海のむこうの友だち

日本語社会が、もう20年以上、変わろうとしているのに、どうしても変われない社会なのだということは、すっかり有名になっていて、どうかすると高校生たちが学校の帰りに屯するバス停のそばを通りかかるときに聞こえてきたりする。

例えば、Google でjapan lost scoreくらいの検索語でも、ずらずらと、主にはLost Decadeから10年以上経ったが、まだ続いているので付け加えておきます、というような投げ槍な形で書かれた記事があらわれる。

他国の議会で「日本のようになってしまったら、どうするつもりか」とまで、最大の侮辱の言葉として使われて、首相を激昂させたりしていて、日本こそ、いい面の皮である。

しかもLost Decadeは、いつのまにかLost Scoreになって、世が世になれば、Lost Centuryになるだろうと、ごく普通に信ぜられている。

そのことには、たくさんの理由がある。
あるいは、後で述べるようにひとつの理由しかないのかも知れないが、少なくとも表層では、無数の理由がある。

日本はもともと明治時代の昔からマスメディアがジャーナリズムとして機能していない国であることは、このブログで何度も述べている。

メディア鏡
https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/12/08/mirror-2/

鏡よ、鏡
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/

そのために、日本の人が乗り合わせた列車の車窓から眺めて、「案外、日本と似たようなものだね」

「あっ! あんなに一生懸命手をふってくれている! やっぱり、世界中の人が日本に憧れているんだね!」

と楽しい気分にさせてくれる「海外」という風景は、書割というか、背景っぽく見せてある動画にしかすぎない。

政府のほうも心得たもので、マスメディアという魔法の箱を使えば、どんな「現実」もつくってしまえるのを知っているので、福島第一事故は完全にコントロールされていることになり、お隣の韓国は一方的に言いがかりをつけてくる国で、「我が国は毅然として対応している」ことになり、国債を国内調達にほぼ限定するという個々の国民に対する悪意そのもののような異常な財政政策によって、(当たり前だが)、気息奄々にまで追い込まれた国民ひとりひとりは、戦後最大の好景気を享受していることにされてしまっている。

では、希望はどこにあるか?

どこの国でもインターネットがマスメディアの機能が失われた場合のゆいいつの希望なのは、よく知られているが、

ところが、ところーが。

日本では、このインターネットがうまく機能しなかった。

言論多様性発生装置であるはずのネットが、逆に、相互監視装置として働くことになった。

半七捕物帳は、岡本綺堂が書いた、滅法おもしろい推理小説だが、この「目明かし」という職業なような職業ではないような、余得だけで暮らしてるんじゃないの?と疑いの目を向けられるような私設警察は、現実であれ非現実であれ、長屋の差配と組んで町内の相互監視に眼を光らせていたことになっているが、日本語ネットは、その大規模化された「相互監視お化け」のようなものになってしまった。

国民性とのケミストリが悪かったというか、なんというか。

その上に例えば「はてな」という会社などは、多分、トライポッド世代のコミュニティモデルにヒントを得たのでしょう、ビジネスとしてコミュニティモデルを採用してしまったので、いよいよ日本語を覆う巨大な「村」を出現させてしまって、集団bullyingの出撃基地のような奇妙なことになってしまった。

日本語にだいぶん飽きてきてしまったのだとおもう。
日本語記事を書こうとおもってiMacに向かっているのに、いつのまにかスペイン語の友達と話し込んでいる。

中国語のサイトに溺れて、中国語の勉強を始めてしまっている自分を発見する。

そもそも英語の世界は、もう飽きたとおもって

N’importe où! n’importe où! pourvu que ce soit hors de ce monde!

母子相姦をおもわせるほど母親を溺愛していた詩人のマネッコで考えて、日本語にやってきたはずなのに、固く「日本語のみ」と誓ったtwitterでさえ、いつのまにか英語でテキトーを述べて息抜きにしている。

自分で考えても、「こりゃ、そろそろ日本語は続かないね」と考えます。

なにしろ日常で日本語を使うということがまったくない。
昔は叔母の夫が日本人で、この人と日本語でときどき話せたが、最近は、昔のおっそろしい古代英語話者が別人であるみたいに達者な英語を話します。

相変わらず日本語でカタカナになっている英語部分がカタカナ発音にぐっと引き寄せられるのがご愛敬だが、ときどきなどは「おおっ!?」とおもうような英語表現まで会話に顔を出すようになった。

そうなると、ナマケこそものの道理なれ、めんどくさいので英語ですますことになる。

この二週間で耳にした日本語がモニさんにI love youと述べると返ってくる
「まいどー」だけだというありさまになっている。

どうもやめちゃいそうだなこれは、とおもって、日本語がくれたものへの恩返しということを考えていて、いったいどういうつもりなのか、ここ10年、しばしも休まず鞭打つ響き、しつこくしつこく、初めの数年は毎日、最近は間歇的な集中攻撃は別として、なんの脈絡もなく、「ガメ・オベールがウソツキなのは当然のこととして知られているが」とやっている能川元一という人と、そのはてなトロル仲間のことを思い出した。

このひとたちのやりかたは古典的というか、2ちゃんねる掲示板で流行した集団攻撃の踏襲で、責任をとらされたり、相手からの反撃を避けるために別名の他人になりすまして、あるいは匿名で、めちゃめちゃな悪罵をつくして、相手が自分がつくった低い沼地にひきずりこまれると、突然、本来の自分の名前の発言者に戻って、もともとは相手が立っていた高みにするりと入れ替わって、嘲笑する。

集団で役割が分担されていて、右側のトロルに向かって抗議していると、突然、後ろから背中を蹴られる。

トピックに関しても「目眩まし」という基本はおなじで、女の人の権利がないことを述べて、あまりに反応がひどいので、不愉快で、ぶわっかたれめがの記事

日本男児の考察

https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/14/japanese_men/

を書くと、まるで違う方角のニセガイジン攻撃が始まる。

うるさいので、あとで、とても後悔したが、日本語で書いた記事を英語の記事

Wailing about whaling

https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/06/05/wailing-about-whaling/

に変えてやると、「イギリス人の友達をもつ翻訳家」だという人がはてな匿名ブログだかなんだかで、「こんなものは高校生の英作文」だと折り紙をつけてくれる。

そういうひとびとの存在を思い出して、どうせ、まだやっているだろう、と考えて見てみたら、おりしも他の人と論争ちゅうで「ガメ・オベールがニセガイジンだというのは証明された事実です」と書いてあって、瞬間湯沸かし器より早いジュワッチ・テンパーで、具合よく、都合悪く、脳内で膅発が発生した。

日本語へ恩返しのつもりが、ワープして、いきなり日本語を完全にやめることになった。

そのあとに起きたことをみんなは見ているのです。

「わたしは、こんなことは許さない」と初めに、ためらっているような、女の人の声がした。
本人は気絶しているようなものなので、なんとなく伽藍の反響めいた、遠くから聞こえる声です。

それから「ぼくも、こんなことを許しておきたくない。ぼくはガメの日本語を聴いていたい。どうして、こんなトロルたちに邪魔されないといけないんだ」

初めは風で揺れて偶然弱々しく鳴った鐘の音のようなものだった。

そこから、だんだん、声から声へ、それがやがてふたつになり、みっつになり、
数日すると町中の教会の鐘が鳴り響くように、
「こんなことは許さない」という声が響きわたりはじめた。

人間がわがままを極めているので、ふだんは、自分に友達がいることを忘れている。

あまつさえ、「友達なんか、いらん」と言ったりする。
とんでもない奴であるとおもう。
第一、小さい声でいうと、いま集団トロルに分け入って激しく戦っている友達たちの誰もが、いちどは、そのヘンテコなブログを書いているやつにtwitterではブロックされたことがあるのではないか。

オランダの独立運動を粉砕しにやってきたスペイン軍は、戦争開始よりもなによりも前に、正面に並ぶオランダ人たちの「軍装」を見て、涙を流して、腹を抱えて大笑いした。

オランダ人は、全員が戦闘などには何の経験もない鍛冶屋やパン屋、大工やおかみさんの集まりで、盾の代わりに鍋蓋をもち、槍のかわりには鋤を抱えていた。

それでも、戦闘を専らにする職業的なスペイン軍と休戦をはさんで、1568年から1609年まで、闘争がからっぺたな市民たちは、負けずに、スペインという当時の強大な組織化された悪意と戦った。

お友達たちは、正直に述べて、見ていられないくらい争いが下手です。
相手が「おれが正しいんだ、バカ」と言うと、立ち止まって「あれ、おれ、バカなのかな?」と自問してしまう。

なかには結婚詐欺師みたいに巧妙に「誠実な論者」を装うのがうまいトロルがいて、言わでものことを述べて、次の瞬間、足首をつかまれて引き倒されて臍をかむ。

集団bullyのボスの口癖が「おまえらみたいなバカ」であるらしいが、なるほど悪人からみれば自省的であるだけ善人は常にマヌケに見えるのだということが、よく判る。

この「てんでばらばら叛乱」には、おもしろいところ、というか、いままでの日本語世界ではついぞ見かけなかったことがあって、リーダーもいなければ、旗振り役もいない。
相手が猛烈に悪意を浴びせている最中に立ち止まって昨日の昼ご飯の話をしている。

えっ? 天津飯が1200円って、高いんじゃない?

参加しない人もたくさんいて、理由は「あんなトロルたちは見たくもない」とか「薄気味悪くて苦手」「見ているだけで不愉快なのに口を利くなんてとんでもない」だが、「参加してくれないと困るではないか」という人は誰もいない。

「ぼくは、いま時間があるからやる」
「やりたいからやっている」

という人ばかりで、一致団結、ボスの命令一下、口裏をあわせて一糸乱れぬ攻撃をみせる集団bullingのはてな人たちとは良い対照をなしています。

ときどき見ていて、素人と玄人の差があるから、勝ち負けでいえば、やっぱ負けるよね、とおもうが、あのね、ほんとは、負けてもいいんじゃないかと思っているの。

日本が20年も停滞している理由を、この上ないくらい、くっきりと浮き彫りにしてしまった。

年長の哲学者の友が、誰にも、頼まれもしないのに、えっこらせと腰をあげて、相手のボスを(嫌な言葉だが)論破する。
その次に起きることは、しばらく鳴りをひそめていて傍観者に脈絡がつかなくなったころを見計らって、真に驚くべきことに、話を振り出しにもどす。

自分がどうにもこうにも言い訳ができないほどデタラメな理屈に立っていたことを悟らされると、それはなかったことにする。

ありとあらゆるものごとを堂々巡りに追いやって停滞させるテクニックを持っていて、フルに活用して、相手を疲労困憊させ、あまりのことにうんざりして立ち去ると凱歌をあげる。

結局、日本の社会で、この20年、近所で、職場で、学校で、あらゆるところで起きてきたことを、いっそ戯画化してステレオタイプ化したように見せているわけで、戦いにくわわらない友達たちからの長いemailやtwitterのダイレクトメッセージを見ても、どの人も過たずに可視化されたものを判断して、事態が当初自分たちが思っていたよりも遙かに本質的で重大であることを理解しているようです。

それについて本を書く、と述べる人や、自分はドキュメンタリ作家だからドキュメンタリで同じテーマを追ってみるという人、編集者の人、大学人、それぞれの居場所でやれることを探している。

場所によって、得意とすることが異なって、実際にやることも異なるが、それぞれの立場で「倒さなければならない敵」が、どんな仕組みになっているのか、はっきりと可視化したのは、もともとは「ただ見知らぬ誰かが書いたブログ記事を読みたかった」というだけの、言ってしまえば「烏合の衆」で、なんだ、烏合の衆って、すごいんじゃないか、と考えました。

このあいだね、キューバンサンドイッチを買って、ポットに詰めた紅茶をもって、海辺に行ったんだよ。
いつもとは違う北北西に面した海辺に行った。

この海を、ずうううううっと行くと、みんながいる日本なんだなあ、とクリシェの、チビコが考えそうなことを考えた。

いいとしこいて、初めて、友情とはなんと不思議なものだろうと思います。

会えるかな、いつか。
いや、もう会っているんだ。

冬の冷たい空気のなかで、手のひらをあわせて
ぬくもりを感じている。

ありがとう!

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