「ちょっとどいて!」
「すまない、急いでいるんだ!」
人混みを押しのけ、鈴と箒は第6アリーナまでの道を一目散に駆け抜ける。
「一夏……!」
たまたま2人で一緒にいた時に、楯無からプライベート・チャネルによる通信が入ってきたのが5分前のこと。本来校則で禁じられているはずの『ISの一部機能の使用』を行ってきた生徒会長に疑問を抱いた鈴たちだったが、話を聞き終えた瞬間にはすでに体が動き出していた。
走って、走って……人がまばらになってきたところで、ようやく目的地がはっきりと視界に入る。
「はあ、はあ……」
息は乱れているが、そんな些細なことは気にしていられない。目配せだけで互いの意図を理解した鈴と箒は、それぞれの専用機を呼び出し、そのままアリーナ内部のピットを経由して中央のステージへ突入した。
「一夏っ!」
最初に見えたのは、白式を身に纏った一夏が呆然と空を見上げている姿。そしてその視線の先、数メートル上空のところで、イギリスの第三世代型が悠然と浮かんでいた。他にISはいないところを見るに、別の場所にいたセシリアたちはまだ到着していないようだと鈴は判断する。
「マドカ……!」
隣で『雨月』を構えた箒が、戸惑いを含んだ声でサイレント・ゼフィルスの操縦者に呼びかける。話に聞いた通り、確かに彼女の顔立ちは千冬のそれによく似ていた。
「……お前たちか。この男の危機にすぐさま駆けつける気概は立派なものだが、一足遅かったようだな」
鈴と箒の存在に気づいたマドカは、慌てる様子もなく2人の方へと視線を向ける。
「なんですって……?」
彼女の発言に言い知れぬ不安を抱いた鈴は、そこで初めて一夏の様子がおかしいことに気づく。
「一夏……?」
まず、今この場に味方が2人加わったということに気づいていない。鈴と箒には一瞥もくれず、虚ろなその目は焦点が定まっていないように思えた。
「どういうことだよ」
オープン・チャネルから、一夏の生気の抜けたような声が聞こえてきた。ただごとではないと感じた鈴は、すぐさま彼のもとへ向かおうとして。
「俺がお前のクローンって、どういうことだよ」
その言葉に、思わず体が固まってしまった。
「は……?」
「クローン……だと?」
発言の意味が理解できず、鈴も箒も呆けたように一夏と……そしてマドカを見つめる。
「どういうことも何も、先ほど話した通りの意味だ。もともと織斑一夏として生きていたのはこの私で、貴様はそのコピーにすぎない。それだけのことだ」
淡々と、まるでそれが事実であるかのように答えるマドカ。
そんな彼女の言葉を否定するために、鈴は声を張り上げる。
「何馬鹿なこと言ってんのよ! そんなデタラメ、信じるわけ――」
「デタラメだという証拠がどこにある? 凰鈴音」
こちらを小馬鹿にしたような口調で、マドカは鈴に語りかける。
「アンタ、あたしの名前……」
「知っていても不思議ではないだろう。仮にも君は代表候補生、加えて織斑一夏の近くにいる人間だ。……まあ、君は何も気にする必要はない。私が偽物にとって代わられたのは9歳のころだ。ゆえに、今まで君が接してきたのは最初から最後までそこの出来損ないだよ」
鈴が一夏と出会ったのは小学5年生のはじめ、つまり10歳の時。マドカの言うことが本当なら、彼女と鈴はこれが初対面ということになるのだろうか。
だが――
「待て。だとしたら、マドカ……お前は……そんな、そんなことが本当に……?」
途切れ途切れの言葉が、箒がどれだけ混乱しているのかをはっきりと示していた。
彼女が一夏と出会ったのは小学1年生のころ、別れたのは4年生の終わりだと鈴は一夏から聞かされている。つまりそれは、箒が知っている織斑一夏が2人存在するということ。
「とても信じられない、といった反応だな」
顔面蒼白な箒を見て目を細めつつ、マドカは再び一夏へと視線を移す。
「だが、事実だ」
その時、異変が起きた。
「な、なんだ。なんだよこれ……」
一言漏らしただけであとは黙り込んでいた一夏が、急に何かに怯えるかのように後ずさりを始める。
「知らない、俺はこんなの、知らない」
「一夏! ねえ一夏ってば!」
今度こそ一夏のもとまでたどり着いた鈴は、そこで彼の異常な様子に背筋を凍らせる。はっきり見える体の部位は顔だけだが、流れる汗の量が尋常ではない。頬は引きつり、瞳はこれ以上ないほど恐怖の色を浮かべている。
「アンタ、一夏に何をした!」
「忘れさせられていた記憶を掘り返してやっているだけだ。都合のいいことに、私にはそれができるだけの力がある」
「なっ……」
そんなことが可能なのか、という疑念が脳裏をよぎるが、今気にかけるべきは一夏が苦しんでいるという事実だ。手段を問うている場合ではない。
「今すぐやめなさい!」
「無理だな。私は奴の苦しむ姿を見るためにここまで来た。これはささやかな復讐ということだ」
「知らない。俺は、ああ、あ……」
これが、ここまで一夏を追い込むのが『ささやかな』復讐だと、マドカは表情を変えることなく言い切った。
「……やめなさいよ。一夏は、こいつは何も知らなかったんでしょう? 確かにアンタにとっては許せない相手かもしれないけど、だからって!」
彼の怯える姿を見ているうちに、鈴の心にはふつふつと怒りの感情が湧いてきていた。
マドカの言葉が真実で、ここにいる一夏がクローンだとしても……一夏自身は、何の自覚も持っていなかったはずだ。夏休みにマドカの存在に戸惑っていた様子に嘘偽りは見受けられなかったし、今この場で事実を突きつけられて混乱しているのが何よりの証拠だ。
事情をすべて把握したわけではない。むしろわからないことだらけだが、それでも鈴はなんとかしてマドカを止めなければならないと考えていた。
真に責められるべきは何も知らなかった一夏ではなく、こんな状況を作り出した連中のはず。だというのに、これ以上彼を苦しめるというなら、それは――
「八つ当たり、とでも言うつもりか」
鈴の考えを見透かしたかのように、マドカは彼女の言葉を途中で遮る。
「く、くくっ……ハハハ」
そして何がおかしいのか、くぐもった笑い声がその口から漏れだした。
「君の言う通りだよ、凰鈴音。これは紛れもない八つ当たりだ。だがそれがどうした? あいにくと私は悪人でな、今さらそんなことに罪の意識を感じたりなどしない」
無表情だったマドカの顔つきが愉悦に歪む。狂気さえも感じられる彼女の笑みに寒気を覚え、鈴は思わず後退する。
「私を誘拐した組織の正体はいまだ不明。ゆえに復讐しようにもそのやり方がわからない。だからといって、感情のはけ口を用意しないわけにもいかなかった。なぜ私がこんな劣悪な環境に置かれなければならないのか、なぜ女になる以外に生きる道が残されていなかったのか! ……だから見える対象を憎むことにした。そうしなければ、何かを悪とみなさなければ、自分を保っていられなかったからだ。織斑一夏は私の生きる原動力であり、同時にこの世で最も忌むべき存在なのだよ」
「………っ」
マドカの意思の大きさが、ひしひしと感じられる。これほどまで強い悪意に、鈴は相対したことがなかった。
だが、いつまでも気圧されていてはいけない。隣で苦しむ少年を、これ以上放っておくことはできないのだ。
「やめなさい」
「止めようと思うのなら、実力行使に出ることだな」
「っ! やめろって、言って――」
もう限界だと、双天牙月を取り出した鈴が空中に飛び出そうとした時だった。
「やめろっ!!」
オープン・チャネル越しに飛び込んできたその叫びに、鈴だけでなくマドカも硬直した。
「もう、やめてくれ……!」
声の主は、先ほどから呆然と立ち尽くしていた箒だった。拳を握りしめ、今にも泣き出しそうな表情でマドカを見上げている。
「………」
しばし、2人の視線が交錯する。
そのうちに、鈴の背後から大きな音が近づいてきた。
「一夏さん!」
「無事か!」
振り返ると、すでにISを展開したセシリア、ラウラ、シャルロットがステージに乗り込んできたところだった。3人の視線は一夏、鈴、箒と動いていき……最後に、侵入者であるマドカを捉える。
「……興醒めだな」
瞬間、サイレント・ゼフィルスは上昇を始め、BTライフルと6機のビットをある1点に向ける。
「まずい!」
いち早く反応したラウラの声で、鈴もマドカの狙いに気づく。彼女の射撃の標的はアリーナのシールドバリヤー。そこに強引に穴を開けて逃亡するつもりなのだ。
逃がすわけにはいかないと、龍咆に意識を集中させて砲撃を放とうとする。
「え……?」
だが、撃てなかった。一刻を争う事態だというのに、一瞬『撃つべきでない』という不可解な思考が頭に浮かんでしまったのだ。
そして、それはラウラたちも同じようだった。全員唖然とした表情で、武器を構えたまま動きが止まっている。
……ワンテンポの攻撃の遅れは、侵入者の逃走を許すには十分だった。
*
それは、今まで見たこともない映像だった。
まだ小学校中学年くらいの体つきをした俺が、裸のまま知らない大人たちに囲まれている。……いや、2人だけは知っている人間だった。白衣に身を包んだ男と女は、記憶の奥底に眠る両親の姿と一致していた。
やがて俺は小さな部屋に移され、そして――
*
いつの間にか太陽は沈んで、代わりに満月が夜空に昇っていた。
「………」
気がつけば、俺は保健室のベッドの上に寝かされていた。マドカと会って、話を聞かされて、証拠とばかりに知らない記憶を見せつけられて……その後のことは、よく覚えていない。
「目が、覚めたか」
顔を横に向けると、椅子に座った千冬姉が俺を見つめていた。
「1時間ほど前に学園に戻ってきた。それまでこの部屋には箒や鈴音たちがいたのだが、私ひとりにさせてもらえるよう頼んだ」
「……どうして」
「昨日伝えた通り、大切な話があるからだ」
そういえば、そんなことを言っていた気がする。
昨晩の電話でのやり取りを思い出して、そして気づいた。今、このタイミングで話を切り出すということは、つまりその内容は。
「……千冬姉は、知ってたのか? 俺が、本物の織斑一夏じゃないってこと」
何時間か眠ったからか、不思議と思考は落ち着いている。だけどそれとは裏腹に、俺が発した声は呆れるくらいに震えていた。
その問いに、千冬姉は一度目を伏せてから、
「知っていた」
はっきりと、答えを口にした。
「私たちの両親は、科学者……それもかなり過激な思考を持った人たちだった。私が生まれたころはそうでもなかったようだが、時が経つにつれ次第に生物研究に没頭していき、恐らく法に触れるような人体実験も何度か行った」
淡々と過去を語る千冬姉。俺にはそれが、どこか感情を押し殺しているように感じられた。
「ある時彼らは、女性の遺伝子から男性のクローンを作り出そうという試みを始めた。なぜそんな考えに至ったのかまでは把握していないが、とにかくその結果生まれたのが織斑一夏という赤ん坊だった」
……ということは、本物の織斑一夏も模造品だったのか。
俺は、コピーのコピーという存在にすぎないのか。
*
「弟が自分の遺伝子から作られたことは聞かされていたが、私はそれを気にすることはなかった。大事な弟として、一夏に接し続けた」
――なんと説明すればいいのだろう。
「10年前、両親は突然私たちの前から姿を消した。理由はわからない。ただひとつ、これからは2人で生きていかなければならないという現実だけがはっきりと突きつけられた」
なんと謝ればいいのだろう。
「束と知り合い、やつがISを誕生させた。私も一連の騒動に一枚噛んでいたのだが、何より優先させたのは弟の存在だった。……その、つもりだった」
ずっと、目の前の少年をだまし続けてきた。
「7年前、両親に関する情報が私の耳に入った。ISは女性にしか扱えないと言われているが、本当にその定義が正しいかどうかはわからない。女性の遺伝子から作られた存在ならば、あるいはISを動かせるかもしれない。それを確かめるために、彼らと彼らの仲間が一夏のクローンを作って実験台にしようとしている――端的に説明すれば、そういった内容の話だった。『これ以上、両親に非道徳的な真似はさせたくない』……安っぽい正義感に乗せられて、私は彼らを止めるために動いたんだ」
まだ、懺悔の言葉を口にすることはできない。一度感情を表に出せば、きっと止まらなくなってしまう。すべてを語り終えるまでは、なんとか抑えていなければならないと、千冬は自らに何度も言い聞かせる。
「おそらく、両親たちとは別の組織が意図的に情報を流したのだろう。束の手を借りて私が研究所に乗り込み一夏のクローンを助け出している間に、自宅にいたはずの弟が忽然と姿を消していた。罠にはめられたと気づいた時、私は目の前が真っ暗になったように感じた」
ベッドの上の一夏の顔を、直視することができなくなってきた。
「私がISを使って研究所に乗り込んだ際の騒動の中で、いつの間にか両親は命を落としていた。不可解な死に方だったが、真実を明らかにすることはできなかった」
あれも、一夏を誘拐した組織の手によるものなのか。今となっては確かめる手段はない。
「私が研究所から連れ帰った一夏には、本物の一夏の記憶が詰め込まれていた。おそらく容易に記憶のバックアップが取れるよう、両親が前もって一夏の脳に細工を施していたのだろう。まだ生まれたばかりのはずの少年は、自分が知らないうちに何者かに誘拐され、それを姉である私が助けてくれたのだと信じ込んでいた」
罪の意識に押し潰されそうになりながらも、千冬は口を動かし続ける。それが、彼女に課せられた絶対の義務であるから。
「もし彼がクローンであるという事実を突きつければ、幼い彼の精神は崩壊してしまう恐れがある。束にそう指摘された私は、悩んだ末に彼の織斑一夏としての記憶を保持していくという結論を出した。後になって不審がられないように、研究所での出来事に関する記憶を消し、そして彼は私の弟になった」
これまでずっとひた隠しにしてきたことを打ち明けた千冬は、そのまま深く頭を下げる。
「お前が高校を卒業したら……すべてを受け入れられる年頃になったら、本当のことを話すつもりだった。それが、こんな形で知られてしまうなんて……すまなかった」
ぽろりとこぼれた謝罪の言葉。それと同時に、溜めこんでいた感情がせきを切ってあふれ出す。
「すまない、すまない……! 全部、私が愚かだったからだ。もっと早く、お前に事実を伝えるべきだった! 恐れている場合ではなかった……。そのせいで、お前にこんな辛い思いをさせてしまった。本当に……ごめん」
涙を流す資格が、今の自分にあるのだろうか。そう思いつつも、千冬の目からはとめどなく透明の液体が流れ続ける。
「……ひとつだけ、言い訳をさせてくれ。私は確かにお前が本物の織斑一夏ではないことを知っていたが……それでも、お前を本物の弟だと思っているのは本当だ。これだけは信じて欲しい」
「……そうか」
千冬の話を聞き終えた一夏は、消え入るような声でそうつぶやいた。
「……そうか」
姉を見つめる弟の表情は、どこまでも無機質なもので。
一夏が今、何を思い、何を感じているのか。千冬には、それを読みとる術はなかった。
ここにきて後書きに特に書くことがなくなるという事態。
とりあえず、次回もよろしくお願いします。