2019年3月、中央アジアに位置するカザフスタンで30年近く政権を握っていたヌルスルタン・ナザルバエフ大統領が突然辞任した。長年カザフスタン国内で圧倒的な支配力を保持していた彼の辞職は国内外を驚かせた。一方、大統領辞職の2か月後、つまり新大統領選挙の1か月前の2019年5月9日、反体制派のデモに伴って大規模なインターネットの検閲・アクセス遮断が行われ、さらにはデモを取材するジャーナリストが拘束されていた。さらに、選挙の結果、次期大統領がナザルバエフ氏の後継者のカシムジョマルト・トカエフ氏となることがほぼ確実となった6月9日、首都などで抗議活動を行った約500人と取材中のジャーナリスト数十人が拘束され、一部のメッセージアプリがアクセスできなくなった。形式的には国のトップが変わるカザフスタンだが、これまで行われてきた厳しい言論統制には変化が見られない。
1999年~2019年までカザフスタンの大統領を務めたナザルバエフ氏 (写真:President of Russia [CC BY 4.0])
現在に至るまで、カザフスタンで見られるような言論統制は中央アジア各国で行われてきた。言論統制が厳しい国では、政権や政治体制にとって不利益なことは市民や国家外には伝わらず、異議を唱えることは困難であるし、唱えたとしても抹消される。言論統制が中央アジアにおける自由化、民主化を妨げていることは明らかであろう。当記事では、そんな中央アジア各国の言論統制の状況を見ていく。
中央アジアの歴史
中央アジア5か国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン:以後中央アジア5か国とする)は、独立までの約70年間ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦を構成していた。ソビエト連邦では、1917年の報道に関する法以来、検閲などを通して言論の自由を厳しく制限し、反体制派の声を狩ってきた。1921年に創設された「文学・出版総局(Glavlit)」はその後数十年にわたってラジオ・テレビ・本・新聞などあらゆるメディアの検閲を行い、「国家機密」を守ってきた。冷戦期には、世界で最も広範囲で強力なラジオ電波の妨害システムを持っていたともいわれ、ソビエト連邦下での言論統制は確固としたものであった。
1991年、ソビエト連邦の崩壊に伴い、中央アジア5か国は次々と独立を果たしたが、これらの国々はソビエト連邦に属していた時代に築かれた言論の自由を制限する独裁的な政治構造を放棄しなかった。というのも、中央アジア5か国はソ連晩年の解放運動では最前線にいなかった国であり、ほとんどの国ではソ連崩壊後もソ連共産党による共和制構造の指導者であった人物が国政を牽引したのだ。彼らはソ連崩壊の機に乗じて民族主義に基づく新たな権威主義体制を樹立し強大な権力を握ろうとした。また、家父長制や民衆の服従、長老や権力への敬意など地域的な政治文化と権威主義の定着を結びつける研究者もいる。報道の自由に関しては、独立からの四半世紀は、見方によってはソビエト連邦の衰退期と比べればむしろ悪化したとみることもできる。これらの国では扇動を防ぎ治安を維持する名目で反体制派の意見が封じ込まれ、あるいは過激主義に対する懸念を持ち出して言論の自由を奪っている。これは各団体が出す様々な指標をみても明らかであり、その結果は惨憺たるものである。
以下、エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる2018年民主主義ランキングの民主主義指数が低い順に中央アジア各国の事情を紹介していきたい。
トルクメニスタン:世界一報道の自由を奪われた国
トルクメニスタンは2018年の報道の自由度ランキング(国境なき記者団発表)でエリトリアと北朝鮮を抜き、ついに最下位となった。この国の強力かつ個人崇拝的な独裁体制はサパルムラト・ニヤゾフ政権で築かれた。ニヤゾフ氏は1990年から2006年の死去まで大統領の職に就き、反体制派勢力を徹底的に排除し独裁政権を作り上げたのだ。現在の大統領は2006年に就任したグルバングルィ・ベルディムハメドフ氏であるが、彼もまた独裁体制を強めている。トルクメニスタンには、正規の野党は存在しない。1990年初めには野党は追放され、唯一の合法政党はニヤゾフ氏の率いたトルクメニスタン民主党である。2003年には、追放されている野党4党がウィーンを拠点として民主勢力連合を結成したが、国内での活動は全くできず影響力は極小である。2018年3月の議会選挙ではすべての候補者がベルディムハメドフ氏に賛同しており、民主的な議会運営とは程遠い。
このような独裁政権は、国家による完全なメディアの支配によって管理されている。 2013年までは国内の39の新聞と5つのラジオ局、7つのテレビ局、他に1つの報道機関のうち1つを除いたすべてが大統領自身の所有物であった。2013年に報道の自由に関する法律を成立させ、報道機関の独占を禁止するとしたものの、現在もほぼすべての新聞は国の資金提供を受けており、テレビ・ラジオは国営である。これらのメディアの役割は、新しい公共施設の開設や、ある地域への大統領の訪問などを盛大に祝賀することであり、大統領の良いイメージづくりに尽力している。
国連機関や国際的な人権団体はこれまで度々トルクメニスタンにおけるジャーナリストの逮捕や拷問を非難してきたが、政府がそれに応える様子はない。逮捕されるジャーナリストは後を絶たず、暴行によって自白を強要されたり、拘束・拷問の末亡くなったジャーナリストもいる。また、百人以上もの人々が強制失踪の対象者となっているとみられているが、こういった事例は明るみに出ること自体少なく、全貌はつかめていない。トルクメニスタンが世界でも指折りの独裁国家という不名誉なレッテルをはがせる日は来るのだろうか。
首都アシガバードにあるニヤゾフ前大統領の黄金像 (写真:Chris Price / Flickr [ CC BY-ND 2.0] )
タジキスタン:ジャーナリストの危機
タジキスタンは、他の中央アジアの国と同様に1991年に独立を果たしたが、1992年に反政府勢力が武力蜂起し、約5年にわたる紛争があった国である。その紛争の最中の1994年に就任したのが現在の大統領、エモマリ・ラフモン氏だ。彼もまた権威主義のもとに政権を握っており、野党が公式に活動することは難しい。主要政党8党のうち6党が親政府派の政党であり、2015年の下院にあたる代表者会議の選挙では野党は63議席中わずか2議席であった。
ラフモン大統領は、彼や政府に対する批判を決して許さない。2017年12月には、ラフモン大統領に対して公開書簡を書いて政府の汚職を告発したジャーナリストハイルロ・ミルサイドフ氏が逮捕された。彼は当局から名誉毀損で訴えられた上に、国家資金の横領罪と警察への偽証罪に問われ、懲役刑と賠償金の支払いを命じられた。タジキスタンでは、当局による国外追放だけではなく、ジャーナリストへの脅迫や不当な投獄、検閲等に伴うメディア事業の縮小による雇用先の減少などの問題から自ら国を去るジャーナリストも少なくない。一方、国内で活動するジャーナリストだけではなく、国外から平和的に政府を批判する者の家族さえも身の危険にさらされている。 また、テロ対策や宗教的過激主義の対策という名目で、主要な独立系のニュースサイトであるアジアプラスなどの報道機関やユーチューブ、フェイスブックなどソーシャルメディアへのアクセスを遮断している。ジャーナリストの基盤が徹底的に奪われているこの国で自由を求めることは困難だ。
ロンドンBBC本部前にて、タジキスタンで逮捕されたBBCのジャーナリストの釈放を呼びかける報道関係者たち (写真:English PEN/ Flickr [CC BY-NC-SA 2.0])
ウズベキスタン:僅かに見える自由
一方、ウズベキスタンも権威主義体制が繰り広げられた歴史に変わりはないが、新大統領の就任を機に近年僅かに自由化の兆しを見せている。ウズベキスタンは、1990年以降イスラム・カリーモフ氏が大統領として強力な独裁政権を築いてきた。彼の政権下では野党勢力に対する弾圧は非常に厳しく、野党は違法とされて国外に追放されたり、野党の党員や党員の家族は何らかの理由をつけて逮捕されたりした。2000年代に入っても野党の結党は繰り返し妨害され、政党登録を拒否されてきた。2014年・2015年の選挙でも複数の政党が出馬していたが本質的には一様に親政府の政党であり、民主的な選挙ではなかった。
しかし、カリーモフ政権は2016年、大統領の死去という形で幕を閉じた。代わって就任したのがシャフカット・ミルジヨーエフ新大統領である。言論の自由という観点からすれば、ミルジヨーエフ大統領の下でのいくつかの施策は評価できる。彼の就任後の数年間でジャーナリストを含む数十人の政治犯が釈放された。また2019年5月には多くの主要な独立系ニュースサイトのアクセス遮断が解除された。これらの多くは2005年に東部の都市アンディジャンで起こった虐殺(※1)以降封鎖されてきたサイトであり、この決定は言論の自由化に向けた大きな一歩だ。ただ一方で未だにアクセスを遮断されているサイトがあることも事実である。
また、まだ多くの政治犯が釈放されておらず、2018年8月と9月には宗教問題に対する政府批判をしてきたブロガーを警察に抵抗した容疑で逮捕するような事件も依然として起こっている。一部では汚職などを報道するジャーナリストも見られるようになったが、このような不透明で不安定な状態では、どこまでの報道が許容されるのかの判断が難しく、自己検閲を生みかねない。しかし、ウズベキスタンが言論や報道の自由について前向きな姿勢を示しているのは確かであり、法律の制定や改正も含め今後どこまで自由化を進めることができるのかが注目される。
ウズベキスタン国内で活動する女性の映像作家 (写真:Chris Schuepp/ Flickr [CC BY 2.0])
カザフスタン:長期政権の終結と野党不利の大統領選挙
冒頭で述べたように、カザフスタンでは1990年から政権を握っていたナザルバエフ氏が2019年3月に突然辞任し、6月9日の大統領選挙により新大統領にトカエフ氏が選出された。長年独裁的な政治を行ってきたナザルバエフ氏が辞任したが、彼は生涯訴追されない法的な地位を手に入れており、カザフスタンで唯一政党として成り立っているル・オタン党の党首として未だに影響力を持ち続ける。加えて、辞任から大統領選挙までの準備期間はわずか2か月に早められたことにより、野党が選挙に対応することは非常に困難とみられている。なぜならば、野党は現在に至るまで常に抑圧されてきたため短期間での資金調達や選挙準備が難しいからである。野党の運営する主要な報道機関やウェブサイトは数年前から閉鎖されており、主張を市民に届けるのが困難なのだ。
徹底的な言論統制は野党勢力に限った話ではない。複数の独立系のウェブサイトは政治的圧力を受けて閉鎖に追い込まれており、報道関係者に対する訴訟や罰金刑が相次いでいるだけではなく、数多くのジャーナリストが投獄されている。2006年にはカザフスタンの記者の権利保護に尽力してきた著名なジャーナリストの親子セイトカジー・マタエフ氏とアセット・マタエフ氏に懲役刑と罰金刑が課され、建物なども押収された。これに関する裁判は不当に行われ国外の人権団体から注目を集めたが、国内での反響はほとんどなかった。このこと自体が、いかに言論の自由が確保されていないかを示している。
最近の例としては、2019年3月に報道の自由の奪われた国でニュースを伝える非営利団体であるRFE/RL(Radio Free Europe/Radio Liberty)の特派員スベトラーナ・グリシュコワ氏が反政府デモを取材中に逮捕された。さらに、彼女が逮捕される様子を撮影しようとしたほかの記者も取材活動を妨害された。大統領が変わっても、カザフスタンの進む方向はそう簡単には変わらない。
新たに就任したトカエフ大統領 (写真:President of Russia[CC BY 4.0])
キルギス:中央アジアの希望
キルギスは、中央アジア5か国のうち最も民主的な国である。この国が他の中央アジアの国々と異なるのは、2005年と2010年の過去2回にわたって反体制派勢力による政変があり、その度大統領が辞職したことだろう。2回目の政変の後、国民投票により新憲法が制定され、新たに議院内閣制を採用し、中央アジア初の議会制民主主義(※2)の国となった。この統治体制のもと、野党を含む政党は発展しつつあり、2015年の議会選挙では29の政党が参加し、6政党が議席を獲得した。6党のうち4党が親政府派、2党は野党であり、2党でおよそ33%の議席を獲得した。
国家が民主化を進めるに伴って、言論統制も緩和されてきた。2017年に就任したソオロンバイ・ジェエンベコフ大統領の下では多くのメディアを相手取って行われていた訴訟や海外渡航禁止令、賠償金要求が取り下げられた。だが一方で、未だに収監されているジャーナリストがいるのも事実だ。独立系のジャーナリストアジムジョン・アスカロフ氏は2010年に不当な裁判によって投獄されて以来、拷問や虐待を受けてきた。当局は国際的な抗議を受けながらも、彼の終身刑を変える様子はない。今後の改善によってキルギスが中央アジアにおける自由主義国の先駆けとなることに期待したい。
2010年のキルギス騒乱の様子 (写真:Brokev03/ Wikimedia [CC BY-SA 3.0])
以上見てきたように、中央アジアの国々ではソ連時代から根強く残る独裁的な支配構造が言論統制という形で市民を苦しめ、国家の発展を阻害してきた。政府は往々にし過激主義や扇動に対する懸念を盾に自分たちへの非難に耳を傾けない。一方で、キルギスやウズベキスタンのように新大統領の就任を契機に自由化への動きを見せる国も出てきた。これらの国々では、現時点で十分に言論の自由が確保されているとは言い難いが、言論統制という闇に覆われてきた中央アジアにとっての希望となることは間違いない。しかし、冒頭で挙げたカザフスタンでは不透明な大統領選挙の結果、「ナザルバエフ氏の指導を今後も受ける」と宣言したトカエフ氏に大統領の座が受け継がれた。国政の雲行きは怪しく、民主化や自由主義への道のりはまだまだ遠そうだ。
※1 2005年5月13日早朝、ウズベキスタン東部のアンディジャン市で、武装集団が政府の複数の建物を襲撃し、宗教過激主義の罪に問われている23人の男性を釈放するために刑務所に乱入した。市内では同時に非武装の市民による大規模な政権への抗議デモも行われた。同日午後、ウズベキスタン政府軍がデモの行われている広場を封鎖したため抗議者たちは逃げたが、待ち伏せていた政府軍によって何百人もの人々が殺された。
※2 議会制民主主義とは、国民や住民の代表機関である議会が、立法という形で意思決定を行う政治制度であり、議院内閣制とは、内閣が議会に対して責任を負い、その存立が議会の信任に依存する制度である。キルギスにおいては、議会自体は2010年以前から存在していたが、大統領権限の縮小と議会権限の拡大を特徴とする2010年の新憲法より議院内閣制及び議会制民主主義を採っている。また、2017年にも憲法が改正され、首相と議会の権限強化が進められた。
ライター:Yumi Ariyoshi
グラフィック:Saki Takeuchi
SNSでも発信しています!
フォローはこちらから↓
中央アジア各国それぞれの説明が丁寧で分かりやすかったです!
中央アジア全体でキルギスやウズベキスタンのように自由化が進んでいくといいですね。
日本では言論統制をしている国として北朝鮮が取り上げられることがほとんどですが
それよりも厳しい言論統制がされている国の実態が報道されないのが現状だとわかりました