【本音を生きる】元外科医 エンヴァー・トフティ・ブグダさん(上)
—医者としてどのような倫理をお持ちでしたか?
ウイグル人、漢人を問わず、目の前の患者の命を救うことを第一に考え、誰に対しても公平な正しい医者になりたいと思っていました。医学部で良い先生に恵まれ医療倫理をしっかりと植え付けられました。国際会議にも多く参加し、知識と技術の向上にも励んでいました。
—医者として 貢献された経験を一つ教えてください。
13年間、無料奉仕でウイグルの小さな村をまわり、割礼(包茎手術) をしました。イスラム教圏では重視されている習慣です。自分が小さな村の出身だったので、小さな村を助けたいという気持ちがありました。
—原爆症の調査を始め、『死のシルクロード』(英国チャンネル4で1998年に放映後、世界83カ国で上映)のドキュメンタリーに協力するまでの経過を説明していただけますか?
ウルムチの鉄道局付属病院でガンの治療にあたっていたとき、ウイグル人患者の比率が高いことを不思議に思い、調査を始めました。調査の結果、ウイグル人のガンの発症率は 国家平均と比べて35%高く、ウイグルに長く居住している漢人の発症率も高いことが判明しました。
地元では皆、核実験のことは知っていましたが、私の調査は中国によるロプノールでの核実験を証明することとなりました。 その後、語学留学先のトルコで、新疆の核実験被害の実態をルポしたいという英国のジャーナリストと出逢い、医者としての良心から被害状況を広く公開したいと願っていたので協力に応じました。これは故郷には戻れなくなり、仕事も家族も全て失うという大きな決断でした。ドキュメンタリーを通して原爆症を告発することで、中国共産党からはウイグルの分離派として「御用」人間になってしまいました。
トルコではイスタンブール大学チャパ医学部の外科医として良い仕事に就いていましたが、1998年の12月、 トルコの首相が中国と の「犯罪人引き渡し条約」に合意署名したことをアンカラの台湾人レポーターが伝えてくれました。1999年1月23日に英国に行き、ヒスロー空港でドキュメンタリーを見せて難民申請しました。1999年4月に中国の高官がトルコを来訪しているので、その時まで国内にいたら中国に強制送還されていたことでしょう。
—ロプノール・プロジェクトはこうして始まったんですね。
はい。中国政権は1964年10月16日から1996年7月26日にかけて、核実験を46回行いました。実験に関わった8023部隊の兵士は補償されましたが、被害で苦しむ村の人々は無視されています。 新疆の人々の90%は農民で年間の平均収入は当時5000元でした。当時、一回の化学療法に15,000元かかったため、ほとんどの人はガンの宣告を受けると治療は受けずに家に戻りました。
—プロジェクトの主旨を教えてください。
問題を認識し、被害を受けた家族を補償し、無料で医療手当を受けるよう政府に要求します。 汚染された土地で苦しむ農民への補償も求めます。被害はウイグル人に止まりません。1970年代以来、中国人が移民していますが、長く居住すればするほど発癌率が高いのです。
中国政府はこのプロジェクトの存在を認めておらず、コミュニケーションもとっていません。英国のビジネスマンが話してくれたのですが、 代表者として中国を訪問した際、中国政府の役人がエンヴァーという男は嘘を言っていると否定したそうです。
つづく 【本音を生きる】 元外科医 エンヴァー・トフティ・ブグダさん (中)
(文:鶴田ゆかり)