(cache)【長州力引退、永遠のライバル藤波辰爾への思い〈3〉反逆のかませ犬発言…1982年10・8後楽園】  : スポーツ報知
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【長州力引退、永遠のライバル藤波辰爾への思い〈3〉反逆のかませ犬発言…1982年10・8後楽園】 

長州、バックランド、藤波の夢トリオ
長州、バックランド、藤波の夢トリオ

 “革命戦士”長州力(67)が26日、東京・後楽園ホールで行われる「POWER HALL2019~New Journey Begins」で引退する。

 レスリングでミュンヘン五輪出場の経歴を引っ提げ1973年12月に新日本プロレス入団。翌74年8月8日にデビューした。82年10月8日の後楽園大会で藤波辰爾(当時は辰巳)へ反旗を翻し一気にスターダムへのし上がった。以後、ジャパンプロレスを設立し全日本プロレス参戦から新日本へのUターン、復帰後はエースとして現場監督として90年代の黄金時代を築き、98年1月4日には引退試合を行った。しかし、2000年7月30日の大仁田厚戦で現役復帰。新日本離脱からWJ旗揚げから崩壊、そしてフリーと波乱万丈の45年に及ぶレスラー人生を駆け抜けた。

 中でも藤波とのライバル対決は、当時、テレビ朝日「ワールドプロレスリング」で実況を担当した古舘伊知郎アナウンサーをして「名勝負数え唄」と評されるほどプロレス史に残るライバル対決を刻み込んだ。「藤波さんがいたから今のオレがいる」と語る長州は、引退試合で藤波との対戦を熱望。結果、越中詩郎、石井智宏と組んで、藤波、武藤敬司、真壁刀義と対戦することになった。引退興行は、前売り券が完売し全国の映画館でライブ・ビューイングされることが決定。プロレスのライブ・ビューイングでは、過去最大規模の上映館に達した人気を示している。「Web報知」はこのほど、引退直前の長州を単独取材しプロレス界を代表するライバルストーリーを残した藤波辰爾への思いに限定してインタビューし連載する。第3回目は「名勝負数え唄」。

 シンデレラボーイとなりアントニオ猪木の後継者を自他共に認めるまでのスター選手の藤波と1人の中堅レスラーで日陰の存在だった長州。永遠にこの固定した「格」が続くかと思われた時、長州が自らの殻をぶち破る時が来た。

 1982年10月8日、後楽園ホール。メインイベントで長州は、猪木、藤波とトリオを組み、アブドーラ・ザ・ブッチャー、バッドニュース・アレン、SDジョーンズと対戦した。試合前のコール時に藤波より先に名前を呼ばれたことに不満を露わにすると、格下選手が先陣を切る通例を拒否し、藤波へ先に出ろと指示。藤波も長州の行動に不快感を露わにし試合中に相手そっちのけで2人は張り手合戦を展開し仲間割れ。試合後にマイクで藤波を挑発し「オレはお前のかませ犬じゃない」と完全に袂を分かつことを宣言した。突然の反乱だったがこの行動が、長期低迷を打破しスター選手の仲間入りを果たす「長州力」につながるまさに革命記念日となった。この時の行動の真意を改めて聞くと長州は不快感を露わにした。

 「もうだいたい流れを見たらわかるだろ。だから今まで言っている言葉でまとめるしかないよ。週刊誌見れば書いてあるだろ。これ以上もっとすごいことを言わないといけないのか。それは、彼(藤波)に対するまたまったく違った評価になるし。自分は自分なりに感じたことをずっと言ってきたつもりなんだ」

 藤波への反旗は、長州自身はもちろん、新日本プロレスが想像する以上にファンへのインパクトは絶大だった。会社が決めたランクや格に安住せず自らの力で固定概念を覆す長州の行動は、多くの学生、サラリーマンの心をつかんだ。藤波との戦いは、ある意味、猪木のプロレスを超えるスピード、躍動感、気迫がすべて揃った激闘の連続で「名勝負数え唄」と評され“革命戦士”長州力は、一気にトップレスラーとなった。ただ、今、藤波との試合を振り返った時、長州の中にあったのは藤波を超えようとか、トップになろうとかの野望よりもただただ「必死」だったことだったという。

 「(藤波さんに)合わせていくの大変だった。その時はちょっと違ったのかもわからないけど捉え方が。ボクは、ジュニアじゃないけど体力的には同じようなもんなん。だけど、ボクは、彼以上に行かなきゃいけなかったんだけど、合わせるっていうか追いついていくっていう感覚ですよ」

 ジュニアからヘビー級へ転向した藤波のスピードと類いまれな運動神経に付いて行くことに必死だった。その懸命なファイトスタイルがファンの心に響いた。一方の藤波は長州との戦いに不満を覚えていた。

 「ボクはジュニアでチャンスをつかんでこれからヘビー級でもやっていくんだっていう矢先に長州が牙をむいてきた。正直言って邪魔だった。何でこんなことするんだっっていうガチの感情を持って長州と戦っていましたよ」

 革命記念日からおよそ半年後の1983年4月3日、蔵前国技館で長州は藤波を破り、長州の人気が沸点を迎える。(続く。取材・構成 福留 崇広)

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