昭和50年代のニューミュージック全盛期を象徴する人気グループ「アリス」から一転、歌謡曲の世界に。シンプルで力強く、一度聴けば忘れないメロディーの数々は、多くの作詞家と出会い、食べ、交流することで生まれた。男臭くも親しみやすい「べーヤン」の素顔は。
■売れない時代、各地の食が楽しみ
「このあいだ福岡で食べた『博多やりうどん』はヒットだった。こんなに長いゴボウ天が載っていて。博多のうどんって柔らかいけれど、柔らかいなりの腰があるんです。これはうまかった」
1972年にアリスとしてデビューしてから47年。「僕らは旅が仕事ですから」と話すとおり、グループで、ソロで、全国をくまなく巡ってきた。だから各地のうまい食の話をすると止まらない。鹿児島の塩ちゃんこ鍋、呼子のイカ、讃岐うどん……。間が開くと食べたくなる。次に行けば、もうはまっている。
70年代後半から80年代初めにかけてヒットを連発したアリスも、結成当初は鳴かず飛ばずだった。紅白幕が張られた地方百貨店の催事場。観客のまばらなホール。呼ばれれば、楽器を持ってどこへでも出かけた。74年には年間303公演という記録が残る。
お金の余裕はないからぜいたくはできない。だがライブが終わると各地のイベンターが食事に連れ出してくれる。「ってことは、おごってくれるということですから。助かりましたね」。広島のお好み焼き、岡山のママカリは中四国の旅の楽しみだった。山あり海ありの北海道は何を食べてもうまかった。
■ホテルで幕の内弁当「もう限界」
77年。「冬の稲妻」でグループをとりまく環境が激変した。ヒット曲の威力を思い知ったが、それにしても変化が急すぎた。「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」とヒットが続き、3日間連続の日本武道館公演、中国・北京での大規模なコンサートなど超過密な日程が延々と続く。「1年のスケジュールを見ると気持ち悪くなった」
人気に反比例するように、旅の楽しみは消えていった。公演が終わっても街に出ることができない。ホテルの部屋に幕の内弁当を運んでもらって食べて寝るだけ。「身も心も限界。とりあえず休みたかった」。81年11月、グループは活動を休止する。
ソロ歌手としての再スタートは、作詞家探しの道のりでもあった。アリスの作詞はほとんどが谷村新司さん。谷村・堀内タッグの楽曲は「遠くで汽笛を聞きながら」など名曲ぞろいだが、作曲家として「他と組んじゃダメなのか」との不満もあった。そんな時にグループがなくなり、一転して「詩がない(しがない)作曲家」の放浪が始まる。
そして歌謡曲に接近。三橋三智也がかかる食堂を営む家に生まれ育ったこともあり、自然な成り行きだった。周囲から「ど演歌」と言われても「いや、いい曲だから」と意に介さない。曲づくりのスタイルは一貫して、もらった詞に曲を付ける「詞先」。自身を多くの作詞家に委ねることで「次はどんな変身をしてやろうか」と役者のように楽しんでいた。
■荒木とよひささんと食事重ねる
荒木とよひささんとは頻繁に食事を重ねる仲。歌い継がれる「四季の歌」、バラエティー番組から生まれた人気曲「めだかの兄弟」などで知られる作詞家だ。札幌・ススキノの和食店でラムのしゃぶしゃぶ鍋を囲み、曲想を練りつつ、硬軟取り混ぜよしなしごとを話した。新鮮で柔らかな肉、野菜、〆のラーメン。「荒木さんは冗舌でいながら乱れない、きれいな酒」。話し上手ないい兄貴という感じで、自分は飲めなくともあっという間に時間が過ぎる。
「小椋佳さんと仕事しているんだって?」。出会って間もない頃にそう聞かれた。過ぎ去りし青春を歌った「愛しき日々」(86年)のことだ。「ああいう詞が好きなの?」と問われ、うなずくと「俺にだって(ああいう詞が)書けるんだよ」。ほどなく渡された一編「青春(ゆめ)追えば」(87年)が、2人の最初のシングルとなった。
それから3年。荒木・堀内コンビとして「恋唄綴(つづ)り」がレコード大賞など6冠を獲得し、代表曲となる。「僕ほどたくさんの作詞家と曲を作った人はいない。僕を育てたのはそんな『先生方』だった」
この5月には、何度か再始動を経たアリスが6年ぶりのツアーを始める。「ニューミュージックの先輩って、小椋さんや(吉田)拓郎さんの先にはいないんですよね」。若さに任せてメンバーで夜更けまで話し込んだ日々はもうかなた。まだまだ先頭を走り続けるつもりだ。
■名古屋なら「親子煮込うどん」
名古屋に行くと必ず出かけるのが、栄の繁華街にあるみそ煮込みうどんの老舗「山本屋総本家」本家(電話052・241・5617)。前日予約で昼間に訪れ、決まって「親子煮込うどん」(1678円)を食べる。八丁みそと白味噌をといた秘伝のだし汁で、生うどんをゆでずにそのまま煮込む。生煮えと驚く人もいるという独特の粉っぽさと歯応えは「3回食べるとやみつき」(小松原克典代表)。
具はぶつ切りのネギ、かまぼこ、あげのほか、名古屋コーチンと生卵の親子仕立て。残った汁はごはんにかけると絶品だ。名古屋は甘辛文化で自分に合わないかな、と最初こそ思った堀内さんだが、結局は「アリス時代から名古屋にいれば毎日通う」ことに。信楽焼の土鍋で供される熱々のうどんは歌う前の腹ごしらえにぴったりだ。
■最後の晩餐
だし巻き卵ですかね。子どものころ家が食堂をやっていたので、当時は高価でなかなか手に入らなかった卵が身近にありました。それで誕生日や、風邪を引いたときにおふくろが焼いてくれた。あっさりとしただしで、青ネギを散らして。あとは白いごはんで十分です。
(天野賢一)