「10月1日。キャノンボール・ファストまで、あと3日か」
パソコンのウインドウ右下のデジタル時計の表示が0:00に切り替わり、新しい1日が始まる。
自室で書類作成を行っていた千冬は、キーボードを叩く手を止めて手元にあったコーヒーを一口すすった。
「今さら中止にしたいなどという希望が通るわけもないな」
学園祭で起きた騒動の後処理を考慮するという形で、本来なら9月末に行われるはずだったキャノンボール・ファストの開催は1週間延期された。
だがそれが精一杯。各国政府の目がある以上、大会そのものを中止することは叶わず、3日後には臨海地区の市営アリーナに生徒たちが集まることになる。
当日の会場は一般人にも開放される。さらに学園の外に出るとなれば、それを好機ととらえてよくない動きを企む連中が出てくる可能性は十分にある。
たとえば、それは亡国機業――とりわけその中の、織斑一夏を狙う人物。
「一夏……」
千冬の頭に浮かぶのは、彼女の知る2人の弟の姿。片方には、7年前から直接会うことはできていない。
彼が生きていたこと自体は、素直にうれしいと思う。だがそれと等しく、彼女の心には大きなダメージが与えられた。……彼を苦しめ、復讐に駆り立てたのは、他ならぬ自分の過ちが原因だと、そう考えたからだ。
7年前のあの日、一夏をひとりにしなければ――
「悔やむだけでは、何も変わらないか」
自嘲気味に笑い、千冬は再び思考をキャノンボール・ファストについてへと戻す。
とにかく、現状最優先で警戒しなければならないのは一夏の身の安全だ。狙われているのがはっきりしている以上、やはりなんとか理由をでっちあげて大会に参加させないようにするのが――
そこまで彼女が考えた時、机の上に置いてあった携帯が震えはじめた。
画面に表示された名前を見て、千冬の表情がわずかに強張る。
「このタイミングでか……」
果たして今度は何をやらかそうとしているのか。大きく息をついてから、千冬は携帯の『応答』ボタンを押した。
「何の用だ、束」
「やあやあちーちゃん、久しぶりだねえ。声が聞きたかったよ~」
「私は別に聞きたくなかったが?」
「もう、ちーちゃんは相変わらずのツンデレさんだなあ」
「……用件があるなら早くしろ。私も忙しいんだ」
電話に出るなりハイテンションで語りかけてくる束に辟易しながら、千冬は適当に言葉を返していく。
「つれないなー。せっかく束さんがいっくんのことで『私にいい考えがある!』って言おうと思ったのに」
「何?」
その発言で、千冬の表情がさらに硬くなる。
「どこまで知っている」
「ちーちゃんが知ってることは全部知ってるんじゃないかな~」
どうやって、と聞くのは野暮な話だ。彼女が知っていると言うなら、本当に知っている。それが事実なのだから。
「それで、いい考えとはどういうことだ。今度は何を企んでいる」
「企んでるとは失礼な。前にも言ったけど、私はいっくんの意思を尊重するつもりってだけだよ、ぶいぶい」
「一夏の意思、だと?」
「そうだよ」
ふざけた口調だった束の声が、少しだけ真面目な色を帯びたものに変わる。
「どのみち、女の子になっちゃった方のいっくんを助けるためには私の力が必要だよ。いっくん同士が白黒つけるためにも、私の案に乗っかるのが得策だと思うけど」
*
「はあ、はあ……」
「今日はここまでだな。アリーナの使用時間いっぱいだ」
シュヴァルツェア・レーゲンを操るラウラが地上に降りるのに従い、俺もゆっくりと地面に白式の足をつけた。
「ありがとうなラウラ。貴重な時間を割いてくれて」
「他の皆も同じことをやっているのだ。むしろ私だけしないのは逆に不公平になってしまう」
ここ2週間、俺は日替わりでいろんな人にISの指導を受けていた。鈴、セシリア、シャルロット、ラウラ、楯無さん、そして千冬姉。同時に、そのメンバーには俺の生まれのことも正直に話した。みんな驚いていたが、最終的には俺のことを今までと変わらない扱いで受け入れてくれたのだった。
「しかし一夏。無理に私たちの動きを真似ようとする必要はやはりないのではないか? お前にはお前の戦闘スタイルというものがあるのだから、下手を打ってそれを崩してしまうと後々面倒なことになるぞ」
「それはわかってるつもりだ。けど、今はとにかくいろんな動きを見て、少しでもいいから頭に叩き込んでおきたい」
「……まあ、実際にそれで手応えを感じられているようだからな。余計な世話だったか」
納得した様子でうなずくラウラ。彼女がそう言うということは、俺の動きが確かに成長している証だ。千冬姉に教えてもらったワンオフ・アビリティーの方も、結構様になってきた気がする。
「夕飯はおごるから一緒に行こうぜ。何が食べたい?」
「今日は酢豚が食べたい気分だ」
「なんだ、鈴に影響されでもしたのか?」
「そうかもしれないな。明日はラーメンと餃子にでもするか」
冗談めいた笑みを浮かべているのを見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「な、なんだ。何がそんなにおかしい」
「いや、悪い。転入してきた時と比べて、本当に変わったなと思ってさ」
初対面でビンタされて、とんでもないやつが来たもんだと感じたのが懐かしい。あのころの敵対関係から今のようになるとは考えもしていなかった。もちろん、これはいい意味での誤算だ。
「そうだな。お前のおかげだ、一夏」
「そりゃどうも」
「私はお前のことが好きだ」
「そりゃどうも……って、ええっ!?」
「恋愛感情ではないから安心しろ」
「そ、そうだよな。びっくりしたあ」
ラウラにまで惚れられたら、俺どんだけモテてるんだってことになるしな。さすがにこれ以上増えるなんてことはありえないだろう。
「お前のことが好きだから……急にいなくなったりは、絶対にするな」
「……ラウラ」
すがるように俺を見つめる瞳には、心配の色が浮かんでいた。
「当たり前だろ」
だから、俺は胸を張ってその言葉に応える。
「俺もラウラのことは好きだからな。妹みたいに思ってるし」
「そうか、なら安心……いや待て、私が妹というのは納得いかん。どう考えてもお前が弟だろう」
一瞬浮かんだ笑顔を崩して、不満げに口をすぼめるラウラ。そういう仕草が妹っぽいと言ったら怒るんだろうな。
「あいにくとこれ以上姉はいらないんだ。とびきり厳しいのがひとりいるからな」
*
今日の放課後も、箒は学園から出てあてもなく街中を歩きまわっていた。
2週間前から続けているこの行動の目的はただひとつ。もう一度マドカ――一夏と会うこと。それだけのために、彼女は疲れも気にせず常に足を動かし続けていた。もしかすれば外出中のマドカに出会えるかもしれないという、小さすぎる望みにすがりながら。
「だが、こうするしかないだろう」
無駄だ、諦めろという心の声を打ち消すように、箒の口からつぶやきが漏れる。
探し人がこの近辺にいるという保証はない。それでも、彼女と話がしたいという思いは、止めることができなかった。
このままだと、2人の一夏は必ず戦うことになる。マドカは一夏を憎んでいるし、一夏の方も次は負けないと言っていた。
だが、戦わなくて済むならそれが一番いいと箒は考えていた。2人にこれ以上傷つけあってほしくないから、そうなる前になんとかしたい。それが彼女の行動原理である。
「神社の方に行ってみるか」
マドカと夏祭りを一緒にめぐった、篠ノ之神社に足を運ぶ。もしそこでも見つからなければ、今日の捜索はここで打ちきりだ。
だが、鳥居が見えるところまで来たところで、箒はそこに人影があることに気づいた。
「まさか……!」
足に無理を言わせて、全力でその人影に向かって駆けていく。距離を詰める中で、箒はそこにいるのが自身の目当ての人物だと確信した。
「――一夏!」
叫び声に振り返ったマドカは、箒がそこにいることが信じられないといった様子で呆然としていた。
「……参ったな。興味本位でここを訪ねるべきではなかった」
「一夏。よかった……会えてよかった。ずっと、探していたんだ」
「私はもう織斑一夏ではない。その名はあの出来損ないのものだ」
息を切らしながら語りかける箒に対して、平静を取り戻したマドカは淡々とした口調で答える。
「そんな……でも、私のことはちゃんと覚えていてくれたじゃないか。このかんざしだって!」
ポケットに入れていたかんざしを取り出した箒は、マドカに向けてそれを突き出す。
「私がこれを失くした時、お前は一緒に探してくれた。結局あの時は見つからずじまいだったが、お前はその後もひとりで諦めずに探して、見つけてくれた。そうなんだろう?」
7年前に見つけた他人のかんざしなど、捨ててしまっていてもおかしくない。なのに、マドカは夏休みのあの日まで大きな傷もつけずにそれを保管し、わざわざ持ち主に返すことまで行った。
彼女の中には、きっとまだ一夏が生きている。そう思ってしまっても、仕方がないのではないだろうか。
「夏祭りの時もそうだ。あの時お前が言ってくれたことが、全部嘘とは思えない」
『ご利益のありそうなお守りをもらえてうれしいよ』
『君は魅力的な女性だと、そう思ってね』
『なら、私が君の恋人になるというのはどうだ』
『狙い? ふふ、さてな。篠ノ之箒と一緒に花火を見ようと思っていた、というのはどうだ』
『先ほどの君の舞は、なかなかに美しかったな』
どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。それを教えてほしいと箒は願う。
「ずっと何も知らずにいた私に、こんなことを言う資格がないのはわかっている。だけど、それでも言わせてくれ。……また、昔みたいにやり直すことはできないのか」
そして何より、彼女はマドカが自分や千冬のそばに戻ってくることを望んでいた。
「………」
必死の表情で思いをぶつける箒を無言で見つめていたマドカは、しばらくたって大きなため息をついた。
「どうやら、はっきり言わないとわからないらしいな」
声のトーンが下がり、箒を睨みつける。
「俺は、お前を切り捨てたんだよ。箒」
「一夏……?」
「考えてもみろ。俺が奴の前に現れ奴がクローンであることを告げれば、それが遅かれ早かれお前に知られ、お前を傷つけることになるのはわかりきっていたんだぞ」
その言葉はマドカのものではなく、紛れもなく織斑一夏としてのものだった。
「にもかかわらず、俺は自らの復讐のためにそれを行った。わかるか? 俺はお前の心よりも、俺自身の醜い欲望を優先したんだ」
「それは! ……そうなのかもしれないが、だが!」
「箒。お前が愛する織斑一夏は誰のことだ? 今IS学園にいる男か、あるいは記憶の中の小学生の男の子か。もし後者なら、そんな人間はもうこの世には存在しないんだよ」
そう吐き捨てるように言うとマドカは踵を返し、足早に神社から去ろうとする。
「ま、待て!」
「話は終わりだ。これ以上食い下がるようなら、私も君に危害を加えなければならなくなる」
明確な拒絶だった。話し方をマドカのそれに戻した彼女は、箒の言葉に応じることはなかった。
「一夏……!」
遠ざかる背中を見つめながら、箒はがくりと膝をつく。脚が疲労を訴え、立ち上がることを拒否していた。
「それでも、私は……」
――お前を、諦めきれない。
*
「珍しいな。千冬姉が俺の部屋に来るなんて」
風呂に入ってさっぱりした後部屋で少しのんびりしていると、控えめなノックの音が扉から聞こえてきた。応対したところ千冬姉だったので、早速部屋に入れてお茶を準備している最中だ。
「お前に、聞いておきたいことがあったんだ」
「聞いておきたいこと?」
日本茶を出しながら、千冬姉の言葉を反復する。わざわざ部屋に来たということは、誰にも聞かれたくない話である可能性が高い。
「単刀直入に言うぞ。お前は、あいつ……マドカを、どうしたいと考えている?」
「どうしたい? 悪い、ちょっと質問の意図がつかめないんだが」
「……例えばだが、憎いから痛い目に遭わせてやりたいとか、そういうことだ」
つまり、俺がマドカのことをどう思っているか、あいつに対して何を望んでいるかを尋ねてるってことでいいんだろうか。
「それはだな……」
不安げな表情の千冬姉を見て、はたして思っていることをそのまま口にしていいものかと少し悩む。
「正直に答えてくれ」
……まあ、誤魔化したところで仕方のないことではあるか。
「そりゃあもちろん、次に戦う機会があったら絶対勝ちたいさ。今まで好き放題やられた分、3倍返しくらいで」
「そうか……」
「で、その後は千冬姉と箒の目の前に引きずり出す。俺がやることはそれだけかな」
その言葉に、千冬姉の表情がしばし固まる。
「……それだけか」
「ああ、それだけ。あとは煮るなり焼くなり2人に任せるよ」
あいつは千冬姉の弟で、箒の幼馴染だ。どう処分するかは、あいつに近しい人に決めてもらうのが一番だろう。
俺自身がこの戦いに求めているところは、また別の部分だしな。
「約束する。俺はあいつに必ず勝つ。勝って、あいつをもう一度千冬姉に会わせてみせる」
「そうか」
2回目の『そうか』は、先ほどとは違い少し力がこもったものだった。
「一夏」
弱々しげな顔つきは消え、千冬姉はいつもの毅然とした表情を俺に向ける。
「大事な話がある。束から聞かされた話だ」
一気に2週間飛ばして10月の頭まで持ってきました。一夏の誕生日をスルーしていますがそれについては後々補足します。
余談ですが、僕は鈴の次にラウラが好きです。
では、次回もよろしくお願いします。