【首都スポ】[ラグビー]41歳のレジェンド大野がエール! ジャパン躍進の鍵はディフェンス2019年6月22日 紙面から
世界を再び驚かせろ! 9月20日に開幕するラグビーW杯日本大会に向け、日本代表候補選手は宮崎で合宿を繰り返している。ハードワークを続けるジャパン戦士たちへ、3勝を挙げた2015年イングランド大会の中心メンバーで41歳のトップリーグ最年長選手、日本代表歴代最多の98キャップを誇る大野均(東芝)からの応援メッセージをお届けする。 (大友信彦)
「6月といえば、思い出すのは『過酷な訓練』ですね」 大野は苦笑した。4年前の15年6月、日本代表メンバーの1人として、宮崎で長期にわたった強化合宿に臨んでいた。そのとき、トレーニングルームのホワイトボードに大きく書かれていたのが「ハードヤード」(過酷な訓練)という文字だった。 「わざわざ日本語訳で『過酷な…』なんて書かなくていいのに(笑)。しかも、宮崎の6月は梅雨のど真ん中で、毎日雨ばかり降ってたし、エディー(ジョーンズ前ヘッドコーチ)のプレッシャーもキツかったし…。過酷でした」 そう言いながら、今、宮崎にいる選手たちのことを話すとき、うらやましそうな顔をする。 「代表を離れてみて改めて感じるのは、代表にいるのはすごく幸せなことだったなということ。自分も、今も『あと5歳若かったらな…』と思うこと、あります。だから今、つらい思いをして練習に取り組んでいる選手には幸せを感じてほしい。自国開催のW杯なんて、想像できないほどプレッシャーがかかるだろうけど、それを経験できるのは自分たちだけです」 W杯代表は31人。開幕まで約3カ月というこの時期は「誰がW杯切符に近いのか?」「自分の評価は?」と、疑心暗鬼に陥りやすいが…。4年前の大野はどう過ごしていたのか。 「不安よりも、目の前の練習に100%出し切っていましたからね。先のことなんて考えられないくらい。だから『オレが落ちても悔いはない』と思って練習していたし、もしも落ちても『選ばれたヤツを100%応援しよう』と思えた。振り返ると、結果を残すチームって、誰かが落ちたとき『アイツと一緒にやりたかったな』と思う選手が多い気がします」 大野は福島・日大工学部1年でラグビーを始め、全くの無名ながら東芝入り後に大ブレークし、W杯には07年フランス大会に初出場。さまざまな経験を重ね、3大会連続のW杯出場となった前回の15年大会では、優勝候補の南アフリカに勝つなど、3勝を挙げる歓喜へとたどり着いた。 「第3国での試合でも、愚直に体を張り続けると地元のみなさんが応援してくれました。07年のフィジー戦も、前回の南アフリカ戦もそうだった。試合前は南アへの声援の方が多かったけど、最後はスタジアム中から『ジャパン!』と聞こえてきましたからね」 現在の選手たちに期待することも変わらない。 「今の日本代表は、世界のどこと戦っても20点以上取る力はあります。だからこそ鍵はディフェンス。80分間前に出続けて、倒したら早く起き上がってまた倒す。いつの間にか、相手チームを応援していたファンも引き込んでしまう、そんなプレーをみせてほしい。それができれば、勝てると思います」 そう言った大野の目は、自身も“戦場”に立っているように鋭かった。 <大野均(おおの・ひとし)> 1978(昭和53)年5月6日、福島県郡山市生まれの41歳。ポジションはロック。192センチ、105キロ。中高では野球部の補欠だったが、日大工学部でラグビーを始め、東芝に進んで才能が開花。2年目の2002年に頭角を現し、03年にFW兼BKで日本選手権優勝に貢献。09年度トップリーグMVP。日本代表には04年に初めて選ばれ、韓国戦でデビュー。07年、11年、15年とW杯に3大会連続で出場するなど、日本代表歴代最多の98キャップ。 ◆プレゼント大野選手が監修した「はじめてのラグビー」(世界文化社)=写真=を本紙読者5人にプレゼント。練習方法を含めた子ども向けの教本で、大野選手がラグビーを始めたばかりの頃に考えたこと、41歳の現在まで意識し続けていることなども語られている。応募は、はがきに〒住所、氏名、年齢、電話番号、本紙の感想や要望を記入し、〒100 8505 日比谷中日ビル10F「ラグビー本プレゼント」係まで。6月末日必着。発送をもって当選発表とします。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。
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