高校時代の話(卒業後も含む)
※例のごとく閲覧自己責任、同性愛苦手な方は注意
多分、変わる前の私を作り出したのはこの頃だと思います
私は共学が嫌だったので、女子高に進学しました
高校の頃に1年の時に同じクラスで仲良くなった子がいまして
創作関係で絵を描いていた子で、表面上はとても気さくでいい子でした
私はその子に惹かれていきましたし、2年の頃にはスキンシップも過剰になり
キスマークを付けたり、ハグしたり、押し倒したり、きわどいところを触ったり、そんなこともしていました
(ほとんど向こうからでしたが)
あるとき電話で自分が両性愛者だということを伝えた時に、あっさりと「じゃあ付き合おうか」と向こうは言いました
それから、付き合いはじめて、まあ、学校でもばれていまして……レズだの陰口などありましたが、差別せずに接してくれる子は接してくれるので別になって感じでした
最初にキスをしてきたのは向こうです。キスした向こうが泣いたので私はどうしたらいいんだともなりました
ノンケのつもりが同性とキスしてしまったのがショックというのならわかるものの、してきたのはお前だろうが
問題は、付き合う前からですが、毎晩彼女と電話をすること、休みの日は一緒に過ごすことが義務となったこと
高校生の時はなんとか電話の終わりが3時頃になっても大丈夫でした、学校で寝てしまうことは多かったものの大学進学を目指していた訳では無いので
彼女との関係は決していいものではなく、彼女は何度も何度も私を試しました
中学の頃に裏切られた子がいると、その子と私を重ねたりもしていました
すみません、やはりちょっと当時もしんどかったので割と記憶が朧気です
覚えていることだけ、書いていきます
彼女は夜中の通話でそろそろ寝たいとなるとヒステリーを起こす
私の趣味が合わないと文句を言う、自分の好きなものにはまらないと怒る
また、私の好きなものを否定する
「私が今までトラブった子はCLAMP好きな人が多かったからCLAMP読むのやめて」
「GLAY好きじゃない。GLAYのライブなんて行かないで私と一緒にいてよ」
この時に、私は全部めんどくさくなって、CLAMPの作品とGLAYのCDほとんど手放しました
うちに遊びに来た時にそれがあるとヒステリーを起こされたので……
それから、彼女は私が絵を描くことを良しとしませんでした。だからといって文章を書けば添削してくる
だから、私は高校時代から2013年くらいまでまともに絵が描けませんでした
「私は自分が劣等感を感じる子と一緒にいられない」と言われたのを今でも覚えています
確かに彼女は私のことを見下していました。私以外の子のことも。けれど、そういう自分の汚い部分を私以外には決して見せずいい顔をするような子でした
別れることができなかったのは、私は彼女以外に特別仲のいい友人がいなかった
依存であり共依存でもあったのです。一人になりたくなかったんです
惨めな思いをしたくないとかいうくだらないプライドでした
彼女は私に「自分の意見も言ってよ!」と言うくせに、私が自分を出せばそれはそれで怒るという、自分の意にそぐわなければ駄目だと言うように
私は私を出してはいけない、彼女の思った通りの私でいなくてはいけないのだと、思い知りました
そのころから、私は人の好む自分を演じる癖がつき、「本当の自分」というものが分かりませんでした
今でも、その名残はあります
私も温厚ではないので夜中にキレて壁を殴りまくって、翌日には手が腫れて学校に行ったりとかありました
その手を彼女はわざと握ってなぜか怒っていましたし、おふざけかもしれませんが、背中や頭などを叩かれるのは日常的でした
彼女もメンヘラだったため、電話口でカッターでリスカしている音がひたすら聞こえるのは本当に怖かったですね
泣きわめいているのがひどく耳障りで、落ち着いてから話そうよと電話を切れば
夜中だろうが親に車を出させて家に来る始末
そして、なぜか私が呼び出したことになっていて、休みの日に私は親の仕事の時間などを考慮して自転車で彼女の家に行っていたため、雨が降っていて厳しいというと
「どうして来てくれないの!」となるというのに、
休みの日を私に取られているから他の子と遊べないと言ってたと彼女の母親から言われました
それから、3時間ほど遅刻したというのにTwitterで「寝坊した」と呟いて、私には謝罪もなし、ということもありました
3年生の後半、だったか……私はメンタル的な問題で学校に行けなくなってしまった。保健室に入り浸ったりも多かったし、結構な日数行けなかったのによく卒業できたもんだなと思います
でも向こうは会いたいだのなんだの言って、わざわざ家へと迎えに来た
恐らく、親にはまーた私のせいになるように言ったのだろう
それでも、いけない日は続き、学校で毎日のように過換気症候群を起こすのも続いた
数人、高校でも友達はいたけれど、彼女の手回しで、全員離れてしまった
卒業後の進路は向こうは山梨に移り住み大学へ、私は地元から3時間ほどかけて東京の専門学校へ(若干フェイク入れています)
専門学校に入ってから、彼女からの要求は以下の通りでした
・自分以外と連絡先を交換しない
・移動教室は一人でする
・週末は彼女の家に泊まること
全部、彼女の言うとおりにしましたよ。まあ彼女は全部破っていましたが
それを問い詰めた私が責められたのはなんでなのでしょうね
最初は彼女と同棲するつもりでしたが、家庭でお金の問題があったので家から通う以外は無理でした、それもかなり責められました
某大企業の部長が父親がいる家庭に一人っ子の自分と、そこら辺の一般的な平社員の父親(世間的には)がいて兄弟の多い家の末っ子を同じにしないでいただきたい
私は学校が遠かったため、朝の5時頃に起きるていたのですが
夜の電話が終わらなくて、早くて3時、喧嘩したときは全く寝ないで学校へとそんな日々を過ごしていました
電車の中で寝られるといえば寝られましたが、乗り換えもあるし難しかったですね
彼女は学校にバスで行ける距離に住んでいたため、充分に寝られていました
ある月曜日に、朝から理不尽にヒステリーを起こされて泣かれて、私は駅までのバスに乗ることができなかった。そのバスに乗らなければ学校に間に合わない時間帯のバスに
激怒、なんでしょうね。あの時の感情は「最低だ」と怒鳴りましたあと「クソアマ」もいいましたかね……
それにショックを受けて物凄くないていたけれど、その言葉を撤回する気はありません
そして、その日から学校に行けなくなって、留年しました
留年したら退学と決めていたので、私の将来は、そこでつぶれました
相手の親は自分の娘が私を自分の家につなぎとめる駄々をこねたことを知っていた
けれど、何もしてくれなかった。助けてくださいと連絡したのにね
まあ、助けてくださいと連絡したことで彼女(私より身長が高い、ぽっちゃり(オブラート)にぶん殴られましたが
私(当時154cm/38kg)もマウント取って殴り返したけどね
そう言えば、彼女は言っていました。「私のせいで退学させちゃったから、いつかまた学校に行けるようにさせたい」笑わせんなよ
今思えばなぜ悩んだのかすらわからないながらに当時は物凄く悩んで、別れよう、と私から言いました
別れて2週間くらい後かな……彼女はアメーバピグで40代の男性と付き合い始めました
あーこいつ男好きのビッチなんだな―と笑っちゃいましたね
私と付き合っている間も浮気してたみたいだからなぁ
彼女、性的なことに興味のない私と正反対で度々行為を強請ってきたので
生々しい話ですが、私は男ではないので指でどうにかするしかありませんでしたが
いつも男役でした。彼女にとって私は男の人の代わりだったのでしょう
しかし、凄い性欲だったなあ…………
まあ、私は女なのでどうあがいても男性には勝てませんが……
多分、彼女も学校卒業できなかったんじゃないかな、単位取れてなかったと思うし
「手術で男になってよ」「嫉妬の仕方も男っぽいよね。女は相手を責めるけど、霜月は私を責める」
「ああやっぱり男なんだね」男、男、男男男男男男男男男男男男男男男男男男男
洗脳されている気分でした
というか、彼女と付き合っていた頃の私はマインドコントロールされていたようなものかと思います
私は「性同一性障害」ではないため、男にはなれません
女である自分の体に嫌悪感もなければ、月のものは面倒だけど、別につらくはないなと
彼女の言葉なしにしても、どっかしら私は男っぽい部分はあると思います
可愛い女の子を見るのは好きですし、ふわふわフリフリにあこがれはありますが
私は着ることはできないなあ、と。女の子らしい格好をするとなんだかドキドキしてしまいますし
一番楽なのが、Tシャツにジャージなんですよね
地元に帰ってきて、少ししたとき、ふとどっか死ぬのにいい川とかないかなーとか思って、
真夏に6時間くらい歩き回っていた。この川だとちょっと高さが足りないなとか
上手く溺れて死ねないかなとか
結局、高校時代に幼稚園からの付き合いの子と良く夏期講習を抜け出して水遊びしたりアイス食べたりしていた河原について、呆然と時間を潰した後に諦めて帰ることにしました
歩く元気もなかった為に、親に迎えに来てもらって、精神的な病気を診断してくれる病院に連れて行ってくれと頼んだ
そして親は私にもう一度、今度は県内であるものの学校に行くチャンスをもらった
けれど、私はそこでも、駄目だった。楽しいのにつらかった
震えが止まらなかったり、憂鬱で仕方なかったり、無理に笑うしかなかったり
やりたくて決めたことなんでしょ?そう何度も言われました
やりたくて決めたことです、けれど、私はもう人前に出ることが、怖くて、つらくて、震えが止まらなくなったんです
朝、布団から出ることも出来なくなってしまったのです
また、他にも疲れてしまった要因はあります
同じクラスの同性に惚れられたりもしました。やたらべたべたされたり、デートに誘われたりで察した
物凄くクラスで浮いていた子で、最初はそういうのよくないよと言っていたけど、無駄だった
まあ、ビアン風俗の人妻さんに好きといわれたことを自慢していたけれど、それは営業だ
そして、どうやらそれで私が嫉妬しないかと考えていたらしい。しねーよ
お昼にバナナを食べていたら「霜月ちゃんの口に、バナナが……///」と言われて気持ち悪くて仕方なかった
ただ、その頃には私はとても大切な人がいました。が、それも気に入らなかったらしいけど知らねーよ
「付き合いたいのはそういう性的なことしたいからなの?」と聞いたら「そう」って帰ってきたので私は無理だなーと
最初はその悪い所をどうにかしようとした。けれど、どうにか「してあげる」というのは私の自己満足でありお節介でしかない。勿論、見返りを求める気もなかった。ただ、あまりに見ていられなかっただけだった
どうにか「して欲しい」と本人に頼まれたのならまた別ですが
変わるということは結局本人次第なのでどうにもならんなと
私はあっさり見捨てました
その大切な人とは、私が本当に駄目な性格だったために別れて、友人関係もなくなったものの、その子のことは今でも好きです。友愛的な意味で
変わった、変われた私でまた話したいけれど、恐らくそうしない方が平和なのだろうなぁと
それで、やっぱりその子と一緒にいるのもストレスで、学校にもいけなくて、留年するとわかって、担任に退学しますと告げて
最後に書類を学校に持って行って、本当に私の夢は終わりました
病気に甘えていられないと就活もしました、バイトを探すこともしました
でも、駄目でした。圧迫面接に当たって以来、私はそれが怖くて、動けなくなってしまった
オフ会も行けるといえば行けるし、会いたいとかはあるのですが
お金に余裕もなければ、面白いくらいに手が震えてしまって
今の私は、立派な引きこもりです。病気療養という名のニートです
家事をすることくらいしかできない、働きたくても、怖くて仕方がない
多分、幼少期の父親のDVやいじめもあったけれど、高校の頃の彼女との事が、境界性パーソナリティ障害のきっかけなんだろうなあって
あれ、今こう書いてみるとそんなにひどくない気がするな……