テレビでご覧になった方もおられると思いますが
27年間崎谷にストーカーを続けてきた容疑者が、
2017年にストーカーを再開し、
2018年渋谷警察からストーカーの警告を出されたにも関わらず
2019年春から私や私の周りの人間を妄想で中傷するブログを始め、
ネットによるストーカーと名誉棄損を繰り返していましたが、
6月12日警視庁に逮捕されました。
様々な配慮からテレビ出演の前には
踏みこんだ説明ができる状態にありませんでしたが
容疑者のブログに私の一部のプライバシーが書いてあり、
この際全てお話しさせていただくことにしました。
寝耳に水の事かも知れませんがご了承ください。
容疑者のブログをもしご覧になった方がいらっしゃったとすれば、
かなりいかれた内容に気を病み、大変嫌な思いをされたことと思います。
この容疑者ブログでの主な容疑者の主張は、
作詞家 有木林子こと吉國一己が中心となり、
私の所属する事務所インプレッションの社長、鶴崎江理子と
ストーカー案件を担当した田瀬弁護士が共謀して暴力団と組んで
私をDVによる支配をしている、ということが書いてありますが、
まずはこれらが、全く根拠のかけらもないことであるということを申し上げます。
当然ながら誰一人暴力団となど繋がっているはずもなく、
吉國氏は30年ほど海外にずっと暮らしており、20年ほど私は会っていないし、
今は私は吉國氏の連絡先も分かりません。
(連絡先を知らずとも、
吉國氏のRealismの印税はジャスラックに届けがある口座に自動的に振り込まれます)
また容疑者のブログにデマが書いてあります、
崎谷健次郎、吉國一己共に両親は日本人です。
私は24歳の時に広島時代の同級生だった
作詞家 有木林子こと吉國一己と結婚しましたが、
数年間別居後、僕が28歳の時に離婚しました。
その後34歳の時に現在所属する株式会社インプレッションの社長を務めている
鶴崎と再婚して現在に至ります。なお、いずれも子供はおりません。
そして、この度逮捕された容疑者についてですが。
私が1991年にレコーディングでニューヨークに行った際、
数日間の中で会っています。
当時吉國氏がNY大学に留学しており、その時の大学の知り合いとして
容疑者とは吉國氏と3人で会いました。
知り合いと一緒に容疑者がやってきたのですから、
私としてはあくまでもてなすつもりで会話をしました。
わずかな間3人で食事などをし、
滞在中のホテルに容疑者が来て過ちが一度ありました。
その後、容疑者との交際は一切ありません。
1992年容疑者が日本に帰って来てから、
初めて私が歌手であることを知ったらしく、
1991年にリリースしたアルバムの曲を聴いて
その中の曲が自分へのメッセージだと勝手に受け取って、
私が容疑者に好意を持っていると勝手に思い込みストーカーが始まりました。
もちろん私が容疑者を思い描いて曲など作るはずもありませんし、
そもそも、曲が出来上がってから
録音するのですから、その曲自体は1991年以前に作った曲にも関わらず、
何度説明しても、その曲を容疑者は自分へのメッセージだと譲りませんでしたし、
他の作詞家が書いた曲でさえ、
私から容疑者へのメッセージ曲だと言い続けています。
1990年代事務所に度々押し掛け崎谷に会わせろと言い、
ライブ中に観客から立ち上がって婚姻届をステージに置いたことで、
容疑者をライブ出禁にしましたが、
(即、不審人物とみなされ
イベント会社が婚姻届を不審物として現場で処理しています)
その後容疑者は血判状(血染めの手紙)を事務所に送り付けたり、
探偵を使って私の家を調べ、
私に手紙をよこしたり、家の周りで付きまといました、
それでも当時の事務所は穏便に容疑者に止めるよう説得を続けて、
崎谷と電話で話せばストーカーを止めると容疑者が提案したので、
その言葉を事務所が真に受けて私が電話に出たことがありますが、
容疑者は逆上して火に油を注ぐ結果になり、
ますますストーカー行為が激しくなりました。
容疑者には事務所がセッティングした電話の際も、
直接ストーカーで押しかけた機会にも
「嫌いです、来ないでください、迷惑です」
と繰り返し申し上げてきましたが、容疑者は
「ライブで渡した婚姻届を返して下さい、
私を好きな筈なのに誰に嫌いと言わされているの?」
との全く同じ返答を27年続けています。
(容疑者ブログ過去ダイアリーにも
「迷惑だと崎谷に言われた、もう付きまとうのを止める」
などの記述があります)
1991年にはストーカーを止めるように容疑者の家族にメールと手紙を送り、
(その時ご家族からの返事はありませんでした)
そのことでストーカー行為が少しの期間止みましたが、
その後何度も事務所を変わってもその度に同じことの繰り返し、
おびただしい数の手紙、
メール。「歌手にしてくれ」とも言ってきたり、
あるときは「もうやめます、ご迷惑をかけました」と言い、
しばらくしてまた始めるの繰り返しを27年も続けてきました。
(証拠メールあり)
2017年10月から2018年にかけて私がやっている
渋谷の音楽スクールの廊下に姿を現し直接付きまとい、
2018年3月にはついに体をかなり近づけてきて
「止めなさい」と言うと泣きだし
「家族に言いますよ」というとぴたりと泣きやんだ。
わけの分からないことを叫び恐怖を感じたので仕方なく、
私は渋谷警察署にストーカーの届けをさせていただきました。
容疑者は一旦は「もうストーカーは致しません」と
弁護士を通じて言ってきたものの、
2018年6月から逆に僕がストーカーであると
警察と容疑者の弁護士に働きかけましたが
当然ながら警察に相手にされませんでした、
そこで自分のブログで私のプライベートを晒し
私と私の周りのものを中傷し始めたというのが事の顛末です。
26年も刑事告訴しなかったのは、経緯から容疑者の立場を考えての事でした。
ストーカーをなんとか止めてくれませんか?と言い続けて、
説得に、説得を重ねてきましたが、
それでも過激になる一方で仕方なくこの4月刑事告訴しましたが、
ストーカーというものの多くはいくら逮捕されてもストーカーを止めない。
ましてや例を見ない27年間にも渡るストーカーで、
ストーカーの実態と歴史は容疑者のブログ、
今も閲覧できる2015年からの過去ダイアリーに全て自ら書き込んでおり、
その事実を私が証明するまでもありません。
最後に、28年前容疑者をNYでの出来事により
もし傷つけたのだとしたら申し訳なく思います。
だからといって、
容疑者がブログでの妄言による中傷や名誉棄損、
アルバムの営業妨害、ストーカーを続けたり
することはこの先許されません。
ネットでも現実でも今後もし容疑者がストーカーを繰り返すならば、
その都度、刑事告訴する所存です。
これからも音楽を届けたいと思っています。
この度はファン皆様の期待を裏切り、ご心配をかけ大変申し訳ありませんでした、
心よりお詫び申し上げます。
最後にこの件で動いてくださりお世話になった警視庁、
警察関係者及び担当弁護士の皆様に
この場を借りて御礼を申し上げます。
2019年6月20日 崎谷健次郎