これは法華経における釈尊が仏弟子に対して命じられた三箇の勅宣に由来するものであり、皇室の由来とは異なります。お気分を悪くされたなら申し訳ありませんが、萌え寺は久遠本仏が変じた姿で、その弘通としての事ですから法華経の弘通という意味で勅宣の言葉を用いさせて頂きました。 南無妙法蓮華経
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理屈はいくらでもつけられると思いますが、あなたのお師匠はお釈迦様でもないし、まだ学生で一人前の僧侶でもない万二さんに萌え寺の宣伝をしろというのが、釈迦の勅宣と等しいから良いのだと万二さんが言い切ってよいのか、ご住職本人に確認した方が良いと思いますよ。 あなただけでなくお寺の為に。
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畏れながら。 この師匠とは現身の師匠と久遠のみ仏を指します。つまり、現身の師の流布は総じて見れば法華経の弘通が釈尊の勅宣であると解釈に立つという事になります。 我々は常に久遠の化導にある以上、久遠のみ仏の弟子であるとの境地に立ちますのが法華宗の考えです。
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故に経文には常にここにあって法を説く。 観心本尊鈔には所化もって同体なり、との文言が御座います。またこの宣伝自体が既に認可を承っております、もしまた師からの注意がありましたのならその時に訂正致しましょう。それまではお待ち下さい。 何卒、法華の宗旨をご理解賜りたく存じ上げます。
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