2012年12月の総選挙。自民党の政権公約に、経済に次いで取り上げられたテーマは「教育」だった。この時の自民党のキャッチフレーズは「日本を、取り戻す」。民主党政権時代に失った「あるべき日本の姿」を取り戻す。そんな強い決意がうかがえる。教育分野で民主党を支えるのは「日本教職員組合」=通称「日教組」。この時一部の自民党支持者からは、「日教組から教育を取り戻す」という声も聞こえた。
ではそのように目の敵にされる日教組とは何なのか。設立から振り返ってみる。
日教組発足
戦後間もない1946年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向を受けた文部省は、教員への手引書として「新教育指針」を発表する。
そこでは、「教員組合の健全な発達もまた教師の民主的な生活及び修養のために大切なことである」と述べ、教師の生活の安定、教養の向上、政治介入への対抗策等として、教員組合を奨励している。文部科学省と日教組は激しく対立してきたが、そもそもはGHQや文部省の後押しがあって発足したことが伺える。
教員組合への加入者数は、戦後の約2年で50万人強へと爆発的に増えた。そして戦後生まれた3つの教職員組合が合併し、1947年「日本教職員組合」が誕生した。
日教組の主たる目的は、
- 教育の民主化
- 研究の自由を獲得すること
- 平和と自由とを愛する民主国家の建設のため団結すること
- そのために経済的・社会的・政治的地位を確立すること
と謳われている。教育に関する条件整備のための研究・政策提言にとどまらず、政治的な運動も多く行っている。
母体と思想的背景
発足当初、日本共産党を支持するグループが日教組の主流派を占めたが、規模が大きくなるにつれ共産党系は非主流派となり、日本社会党を支持する勢力が主流派となる(ただしこの中でも右派・左派に分かれている)。社会主義および共産主義を思想の底流に持つ日教組は、戦前の国家による思想教育に対する反省ともあいまって、「教育の民主化(国家的統制の拒否)」を活動の重要な柱のひとつに掲げる。
そのため、1956年には当時住民の公選制であった教育委員会が、首長による任命制へ移行されるという政策に強く反対した。また、国家統制の象徴であるとして学校での国旗掲揚・国歌斉唱に反対してきた(現在はそのような主張はしていない)。
また、教育における子どもの競争や教師の評価を拒否し、子どもや教師の序列付けを激しく拒んできた。昭和30年代(1955~1964年)には教師の勤務評定の実施阻止、全国統一学力テストの反対などを行う。これらの反対運動は地域社会も巻き込み、大規模におこなわれた。勤務評定反対運動では、公務員には禁止されているストライキを大々的に行い、約6万人の組合員が何らかの処分を受けている。
社会主義との親和性の高さは、幹部による北朝鮮への密接な関わりにも表れている。計30年にわたり日教組の中央役員を務め、「ミスター日教組」と呼ばれた槙枝元文(2010年死去)は北朝鮮を礼賛し、最も尊敬する人物に金日成を挙げている。また、北朝鮮の指導思想であるチュチェ(主体)思想を学ぶ「日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会」は、日教組関係者が歴代会長を務めている。
平和運動等にも積極的に関与し、政治的メッセージを発信するほか、デモ活動でも盛んに各都道府県教組から人員を派遣している。昨年夏以降に発表された「声明・談話」で、教育とは直接関連のないテーマのものには、
- 関電高浜原発3号機の再稼働に抗議する書記長談話
- 朝鮮民主主義人民共和国の水爆実験に抗議する書記長談話
- 日印原子力協定の「原則合意」に関する書記長談話
- 沖縄辺野古新基地建設に関する本体工事着手強行に抗議する書記長談話
- 「安全保障関連法」に断固反対し、日本国憲法の理念を取り戻す書記長談話
などがある。
日教組バッシング
日教組への批判は数多いが、上記以外では主なものとして以下が挙げられる。
- 教育活動よりも、各種集会への動員、選挙活動など組合から指示される仕事に熱心な組合員がいる。
- 教育基本法等で教職員の政治活動は禁止されているが、それを無視して選挙運動を行っている。北海道教職員組合では、約1600万円の裏金を民主党候補者に渡した。
- 組織率の高い都道府県では、組合役員を経験することが管理職や教育委員会への登用など出世のための定番コースとなっており、御用組合となっている。
- ゆとり教育を推進。日本の子どもの学力を下げた。
- 自虐史観の歴史教育や行き過ぎた性教育を推進。そのための不適切な副教材の作成と使用を行っている。
- いじめの増加や子どもが荒れる原因を作っている。
このような指摘のうち、事実に即したものもあるが、「ゆとり教育が学力低下を招いた」や「いじめの増加や子どもが荒れる原因を作った」などは客観的根拠に乏しい。
経済協力開発機構(OECD)が3年ごとに実施している「生徒の学習到達度調査」(PISA)の結果が、「ゆとり教育」導入後の2003年に実施された調査で前年までと比較して大幅に下落。そのためゆとり教育との関連が盛んに叫ばれたが、調査時点ではゆとり教育が始まって1年しか経っていないことや、その後のPISA順位の向上(2009年、2012年)もゆとり教育を実施している間であったりと、ゆとり教育がスコアにどのような影響を及ぼしたのか、不明瞭である。
またいじめの増加等についても、重大事件が起きるとそれに呼応して調査が行われ、認知件数が一気に増えることが大きく影響している。増加を客観的に裏付ける統計に乏しく、また日教組教育が原因であるという因果関係も明確ではない。
組織の変遷
日教組の加入率(全教職員数に対して日教組へ加入した割合)は文部省が統計を取り始めた1958年には86.3%と、非常に高い割合を示した(図)。全国の公立小学校、中学校、高校の教職員のほとんどが加入していたことになる。その後一貫して加入率は落ちているが、昭和30年代と1988年に特に大きく下落している。昭和30年代の落ち込みは、上述したような様々な反対運動を大規模に行った結果、社会的信用を失ったことが主な原因とされる。
リンク先を見る(文部科学省「平成26年度 教職員団体への加入状況に関する調査結果について」より筆者作成)
また、1988年の下落は、労働組合全体の再編の中で、日本社会党を主として支持する「日本労働組合総連合会」(連合)へ日教組が加盟すると決定したことで、共産党系組合員が分裂し、「全日本教職員組合」(全教)を組織したことによる。
この他にも、日教組は小中学校の教職員が中心となっていることによる反発から、高校や大学の教職員が離反して別の教職員組合を作るなどの分裂も経験している。
なお、2014年時点で教職員組合全体の加入率は約37%であり、その3分の2を日教組が占める。
政界とのつながり
日教組は伝統的に日本社会党を支持してきた。現在は社民党と民主党を支持政党とし、「日本民主教育政治連盟」(日政連)という政治団体を持つ。現在日政連には衆議院議員1名、参議院議員5名、自治体議会では約200人の議員が所属しており、所属国会議員は全員民主党である。
横路孝弘(民主党/衆議院/北海道第1区)、輿石東(民主党/参議院/山梨県選挙区)、水岡俊一(民主党/参議院/兵庫県選挙区)、神本美恵子(民主党/参議院/比例区)、斎藤嘉隆(民主党/参議院/愛知県選挙区)、那谷屋正義(民主党/参議院/比例区)
日教組のこれから
1990年頃から新規採用教職員の加入率が20%前後を推移していることから、このトレンドが変わらなければ全体の加入率も近いうちに20%前後で落ち着くと考えられる。一部の保守論者からは「日教組は日本のガンである」などと言われているが、加入率の低迷、そして支持政党の民主党や社民党の低落傾向を考えると、日教組がそのような影響力を持っているとは考えにくい。
日教組が加入率を回復し、より健全に教育界の発展に貢献するには、自らの政治的中立性を推し進め、教育活動以外の運動に組合員が割く時間を減らすとともに、偏向教育と批判されてきたこれまでのイメージを払しょくすることが必要だ。そして労働組合本来の機能である、教職員の労働環境健全化に今よりも注力するとともに、多様な意見を取り入れた、客観的分析を基にした今後の教育のあり方の提言と実践が求められているのではないだろうか。