聖王国の首都ホバンス、王城の最奥に位置する聖王の部屋で、カルカはため息を吐きながら、ジクジクと痛みを発しているこめかみを押さえた。
「頭が痛いわ」
「お気持ちお察し致します、カルカ様。貴族のバカ共は本当に何も分かっていませんね!」
怒りを露わにするレメディオスの声が頭に響き、余計に痛みが加速する。
僅かに顔をしかめたことで、レメディオスもそのことに気づいたらしく、消え入りそうな声で謝罪した。
「良いわ。ただ、一応……ね」
チラリと視線を隣の控え室に送る。
完全な人払いはしておらず、隣にはメイドが控えている。
遠ざけても良いのだが、あまり頻繁にやると、メイドたちからの信頼が失われてしまう。
王城に仕えるメイドは貴族の令嬢が殆どである以上、刺激するのは良くない。
何しろ今カルカが頭を悩ませているのが、まさにその貴族に関係したことだからだ。
魔導王の宝石箱の開店記念パーティーで、ジルクニフによって行われた法国への宣戦布告。
それにカルカとランポッサが同意したことで、結成された三国同盟。
聖王国でこれらを知っているのは、自分と共に開店パーティーに出向いた貴族だけだった。だが内密にしておくわけにもいかず、聖王国に戻った後、主立った貴族にだけその話をしたのだが、そこでカルカは貴族たちから突き上げを食らったのだ。
それも本来は王家と関わりの深いはずの北部の貴族たちからだ。
考えてみればこれも当然のことだ。アインズの力を正確に理解し、懇意になりたいと考えているのは、ヤルダバオトを撃退した際にカリンシャにいた、ボディポ侯爵を初めとした南部の貴族たちだけ。多額の取引を行った者だけが参加できる開店パーティーに参加していたのも彼らだ。
だからこそ、南部の貴族からの反発は少なかったが、そのことが余計に北部貴族の反発を招いた。本来王家に近く優遇されるはずの北部貴族をないがしろにして、南部貴族に何かしらの見返りを用意し、味方に付けたと勘違いされたのである。
もっとも、今更戦争に参加しないという選択肢を選ぶことができない──復興に際し二国の力を借りるのは必要不可欠であるため──のは彼らも重々承知しているため、自分たちをもっと優遇させるための駆け引き材料の一つとして言っているだけだろう。
「どちらにせよ、彼らに対しては時間を稼いでおけば問題ないわ。魔導王の宝石箱の力を北部の貴族が直接目にすれば、私が南部貴族を優遇している訳でははないと分かって貰えるはず。むしろ今問題なのは、兵をどれだけ集められるかね」
戦争に際し、三国合同で兵を出すことが決まっている。
一国当たり何人。と規定がされているわけではないが、少なすぎると同盟内での聖王国の立場がなくなる。
今後のことを考えると、それも困る。
「グスターボの奴が駆け回っていますが難航しているようです。あの戦いで軍士が大分減ってしまいましたから。特に城壁の守護をしていた九色の損失が大きいですね」
「パベル・バラハ兵士長とオルランド・カンパーノ班長ね。確かにあの二人の損失は大きな痛手だわ」
聖王国の誉れである九色は、強さ以外で選ばれた者も多いが、だからこそ、強さだけで選ばれた者は一般の兵たちとはまさに別格の強さを持っている。
もちろん強さだけではなく、彼らが参戦するだけで、戦争において重要な兵たちの戦意向上も見込める。
先の戦争であっさりとカリンシャまで攻め込まれたのは、それが理由かも知れないとカルカは密かに考えていた。
それに加え、例の戦争では九色の聖騎士団副団長だったイサンドロまでもが戦死した。
ただでさえ先の戦争で疲れきっている兵や国民を動かすには、そうした九色の威光は重要だっただけに、その穴を埋めるのは容易ではない。
「……そういえばネイアの様子はどう? 弓の訓練は順調かしら」
彼女の父親であるパベルの名を出したことで、ふとネイアのことを思い出した。
彼女は通常の聖騎士としての訓練以外に、独自に弓の訓練もしていると聞いていた。
「あー、頑張ってはいるようですが、何とも。私も弓の方はさっぱりなので、独学では限界があるのかも知れませんね」
「そう……魔導王の宝石箱の、あの娘とは仲良くやっているのかしら?」
そっと探りを入れてみる。
あの二人の友情は、そのまま聖王国と魔導王の宝石箱の友好にも繋がる重要な関係だ。
とは言えそれをネイアやレメディオスに言ってしまうと逆にギクシャクしかねないと、敢えて言わずにいた。
「ええ。非番の日にはよく遊んでいるようです。今日も非番なんですが、あの開店パーティーの時に居た、帝都支店で働いているシズの姉だっていうメイドが、今ホバンスの支店に来ていて、店に呼ばれたとか言ってましたね」
パーティー中、カルカと直接会話した覚えはないが、メイドたちの纏め役のような役割をしていた夜会巻きをした知的な美人のことだろう。
「……そう。その方とも仲が良いのかしら」
「ずいぶん気に入られているようです。開店パーティーの途中で、休憩時間になったそのメイドからネイア個人が歓迎を受けたって言ってました。カルカ様と王国のランポッサ陛下が歓談している時に現れて、カルカ様やランポッサ陛下とろくに会話もしないでゴウン殿を連れ出した、金髪で巻き髪の生意気そうなリ・エスティーゼ支店の店主も一緒に居たそうで、歓迎を受けたって言ってました」
嫌なことを思い出したとばかりに、不満げに唇を尖らせるレメディオス。
あれはあれで王国とアインズの友好関係を構築させない意味では必要な行動であり、恐らくアインズ自身がそう望んで行わせたのだろうが、それをここで言っても意味はない。
その内容の方が重要だ。
「イプシロン嬢も? 確かあの方は、ゴウン殿の娘も同然の存在なのよね」
それがどうしてメイドであるシズの友人でしかないネイアに。と考えているとレメディオスは思い出すように視線を宙に向けながら続ける。
「なんでもシズはゴウン殿が世話している家族同然の者たちの中で一番年下、いや下から二番目でしたか。とにかく、立場に関係なくみんなから可愛がられているそうですよ」
そういうことは早く言って欲しかった。と心の中で叫びながら、カルカはそれを表には出さず、そうなの。と淡々と頷いた。
シズがそうした立場ならばなおさら、ネイアとの関係は重要だ。
いっそのこと、ネイアに席の空いた、九色の一つを預けてみるのも悪くないのでは。との考えが浮かぶ。
何の立場もない聖騎士見習いより、聖王国九色の一人という立場の者の方が外から見た時、魔導王の宝石箱と聖王国の繋がりが親密に見えるからだ。
(その為にも、彼女には──)
聖騎士見習いとは言え、兵士の数が少ない現状ではネイアにも戦争に出て貰う必要がある。
そこで目覚ましい活躍をしてくれれば、九色を授ける理由付けにもなるだろう。
そこまで考えて、カルカは内心でため息を吐く。
幼い少女たちの純粋な友情を国益の為に利用する。こればかりはどうしても慣れない。
しかし、これもまた聖王国という国を守るために必要なことだ。
「話を戻しましょう。兵士の数が足りないって話だったわね」
気持ちを切り替えるためにも、話を戻す。
「まあそちらは動乱の時のように、民を兵として利用するしかないかと、少なくとも王国の者たちよりは良い働きができるでしょう」
「……それしかないわね。私たちの強みは他の国と違って、徴兵制によって全員が戦う力を持つこと、それとアンデッドに対する忌避感が無くなっている者が多いことね」
「しかしそうなると、直接ゴウン殿のアンデッドに救われた者たちの中から徴集する必要があります。しかしそれでは、復興が……」
アンデッドに対する忌避感が薄れているとは言っても、それはあくまで、アインズのアンデッドに直接救われた者たちだけだ。
そうした者は、亜人軍に襲われた村や都市の者ばかりであり、当然現在は破壊された村や都市の復興に力を入れている。そこから徴集しては更に復興が遅れることになる。
「そちらはゴーレムを多く借りることで対応しましょう。ゴウン様には早めに連絡をして。数を揃えていただく必要があるわ」
幾ら安価と言っても、ただでさえ財政が逼迫している状況では苦しい出費だが仕方ない。
「そうなるとシズの姉が居る内の方がいいですね。普段は帝都支店に居るそうですから、そっちからも回して貰えるようにすれば早く集まります」
レメディオスにしては理解が早い。と以前のカルカなら思っていただろうが、動乱以後レメディオスもまた少しずつではあるが、成長しているのはカルカも知っている。
「お願い。なるべく信頼のできる者に頼んでね。これも貴族に知られると色々と面倒になるわ」
戦火に晒されず無傷で残っている南部の民ではなく、復興が急がれる北部の民から徴集すると言うのは、本来誉められた手段ではない。
しかしそうした民を敢えて集めるのは、アンデッドに対する嫌悪感が少ないこと以外にも理由がある。
あの地獄を直接味わった者の方が、法国に対する怒りが強く、戦争でより良い働きを見せてくれる。
そしてその怒りはもう一つの懸念材料をも隠してくれるはずだ。
王国と帝国。
その二つの国にあって聖王国には無いものがある。
(人間同士での戦争、聖王国にはその経験がない)
四方を海に囲まれ、唯一の陸地も長い城壁とアベリオン丘陵の亜人たちに遮られて、人間の国家と戦争をする機会など無かった。
つまり、殆どの者が一度として人間同士で大規模な争いをした経験が無いのだ。
その点は恐らくレメディオスも同じだろうが、彼女には確固たる信念と決断力がある。
あの戦いを経てもその部分だけは変わってはいない。聖王国の民の幸せのためならば、人相手でも彼女は躊躇わず剣を振るうだろう。
だからレメディオスはその点に考えが及ばないのだ。
しかし、カルカは違う。カルカとて魔法で亜人を葬ったことはあるが、人間相手は一度として無い。だから、その決断の重さを理解している。それを民に強いてしまう自分を不甲斐なくも思う。
けれど法国に対する並外れた怒りは、そうした感情をも凌駕してくれるだろう。
確実にとはいえないが、短期間で一般の民にそうした覚悟を持たせる手段が他に思いつかなかったからこそ、敢えて傷ついた民を戦争に送り出すことを決めたのだ。
この戦争、必ず勝たなくてはならないのはもちろんだが、同時に帝国や王国よりも聖王国が大きな活躍をしなくてはならない。
戦争での働きは、そのまま法国に勝利した後に得られる分配にも関係してくるからだ。
三国で最も疲弊している聖王国としては、そこで得られるもので今までの損失や、先ほどのゴーレムによる出費も合わせて、できる限り補填しておきたい。
そんなことを考えていると、再び気が滅入ってくる。
これでは戦争で金儲けをしようとしているかのようだ。
王国への侵略を繰り返し、領土拡大を目指すことで、国を潤していく帝国のやり方をカルカは嫌悪していたが、自分がしようとしていることも大差ない。
(でも、それでも私はもう誰も泣かないで済む国を、必ず作ってみせる。そのためなら、どんなことでも)
自分の心にどす黒い何かが溜まっていくような、不快感を感じる。
そんなカルカに明るい声でレメディオスが答えた。
「でしたら、それもグスターボに頼んでおきましょう」
「……レメディオス?」
既に兵の徴集という大仕事も行っているというのに、グスターボに更なる仕事を頼もうとするレメディオス。
やや責めるように名を呼ぶと彼女は慌てて手を振った。
「いや。あいつは信頼できますし! 今は別に何でもかんでも頼っているわけではありませんよ!?」
「それは分かっているけど……副団長に無理をさせすぎないようにね。倒れてしまっては元も子もないのですから」
「はい! もちろんですカルカ様」
きちんとこちらの意図が伝わっているのだろうか。
けれどレメディオスのこうした無邪気さは、汚れた手段も厭わなくなったことで、心労が溜まり続けているカルカの心を以前にも増して癒してくれる。
それに、言葉ではこう言っているが、レメディオスは彼女自身も忙しいというのに、その合間を縫って今まで疎かにしてきた閃きに頼らない戦術や部下への指示、なにより今まで一切行っていなかった、各国の政治情勢なども勉強しているらしい。
以前のレメディオスからは考えられない成長ぶりだ。
「さて! なら次の案件ね、そちらが忙しくなる前に国内の仕事を片づけないと」
気持ちを切り替え、積み上げられた書類を一枚手に取った。
「はい。頑張ってくださいカルカ様」
屈託無く、そして悪気もなく言い放たれるレメディオスの応援には、多少言いたいこともあったが、意志の力でそれを押し留め、カルカは改めて書類に目を向けた。
・
「…………この鎧がおすすめ。人間如きの弓や魔法じゃ壊せない」
テーブルの上に大きな鎧が無造作に置かれる。聖騎士の基本装備である
明らかに自分が装着するには大きすぎるサイズだが、魔法の輝きが見て取れることから、ネイアでも着ることはできるだろう。
「人間如きって。シズ先輩も人間じゃないですか」
まるで自分が人間ではないような物言いに苦笑する。
「…………ん」
それには答えず、シズはテーブル上の鎧をネイアに近づけた。
見れば見るほど見事な造りの鎧だ。先ほどの軽口もこれほどの鎧を前にして緊張したからだろう。
通常の鎧に比べ魔法の鎧は非常に強力な力を持っている。それが魔導王の宝石箱の商品ともなれば、伝説級の武具と大差ないはずだ。
「す、素晴らしい鎧ですね」
「そう。素晴らしい鎧、これはルーンも刻まれていて魔法にも強い……これを着れば戦争でも安心安全」
椅子から立ち上がり、グイと身を乗り出しながらまっすぐにこちらを見るシズに、ネイアも彼女が何を言いたいのか分かった。
魔導王の宝石箱の開店パーティーで帝国の皇帝が提言し、その後王国と聖王国も同意したことで三国同盟が結成され、近いうちに法国との戦争が起こることは確定している。
ヤルダバオトの言葉を直接聞いたネイアとしても、法国を一刻も早く何とかしなくてはならないと分かっている。
とはいえ、それはもっと時間がかかるものだと思っていた。
魔導王の宝石箱の支店が建設された王都ホバンスは、ゴーレムだけではなく、アンデッドたちの働きもあって目覚ましい復興を遂げているが、他の都市はまだまだ時間が掛かるだろう。
だからこそ、もう少し国内が安定してからの方が良いと個人的には思うのだが、自分程度では理解できない高度な政治的判断があるに違いない。
そしてヤルダバオトの件で職業軍人である軍士が大量に減ったことで、本来は聖王女と聖王国を守るために存在する聖騎士団も戦争に駆り出されることになる。
聖騎士見習いのネイアも例外ではない。
シズもそのことは承知しているため、ネイアにこの商品を着けて戦争に行くように言っているのだ。
「い、いえ。しかし聖騎士団は正装がありますし、それにこんな素晴らしい鎧、私にはとても……」
魔導王の宝石箱で取り扱っているルーン武具の強さは、聖王国ではネイアが一番良く知っているつもりだ。
何しろ、ネイア程度の未熟な聖騎士見習いでも、あの恐ろしい程の強さを誇った魔神の動きを止められる威力の攻撃を放つことができたのだから。
それを防御力に転換したのなら、並の攻撃では傷つけられないのは確実だろう。
だがそれは当然値段にも反映されるはず。
正式な聖騎士でもなく、そもそも清貧を是とする聖騎士は給料自体もそう多くはない。
とてもではないが、ネイアの財産を投げ打っても買えるはずがない。
「…………大丈夫。これは私が店の手伝いをしてアインズ様から頂いたお小遣いで買った物……だからネイアにあげる」
無表情ながら、どこか自慢げに胸を張ってシズが言う。
これほどの品を買えるほどとは、一体どれだけのお小遣いだというのか。
恐らく、シズに甘いアインズが損失を考えず、少額でプレゼントしたと言ったところだろうが、だからこそ、それをネイアが貰うわけにはいかない。
「いいえ! そんな大事な物を頂くわけにはいきません。シズ先輩が使って下さい。先輩はアベリオン丘陵に行くこともあるんですから」
シズは現在、このホバンス支店と共に、アインズが手に入れたアベリオン丘陵の管理も行っていると聞く。
そこに住む亜人たちは全てアインズの配下になったと聞いているが、どんな組織にも例外はいる。全員が全員同じ気持ちと言うこともないだろう。
防御力の高いこの鎧は万が一に備え、その際に使用するべきだ。
「…………私のメイド服はこれよりずっと凄い……だからこれは使わない。ネイアが貰ってくれないと捨てることになる」
確かに、今は外されているが、聖王女を救出した際などに見た、戦闘時のシズの服は各部が金属版で覆われ、
この防具よりそちらの方が強いから着る必要はない。というのも納得できるが、だからと言って頷くことは出来ない。
何と言えば納得してくれるだろう。と頭の中で考えていると、クスクスと忍び笑いが聞こえた。
「…………どうしたの。ユリ姉」
「あら。ごめんなさい、シズがとても楽しそうだったから、つい」
声の方を向くと、夜会巻きに眼鏡を掛けた女性がティートレイを持って立っていた。
「あ、アルファさん。お邪魔しています」
慌てて頭を下げる。
いつもは帝都支店に勤めているというシズの姉である彼女、ユリ・アルファ──共通点は美人であるという事しかなく、顔立ちも似ているとは言い難く姓も違うことから恐らく義理の姉妹なのだろう──とは開店パーティーの際に一度会っている。
王国の支店で店主を務めているという、ソリュシャンという金髪の女性と一緒になって、色々と歓迎を受けた。
パーティーでも出されなかったような様々な食べ物や飲み物も振る舞われ、明らかな特別扱いを受けたが、それだけシズが皆に可愛がられていると言うことなのだろう。
そのシズは姉が自分以外に構うことを不満に思ったのか、対照的に不機嫌になって、思い切り頬を引っ張ってきたのも今となっては良い思い出だ。
しかし本当にいつの間に部屋に入ってきたのか。
ここは魔導王の宝石箱の店員用の休憩室であり、誰かが入ってくれば、人より感覚の優れているネイアなら直ぐ気付くはずだが。
完成されたメイドの足運びは熟練の
そんなことを考えていると、再びユリが小さく笑う。
「そう畏まらないで下さい。貴女は本日シズの友人として、こちらが招待させていただいたのですから。私のこともユリと呼んで下さい」
「あ、いえ、あの……はい。ユリ、さん」
穏やかな微笑を浮かべるユリに、何故か反論ができず、言われるまま名前を呼ぶ。
「はい。では私もネイアさんと呼ばせていただいて宜しいですか?」
「あ、はい! もちろん」
シズもまた信じられないほど顔立ちが整っているが、どちらかと言えば可愛らしいタイプだ。しかし、ユリのそれは大人の色香と言うべきか、シズとは明らかにタイプが異なる。自分の周りではそうした人物はいなかったこともあって変に緊張してしまう。
顔立ちではなく、内面で言うのなら、この慈愛に満ちた微笑みや、怒っている姿が想像もできない穏やかで優しそうな性格も合わせて、自分の主君である聖王女に少し似ているかも知れない。
「…………むぅ。ネイア、良いから、これ」
しびれを切らしたように、テーブルの上の鎧を手に持つと、シズはネイアに無理矢理それを渡してくる。
「ですが……」
一応持ってみるが、その鎧はやはりというべきか、金属製にもかかわらず非常に軽い。それもルーンの力によるものなのだろう。
この軽さで防御力も高いというのなら、以前ネイアが借り受けた伝説級の弓、アルティメイト・シューティングスター・スーパーに勝るとも劣らない物に違いない。
どうしたらいいのだろうか。とネイアはお茶の用意を始めたユリに、助けを求めて視線を送るとユリは優しげな微笑を浮かべた。
「受け取って下さい。彼女はお金を使うのがあまり上手くは無いのです。プレゼントとはいえ、こうして自分からお金を使って購入したのは、姉として私も嬉しく思っているんですよ」
「そうなんですか?」
お金を使うのが上手くない。とはなかなか斬新な物の言い方だ。
問われたシズは相変わらず無表情ながら、どこか拗ねたように口を開いた。
「…………ユリ姉もお小遣い使わずに貯めている」
「うっ」
図星を突かれたようにユリも言葉に詰まる。
こちらもこちらで意外だ。
そうしたネイアの視線に気づいたのだろう、ユリは小さく咳払いをして強引に話を変えた。
「私のことはともかく。私自身それは持っていった方が良いかと思います。今回の戦争の相手は法国なのでしょう? 軍事力で言えば、周辺諸国でも抜きんでた存在と聞き及んでいます。備えは大切ですよ」
ユリの言葉を聞いた瞬間、体がビクリと震えた。
今まで考えないようにしていたことを思い出してしまったのだ。
実践は初めてではない。
ヤルダバオトの動乱の折り、ネイアはアインズと共にアベリオン丘陵に出向き、シズと共にアインズの露払いとして戦闘もこなした。
カリンシャではあの強大な悪魔、いや魔神とも戦った。
しかし今回はただの戦いではなく、戦争だ。
それも相手は人間なのだ。
ネイアたち聖騎士団の役割は聖王国を守ることであるが、ヤルダバオトとの戦い以前でもその総数は五百人ほどであり、人と人との戦争ではなく、あくまで数に勝る強大な力を持った亜人などと戦うために組織された、聖王女直属の精鋭と言った方が良い。
だからこそ、その訓練も人ではなく亜人などを想定したものばかりであり、人と戦う術は殆ど知らない。
現在、法国との戦争に向け、聖騎士団も通常の訓練だけではなく、人同士の戦争における戦略や指揮系統の確認などの準備に入っているが、ネイア自身まだ覚悟が決まっていない。
いや、覚悟はできている。
ネイアは既にアインズを通して、自分にとっての正義を見つけている。
力を正しく使って、自分にとっての大切なものを守る。それこそがネイアの正義だ。
聖王国という大切な祖国を守るためならば、例え相手が人間であっても戦う。
その覚悟はあるが、実際にその場に立った時本当に動くことができるのかは別の話だ。
いざという時、動きたくても動けなかったらどうしたらいいのか。そんなことばかり考えてしまう。
そんなネイアの心を見抜いたように、ユリはテーブルに着くようネイアに勧め、そのまま一言断りを入れて自分もまたテーブルに着いた。
そうして向かい合ったユリはネイアの瞳を見た。
目付きの悪さのせいで目をそらされることは多々あるが、こうして真っ直ぐに見つめられる経験などあまり無い。ネイアは気まずさを覚え、僅かに視線を下げてしまうが、ユリはそのことを気にした様子もなく、慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべ、静かに告げた。
「……何か、他の心配ごとがあるようですね」
図星を突かれ思わず顔を持ち上げると、隣で紅茶ではなく、ユリが一緒に持ってきた透明な容器に入ったドロドロとした茶色の飲み物を飲んでいたシズもまたジッと、ネイアに視線を送ってきた。
「…………話して。私が先達として、ネイアを導く」
飲み物をテーブルに置いてから、さあ来いと言わんばかりに胸を張ってシズが言う。
以前から感じていたが、シズは先輩や先達と言った言葉、より正確に言えば姉のような立場を気に入っているらしい。
その様子はままごとで母親役をしたがる子供のようでむしろ微笑ましさを感じるが、シズなりにネイアの力になりたいと純粋に思ってくれているのは伝わった。
意を決して、ネイアは今自分が抱いている不安を言葉にして説明した。
「なるほど。お話はよく分かりました」
話を聞き終えたユリが黒縁の眼鏡を指で持ち上げる。
この距離で見ると、その眼鏡はレンズの入っていない、伊達眼鏡であることに気がつく。
ファッションなのか、それともマジックアイテムか何かなのだろうか。
そんなことを考えていると、そのレンズの入っていないはずの眼鏡がキラリと光った……ような気がした。
「それを解決する術は一つしかありません」
「本当ですか! どうしたらいいんでしょうか?」
藁をも縋る思いで身を乗り出すネイアを真っ直ぐに見つめたまま、ユリは口を開く。
「取りあえず殴ってから考えれば良いのです……いえ、ネイアさんの場合は弓でしたか? どちらにせよ、先ずは行動を起こすことです」
何の迷いもなくきっぱりと告げられた言葉に、ネイアは困惑した。
「……えっと?」
冗談か何かだろうか。とシズに視線を向けるが、彼女はユリに顔を向けパチパチと手を鳴らし始めた。
「…………おー、流石ユリ姉。アインズ様から脳筋と言われているだけのことはある」
馬鹿にしている様子はなく、本気で感心しているようだ。
そしてその言葉を受けたユリもまた、殆ど表情には出ていないがどこか誇らしげに見えた。
(脳筋って良い言葉ではないよね? なんでユリさんは誇らしげなんだろう)
「そ、それはその通りなんですが。そもそも動けるかが心配なんです」
もしかして自分の説明が下手だったのだろうかと、慌てて付け加える。
「動けるかが不安ならば、動けるまで幾度も反復練習すれば問題はありません」
またもピシャリと言い切られて、ようやくネイアは悟った。
(あ、この人、団長側の人だ)
まだ根性論で全てを解決しようとしない分、以前のレメディオスよりまともだが、理論より行動を重視するタイプと見て間違いない。
そしてこの手が次に取る行動は、聖騎士団の者であれば誰もが知っている。
「そうと分かれば早速練習あるのみです。私は本日は休日ですので、差し支えなければお付き合いいたします」
差し支えなければ、と言っているが彼女の中では既に決まっているのだろう。ユリは早速とばかりに椅子から立ち上がる。
「あ、いえ、あの」
「私は準備をして参りますので、ネイアさんも用意を調えてから店に来て下さい。武具を試すための練習場があります」
それだけ告げるとユリはさっさと部屋を後にする。
有無を言わさぬ行動力に戸惑っていると、シズもまた椅子から立ち上がり、椅子の上に置いていた鎧を再び手に持った。
「…………私はまだ仕事がある。後で合流するから、これを着て練習して。慣れない武具は危ない」
「いえ、ですから──」
「…………今回の戦争。前みたいに徴集兵も参加するんでしょ?」
「あ、はい。恐らく」
副団長であるグスターボが兵士がなかなか集まらず、このままでは徴集兵を集めなくてはならなくなる。と愚痴を言っていたことを思い出す。
何故そんな大切なことを見習いでしかない自分に。と思ったものだが、色々と事情を知っていて愚痴を言える相手は自分くらいしか居なかったのだろう。
「…………その人たちはもっとやりづらい、はず。だったら、ネイアたちがしっかりしていないと駄目」
相変らず感情のこもらない淡々とした、その言葉ではっとする。
正式な訓練を受けている職業軍人、いわゆる軍士は以前の戦いでその数を大きく減らした。ネイアの両親もそうだ。
そしてその再編成はまだ済んでいない。
徴集兵も訓練を受けてはいるが、あくまでもそれは対亜人用のもの。同じ人間を相手にする精神的なハードルは軍士より遙かに高い。
だからこそ、そうした者たちの模範になるべき自分たち軍士が、そんなことで悩んでいてはいけないと、シズはそう言いたいのだ。
「ありがとうございます。シズ先輩。これ、頂くのではなく、お借りします」
そう言いながら鎧を受け取る。ただし、貰うのではなく借りると付け加えて。
アインズからアルティメイト・シューティングスター・スーパーを借りた時もそうだった。
約束を叶えるために努力する。そうした意志の力は決して侮れないものなのだ。
「…………ん。分かった、だったら絶対に返しに来ること」
ネイアの言いたいことを理解したシズは納得したように頷く。
「はい!」
ネイアは力強く返事をした。
シズの作り物のように非常に整った顔には、今も殆ど感情が浮かんでいない。
だがネイアにはその時のシズが笑っているのだと分かった。ほんの僅かな変化だったが、それでも確信を持って言える。
自分の先輩にして、数少ない友人の表情を見極めるのは、今のネイアにとってはそう難しいことではないのだから。
ちなみに姉妹以外にはメイドとして一歩下がるのが基本のユリがここまで強引な行動を見せているのは、シズの友人であるネイアに死んで欲しくないという思いもそうですが、アインズ様からもネイアを気に掛けるように言われていたからです