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加筆修正しました。19世紀末から20世紀始めの欧米諸国の子供や動物に対する考え方の話

作者:吉人

はい、勿論著者の個人的見解です。

エッセイ内のお話が気に成る方はご自身でお調べする事をお勧めいたします。

 昨今では、子供の権利だとか、動物愛護だとかを口にする欧米社会だが、何故に欧米社会は此処まで動物や子供の権利に煩く成ったのか。

 今回は少し其の話しに触れて見よう。


 面白い事に欧米では二十世紀の初頭まで普通に動物虐待や子供に対しての人権何て考えは無かった。

 但し一部の欧米人には子供や動物に対して慈悲深く接するべきだと言った主張をする人達も居たが、残念な事に其の多くは限られた貴族階級的な上級民であった。

 一般の下級庶民の多くには、そんな意識は微塵も無かった。


 欧米に於ける一般庶民の子供の権利や動物への愛護に関する精神などは、実際には二十世紀初め頃から末頃に掛けて形成された品物だった。


 例えば、現在の欧米人達が良く非難の対象にする犬肉食などは、現在でも一部スイスの地方に残って居たりする。

 そんなスイスの犬肉食文化を良く非難するドイツも1986年に動物愛護に関する法が出来る迄は普通に犬肉食を行って居た。


 但し、ドイツの場合は、プロイセン時代のワイマール法内で動物を不必要以上に虐待し苦しめて殺したりする事を軽犯罪として禁じていたりもしたが、庶民は普通に虐待してた。

 まぁ庶民の動物虐待が多い為に軽犯罪として法が造られたとも言えなくは無い話しだ。

 またプロイセンが滅びた後、其の後を継いだナチスが意外な事にライヒ動物保護法なんかを作って動物愛護活動に熱心だったりしたのナチスを否定する現在のドイツ社会では、ちょっとした秘密だ。


 欧州に於ける犬肉食や猫肉食などはスイスだけでは無く、普通に欧米全域で非常食と言った認識で行われて居たと言うのが事実だ。

 昨今の欧米では其の事すら忘れて、昔から動物愛護の精神が有ったかの様な言動をする一般人が多かったりもする。


 子供に対しても欧米社会は残酷だった。

 例えば、アメリカで1910年頃に成立した子供の権利に関する法以前のアメリカは、動物と子供の区別すら無かった。


 事例として1874年頃にニューヨークの里親に寄って残虐な児童虐待を受けて居たメアリ・エレン・ウィルソンを助けたのはに当時発足したばかりの動物愛護団体だった。


 メアリを虐待から救出した当時の動物愛護団体の会長ヘンリー・バークは「人間としての正義が子供に与えられないとしても、少なくとも街中に居る野良犬の持って居る権利と同じくらいは、子供たちにも与えられるべきだ」と語って居た。


 まぁ緊急避難的な処置として虐待児童を救護する為にヘンリー・バークが機転を効かせた対処なのだと思いたいが、残念な事に当時の欧米社会での子供たち現状は動物よりも扱いは酷い物だった。


 元々産業革命が発足して以来、欧米では子供達を危険な作業へと従事させて居た経緯が在る。

 寧ろ石炭の採掘で狭い坑道内での作業には、身体の小さい子供を使う方が良いと言った考えでバンバン仕事をさせて居たりする。


 お陰様で、幼い子供達が多数生き埋めに成って死ぬ事故が発生して居たが、資本家達は気に止める事も無く使い続けた。

 そう言った経緯が有りアメリカでは1910年に子供の権利に関する法が成立したがザル法だった。


 次いでにネットだとBuzzFeednewsの日本語版で「『写真』アメリカで児童労働が合法だったころの23枚」で検索すると其の当時の写真と子供達の年齢が見れる。

 1910年以降も普通に幼い子供達が働かされて居る写真も在る。

 因みに2014年頃までアメリカのタバコ農場では下は7歳くらいの子供が働かされて居た。

 笑え無い現実だ。


 兎に角、産業革命頃から児童労働は加速度的に増えた。

 元々植民地を得て収奪して居た欧米諸国は、欧米国内の第一次産業が衰退に追いやられて職を失った農民達が大挙して都市部へと流れて来て居た為に安い労働者には事欠く事は無かったのだ。

 寧ろ農村部からの流入の多さに都市部はホームレスで沸き返り捨て子などに寄って浮浪児童が増えた。


 其の為か当時のイギリスの都市部では様々なストレスを受けた浮浪児童達が、憂さ晴らしに野良猫を捕まえては虐待して遊ぶという光景が良く見られたとも言われて居る。


 まさに弱い者が更に弱い者を叩くと言った時代だった。


 余談だが、植民地から富の収奪に寄って肥太るホワイトカラーの上級階級とブルーカラーと呼ばれる下層労働者階級の二極化、当時の欧米の此の社会的な構図が、初期の社会主義思想で在るロマン派社会主義を誕生させる原因に成ったりもした。


 因みに此の時代に置いて日本を旅した欧米人の多くが、自分達の国に於ける子供たちとの扱いの違いに驚いてか、日本は子供たちに取って天国の様な国だと書き残して居る。


 そんな評判からか、当時のロシア内に於けるポーランド系浮浪児童達の救護を頼まれて、世界で唯一日本だけが棄民扱いされて居たポーランド系浮浪児童達の保護を行ったりもした。


 此のポーランド系浮浪児童達の中には、当時の日本人達の優しい対応に感激してか、戻りたく無い日本人として生きて行きたいと泣き出し懇願する子供達が続出したと言われて居る。

 何せ、ポーランド系浮浪児童を救う為に日本人看護婦さんが一人過労死した記録が在るくらい子供達の為に真剣に対応して居たのだ。


 更にポーランドへと帰った浮浪児童達を日本政府は支援し続けた。

 此の時の浮浪児童の中には後にナチスドイツに対して祖国ポーランドを守り独立させる為にレジスタンス活動をした者達も居たと言う。

 

著者の勘違い。

1910年頃のアメリカで起きたのは児童労働に関する法では無く。

児童労働に関する法の改正を求める運動で在る。


1908年頃に、当時のアメリカ内での児童労働の問題に、疑問を持った一部の政府関係者が対応する為に全米児童労働委員会と言った組織が作られて、エッセイ内で紹介した当時の児童労働者達の写真をルイス・ハイン氏に撮影する様に依頼した。


そうして児童労働問題に感心の無かったアメリカの一般庶民への啓蒙活動を行い、アメリカの労働法改正へと社会運動を始めたのが1910年頃、法では無くまだアメリカ政府の社会活動段階だった。


しかし、当時のアメリカの一般庶民の児童労働に対する問題は余り考える程の問題と捉えては居らず。

結局、児童労働に関する法の改正が成立するのは1937年頃に成ったが、此の法も児童の過度な労働や危険な作業を規制すると言った物だけで児童労働の問題を解決する効果は薄かった。

其の為にアメリカでは何度も問題が起きる度に児童労働の法の改正を行う事に成る。


2015年頃にアメリカのタバコ農場で起きた児童労働者のニコチンと農薬に寄る健康被害に関してはアメリカの児童労働に関する法の問題点を浮き彫りにした。

しかも其の後の対応では、労働法の改正では無く、企業に寄るタバコ農場での十六歳未満の労働禁止と言う企業側の規制対応だった。

今現在も児童労働に関する国際法とアメリカ国内での児童労働に関する法には大きな溝が在ると国連から指摘されて居る。


まぁ現在の日本の児童労働に関する法も児童労働に関する国際法との開きが在るのも確かで在る。


産業革命時期のイギリスでも鉱山で働く児童労働に関する法の改正が有ったが、十歳未満の児童労働を禁止したくらいで、十歳以上の児童は素で働かされた。


後書きに私の今回のエッセイでの間違いを書いて置きますね。


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