ウクライナからのメッセージ

ウクライナから我が国の大学に留学中のアンドリー・ナザレンコさんが
月刊誌「日本の息吹」の5月号において発表した「国を守るということ
ーウクライナからのメッセージ」を読み、ウクライナ国民の辛酸を
嘗め尽くすような体験を知らされることになりました。

1995年生まれの若者がまとめたものとは思えないくらい臨場感に
富んだ力作であり、目前に迫っている国難に目を閉じたまま
”平和”という名のぬるま湯に浸りきり、瑣末なテーマを巡って口角泡を
飛ばしている多くの日本国民にしっかり目を見開いて読んでいただきたい
メッセージではないかと思います。

同メッセージの冒頭部分に「ウクライナは13世紀にモンゴル帝国に
征服されてから、800年間もずっと他国の植民地でした。」とあり、
文中のウクライナ概略史によれば、怨念のロシアの支配がはじまったのは
1654年のペレヤスラフ協定締結以降のことだということが分かります。

その後も、オーストリア、トルコによってウクライナの一地方が支配され、
1941年にはドイツによって占領されるなどウクライナ受難の時代が
続きました。

ウクライナがようやく独立を勝ち取ったのはソ連が崩壊した1991年の
ことでしたが、その喜びも束の間、2014年にはクリミア半島がロシアに
よって侵略され、今日に至っている、という訳です。

ナザレンコさんのメッセージにはウクライナがロシアの一部だった時代に
適用していた法律について触れている箇所があります。

それは
 ・公共の場でウクライナ語を話すのは禁止
 ・ウクライナ語で教育を行っている学校は全て閉校
 ・ウクライナ語の本と新聞の出版は禁止
 ・ウクライナ語で書かれた既刊の書物は燃やすように命令
 ・自分をウクライナ人と呼ぶことすら禁止
 ・占領者が勝手に「小ロシア」という名称をつけ、それに抵抗した者は
  もちろん殺された
という過酷な史実を伝えたものです。

今日の中国共産党政府がチベット、新疆ウイグル地方等で殺戮を繰り返して
いる姿を髣髴させるものであり、また70万人以上ともいわれる日本人を
厳寒のシベリアに抑留し、過酷な労働をさせ、その半数近くの日本人を
死に追いやったまま平然とした姿勢を崩していないロシア政府要人の姿と
一致するものではないかと思われます。

ナザレンコさんの貴重なメッセージはまだまだ続きがあり、次の機会に
報告したいと思います。

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