「おっす。今日も頑張ってるんだな、更識さん」
――またこの男か。
8月に入って1週間。陽射しがますます厳しくなっている今日この頃、更識簪はひとりの男子の存在に頭を悩ませていた。
「………」
整備室に入ってくるなり馴れ馴れしく声をかけてきた彼に対し、彼女はいつものように無言でコミュニケーションの拒否を示す。
「まあそう冷たくしないでくれよ。今日はちょっと聞きたいことがあるんだ」
夏休みに入って以降、彼から話しかけられる機会が明らかに増えていた。ほとんどの場合、整備室で専用機の調整を行っている簪のもとに現れた彼が、友達に対する挨拶のような感じで何かを言ってくる。
今までなら、簪が返事をしない時点でその日における彼からの接触は終わっていたのだが、今回は少し勝手が違うようだ。ディスプレイをあちこち触っている彼女の近くに腰を下ろした少年――織斑一夏は、ペラペラと手に持っていた教科書のページをめくり始める。
「ほら。教科書のこの辺に書かれてることなんだけどさ」
「……質問があるのなら、私じゃなくて他の人に聞けばいい。……立花さんとか」
彼に対して言葉を返すのはいつ以来だろうか。おそらく初めて会った6月下旬のあの日の他には、まともに会話したことはなかった気がする。
「立花さんは他の仕事で今日は来れないんだ」
「……なら、代表候補生の人たちに」
「鈴もラウラも他のみんなも帰省中だ」
「先生に……」
「職員室ってなんか行きづらいよな」
「……最後のは、理由になってない」
「いや、共感できないか? 学生にとって職員室の扉がすごく大きく感じるあの現象。わからないことがあれば先生に聞けばいいのにわざわざ友達に聞こうとしてその友達も説明できなくて余計に回り道する羽目になったりしたこととか、ない?」
「………見せて」
妙に実感のこもった一夏の話に共感はできないものの、これ以上拒否していても面倒な会話が続くだけだと考え始めた簪は、渋々ながら彼の依頼を受けることに決めた。
「ありがとう。ここなんだが……」
「……これ、授業の内容よりも進んだところ……」
入学時、織斑一夏がISに関する知識をまったく持っていなかったという噂は他クラスの生徒である簪の耳にも届いている。それゆえ、その一夏が教科書の後半部分にあたる箇所についての質問をしてきたことに少し驚いたのである。
「そうなんだけど、予習も兼ねて教科書をざーっと読んでた時に引っかかったんだよ。一応、疑問に感じたことは早めに解決しておいた方がいいと思って」
「……そう」
代表候補生として、簪は授業で習っている部分以上の知識を当然持っている。そして、彼が今尋ねてきた箇所は彼女自身も以前につまづいたところだった。悩んでも納得がいかず、気分転換に趣味のヒーローアニメ鑑賞を挟んだ後、しばらくしてようやく理解できたと記憶している。
……なので少しだけ、親近感のようなものが湧いていた。
「ここは――」
教科書の別のページを指し示したりしつつ、手短に解説を行う。口下手な自分の説明が果たしてうまく伝わるのかと若干不安に思っていた簪だが、一通り話を聞き終わった一夏は心底納得がいったという風な表情をしてくれたので、その心配は杞憂だったらしい。
「なるほど、そういうことだったのか! サンキュー更識さん、おかげで疑問が解けた」
「そう……なら」
「ところで、倉持技研に協力してもらう気にはなったか?」
話は終わり、と言おうとしたところで、一夏に先手を打たれてしまった。
「………」
彼がそのことについてずっと話したがっていたのは、容易に予測できる。倉持技研の社員である立花葵から専用機の開発の凍結解除を伝えられたあの日に一夏もその場にいたし、彼からの接触が増えたのもその日以降であるからだ。
だからこそ、簪は今まで一夏が話しかけてきてもほとんど相手にしてこなかった。その話題を切り出されて、話がややこしくなるのは避けたいと考えていた。
「あなたには、関係ない……」
それだけ言って、彼女は一夏から距離をとろうとする。
「ちょっと待てって。もう少しだけこっちの話を聞いてくれ」
「……どうして、そこまで私に関わろうとするの」
普通ここまで冷たい反応をとられれば諦めるはずなのに、めげる様子も見せない彼に対して問いかける。葵に頼まれたからなのか、それとも――
「……君のお姉さんに頼まれたからだ」
それは、簪が最も聞きたくなかった答えであった。
あの姉が……完璧な姉が、無能の自分に情けをかけて、こんな根回しを行っている。そう思うだけで、簪の心に深く根付いた劣等感が胸を締め付ける。
「もう、私に話しかけないで」
出していた機材を片付け、この部屋から出て行こうと簪は考えた。これ以上、彼と一緒にいるのは耐えられそうもない。
「そんなに、楯無さんの下にいることが嫌なのか?」
「……っ」
心の傷を抉り出すような一言に、彼女は思わず一夏を睨みつける。彼が姉から頼まれて自分と関わろうとしていると聞いた時点で予想はしていたが、やはり目の前の少年は簪たちの姉妹事情について多少は知っているらしい。
「……あなたに答える義務はない」
「その通りだ。更識さんが部外者の俺に話さなくちゃならないことなんて何ひとつない」
「だったら――」
「だから俺は、君の好意に賭けてる」
「………」
好意?と、簪は思わず口をぽかんと開けてしまった。
彼女は織斑一夏に対して好意などはひとかけらも持ち合わせていないし、そう思わせるような態度をとった覚えもない。ゆえに、彼に心を許して本心を打ち明けようなんてことは考えもしていないのだ。……いったい、一夏は何を期待しているのだろうか。
「もちろん、自分が更識さんと仲がいいとか、そういう思い上がりはない。でもこうして話していれば、もしかしたら君が情けをかけてくれる可能性も一応はある」
「……その可能性はない」
「これでも往生際は悪い方なんだ。やれるだけのことはやらせてくれ」
そう言って、一夏は真っ直ぐに簪の顔を見据える。
……実際のところ、これ以上彼の行動に付き合う必要はまったくなかった。やれるだけのことをやらせてあげる義理もない。このまま一夏を無視して部屋から出て行けば、それでこの話は終わりだ。
「………」
だが、どういうわけか簪は律儀に一夏の話を耳に入れることを選択した。なぜ、と聞かれても答えは出ない。自分の判断に根拠を求めてみても、確かなものは何も見つかりはしない。
……それこそ、彼の言う『情け』で話だけは聞いてやろうと考えてしまったのか。
あるいは……何かを、期待していたのか。
「この前、俺に聞いたよな。絶対に姉を超えることができない模倣を続けて、姉の陰にずっとい続けることになって、それでいいのかって。あの時は更識さんの質問の意図がいまいちつかめなかったんだが、今ならなんとなくわかる。楯無さんを姉に持つ君は、同じく織斑千冬という優秀な姉を持つ俺に自分自身を重ねていた。違うか?」
一夏の言うことは事実だ。更識楯無と織斑千冬は2人とも遠い雲のような存在であり、彼女たちの下にいる自分と一夏は似ているのかもしれないと思っていた。
だから尋ねた。自分と似た立場の人間が、どんな感情を、考えを持ち合わせているのかを。もしかすると、彼の答え如何によっては自身の心が楽になるかもしれないという、淡い期待を抱いて。
だが――
「あなたと私は違う……私は、あなたのようにはなれない」
「それは当たり前だ。一から十まで完璧に同じ人間なんて存在しない。だから、更識さんが楯無さんへのコンプレックスを感じないような生き方をすることができないと言っても、俺は不思議には思わない。姉に対する考えなんて、それこそ千も万もパターンがあるもんだしな」
「………」
余計な一言を晒してしまったことに、簪は今さらながら後悔を覚える。自分の心の内を教えるような言葉は、相手のさらなる追撃を呼び起こすものだとわかっていたはずなのに。
「さっきはああ言ったけど、俺と千冬姉の関係と更識さんと先輩の関係だって違うところは多い。俺は千冬姉と歳が離れてるし性別も違うけど、更識さんはそうじゃないだろ? 歳がひとつ違いで同性だと、俺が考えもしないような複雑な事柄だって出てきてるのかもしれない」
「……だから言った。私とあなたは違うと」
「その通りだな」
……いったい、彼は何を言おうとしているのか。自分たちが似ていないという結論に達した以上、赤の他人同然である一夏が簪に伝えられることなんてないはずなのに。
「ところでだ」
「……なに」
「俺と君、ISで戦ったらどっちが強い?」
「………?」
唐突な話題転換に戸惑う簪だが、ここでも部屋から立ち去るという選択はとらず、しばしの思考の後に返事を返した。
「……それは、あなたが勝つと思う」
6月末のタッグトーナメントでの試合を見る限り、一夏操る白式の強さはかなりのものだと推測される。
「俺も当然そうだと思う」
「……喧嘩、売ってるの」
「そうじゃない。俺は更識さんの実力を知っているわけじゃないが、それでも専用機を持っていない同い年の人間に負けたりしないくらいの自信はあるってだけだ」
きっぱりと言い切る一夏の瞳が、簪の瞳をしっかりと捉える。それによって、彼女は彼の話が最も大事なところに差し掛かっているらしいことを察した。
「初めて会った時のあの質問。あれは、半分は更識さん自身に向けられたものだったんじゃないのか?」
「……どういう意味」
「君の言う通り、誰かの模倣をしていてもその誰かを超えることはできない。……なら、姉のやったことを真似して独りで専用機を完成させようとするのも同じじゃないのか」
「……っ!」
詭弁だと反論しようとして……簪には、それができなかった。
なぜなら、彼女自身の心の中に、一夏の言った考えと同じものが潜んでいることに気づいてしまったから。ちっとも思う通りにいかない日々の作業の中で、『意地を張ってひとりでやり切ることに意味はあるのか』と弱音を吐きそうになったことが何度かあったのは、紛れもない事実だったのだ。
「だって……そうするしか、ないから」
弱い自分が表に出てくる。
心の鎧が、無理やりに剥がされた。
「私には、それしか思いつかなかった。あの人の……姉さんの幻影を払うには、専用機を自分で組み上げなければいけない」
気づけば、簪は溜めこんでいた思いを次々と口にし始めていた。一度堰を切ってしまった感情を制御する術は、今の彼女にはない。
「でも、どれだけ頑張っても前に進まなくて。こんなことをしていて何になるんだって気持ちが少しずつ出てきて……でも、他にどうしようもなかった。何をすればいいのかが見えてこないから、私は今やっていることを続けるしかなかった」
「……更識さん」
一夏の呼びかけにより、ようやく簪の言葉が止まる。その時にはすでに、彼女は多くのことを打ち明けすぎていた。激しい後悔に苛まれ、ここから逃げ出す気力すらもすぐには湧いてこなかった。
そんな簪に対して、一夏は小さく笑ってある提案を持ちかけてきた。
「やっぱり、更識さんには専用機が必要だ」
「え……?」
「何も見えないのなら、見渡せる場所にまで自分を押し上げるしかないだろ。さっきも言ったけど、専用機がなければきっと君は俺にも勝てない。そんなんであの楯無さんに追いつく方法なんてわかるはずがない。だからこそ、まずはあの人と同じ土俵の上に立つ必要があるんじゃないかと俺は思う」
そう言って、彼は手首についているブレスレットを簪の顔の前にまで持ってくる。
「俺も一度はあの生徒会長の鼻を明かしてやりたいと思ってたんだ。練習相手ならいくらでも付き合うから、一緒に頑張ってみないか?」
*
「おはようございます、立花さん」
簪と過去最長の会話を行った翌日。整備室に入ると、すでに立花さんが来ていて白式の調整の準備を始めていた。
「おはよう織斑くん。もうすぐで白式も完璧に整備できると思うから、今日も頑張っていきましょう」
「はい」
ニュー白式の完成は近いらしく、俺も自然とわくわくした気持ちが湧いてくる。早いところ操作技術を磨いて、機体にふさわしい乗り手にならないとな。
「そう言えば、昨日簪ちゃんに仕掛けてみるって話はどうなったの?」
「ああ……一応俺が言いたいことは全部伝えました。結局最後は無言で立ち去られちゃったんですけど……もしあれでも更識さんの考えが変わらないんだったら、俺からの説得はもう諦めます」
なんせ1週間言葉を考えに考えた結果の話し合いだったのだ。あれ以上頑張れと言われても正直難しいというものである。
「……そっか。まあとりあえず、今は白式のほうを片付けちゃおうか」
「わかりまし――」
俺がうなずいたのと、整備室のドアが開く音がしたのはほぼ同時だった。
「………」
部屋に入ってきた少女――更識さんは、そのまま迷うことなく俺たちのところへと一直線に歩いてくる。
「簪ちゃん……?」
そして俺の目の前で立ち止まった彼女は、2,3度深呼吸をした後、意を決したようにこう言い放った。
「あなたに騙されてみることにした」
「え?」
俺の間抜けな声には反応せず、続いて立花さんのほうに向きなおって一礼。
「身勝手で申し訳ありません。……もう一度、私の専用機を作っていただけないでしょうか」
その言葉に、俺はあんぐりと口を開け、立花さんは満面の笑みを浮かべて更識さんの両手をとった。
「ありがとう簪ちゃん! もう一度、私たちと一緒にやっていきましょう!」
「……は、はい」
更識さんの冗談……なわけないよな。ということは、昨日の説得に効果があったってことか。何も言わずに部屋を出て行かれたから拒絶されたのかと思ってたんだが、とにかくうまくいったようでなによりだ。
「昨日も言ったけど、機体が完成したら練習相手にくらいはなれると思うから、なんか手伝えることがあったら言ってくれ」
こくり、と遠慮がちにうなずく更識さん。それを見て、なんとなく俺の顔からは笑みがこぼれていた。
鈴は里帰り中なので、この間に更識姉妹との絡みを消化していきます。とはいえメインヒロインの出番がないのもあれなので次回は鈴が出てくるシーンもあります。
実は少し前からエロ文章に挑戦してみようかと考えていて、この「鈴ちゃんなう!」で一夏と鈴がそういうことする関係になったら18禁版のほうにそれ系の話を投稿してみることを検討中です。……が、脳内で少し文章を想像してみるだけでかなり難しいです。
まあ、もちろんこっちの本筋の話を完結させることを最優先で行っていくつもりですけどね。
では、次回もよろしくお願いします(次は今度こそ2月後半になりそうです)。