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少し考えたら誰にでもわかるあたりまえのことですが、多くの人々にとって幸せな社会は、左右両極端な社会ではありません。 なぜならどちらともつかない中間層こそ圧倒的に多いのが世間というものだからです。
その中間層にある圧倒的多数の人々が、豊かに安心して安全に暮らせる社会こそ求められる社会です。 二極化思考は対立や闘争を求めますが、圧倒的多数の中間層が求めるものは和と共生です。 そこにこそ最も大切な道があると思います。 |
よく聞くことに、
「世の中は二つに分けて考えることができる」
という言葉があります。
世の中のすべての事柄を、敵か味方か、是か非か、上か下か、右か左か等々、世の中のすべてを二つに分けて考えようとする見方や考え方です。
この派生として、世の中を三つに分けて考える、などというものもあります。
大昔からある言葉であり、特に近代以降は共産主義思想が特にこうしたものの見方を「科学的」などと偽ったことから、ずいぶんと普及した言葉です。
しかし私は、それは間違っていると思います。
トップに載せた画像は、いわゆる正規分布ですが、右か左かで分けようとする人の多くは、たいていの場合、左右の両極端の人たちです。
しかし、世の中の多くの人たちは、図の真ん中の紫色や青の部分にいるわけで、しかもそのほとんどの人たちは、自分が右にいるのか左にいるのかさえ、あまり自覚がないものです。
そして多くの場合、図の左右の0.13%の人たちが、互いに右か左かで争っています。
20世紀は、こうした左右両極端の人たちが、互いに対立し闘争することが、なにやら正義とされてきた時代です。
連合赤軍や極右の人たちが、互いに対立し闘争し、さらにその0.13%の人々の間でさえ、互いに闘争しあい対立しあってきました。
けれど、少し考えたら誰にでもわかることですが、世間の多くの人たちは、誰もそのような抗争を愛してなどくれないものです。
そもそもの話、多くの人々にとって幸せな社会というのは、左右両極端に振れたような社会ではありません。
中央にある圧倒的多数の人々が、豊かに安心して安全に暮らせる社会こそが求められる社会です。
つまり大切なことは、対立でもなければ闘争でもない、極端な議論でもない、中庸を重んじた和の世界こそ、人々が最も求める社会です。
日本の歴史が持つ凄みというのは、まさにこの圧倒的多数を占める中間層の人たちをこそ「おほみたから」とし、その「おほみたから」の人たちが豊かに安全に安心して暮らせる社会を築く努力を重ねてきたところにあります。
ここが、人口の95%を奴隷とし、1%の人々が支配層を形成してきた世界と大きく違うところです。
ヨーロッパ型の社会は、その1%の人々の身分を固定し、その固定化された人たちだけが幸せであることを希求した社会を形成しました。
米国はこれを、誰にでも1%に入るチャンスがある社会にすることを理想に掲げ、これをアメリカン・ドリームとしました。
しかしそれが1%の人たちだけの贅沢や幸せでしかないことは、いまなお米国社会が抱える大きな問題となっています。
日本は逆の文化を形成してきました。
95%の人たちの幸せのために、1%の人たちが責任を持つという社会を形成しました。
このことは武家社会を見ても一目瞭然です。
武士たちが借金まみれであったことは、少し歴史をかじった人なら誰でも知っていることです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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勝ったか負けたか?
敵か味方か?
愛国か反日か?
戦争か対話か?
平和か混乱か?
優秀か劣等か?
非凡か平凡か?
良か不良か?
善か悪か?
上か下か?
白か黒か?
表か裏か?
全か無か?
1か0か?
︙
これら「二極思考」とか「白黒思考」と呼ばれる物の見方や考え方を数えるとキリがありません。
良い人と思われたい?
中途半端はダメだ?
子供の頃から染み付きもありますし分かり易いので、陥ってしまうこと中々抜け出せません。
相方がいつも言います。
『野菜は健康にいい!』
相方が見ているサイトの統計だと、その様に思ええます。
で…菜食に変えました。
さっぱり実感が無い?
そりゃそうですよ。
そういう方々は、菜食だけで無く、運動その他の健康維持をちゃんと実行しているのですから。
菜食だけを真似する?
それじゃダメなのです。
また、若い頃の勤め先。
労働組合に社員の平均月収が提示され、論議になった事があります。
月収100万円の重役も居れば、10万円未満のパートさんもいます。
平均月収≒20万円?
実際には全く存在しない月収が中央値でした。
『我社は至極健全だ!』
経営者はバカか!
組合は猛抗議しました。
ねずさんが仰る通り、国民意識は「平凡」が殆どだと思います。
逆に言えば「平凡の維持」が如何に大変かということでしょうか。
統計と現実…洗脳されてはいけない色々な煽りが溢れています。
要注意だと思っています。
さて、今日は大宮の青葉園に出没します。
なので「世帯平均年収」のような数字は取扱を注意する必要があります。正規分布では算術平均が概ね最頻値、中央値と一致しますが、べき分布ではそうではありません。「世帯年収の平均が400万円」というとき、「年収400万円のご家庭が最大多数派」というわけではないのです。
例の年金2000万円問題でも、あの2000万円という数値は「年金世代の平均資産」ですが、「資産」なので2000万円の世帯が多いわけではありません。にも関わらず件の報告書では平均値からモデルケースを作り出し、「資産形成」を呼びかけました(厚労省ではなく、金融庁の報告書だという点を思い起こしてください)。
政権を攻撃する野党やマスコミサイドも、「2000万円の資産を持たない年金生活者は、資産がないならないなりに年金生活を送っている」事実を無視しています。だいたい、この人たちは金融庁と金融業界が普及と恒久化を狙っている「つみたてNISA」と関係ありません(だから金融庁は焦っているわけです)。
いずれにしても小学校で習う平均(加算平均)も、けっこう取扱注意なのです。