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【社説】

国民審査判決 「違憲」なら早く立法を

 最高裁判事は国民審査で罷免できる。憲法の定めなのに海外の日本人には投票機会がない。この権利侵害を東京地裁が「違憲」と断じ、国会の立法不作為を認めた意義は大きい。法整備は急務だ。

 憲法七九条の定めでは、最高裁判事は任命後、初めて行われる衆院選で、国民の審査を受ける。その十年後にも再審査がある。これは最高裁判事の地位や権能を考え、民主的なコントロールを働かせる意味があると解されている。

 実際には「信任」なら「○」を付ける方法ではなく、「不信任」の場合のみ、国民は「×」を付ける。

 国民審査はリコール(解職)と同じ性質を持つと考えられているからである。

 積極的に罷免を求める意思を「×」で表現しているのだ。もっとも過去に判事が罷免された事例はなく、形骸化を指摘する声もある。それでも一票の不平等訴訟では原告団が新聞に意見広告を出し、人口比例選挙に賛成しない判事には「×」を記すよう国民に促しているケースもある。

 決して意味のない制度ではない。むしろ最高裁判事の任命過程で選考の経緯などは、国民に全く秘密にされている。だから任命が公正であるためには、国民審査は大切な制度と考えるべきである。

 だが、在外邦人は審査の投票ができない。そのため、前回二〇一七年の国民審査で投票を認めなかった権利侵害を正してほしいと、米国在住の映画監督想田和弘さんらが国に賠償を求めていた。

 今や海外に住む日本人は実に約百三十万人にものぼる。大きな権利侵害だとみるべきなのだ。東京地裁の判決は「憲法は国民審査の審査権を行使する機会を平等に保障している」「国民の審査権の行使を制限することは憲法に違反する」と明快に述べた。

 最高裁は〇五年に在外邦人が国政選挙に投票できない状況を違憲と判断している。下級審では一一年には在外邦人が国民審査に投票できない状況を「合憲性に重大な疑義がある」と指摘していた。長い間、国会が放置していたのは怠慢であり、明らかに立法不作為だ。当然の判決といえる。

 十五人の判事の判断次第で法解釈の変更も可能だ。最高裁の多数意見が世論と食い違うこともある。これを機に国民審査は大事な権利だと確かめたい。だから十分な情報を発信せねばならない。同時に罷免に値するか、国民自ら能動的に判断したい。

 

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