ウァプラのリジェネレイトに関係するイベスト、リジェネキャラスト、今までのウァプラ関連ストーリーについて思うこと!
文字でも口でも説明するのが苦手で、ツイッターでは自分の中でミームがある単語のお察し文法を使ってしまうんだけど、大体曖昧な内容になるのでこの日記では説明しすぎ!くらいで書こうと思います、くどかったらすみません。
「公式と解釈違い」というのがオカシイ!と思う方も読まないでくださいね、気分が悪くなるだけなので…
あと、かなり長いので読んでくださる方は時間のある時にお願いいたします…
イベストが出てから3週間弱経ちましたね。
続けてリジェネレイトのキャラストも読めるようになって、新アジトセリフも出て、私はツイッターしか見ていませんがSNSでの反応もあって…
書きたいことは沢山あったんだけど、何から書いたら良いのか分からない感じです
間に色々な人の感想を見たりフレンドと話してもらったところから思ったこともあるので、そういうところの話がもし出てきて、不都合あればお手数ですがお申し付けください…
■イベストでのウァプラについて
全体的な印象として、ウァプラにかなり若さを感じたこと、この若さというのは、世界の狭さからくる若さに近いものであること
長命者という設定の時点で、精神の成熟を求めていた部分があるし、昨年12月の1周年イベ、6章2節からもそうなのかと、せめて生命や自然ということにはそうなのかと思いこんでいたので、あの描写にとても参ってしまった…
どういった部分に青臭さを感じたかというと、
・闘牛を知っていながら見たことが無い→実際のものがどんなものか自身の目で見て判断もせずに忌避していたのか~
・「野に帰せばいい」のくだり、多くの人が言ってることだけど、ウァプラがこれを言うのか…というのが本当にショック、これって「動物にも権利がある!飼ってるペットを野生に帰そう!」と同じなんですよね、冗談や口をついた発言だとしても、これを「自然を守る」というキャラが発して、そのおかしさを他人に指摘されるということ、ウァプラというキャラの方向性をここで「迷惑な自然保護キャラ」と公式に決められたなと感じます(公式は考えてないかもしれない、というか普通はこれ書く公式なら考えてないんじゃないかなと思うのですが、これまでのストーリーを書いてた公式を思うと、考えてないことあるのか?と微妙に疑ってしまいます)
・一度休もう、という場面で、皆が「ここで休まないと効率が悪い」と知っているのにウァプラだけがそれを理解できないように書かれたこと→ヴァイガルドを見回るのなんざ朝飯前なんじゃなかったのか…ウァプラの回っていた世界がどの範囲までかは今まで出ていなかったけど、つい勝手に山も海も砂漠もあると思っていた(だってキャラストや遭難では奔放だったから)、世の中には、特にメギドのストーリーに登場するくらいの街と街の距離を思うと、適切に休まないと死ぬはめになるような場面が絶対あると思う、しかもウァプラは、ソロモンの「小腹がすいたな」に対して責めるセリフのメギドが多い中で「空腹は無視しとけ、だが水分だけはとっておけよ」と生きるためのアドバイスをくれるキャラなんですよ、私あのセリフが大好きで、まず自分が生きて、そして世界を回る、守る、ができるキャラだと思っていたし、今回の蜂の巣騒ぎに似たようなことが世界を回っていれば見聞きする機会があったのではないかと思うけど、なかったのか、それとも偶然生き延びられたのか?
主に上記の3点です。
■この他、ストーリーでのウァプラの扱いでno way…になったのは
・ウァプラが足をひっぱる迷惑小僧ポジション
・馬車はいいのか…(今までずっと「馬車はありなのかな…ありかな…理解しつつもありかな…そういう表面的なところで言う人じゃなさそう…」と思ってて、からのエクウスだった)馬車に言及すらしなかったですよね、家畜でピーピー言ってる人が
・牛乳→マジですか!?マジですか~~~~!?!?!??!!?!?しかもそれをグッドエンドのオチとして使う…これで総合して分からん…になりました、まず、百歩譲って仕方なしとして革製品、毛皮、食肉をするけど牛乳は飲まなかったという曖昧な自然保護精神、そして今回の一件くらいでそれは「ちゃんとしてるならまあいっか!」に変えられるくらい軽いものであったこと(リジェネのせいだと言われても許さないよ)
だってマルチネについてはカマエルにとっての方がよっぽどデカい出来事だったよ…
カマエル良かったよね、このイベントで好きな部分です
・このウァプラ、動物を家畜化するということ知っているのかなあ…(家畜という単語ではなく)
大きなことはこの辺りです、あとはこの大きいことがあるならまああるでしょう…みたいな気持ちになるくらいでした
■リジェネレイトキャラストについて
期待してはいたのですが、イベストのことがあったのでそこまでダメージが無かったのが正直な気持ち…やっぱか~っていう…ただ、
・森を「小さな自然」発言→これ、マジかシリーズ第2弾でした、メギドラルから見たヴァイガルドと比べて、ということなのかもしれませんが、生まれてすぐ記憶を取り戻してここまで数十年、森を「小さな自然」呼ばわりするくらいしか自然の雄大さを感じられなかったということですよね、もしかするとこの歳まで領土を出ていなかった設定になったのかもしれないなと思い、それならば理屈としてはイベストの自然やヴィータ体に対する青さも納得なんですよね、納得できるのが嫌だ…やだ~~ソロモンと会う前からずっとずっと自然に対して物知りかつ真摯でいて欲しかった…(この場合の真摯は、自然と人の関わりの仕組みを正しく理解して、その上で確固たる信念で行動しているということ)
・使用人について→ベリトのキャラストが好評だったからこの路線にしようと思ったんだな~と思っちゃった、ベリトのキャラスト凄く良いよね、ベリトのことも分かるし話も良くて私も好き、でもあれは20話使って丁寧に関係性が描かれたキャラストであって、ウァプラの生まれもやりながら人との関りもやりながら子作りがど~のと茶化しながら6話でやるには尺が足りなすぎるんですよ、とっちらかってて…ウケそうな設定全部とりたかったんだろうと思う、稼ぎ頭にしたいのは分かる、もともとイケメンピックアップに入っていた人だし、BL人気もそこそこあるキャラだし、ジルみたいなのを若くして、カップリングでさせようと、思ったのか、?ハアアッッ アジトセリフに匂わせがあるのも、ベリトで好評だったからですか?劣化版になっちゃうんですよ後から何やっても…
もうウァプラと自然は徹底的に違う方向なんだ…と心が折れたので描けない感じがするけど、ウァプラにハマった去年の9月頃から、ウァプラといるかもしれない使用人がどういった風に関わっているのかは漫画も描いたくらい楽しく妄想していたので、今後描くとしたらこの辺りかなあ…という気はする、というかこの辺りしか残っていない
でも、どうかなあ…ここを描いてたら全てが思い出されるからなあ…今は分からない…
最初から合わないものなら勝手にやれるけど、途中で気持ちが違くなっちゃったものは難しい気持ちになるんだなあ…というところです。
■リジェネレイトのウァプラについて
・アジトセリフのとってつけた感が凄い、インターネットバズり単語か!?(インターネットバズり単語=キャッチーで見栄えが良い)
・「家畜は嫌いだが~」→マジか…ウァプラにとって生きているものの尊厳とは…乳牛と上手に暮らしている人間と、肉牛と上手に暮らす人間の違いは?
・「木材の乱伐が深刻でな~」→やってなかったんかいそしてもう無くなってしまっている以上しょうがないが「元に戻す」では無くて良いのかい
・「森、森、森」→森しか守らんのか?
・「菜食主義で~」→やっちまいましたね、実装前の追加セリフですか?というかむしろ逆に、これをキャッチー扱いにしないで丁寧にやってイベストに取り入れてくれたら、6章2節までのウァプラだったんじゃないかな~と思いました、でも過激ヴィーガンが話題になった頃は全部出来上がっていたんだろうし、話題にならないと取り上げる気にもならなかったのかな…しかもそっちの目線だし…
でした。
■その他について
・自然を守るということについて書いている人と解釈違いだな~と思いました、「その他」と書いていますが、これのせいで新しく出たウァプラの殆ど全てが駄目になってしまったし、今回で辛くなっちゃった人もこれが原因の場合多し感、でもここが違った!という風に説明するのも難しくてこれは…というか題材自体が難しいんだよ、人と自然(動植物や大地や海など全部)の共生って、少なくともこのゲームを作ったり、このゲームを遊んだりしている我々のような人間には不可能なことだから…
・今回、ツイッターで「ウァプラがエゴの人で良かった」というツイートを数件見たんですが、精神つらかったら嫌だったので詳しく見に行ってはいないけどそれについて、どういう視点からのエゴで良かったなんだろう
詳しく見てから書くのが一番なんだけど、あら探しみたいなので違ってたらアラマアと言ってください。
自然保護の話題で使われるエゴって、大体悪い意味が多いんですよね、上の方で書いたペットを野に帰そうみたいな、ミームみたいな感じで使われるというか…
確かにイベストのウァプラは野生で生きられない家畜化された牛を逃がそうとしたり、家畜は嫌いと言いながら「殺さないから」という理由で乳牛を許したりするので、そういった悪い意味のエゴの人ではあるかと思います。家畜動物への安易な同情と嫌悪だと思います。
が、それが良いのか!?!??!???
それって迷惑過激自然保護じゃないですか!?!?
(この場合の過激というのは、言葉がキツいということでは無くて、人のためにも動物のためにもならないというものへの概念です)
そんなちゃっちくて…良いのか…
私の個人的な感想と幻覚ですが、毎日インターネットをして、電車やバス・車や自転車で通勤通学をして、夜中まで営業しているスーパーで食べ物を買って、と言う生活をしていると、自然と本当に共生するという意見を受け入れるのは凄く難しいことです。本当に共生するなら何もかも全部捨てなければならないし…
私たちにも今の捨てられない生活がある、でも自然環境は破壊されていて、少しでも改善しようとして、プラごみを分けたり、エコバッグを持ったり、節電したりする。そんなことしないで今の文明全部捨てて人間を間引けば良い話なんですよ、でも出来なくないですか?私たち人間が住み続けながら、動物たちを管理して保護する、本来野生動物は人間に管理や保護されるものでは無いけど、でももう保護しないともういなくなっちゃうから、管理せざるを得ないっていう…
森林が減ってるから植樹をするけど、管理された森は元々あった自然の森とは別物なんですよ(詳しくないので正しいかは分りませんが、中世ヨーロッパで広葉樹が減った時、植樹で強い針葉樹を植えたら最終的に針葉樹の方が多くなっちゃった土地の話もありますよね)、でも放っておけば無くなっちゃうし人間は文明も捨てられないから人工で森を作って管理しなければならないんですよ、
普段、人間は自然に対して何をしてもエゴになってしまうと思っているんですが、だからと言ってしないのが良いという訳ではなくて…
また、例えば、ある土地にいるままだと死ぬからと、自然と人が共生していた土地に移住して、命からがら草木を除いて土地を耕して農作物を育てる、でもちゃんと生きられる畑になるころには土の成分が元の物とは全く違う、これも「自然」ではなくなっているけど移住した人々を責められないじゃないですか、
そういうタイプの難しさの上に成り立つ自然保護キャラでいてほしかった…
でも、このエゴはイベストのウァプラには無いと思っています。
このエゴを持っているならヴィータと関わっていないといけないので…。
もしあったなら、乳牛を許せば家畜も全て許さなければならないと思うんですよね、そもそも馬車を許容しているんですよこのイベスト
なんというか「機械ではないもの=自然、人間の為に利用するけど殺さないもの=良心、人間のために殺すもの=悪」という作った人達の概念がこのストーリーやアジトセリフには存在している感じがします、中世頃の世界をイメージして、屠殺を仕事にする人への偏見を前提にしていればそうかもしれないけど、そういう趣旨ではない
6章2節には多分このヴィータと自然物の、両者の間をとった丁度良いエゴがあったと思うのに…
人間と上手にやっている馬の美しさをエクウスにすすめたあのウァプラの視点は一体何だったのか…イベストの一件があったくらいで変化して出てくる言葉じゃないと思うんですよ、自然は自然にあるべきという考えのキャラクターが、人間に使われる動物の美しさを認めるということについて…
■最後に
6章2節を見た時、ソーシャルゲームでこんなに丁寧に生命と自我の話をしてくれるんだ、と思って感動しました。あの話題はユーザー全員に飛びついてもらえる話題ではなかったと思っていて、今回のイベストでなるほどなと思いました。
また、1周年イベントの時に、接木の説明で納得していたことや、周囲に「無様に這いつくばるのが今の自分だと思うのか?」とヴィータとして生きることの誇りのようなものを説いたところから、ヴィータとも、彼なりのよい関係を築いているのかと思っていましたが、イベストやキャラストにて、ソロモン一行と出会うまで恐らくそうではなかったことが明らかになり、なんだかなあ…という気持ちです。
ウァプラが、「話題になり稼げる存在」のポジションになったのであろうことが辛い。
今のメギドには稼げる存在が沢山必要なことは分かるし、いまこのタイミングで稼がなければならず、以前の方向では稼ぎにくかったんだということも分かるけど、それでも受け入れがたいものがあります。せめて他の好きなキャラクターが稼げるキャラクター像にならなければ良いなと思っています。
メギド72、今までありがとうございました。