フォーサイト、魔導国の冒険者になる   作:空想病
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ズーラーノーン -7

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 ・

 

 

 激震。

 何かが爆発したような暴音を聞いて、男は目を覚ます。

 意識に霞がかかったような視力と頭で周囲を見渡した。

 貧相な身なりの人間や、見たこともない亜人。

 誰もが呆然としており、虚空や床面を眺めるだけ。

 ここはどこだと思う矢先、自分の顔面や全身に走る痛みに呻く。

 寝ている間に、誰かからしこたま殴られ、蹴り上げられたような感じか。

 

「い、……いっ、た、い……な、に……が……?」

 

 思考する端で、何かの衝突音や金属音や爆音──怒号と烈声が、外から盛大に聞こえてくる。

 徐々に、自分がどうなったのか、どうなってしまったのか順に思い出す。

 帝国貴族としての地位を追われ、全財産を失い、闇金に脅迫恫喝されるまま、妻と共に教団の奴隷として──

 思い出した途端、恐怖が喉元にまでせりあがる。

 とにかく、ここから──出なくては──逃げなくては。

 奴らに、ズーラーノーンに、バケモノどもに殺される前に。

 

 男はふらつく足を引きずりながら、這うような速度で、部屋の外を目指す。

 

 

 ・

 

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)負の爆裂(ネガティブバースト)〉!」

 

 強大な漆黒の光が、負の力が、ヘッケラン・ターマイトの全身を包み込んだ。

 善に傾注する存在やモンスターに対しての、特効性能を発揮する広範囲攻撃。

 神聖属性ポーションで強化された存在には、覿面な効果が期待できる魔法は、大広間内部にも甚大でない破壊の爪痕を刻み込む。

 衝撃でシャンデリアが砕け落ち、効果範囲となった内壁や装飾、窓硝子なども粉砕されていく。建物部分で唯一無事なのは、儀式魔法陣を刻まれた大理石の床面だけ。

 人間一人など、容易く死亡させてもよい破壊の惨状が広がる中で、

 

「なに!?」

 

 シモーヌは目を見開いた。

 

「なんで、おまえ!」

 

 魔導国の冒険者、ヘッケランは、ほぼ無傷。

 現実を拒絶するシモーヌ。

 第六位階魔法を浴びて、無事で済むものなどありえない。

 いかなる英雄英傑であろうとも、人の域を超えた先にある魔法に触れて、何の傷も負わないなどと──

 ふと、不敵に微笑みながら沈黙を続ける冒険者の指に、それまではなかった装備品が薬指に嵌めこまれているのを、シモーヌは発見。

 その意匠は、400年を生きる吸血鬼にとって、あまりにも知り尽くしている造形。

 

「ッ、骨の竜の指輪(リング・オブ・スケリトル・ドラゴン)──くそガキが、そんなものまで隠し持ってやがったか!」

 

 あの指輪は、骨の竜の頭蓋のごく一部を加工し、奇跡的な確率で製造されるレアものだ。

 そもそも、素材となる骨の竜自体が、一体討伐するだけでも驚嘆と賞賛に値するアンデッド。

 そのアンデッドの残骸を加工し作られた装備品の一部には、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の特性が付与される。

 

 ヘッケランが即座に荷袋から取り出し指に嵌めこんだ防御アイテムの効能は、『魔法(第六位階以下)を無効とする』もの。無論、それほどの効能のアイテムは、外の世界ではめったにお目にかかれない一級品。剣と鎧だけでなく、魔導国の一部冒険者にはそんなものまで配給されていたのだ。

 

 シモーヌとの戦闘直前のこと。

 

 ──「ヘッケラン──あの子の“位階”だけど……」──

 

『相手の扱える魔法の位階を看破できる』タレント──その異能を使うアルシェが、指で示していた数字は、“6”。

 それがあったからこそ、魔法が詠唱された瞬間に、ヘッケランはオリハルコン級のチームリーダーへ支給されていた防御アイテムを、冷静に確実に取り出すことが可能であった。

 しかし。

 このアイテムの効果は、無制限ではない。

 それを知っているシモーヌは、高らかに朗らかに、歌うかのように宣言する。

 

「んなもの! たった五回の回数制限が尽きるまで、何発でも喰らわせるだけだ!」

《それはどうかナ?》

 

 声と共に現れた巨大な影は、大広間でも余裕で翼を広げられるアンデッドモンスター……本物の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)

 

「な、なんで、こんなところに、こいつ、が……?」

 

 ヘッケランたちも驚愕の表情で吸血鬼の視線の先を見る。

 骨の竜の足許で微笑むクレマンティーヌと、謎の頭蓋骨(アンデッド)

 

「カ! ──頭蓋骨さん!」

 

 やられたと思っていた同僚の無事を見止め、全員が戦いを忘れ相好を崩した。

 

「……ば、かな」

 

 対して。怒りと屈辱で冷静さを失い視野狭窄に陥っていた吸血鬼は、自分が見逃していた異常事態の連続に愕然となる。

 

「て、てめぇは、バルトロが速攻で叩き斬っただろうが! なんで消えてねぇ!?」

《敵にタネを話す義理はあるまイ?》

「くそ! バルトロの奴どこに!」

 

 毒づくシモーヌは、自分の懐を右手で探った。

 

「させるかよ!」

 

 その腕めがけて、ヘッケランの〈空斬〉が素早く殺到する。

 何らかのマジックアイテムでも取り出そうとしたのだろうが、シモーヌの切り落とされた右手には何も握られていない。

 

「チィ! ──〈(メッ)

《〈伝言(メッセージ)〉を送っても無駄だ。今あやつには、魔法的なものは一切届かぬと思エ》

 

 事実、シモーヌの〈伝言〉は、着信者と繋がることなく終了する。

 

「降参するなら~、今のうちじゃあないかナ~?」

 

 クレマンティーヌから微笑みまじりの申し出を受けても、シモーヌは鼻を鳴らすだけ。

 

「ハッ、なめてんじゃねぇぞ、クソガキ共が!」

 

 尚も居丈高に吠える吸血鬼。

 

「骨の竜ぐらい、私一人でブチのめせるんだよ! 調子に乗るなよ頭蓋骨野郎ガっ!」

 

 怪物的な身体能力を有するシモーヌだからこその発想。事実、シモーヌの腕力脚力であれば、骨の竜を打倒することも可能な芸当であろう。

 しかし、カジットは指摘されたことを、十分に(わきま)えている。

 

《だろうな。それができる存在がいることくらい、よくよく知っているとモ》

 

 故に。カジットは骨の竜を前に出さない。

 加えて、骨の竜に十二高弟の一人を閉じ込めている状態だ。

 無事ではないだろうが、わざわざ骨の竜を吸血鬼に砕かせて、みすみす解放する道理もない。

 

《貴様が第六位階魔法を使えるのは知らなかったが、まぁ、“盾”の役割に徹させればよいだろウ》

 

 カジットは後方支援役の三人のいる傍に、骨の竜を移動させる。

 メインの攻撃は、ヘッケランとクレマンティーヌが担当。

 

《貴様が降伏せんというのであれば──徹底的にやるだけダ》

 

 戦闘は継続された。

 体温のない身体に、憤怒の血潮が巡るのを感じ取る。

 

「単純な話だ! さっさと前衛を狩って! 後衛をブチ殺すだけのこと!!」

 

 切り札であろう第六位階魔法まで十分な働きが期待できない相手を前に、シモーヌは敢然と戦うのみ。

 

 

 ・

 

 

「やらせるかよ!」

 

 ヘッケランは吠えた。吸血鬼は不気味に不吉に微笑み続ける。

 シモーヌの攻撃魔法は、確かに有用な働きを示せない。

 それでも、すべての魔法が潰れたわけではない。 

 

「〈鎧強化(リーンフォース・アーマー)〉〈盾壁(シールドウォール)〉〈中級筋力増大(ミドル・ストレングス)〉〈中級敏捷力増大(ミドル・デクスタリティ)〉〈死者の炎(アンデッド・フレイム)〉!」

 

 自己強化魔法の重ね掛け。

 通常の雑魚相手であれば全く必要ない措置であるが、今回の相手は、手心を加えていられる者ではなくなったようだ。

 吸血鬼の全身は堅くなり、不可視の障壁に覆われ、ただでさえ怪物じみた膂力と速度を誇る化け物が、さらに上の段階にのぼりつめる。とくに、生命を奪う負属性の黒い炎は、ヘッケランのような生命にとっては危険極まる。神聖属性が付与されていても──否、だからこそ危険か。

 だとしても、ヘッケランは怖じることなく進撃を続ける。

 

「ダンジョン第二階層での戦闘を思い出せ!」

 

 イミーナとロバーデイクとアルシェが頷きあう。

 あの地で、数多くの強力なアンデッドと矛を交えてきた。

 特性も、能力も、弱点と攻略法も、すべて魔導国の都で、完全に近いものを教導され続けた。

 

「いくぞ!」

「この、勇者ごっこの──ただの冒険者風情がああああああああああ──!」

 

 

 ・

 

 

 フォーサイトは、確実にシモーヌという名の吸血鬼を追い込んでいく。

 襲い来る振動ノコギリ四本を切り払い、相手の肉体に少しずつ、そして確実にダメージを蓄積していく剣技。時折、斬撃や刺突、〈死者の炎〉による接触攻撃などを食らっても、双剣の戦士は仲間に傷を癒され、即座に復調。進撃を再開。

 同じアンデッドのクレマンティーヌは負属性攻撃で逆に回復するが、シモーヌは徹底的に女戦士の接近を〈魔法の矢(マジック・アロー)〉や〈炎翼(フレイムウィング)〉で振り払い続ける。そのたびに、クレマンティーヌは頭蓋骨の召喚した骨の竜の足許に後退。負の力で回復。そして、ヘッケランがシモーヌの注意をそらしている隙に接近と攻撃を試みるサイクルが確立している。

 飛行する吸血鬼に対し、ヘッケランとクレマンティーヌも〈飛行〉の指輪で応戦。戦士たちは空中戦が得意というわけではないようだが、それでも、空をいく敵との戦闘訓練も、魔導国の冒険者には必須技能として教え込まれている様子だ。

 一瞬一秒の油断も許されない状況で、どちらが勝って生き残るかの鬩ぎ合いを演じ続け、──天秤は徐々に、フォーサイトの側へと傾いていた。

 

 

 ・

 

 

「ッ、く……そ!」

 

 いかにシモーヌが高位の魔法詠唱者であり、大陸中央の御伽噺に謳われるバケモノ吸血鬼であろうとも、魔導国で鍛え上げられた冒険者と、アインズ・ウール・ゴウンの支配するアンデッドの力は、もはや疑う余地もなく脅威的である。

 

「くそ、くそ、くそ、チクショおおおおおおおおおおおおお──!」

 

 認めたくない……その思いから、幼女の見た目からは想像もできないほどの蛮声を轟かせながら、吸血鬼は突貫。

 

「アダマンタイト級ですらない──オリハルコン級のくせにッッ!」

 

 だが、クレマンティーヌの〈不落要塞〉に阻まれ止められ、そこにヘッケランの〈双剣斬撃〉で切り刻まれる──このパターンだけで、既に七度目。

 シモーヌの弱点である神聖属性を身に帯びた戦士の武技は、容赦なく躊躇なく、吸血鬼の四肢を落とし、死体の身体を蹂躙していく。

 

「クソカスが! あのォ、あのポーションさえ無ければァァァあああああッ!」

 

 想定外中の想定外。

 魔導国に忍ばせているズーラーノーンの間者(スパイ)ですら知りえない領域で、アインズ・ウール・ゴウンの事業は進歩を続けていたという、事実。

 200年以上前のかつて、増上慢の亜人(ビーストマン)共を適当に狩っていた際に相対した最悪の存在──失われたはずの技術まで掌中に収めるアンデッドの王の計略が、シモーヌの体温のない肉体をさらに凍てつかせる。

 ふと考える。

 ──あるいは、──魔導王であれば、あの御方を、シモーヌが真実愛する盟主を、……討ち滅ぼせるのではあるまいか?

 

(バカか、私はッ!)

 

 ありえない可能性を想起してしまった。不忠不敬にも程がある。臓物が焼けるがごとき怒りを己自身に懐いた。あまりの愚劣さ故に、自分で自分の首を切り落としたくなる。無論、この戦況では、一滴の血も無駄にはできないのでやれはしないが。

 

(あの御方こそが最強だ! この私に、不滅の肉体を与え! 人生を謳歌させてくれて! 使命と存在理由を授けてくれた、あの方こそが!!)

 

 そうやって思考を巡らせる間に、ヘッケランの〈空斬〉が、シモーヌの左腕を斬り飛ばした。二本目の神聖属性ポーションのみならず、仲間たちからの支援魔法を受けた戦闘能力は、確実にバケモノのそれと比肩する領域だ。

 忌々しい。つくづく、神聖な力という奴との相性の悪さを痛感させられる。

 忌々しすぎる。かつての自分は、ソチラ側の存在だったことを思い出されて、吐き気がする。

 ふと、気づく。

 

(まずい!)

 

 見下ろした左腕の再生速度が、最初のころに比べて(のろ)くなっている。

 原因は、ひとつ。

 ここでの戦いで、血を失いすぎたのだ。

 奴隷詰所でしこたま補給してきたはずなのに、気づけばそこまで血を流しまくっていたとは。

 吸血鬼の異変と焦燥に気づいたクレマンティーヌ──女の表情が、黒く、黒く、嗤う。

 

「ッ、雑魚どもガぁアアアあああ! 私に! 血を寄越せッッッ!」

 

 シモーヌは獣声を張り上げる。

 目指す標的は後方支援の連中。

 その意味することは、ただひとつだけ。

 

《近づけるな!〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉!》

「は──はい!〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉!」

 

 魔法詠唱者二名から放たれる牽制射撃群+野伏(レンジャー)の純銀製の(やじり)。神官は体力魔力を温存すべく、仲間たちに適時的確な治癒と強化を施す機会をうかがう待機状態だ。

 シモーヌは、今まで避けもしなかった魔法の雨も、可能な限り(かわ)す。

 通常であれば強引に突撃しても構わない連射攻撃であるが、神聖属性で弱り切ったアンデッドの肉体には、些か以上に無理があった。

 なんとか素早く銀の矢と光弾雨の追尾を避けて(かわ)しきっても、魔法のスティレットを携えた女戦士が、音もなく殺傷圏内に滑り込んでくる。

 

「死ね」

 

 背中から肋骨の隙間を狙って、心臓に突き入れられる刃。

 その先端から溢れるのは、炎属性の豪火。

 

「ゲぇアアアアアアアアああああああああああ──く、クソ!」

 

 ヘッケランもそうだが、クレマンティーヌも尋常でない数の魔法武器を有している。魔法蓄積のスティレットだけで、すでに十数本を消費しているのに、またもクレマンティーヌは刺突武器を両手に構える。魔導国の冒険者は、いったいどこにこれほどの備えを……あの荷袋……まさか、無限に装備やアイテムを収納しているというのだろうか。〈道具破壊(アイテム・ブレイク)〉を使えば使用不能になるだろうが、骨の竜の魔法耐性圏内には、シモーヌの魔法は通らないし、高速で移動する前衛二人に魔法をぶつけるのも難しいときている。

 吸血鬼はたまりかねて、苦い声を溢す。

 

「クソ冒険者どもが! た、たった一人相手に!」

「はッ。あんたみたいなバケモノが言っていい台詞かよ、そレ!」

 

 嘲笑うクレマンティーヌの蹴りで態勢が崩れ──直後に、ヘッケランという若造の一太刀で蝙蝠の翼を断ち切られる。

 無論、クレマンティーヌの主張こそが、完全に正しい。

 

「私が言えた義理じゃねぇけどさぁ……私と同じように、てめぇも弱者を好きなだけ嬲り殺してきたんだろうが。だったら、てめぇの番が回ってくるのは、自然の道理ってもんだろうガ!」

「チィ!」

 

 シモーヌも、それを理解している。理解していても言ってしまった。そんな己を恥じる余裕すらなくなりつつある。

 疑念と憶測を振り払い、残り少ない再生力を使って、肉体を再構築。

 蝙蝠の被膜で宙を叩き、道具の力で〈飛行〉状態にあるクレマンティーヌとの高低差をつくる。あきらめることなく、冒険者の円陣を崩し殺戮すべく突撃。

 無論、敵となった元十二高弟・女戦士は、追撃を緩めない。

 

「フォーサイトの皆の血を吸って回復しようったって、そうはいかねぇんだよォ!」

「ッ! クソ、クソ、クソ、くそ小娘が!」

 

 シモーヌは元同胞の冷笑に悪態を吐きつつ、冷静に思考するよう己に促す。

 

(マズい。このままだと確実にマズい。何とかして力を戻さないと、それには“血を飲む”しかない──しかし!)

 

 ここから、壊れた広間の外に逃げ出す──というのもひとつの手であるが、それは、ズーラーノーンの十二高弟──バケモノの頑強なプライド──盟主に仕えるシモベの自尊心が許さない。

 だが、冒険者どもの防御陣は、クレマンティーヌと謎の頭蓋骨アンデッドが加わることで、強固さを増している。

 これでは、フォーサイトとやらの後方連中から血を搾り取るのは、ほぼ不可能。

 神聖属性を身に帯びる前衛の男など、吸血対象にはなりえない。

 血を流さぬアンデッド二体は、論外もいいところである。

 

(血を、血を、血を……なんとしても、血を!)

 

 ここで討滅されるなど冗談じゃない。クソったれな巫女姫としての生から救い出し、アンデッドとして転生させてくれた御方……大恩ある盟主のために滅びるのであればともかく──こんなくだらない状況で、あんなクソみたいな連中のために、御方に忠節を誓う(シモーヌ)がくたばるなど、あってはならない──あっていいはずがない!

 私は、あの御方のシモベ──敗北も逃亡も許されない!

 自分自身への憤怒と失望を懐くシモーヌは、ふと、奴隷部屋の戸口から、外に出ていく人影を、顔を真っ赤に腫らした中年男の虚ろな足取りを、冷静さを保つ吸血鬼の超人的な視力で捉えた。

 あれは、副盟主の計画に使うべく、大広間の控室に連れ込まれた奴隷──

 だが、四の五の言っている場合であるものか。

 

「血ぃヲォ、よコせェェェえええええッ!!」

 

 

 ・

 

 

 同時に、

 フォーサイトの一人も、奴隷の一人が外に出ていくのを確認した。

 いち早く振り向いたのは、イミーナ。半森妖精(ハーフエルフ)の耳が、戦闘の激音が響く最中で気づいたのだ。

 

「な、あれは!」

 

 フォーサイトが背後に守っていた──シモーヌに突っ込ませたら回復されてしまうだろう奴隷たちの控室から、十数メートルは歩いたのだろう──殴り続けられた顔面を片手でおさえ、もう片方の手を壁に這わせて歩く、一人の男の姿。

 隅の部屋で唯一そのような状態に陥った奴隷──見間違いようもなく、アルシェの父親が、このタイミングで正気を取り戻した。

 

「さ!」

 

 最悪だ!

 吸血鬼が血眼を剥いて滑空する方向に、意識不明瞭な奴隷が一人。

 ここで、血を吸われて回復されては、今までの苦労が水泡に帰す。

 だが、──よりにもよって、目覚めた奴隷が、アルシェの────

 そしてアルシェもまた、イミーナと視線の先を同じにして、気づく。

 瞬間、少女の顔が形容しがたい感情で歪む。

 

「く……」

 

 シモーヌの〈負の爆裂(ネガティブバースト)〉による衝撃で、大広間の一角が壊れ、魔法の香が外に漏れ出たおかげか。あるいは、実の娘が殴る蹴るなどの暴行を加えた、その痛みで遅れて目覚めたのか。または、その両方か。

 いずれにせよ、このまま吸血鬼の餌食(えじき)になっては、いろいろと面倒になる。

 だから、

 

「クレマンティーヌさん!」

 

 アルシェは仲間の名を叫んだ。

 

 苦手な〈飛行〉をアイテムで必死に駆使するヘッケランも、吸血鬼の意図を読んで、進路妨害を試み続ける。

 

「いかせねぇぞ!」

 

 それでも、回避に徹したシモーヌの能力は尋常ではない。

 本体をとらえたと思ったら、次の瞬間、全身がただの蝙蝠の群に変じて、群体はそのままヘッケランを襲撃してくる。

 

「く、待、て!」

 

 神聖属性が付与された体に吸血鬼の小蝙蝠(レッサー・ヴァンパイア・バット)からのダメージは通らないが、それでも〈飛行〉の足を止めざるを得ない。

 

「モラッタぁぁぁぁぁああああああああああ!」

 

 轟く吸血鬼の歓声。

 壁にもたれ、歩を進める奴隷の首筋へ確実に喰らいつく──直前。

 超高速で疾走する女戦士が、奴隷の身体を抱えて、広間を吹き抜ける風のごとく踏破していた。

 シモーヌは喚き散らす。

 

「ッ~! “疾風走破”がアアアアアアアアアアあああああああああ!」

 

 喚く吸血鬼の翼と背中を、カジットの〈強酸の槍(グレーター・アシッドランス)〉とロバーデイクの〈中傷治癒(ミドル・キュア・ウーンズ)〉──ヘッケランの〈双剣斬撃〉が叩きのめしていく。

 

 

 その間に。

 大広間を一周する感覚で、クレマンティーヌはアルシェたちと、合流。

 

「で、どうすんノ?」

 

 乞われるがままひとっ走りして回収した奴隷を、少女の前に放り棄てる。

 奴隷の男──尻もちをついたアルシェの父親は、混乱した脳みそで、フォーサイトを……その一員を見上げる。

 その眼をしっかりと瞬かせて。

 

「……ア……ル、シェ……?」

 

 ようやく娘との再会を果たした父。

 まるで数年ぶりの邂逅であるかのように瞳を潤ませ、滂沱の涙を流すさまは、いかにも感動的だ。

 しかし、アルシェは一言も、応じない。応じるわけがない。

 そんな娘に対して放った、父の第一声は──

 

「お、おお……アルシェ、わ、わたしを、た、たすけにきてくれたのか?」

「……」

「おお、そうだ。そうだろうとも。む、むすめであれば、ちちである、わた、私をたすけるのは、とうぜんのこと。で、でかしたぞ、さすがは私の娘!」

「……」

「さぁ、はやく! いますぐここから逃がしてくれ! 私を、おまえの父をたす」

「ッ!」

 

 

 アルシェの平手が、問答無用で父の顔を打った。

 

 

「な」

 

 驚愕の声をこぼす父。

 縋りつこうとしていた男を打擲(ちょうちゃく)した娘は、怒りと恨みと憎しみに肩を弾ませ、必死に自分の中の感情と戦い続ける。

 

「私、は、もう、おまえの娘じゃ、ない」

 

 吸血鬼との戦闘も佳境というところで、父であったモノに構っている余裕はゼロに等しい。 

 

「言ったはずだ。あの日、あの家を出るとき、私は、縁を絶った。絶縁した。もう、おまえたちとは、フルトの家とは、何の縁もゆかりもない、あかの他人だと!」

 

 言いたいことは山ほどある。罵詈雑言は数え切れず──こんな状況でさえなければ、一時間でも一日中でも、目の前のクソ野郎を殴り続けていたことだろう。

 だが、敵はアルシェを待ってくれない。

 だから、アルシェは簡潔に言い終えるしかない。

 

「もう一度だけ、言う。私は、私とウレイとクーデは、もうおまえの娘じゃない。私は……おまえの娘だから、おまえを助けたんじゃない!」

 

 イミーナとクレマンティーヌが見守る中、アルシェは杖を片手に持ったまま、父親だった男の胸倉を掴んで、告げる。

 

「いいか。助かりたかったら、私たちの邪魔をするな。あの部屋で、他の奴隷たちと一緒に、私たちの国から助けが来るのを、“ひとりで待て”。何度も言っておくが、私はおまえを助けたんじゃない。“私たちが生き残るために、おまえをあのバケモノに殺させるわけにはいかなかった”。

 ただ、……それだけだ!」

 

 親愛の情など一片もない。

 憐憫や慈悲など欠片(かけら)ひとつない。

 純粋な戦闘判断によって、あそこで奴隷の血を吸わせるリスクを、見逃せるはずがなかった。

 だから助けた。

 けれど、それで終わり。

 これ以上は助けない──助けることは許されない。

 

「お、おまえ。そ、それが、父親に、たいする」

「言ってるだろ! もうおまえは! 私の父なんかじゃないッ!!」

 

 アルシェは殴るでもなく、掴みあげていた奴隷の衣服を突き飛ばすように手放した。

 再び尻もちをつく男を一顧だにせず、仲間たち三人が包囲し抑え込んでいる化け物に向けて、威力を上げた〈魔法の矢〉の追尾弾を放つ。

 藁にもすがる思いで、這い寄ろうとする元父親。その襟首をイミーナは掴んで、速攻で叩き伏せた。

 抵抗する肉体を、靴の底で静かに踏みしめる。

 

「アンタの話は、アルシェから聞いてる」

 

 イミーナは残り少ない銀の矢を二本(つが)えた。

 無論、標的は──ヘッケランと鍔迫り合うバケモノに向けて。

 

「本当は、アルシェの代わりに、私がブチ殺してあげたいくらいだけど……アルシェがやらないなら、私がやる意味がない」

 

 言って、ズーラーノーンの奴隷には目もくれず、戦闘を再開すべく、イミーナも戦場へ戻る。解放された男は、怒りに声を震わせた。

 

「な、なにをいって、わ、私は、あ、あいつの、アルシェの!」

「はいはーい。自称・アルシェのお父さんは、さがっててください、ねッ!」

 

 クレマンティーヌの爪先に、ほんの軽く、小石に触れる感覚で蹴り飛ばされた男は、髭もじゃの頬にさらに青痣を増やしながら、フォーサイトの防御陣の後方へ無理やりさげられる。

 

「この状況で、私らの邪魔したら、それこそ自分の首が飛ぶからさ~。……大人しくそこらへんで(うずくま)ってロ」

 

 スティレットを取り出し構えた女戦士の眼光に射すくめられ、父親は這った姿勢で、控室の扉まで退いていった。

 そんな父親の様子を遠目に、イミーナは隣で魔法を打ち出す少女へ言葉をかける。

 

「大丈夫、アルシェ?」

「やっぱさぁ、ブチ殺した方がよかったんじゃな~イ?」

 

 二人の仲間に対し、アルシェは首を振って応えた。

 

「私たちは、魔導国の冒険者です──だから、……」

 

 アルシェは戦い続ける。

 魔導国より与えられた、オリハルコン級の証を首に提げながら。

 仲間たちが死闘を続ける場所に、冒険者として、自らの意思で踏みとどまる。

 そんな少女の決意をみとめて、イミーナとクレマンティーヌも戦闘を続ける。

 

 彼らフォーサイトの戦いを、バケモノ吸血鬼との死闘を、魔導国の冒険者・アルシェの戦いを、彼女の元父親である男は、黙って見据え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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