「ご苦労様、エム」
仕事を終えたマドカが自室に帰ってきたところ、部屋の中で待機していたスコールからいきなりのねぎらいの言葉が飛んできた。それに対して気のない返事をしながら、彼女は相変わらず弾力性に欠ける自身のベッドに腰を下ろす。
「わざわざ私の部屋で待っているとは律儀だな」
「ええ。私の個人的な興味も含めて、少し聞きたいことがあるから」
そう言って椅子からベッドの上に移動し、マドカと肩が触れ合う位置に座るスコール。
「聞きたいこと? 奴を太平洋の真ん中に突き落としたのが気に障ったか?」
そんなスコールから自然な動作で距離をとりつつ、マドカは先刻の戦闘内容を思い返す。
「それについては気にしていないわ。あなたには『ISを使った人殺しはしない』と誓わせているけれど、あの程度のダメージで専用機が操縦者の命を手放すはずがないもの」
ふふ、と艶やかな微笑を浮かべる上司の姿になんとなく不快感を覚える。彼女がこの表情を浮かべると、たいてい相手の心に土足で踏み込むような発言をしてくるのだ。
「それで、どうだった? 織斑一夏と戦った感想は」
「以前お前に見せられた映像の中の奴と変わらん――いや、反射速度は向上していたか。短期間での成長具合にはなかなかのものがあるが……それでも取るに足らない戦力だ。私には遠く及ばない」
「そう」
「『織斑一夏という不確定要素の実力を調査する』。それがお前の目的だったな。確認しておくが……本当にそのためだけに私を出したのか?」
「さて、どうかしらね」
「……ふん、まあいい」
相変わらず内の読めない態度をとるスコールに対し、マドカは軽く舌打ちをする。ここで深く追求できるような権力は彼女にないし、そのつもりもない。ゆえに、これ以上の質問は控えることにした。
「物わかりのいい人間は好きよ。……そうそう、篠ノ之箒と会った感想はどうだったかしら?」
「………」
――無言のまま、マドカはスコールを睨みつける。そんな彼女の反応を喜ぶかのように、長い金色の髪がゆらゆらと揺れる。
「どうしたの? 随分と怖い顔をしているけれど」
「貴様に答える義理はない」
「つれないわね」
「元よりそういう性格だ」
言葉を重ねるごとに、黒い瞳に剣呑な光が宿っていく。その完全な拒絶に相対しても、スコールの笑顔は崩れない。
『個人的な興味』とはこのことだったのだろうとマドカは思う。亡国機業の人間として織斑一夏と戦った感想を尋ねてきた彼女は今、篠ノ之箒と『会った』感想を求めているのだ。おそらく……いや間違いなく、マドカの心が揺れる様を愉しむために。端正な容姿の裏側に意地の悪さが隠されているのを、マドカは嫌というほど知っている。
「……仕方ないわね。そこまで嫌がるなら、もう無理には聞かないわ。お疲れ様、今日はもう休んで頂戴」
残念そうな顔を見せながら、ねぎらいの言葉を残してスコールは部屋から出て行った。
「……魔女め」
上司の背中が見えなくなったのを確認してから、マドカはおもむろにベッドに横たわる。同時に、少し煽られただけで思わず悪態をついてしまった自分自身に子供っぽさを感じるのだった。
「ふう……」
疲れた、眠い。脳から発せられる信号に素直に従い、彼女はゆっくりと目蓋を閉じる。
『貴様アアア!!!』
「………」
……目蓋の裏に、篠ノ之箒の姿が映る。織斑一夏を撃墜したマドカに対し、彼女は怒り狂った表情で――
「だからどうした」
――関係ない。彼女にどんな顔をされようと、織斑マドカには何の関係もない。
「アレは、私の敵となりうる人間。ただそれだけの話だ」
篠ノ之箒。ISの開発者である天災・篠ノ之束の妹。そして、織斑一夏に近しい少女。マドカにとって彼女はそれ以上でもそれ以下でもない存在……の、はずなのだ。
*
「みんな、戦いに行くみたいだよ」
「え……」
どこかもわからない砂浜に腰を下ろしていた俺は、隣にいる白髪の女の子の言葉にハッとする。
「みんなって、鈴や箒たちのことか」
こくり、と首が縦に振られる。なぜそんなことを知っているのか、彼女は本当のことを言っているのか。様々な疑問が浮かんでくるが、今はすべて気にしない。より正確に言えば、気にする余裕がない。
「どこへ行くの?」
跳ねるように勢いよく立ち上がった俺を見上げながら、紅い瞳の女の子が尋ねてくる。対して俺は、一切迷うことなく返事をかえす。
「決まってるだろ。俺も戦いに行くんだ。だから教えてくれ。ここはどこなのか、どうすればみんなのいる場所に向かえるのか」
「……大切な人を守るために、戦うの?」
「ああ、そうだ」
俺がそう言うと、彼女は物憂げに目を伏せ、静かに右手を差し出し、俺のズボンの裾を掴んだ。
「あなたは大切な人を守ろうとしている。……でも、あなたは敵の命も守ろうとしている。あなたに本物の殺意を向けてくる人間ですら、守ろうとしている」
「それは……それは、そうだろ。たとえ相手がめちゃくちゃ悪い奴だったとしても、殺していい理由になんてならないんだから」
「……ごまかしの答えは聞いていないよ」
ごまかしだって? いったいこの子は何を言っているのだろうか。それより、俺は早くみんなのところに行かなきゃならないのに……!
「どうしても、自分のココロと向き合おうとしないんだね」
女の子は立ち上がり、俺の顔をじっと見つめる。自分よりずっと小さいはずの彼女の纏う雰囲気に圧倒され、文句のひとつでも言おうとしていた口が動きを止めてしまっていた。
「なぜ、あなたは『守る』ことにこだわるの?」
「……それが、小さいころからの理想だからだ」
「なぜ、『守る』ことが理想なの?」
「昔から、俺はずっと大切な人に守られてきた。だからいつかは、俺が守る側になりたいって。それはきっといいことだって、そう思ったから」
「なぜ?」
「なぜって、何が」
「なぜ――」
と、今まで流暢に話していた女の子の言葉が不自然に途切れる。
「どうかしたのか」
「……これ以上は、わたしの言語機能の有効範囲を逸脱してしまうの。あなたたち人間の複雑な感情を、人間用の言葉で表現するには、まだまだ成長不足ってことだよ」
あなたたち人間? 人間用の言葉? それじゃまるで、自分が人間じゃないみたいな……
「君は、いったい……?」
「私にはあなたの歪みを治すことができない。……答えは、あなた自身が見つけなくちゃいけない」
ああくそ、勝手に話を進めるなよ! こっちは全然理解が追いつかないってのに!
「そのための力を、ひとまずあなたにあげる。……でも、ちゃんとココロに決着をつけるまでは――」
彼女の姿が、次第に薄れていく。何が起きているのか、俺が会話しているこの子は何者なのか。すでに思考回路はショート寸前で、ただ呆然と白いワンピースの少女が消え行く様を見届けることしかできなくて。
「『これ』は、おあずけね」
*
「おい、ちょっと待ってくれ!」
女の子が消える寸前、やっとの思いで腕を伸ばすことができた、その結果。
「ひぅっ……!?」
視界に入ってきたのは、どこかの部屋の天井の模様。なぜか俺はベッドの上で横になっていて、精一杯伸ばした右手から、何やら妙に暖かな感触が伝わってきていた。
さすさす……ふにゅっ
「ぃぅ……あっ……」
……なるほど。どうやら俺は夢を見ていたらしい。そして眠りから覚めた今、こうしてわずかに膨らみを感じられる触り心地のよい物体の上に手を置いているわけだ。ついでに言うと、先ほどから耳に入ってくる悲鳴のようなか細い声を聞いていると変な気分になってくる。見慣れたツインテールがびくっと揺れているのを眺めながら、俺はひとつの結論を導き出した。
「そうか、俺は鈴の胸を揉んでしまっていたのか」
死刑確定じゃないか……!
ようやく状況を把握したところで、俺は自分がしでかしたことのヤバさ加減をはっきりと認識する。
「す、すみません許してくださいなんでもしますから!」
「あ、アンタねえ……! 目覚めて早々、なにやっちゃってくれてるのかしら……!!」
瞬時に手をひっこめ、思いつく限りの謝罪の言葉を並べるものの、鈴の口からは怒りに震えた声が漏れていて――
「本当に、予想もしてなかったことされたせいで……」
……いや、何か様子がおかしい。声が震えているのは確かだが、これは怒っているからというよりも。
「せっかく、アンタが起きた時に笑っていられるように心の準備してたのに。全部、吹き飛んじゃったじゃない、もう……!」
俺を叱る鈴の目から、大粒の涙が零れ落ちる。今まで我慢していたものを吐き出すかのように、彼女は嗚咽を漏らして泣いていた。
「……ごめん。心配、かけちまったな」
シーツに顔を押し付けている鈴の頭をそっと撫でて、もう一度謝る。目が覚めた俺を見て感情を爆発させてしまうほどに、こいつは俺という人間を大切に想ってくれている。それが、たまらなくうれしかった。
「本当に、本当に心配したんだから……! あんな傷だらけの姿で運ばれてきて、包帯だってあちこちに巻かれて……」
そこまで言って、鈴は何かに気づいたかのように顔を上げた。泣いていたせいで少し充血しているその瞳は、俺の体を不思議そうに見つめている。
「……一夏。体、痛くないの?」
「え? 別に、どこも痛いところはないけど」
思ったままに答えてから、俺も自身の発言のおかしな点に気づいた。
いくら白式に守ってもらっていたとはいえ、あれだけの集中砲火に曝されたのだ。もちろん体へのダメージもただではすまなかっただろうことは容易に予測できるし、事実鈴が本気で心配していたのだから俺の怪我はそれなりに重いものだったはずだ。
「鈴。今日は7月7日……だよな?」
「ええ。今は7月7日の午後3時20分。アンタがサイレント・ゼフィルスに負けてから、まだ4時間も経っていないわ」
意識が戻るだけなら問題はない。だけど、たった数時間で負傷による痛みが完全に消えているのは少し異常な気がする。
「ちょっと体に触るわよ」
軽く断りを入れてから、俺の腕や肩、背中に優しく手を当てる鈴。包帯がぐるぐるに巻かれている部分に触れられても、痛みが全身を駆け抜けるということはまったくなかった。
「……じゃあ、これは?」
ばしん、と背中を平手で叩かれる。
「当然ながらちょっと痛いぞ」
「てことは、痛覚が麻痺してるってわけでもないみたいね。うーん……」
顎に手を当てて考え込む鈴と同様に、俺も頭の中でいろいろと思考を巡らせてみる。……が、特に何かがひらめくということはなかった。
「とりあえず、千冬さんやみんなに一夏が目を覚ましたって伝えてくるわ。ちょうど召集かけられたところだったし」
「悪い、頼んだ」
じゃ、と言い残して部屋を出ていく鈴の後ろ姿を見送った後、俺は手首につけられているブレスレット――白式の待機形態に視線を移した。
「召集ってことは……やっぱりもう一度戦いに行くってことなのか」
――に教えてもらった通りだな。
「……あれ?」
……俺、誰に『みんなが戦いに向かうこと』を教えられたんだっけ。さっきまでずっと、夢とは思えないような夢の中でその誰かと一緒にいた気がするんだが……顔も声も思い出せない。
「夢の内容って、本当にすぐ忘れちまうんだよなあ」
何か大事な話をしたような……しかし、記憶にもやがかかっているようで肝心なことは何も出てきそうにない。
まあ、これについては後回しにしよう。今は、他に懸念すべき事柄が存在しているのだから。
*
「全員集まったな」
前回の作戦失敗から4時間以上が経ち、時刻は午後4時に差し掛かろうとしている。
遡ること20分前、ようやく専用機持ちの一夏を除く5人に作戦室に集合しろという命令が出された。その直後に一夏の意識が回復し、しかも戦いで負った傷も治っているという報せが鈴から伝えられたことで少しごたごたがあり、作戦会議の開始が遅れる形となったのだ。
全員が全員緊張した面持ちを保っている中、千冬がスクリーンを操作しながら説明を始める。
「ここから距離30キロの地点で銀の福音が超音速移動を中止し、その場に留まり続けているのを確認した。おそらく長時間の移動および先ほどの戦闘で減らしたエネルギーの回復を行っているものと推測される。この機を逃す手はないという意見によって、これよりもう一度我々が目標の捕獲にあたることとなった」
淡々と告げられる作戦内容を頭に入れながら、箒はごくりと唾をのんだ。……今度こそ必ず成功させなければならないと、自分で自分にプレッシャーをかける。
「今回は専用機持ち全員が出動、福音の速度が本格的な高速域に突入する前にエネルギーを削り取ってもらう。教員は訓練機を用いて、外部からの侵入に対処する」
『外部からの侵入』。その言葉を聞いて、一同の表情がさらに引き締まる。千冬が指しているのが、4時間前に突如として現れ、一夏を撃墜した『サイレント・ゼフィルス』のことなのは明白だからだ。2度目も戦場に乱入してくると決まったわけではないが、警戒が必須な存在であるのは間違いない。
「私も打鉄を使って出る。山田先生、戦況の確認と指示をよろしく頼む」
「は、はい!」
前回は作戦室で全体の様子を見守っていた千冬も、今度はあの難敵の妨害を阻止するために教師陣の部隊に加わるようだ。
これは素直に頼もしいと箒は感じる。使う機体は劣っていても、かつて世界最強と謳われたブリュンヒルデの技術をもってすれば、ゼフィルスを食い止めることは十分可能なはずだ。
「……落ち着け」
緊張で萎縮してしまいそうな体に喝を入れ、心を奮い立たせる。2度目の負けは、もう許されない。絶対に勝つのだと、箒は自身に何度も言い聞かせていた。
……そして、無事作戦を成功させたあかつきには。
「姉さん……」
先ほどから姿が見えないが、きっと篠ノ之束はこの近くのどこかにいるだろう。戦いが終わって、最低限紅椿を扱えるという自信が持てたなら……あの姉と、きちんと向き合ってみようと箒は決意していた。
……自らの中の弱さ、脆さ、黒い感情。それらを乗り越えるためにも、今は前に進むしかないのだ。
「作戦開始は10分後だ。各自、準備に取りかかれ」
『はい!』
6人揃って気合いの入った返事をした後、箒はある人物のもとへ歩み寄り、気にかかっていることを尋ねた。
「一夏、本当に大丈夫なのか? まだ目が覚めたばかりだというのに……」
……やはりというべきか。意識を取り戻した一夏は、千冬に自分ももう一度戦わせてくれと頼みこんだらしい。その結果として彼がこの場にいるということは、指揮官である彼の姉が許可を出したことになる。
「大丈夫だ。体の方は一切問題ないって言われたしな」
「そうか……搭乗者の体の治療まで行うとは、ISというのは本当に底が知れない代物なのだな。……だが一夏、今の白式で、お前は戦えるのか?」
箒の問いに、一瞬だけ一夏は困ったような顔をする。だがすぐに微笑を浮かべると、
「さっき白式を起動させて、機体の性能は確認できたからな。みんなのサポートくらいはできるはずだ」
と答えた。若干の不安は残るものの、箒はその言葉を信じることにしたのだった。
*
箒が立ち去った後、俺は思わず拳を強く握りしめていた。
確かに彼女の言う通り、ここに来ての白式の変化は相当な痛手だ。訓練を積む時間があればいいのだが、ないものねだりをしても仕方がないのはよくわかっている。
「……頼むぞ、白式」
それでも、俺は戦うという選択肢を選ぶしかない。どれだけ問題があっても、最初から答えは決まっているのだ。
――なぜ?
――みんなを、守りたいから。
誰かに問いを投げかけられたような気がして、心の中で返事をする。同時に俺は、先ほど白式の状態を確認した際の山田先生とのやり取りを思い出していた。
『白式のスペックが大幅に変化しています。おそらく、なんらかの要因で
『第二形態移行? つまり、白式がパワーアップしたってことですか』
『……いえ。確かに普通の第二形態移行はそうなのですが……ないんです』
俺の質問に答える山田先生は、自分自身の出した結論に納得がいかない様子だった。
『どこを探しても……ワンオフ・アビリティーの表示がないんです』
『え……?』
――零落白夜の消失。それは、俺の最大の武器の消滅を意味していた。
というわけで白式のアイデンティティの9割が消え去りました。こんな展開にして大丈夫なんだろうか……? 読者の皆様に受け入れてもらえるか不安です。でも、物語の途中で必殺技を失う主人公って構図は好きなんですよね。
一夏と白式の会話はうやむやな結果に。今はこれが限界です。まあ、おかげで一夏は鈴のちっぱいを触ることができたわけですが。
マドカとスコールの会話を書いているとなぜかスコールがどんどんSになっていく不思議。とはいえちゃんと抑えてはいますが。今回のやり取りでマドカの心情について少しだけ説明はできたと思っています。
次回は福音戦・リトライ。3巻の内容は後2話ほどで終了する予定です。
では、次回もよろしくお願いします。