歩みを、学校での思い出や家族とのエピソードを交えながら振り返っていただきました。

羽生選手インタビュー

フィギュアスケートとの出会い

-今や日本、ひいては世界を代表するフィギュアスケート選手となった羽生選手。スケートを始めたきっかけやその当時のエピソードを語っていただきました。

きっかけもライバルも、姉でした

フィギュアスケートを始めたきっかけは、姉がやっていたから。当時は姉がやることには何でもついて行っていましたし、全部真似していました。その流れで、姉が通っていたスケート教室に入りました。当時4歳の僕にとって、4才年上の姉は絶対的な憧れの存在であると同時に、勝手にライバルと思って、いつか抜かそう!と思っていました。姉はなんとも思ってなかったと思いますけどね。姉を追いかけてやっているうちに、自然と引き込まれていったんだと思います。

難しかったからこそ、
夢中になったんだと思う

当時は無我夢中になって練習していたのですが、スケートの魅力は何となくわかっていた気がします。スケートは非日常なものであって、普段歩くスピード以上の早さが出るし、ジャンプもスピンも陸上では考えられないような動きができる。そして、それが難しかったからこそ僕は夢中になれたと思います。

その頃から、目標は金メダル!

僕はとにかく負けず嫌い。実はもうその頃から“オリンピックに2回出て、2回とも金メダルを取る!”といつも母に言っていました。母は「なんでそんな自信があるの?」って、あきれていたみたいです。学校でも学芸会では主人公になりたいタイプ。だから、練習は嫌だったけれど、みんなが見てくれる試合は大好きでした。リンクをひとりじめして、みんなに見てもらえている緊張感が、ものすごく好きでした。

家族の支えとともに、
歩んできた奇跡

-6歳の時に出場した大会で初優勝。その後も数々の大会で頭角を現し、15歳の時には日本男子史上初の、中学生での世界ジュニア選手権金メダルという快挙を成し遂げます。瞬く間に才能を開花させていった年月は、羽生選手、そしてご家族にとってどんな日々だったのでしょうか。

しょっちゅう、やめたいと思っていた

小さい頃、練習は大嫌いでした。基本的につまらないものだし、怒られるし、怒られて泣くので、いつもリンクから追い出されていました。最後まで練習ができたためしがないんじゃないかなっていうくらい。それに、小学生になるとフィギュアスケートをやっている男の子ってあまりいないんですよね。野球やサッカーをやっている子ばかりで。父が野球をやっていたので自分も野球やりたいなっという思いもすごくあって、しょっちゅうやめたいと言っていました。

負けず嫌いだから、
やめなかったんだと思う

「スケートやめたい」って両親に言うと、いつも「じゃ、やめれば」「野球やれば」とあっさり言われるんです。決して嫌味ではないんですが、僕も負けず嫌いなので諦めきれなくなって。それに両親は、好きじゃないものを押しつけるのでなく“好きかどうか、やりたいかどうか”を大事にしてくれました。それが一番のサポートだったと思っています。いつもその言葉があったからやめなかった。つまり“やっぱりスケートが好きだったから”だと思います。

両親の支えがあったから、
ここまでやってこられた

もちろん、両親の日々のサポートなくしては続けられなかったと思っています。母はほぼ毎日送り迎えをしてくれたし、近所のリンクが閉鎖して遠くまで通うようになった時は、父も送り迎えをしてくれました。衣装を作ってくれていたのも母です。最初の試合からシニア1年目までずっと。洋裁を習ったこともないのに、型紙から作ってくれて。当時は仮縫いのためにじっとさせられていたりして、面倒くさいなあ、なんて思っていましたが(笑)、今思うとすごく支えられていたんだなと思います。 今でも、フィギュアスケーターとしての羽生結弦でもあるけれども、やっぱり一人の人間というか、「羽生家に生まれた結弦」というところも大切にしていきたいと思っています。

リンクの外での、子供時代の素顔

-家族とともにスケートに捧げた日々。スケート以外の時間は、どんな風に過ごされていたのでしょうか。学校での勉強や、遊びの時間のエピソードについても話していただきました。

練習以外の時間で、
思いっ切り遊んでいました

とても活発だったと思います。勉強は、始めるとハマるタイプなんですけど、国語は苦手でした。歴史や科学、数学だとかそういうのは好きでした。国語だけは、自分の中で納得できる点数は取れなかったです(笑)。放課後はランドセル背負ったままリンクに通っていたので、その分、朝や昼休みだとか休み時間にドッジボールをしたり、目一杯遊んでいた記憶があります。学校で遊んでいたという感じです(笑)。

羽生結弦選手 ジュニア時代の成長と歩み

4才
姉の影響でスケートをはじめる
6才
千葉の「ダイエーカップ」で初優勝
10才
近所のホームリンクが経営難で閉鎖
13才
全日本ジュニア選手権初優勝
14才
全日本ジュニア選手権2連覇
15才
世界ジュニア選手権優勝、シニアデビュー

YUZU DAYS 第3回目は、
異例の早さで果たしたシニアデビューから、
その後の歩みについて語る
成長の軌跡[シニア編]をお届けします。
9月初旬公開予定!お楽しみに!

ママの公式スポンサー P&Gの想い

P&Gは「ママの公式スポンサー」(海外では「Thank you, Mom」)というテーマで、オリンピックを応援し続けています。ロンドン2012オリンピックから、ソチ2014冬季オリンピック、リオ2016オリンピック、平昌2018冬季オリンピック、そして2020年の東京オリンピックまで、P&Gはこのテーマを世界中で伝え続けていきます。

オリンピックは、選手の活躍によって生まれる感動だけでなく、選手とその選手を子どものころからずっと支え続けてきた家族とのつながりを強く感じられる機会でもあります。そんな彼らの絆に触れることで、世界中の人々にも自分のママや家族の大切さ、感謝の気持ちに改めて気づいてほしい。このテーマには、P&Gのそんな願いが込められています。

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ado-noro
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2019/06/17
あらためて読ませていただくと、本当に家族の大事さがよくわかります。私自身も、自分の家族の有り難さについて、考える機会となりました。ありがとうございます。
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okayori
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2019/06/17
ごく普通の当たり前の幸せがあるご家庭だったんですね。 それが、普通ではない頑張りでフィギュアの世界を切り開いた羽生選手、これからも応援してます。 そして、普段の日常の幸せも祈ってます。
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小倉
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2018/10/14
羽生くんがスケートと出会ってくれて良かった。氷の女神に選ばれ愛されてる人だと私は思っています。 お姉さんやご両親にも感謝の気持ちでいっぱいです。
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