欧米各国の植民地に置ける非白人種の子供達の扱いの話。
ハイ、勿論著者の一方的な偏見に満ちた考察ですので、読んで下さった読者の方は、エッセイの内容に付いて、ご自身でお調べする事をお勧めします。
前回、19世紀末頃から20世紀初め頃に於ける欧米での子供や動物の扱いに付いて書いて見たが、其の時の子供達は白人の子供の扱いの話だった。
自分達と同じ白人の子供に対する人権意識が薄かった時代、非白人の子供達は更にどの様に扱われて居たのか。
結論から言うと白人の子供が便利なペット感覚なら植民地の非白人の子供達は害獣扱いだった。
例えば、スペインの植民地を奪ったアメリカは1901年頃にフィリピンの独立を目指して居たレイテ島のゲリラ達に寄って襲撃を受け、48人のアメリカ軍人が死んだ其の報復として、ゲリラ達が潜伏して居ると「思われる」レイテ島の村々に住む「十歳以上」の若者や子供達を並べて銃殺した。
其の犠牲の数は、「少なくとも」2000人と言われている。
元々アメリカはフィリピンにスペインからの独立を匂わせて植民地化したのだが、それに対して話しが違うと怒って反乱を起こしたフィリピン人達を20万人以上も虐殺した。
因みに此の20万人と言う犠牲者の数はアメリカの上院公聴会で報告された数だ。
フランスの植民地で在るベトナム ラオス カンボジアでは、住民達に重税を課して税金が払えない者達は犯罪者として牢獄に押し込めた。
実際は、稼ぎの少ない老人や「子供」が狙われた。
そして監獄の中では拷問を受けて殺された。
殺された老人や「子供」の家族には、獄死を名目に葬式税を課したりもしたと言われ居る。
また現地の十歳以上の子供をベトナムのホンゲイ炭鉱で働かせると共に人頭税を課しては、更に少ない賃金を子供達から絞り取って居た。
オーストラリアのニューサウスウェールズ州立図書館の1927年付けの資料に「今日の収穫はアボリジニ17匹」と記載されて居る。
当時オーストラリアでは祭日に原住民で在るアボリジニ狩りが流行って居た様で、夜に焚き火を囲んで居るアボリジニの家族を夜襲し虐殺しアボリジニの赤ん坊を焚き火の中に突っ込んで焼き殺した何て話しも在るそうだ。
インドネシアでは敗戦に寄って出て行った日本軍の後から舞い戻って来たオランダ軍が、インドネシアのラワグデ村で一人男性と女性達を残して残りの子供を含めた男性達431人を虐殺した。
これは後にインドネシア政府が生き残った一人の男性と女性達から聞き取り調査に寄ってわかった数で在る。
しかしオランダ政府はインドネシア政府の此の調査に意義を立て独自調査に寄って犠牲者の数は150人程だと述べた。
どっちにしても殺した事は事実らしい。
2011年頃に新たに発覚したのは、カナダの先住民族で在るモホーク族の子供達の虐殺に対するイギリスとバチカンの関与で在る。
イギリスとバチカンが、1832年にカナダのプラントフォードで原住民族のモホーク族の子供達の為に開設され1970年まで運営され閉校した寄宿舎学校が有った。
しかし、その寄宿舎学校に入った約半数のモホーク族の子供達が行方不明に成って居た。
其の行方不明に成った子供達の数は多くて五万人とも言われて居る。
親達の問い合わせに当時の関係者達は知らぬ存ぜぬと言った態度だったらしいが、2010年頃に寄宿舎学校の敷地内からゴロゴロと無数の子供の人骨が出て来た。
子供の人骨には明らかに何等かの暴行を受けた後に寄る死亡が原因と思われる傷が有った様で、其の事から当時行方不明に成った子供達が拷問や虐待を受けて寄宿舎学校の関係者達に寄って殺された可能性が分かったらしく。
其の事でモホーク族の親族達は、寄宿舎学校の運営に関わって居たイギリス政府の長で在るエリザベス女王とバチカンの教皇またカナダの首相をジュネーブの国際裁判所へと提訴した結果。
国際裁判所はモホーク族の親族達の勝訴とし、エリザベス女王とバチカンの教皇とカナダの首相に有罪判決が言い渡された。
歴史とは悲しい事ですが既に終わった事です。
現在に生きる我々は歴史的な事実を一つの教訓として学ぶ事が大事なのです。
決して歴史を他者を憎んだり罵倒する為の道具に貶め無い事を此処に切に願います。
悲しい歴史、恐ろしい歴史、ムカつく歴史、色々在るでしょうが歴史は教訓以外に使うと悲しいかな争いの元に成る事が結構多いのです。