3 夢を見ているのだった。 普段は、夢を見ていても、それが夢の中の世界であるとまでは、目覚めるまでは解らない。 しかし、今回に限っては、これが夢であることをはっきりと完全に自覚していた。 そんなことは、これまででも滅多にない稀有な体験であった。 夢博士のフロイト先生なら、この夢にどんな意味を見出すのであろうか? その夢の中で俺は今よりも、少し背が低く、幼い自分自身を見つめている。 超能力者になってアルカディアに来る前だ。 多分、公立の小学校に通っていた小学5年くらいのころだ。 俺の祖父は当時も支持率100%の現役の総理大臣だったから、元々は、慶應幼稚舎への特別枠での入学が決定していたが、「現代日本の構成要素」と「社会の縮図」を学ばせたいという高級官僚の父の意向の下、地元の公立中学に通っていた。 この日は、いつものように、中秋の心地よい微風が流れ込んでくる教室の窓際の最後尾の席で、一人、黙々と文庫本を読んでいた。 タイトルは、「百年法」。作者は周木律。 今から、だいたい200年くらい前の2010年くらいの古典で、2010年当時のベストセラーらしい。 その時代に流行になった小説や漫画には、その時代の人々の考え方、イデオロギーといったものが、強く映し出されているように思う。 そして、だいたいの場合において100年前のベストセラーは、100年後の現代に生きている人間にとっては、その良さが全くよく解らなくてひどくがっかりしたりする。 100年あれば、人間の世界のシステムは屋台骨を入れ替えるみたいにすっぽりと変わり切ってしまう。 現に、この「百年法」に関しても当時は大変なベストセラーであったにもかかわらず、現在はすでに絶版状態だ。 ならば100年の時を超えても、おそらくは次の100年間においても愛され続けるであろう村上春樹の「1Q84」や村上龍の「69 sixty nine」JDサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」、そして貴志祐介の「新世界より」はどれだけ偉大なのだろうか。 そして俺は、おもむろに周木律作の「百年法」を閉じた。すると、図書館で糊付けされたこの本の推薦文が目に入ってくる。 《不老不死社会のリアリティに圧倒されて一気に読みました。永遠の若さって怖い。私は、地道に年を重ねていこうと思います。 By 秋風 クリスティーン》 「つまらないな……」 誰に言うでもなく、そう漏らし、窓の外に目を向ける。 眼下の校庭では、児童たちが、無邪気に校庭をかけ廻り、サッカーやドッジボールに夢中になっている。 その中で花音が、手を滑らせて、ボールを相手コートに落としてしまった。 すると、仲間が落胆し、花音に罵声が浴びせかけられるのと相手チームが歓喜するのが雰囲気だけでも伝わってきた。 不意に、教室の入り口から誰かの生暖かい視線を感じ取り、振り返ると担任の村地先生が静かに、可哀そうな小学生を見るような目の見本みたいな目で俺の方を見ていた。 「虚空は、皆と遊ばないのか?」 先生は、しゃがれた声で問う。 「いや……俺は、いいよ……」 彼らに混ざりたいという気持ちが全くないわけではないけれど。なんだか面倒だし。人と関わるのは疲れる。 「ほら、皆と、遊んでいるより、俺はこうやって一人で本でも読んでる方が楽しいよ。こうやって、ずいぶん前の古典を読むのは、面白いんだ。当時の社会のこと、その時代の人たちが、何を考えて生きていたのかが、物語を通してありありと伝わってくるから。だから、その可哀想な子に向けるような眼差しを向けるのは止めてください」 「なんと!?そんな目で見ていたか!?」「ええ……超見てましたよ……」 「それは、すまない。あの視線ほどキツイものはないよな。憐れまれるのは、蔑まれたり、糾弾されたり、罵倒されたり睨まれるのよりも、ずっと辛い」 「なんというか、すごく実感こもってますね……」 「先生もこんななりだからね。憐れまれることは、しょっちゅうだ。自分はこれでいいし、これで幸せだっていうのに、誰もそんなことを信じてくれはしない」 「ああ……」 確かに、村地先生はこの西暦2200年の現代社会においては特異な風貌をしていた。 白髪交じりの頭皮は禿げ上がり、頬はみすぼらしい程にこけているし、額には、深い三本線が刻み込まれている。 「老人」それは、2050年に実現した不老不死社会におけるイレギュラーで特異な存在だ。 「前から、思っていたんですが、先生はどうしてELO(不老不死になるための手術・同時に若返りの手術も受けられる)を受けないんですか?今の社会じゃ、老人は、酷く生きにくいと思うんですが。介護施設なんて、もうほとんどが、閉園していますし、年金とか、定年退職、社会福祉制度も廃止されている。現代じゃあ、老化なんて真っ先に治療すべき病気ですよ。ゲーム的にいったら『もうどく』みたいなバッドステータスに他なりませんし」 「それはね、不老不死は、生命の倫理に反するからだよ。命は、限りあるから意味があるし、美しいし、輝けるんだキリッ( ゚Д゚)」 先生は、最高級のキメ顔を作って、200年前の『前時代』の少年漫画の主人公みたいなことを言う。 「でも、有史以来、人の寿命はずっと延び続けてきたんだし、それがある時点を境に、永遠になったとしても、なにもおかしいことはないでしょう?ただの延長線上の進歩ですよ。それにさ、命が、限りあるから意味があり、美しく、輝けるのだとしたら、寿命の短い細菌なんかの命は、人間のそれより、はるかに輝き、意味があるってことになっちゃいますよ?」 「ハッハッハ。流石は支持率100%の総理大臣の孫だ。他の子どもたちとは言うことが違う。まぁ、物はいいようだな」 「詭弁だって言いたいんですか?」 「いや、詭弁といえば、先生のも詭弁じゃからな。詭弁、根拠のない綺麗ごと。生命の倫理、命の意味。そんなものは、ただの建前、どうでもいいんだ。確かに命に限りがあり、死ぬことによって生まれる意味もあるだろうが、永遠の命には、永遠の命の意味がある。永遠の美しさだって生まれる。畢竟、前時代の漫画の読みすぎだ。年甲斐もなく、漫画の台詞を使いたくなるのは本当に悪い癖だ。中二病だよ。最近ね、手塚治虫にはまっていたのだよ。今になって思えば前時代の人間はみな手塚治虫に狂信的に洗脳されすぎていた」 「じゃあ……」 「先生はね、ただ死にたいんだ。そして会いたいんだ。死んでしまった大切な人に、天国で再会することを願っている」「でも、天国なんて、あるのかないのかも解らないじゃないですか?」 俺的には天国は無いと思っている。 そんなものがあるのなら、この世界の意味が限りなく希薄になる。この生きづらい世界で、生き続ける意味なんてなくなってしまう。 天国なんてのは、不老不死が実現する前の人間が、死んで永遠に無になる。 そんな得体のしれない恐怖から目隠しするために、その恐怖を少しでも和らげ、おさめるためにでっちあげた幻想であると思う。 「まぁな。確かに虚空のいう通りだよ。でも、それでもかけてみたくなるんだよ。君も大切な人が出来て、その人がいなくなってしまったら、きっと解るだろう」 「大切な人……」 脳裏には、こちらに向けて手を振ってくる3人の家族や花音の姿が浮かんで来る。彼らが、俺の前から、消えてしまう日など来るのだろうか。 「家族の方は、何も言わないのですか?」 「いや、毎日のように、ELOを受けろとせがんでくる。だが、彼らが気にしているのは、私が死ぬことじゃなくて世間体だ」 「世間体……」 俺はよく言われるセケンサマなんてどこにいるんだろうと純粋に思った。 それはカミサマに匹敵するほど不確かで曖昧な存在だ。 「いいか。虚空。人生において重要なのは、世間体をよくすることや、大金を稼ぐこと、社会的地位を高めることじゃあない」 「まあ、生活保護でも平安時代の貴族よりはるかにいい生活ができますからね」 「ハハハ。そうだな。それで人生にとって一番に重要なのはただ、どれだけ『幸せ』になれるか?なんだ」 幸せーー 果たして今の俺は幸せなんだろうか? 教室に置かれた時計を見やると間もなく、休み時間の終了を告げるチャイムが鳴る。 誰かが言った。 〈1ぬけた!〉 また、他の誰かが言う。 〈2ぬけた!〉 そして、誰かが、それに倣うように言う。 〈3ぬけた!> しかし、どこかの調子乗りの誰かが、大声でそれを遮った。 〈3抜けられない!猿の穴洗い!〉 妨害術式を詠唱されてしまった誰かは、すぐに対抗術式を詠唱する。 〈じゃあ、無量大数抜けた!〉 窓下のグラウンドから、そんな会話を大声で響かせながら、児童が我先にと、駆け出していく。 もう間もなく、みんながこの教室に戻ってくる。 ここも騒がしくなる。この手の喧騒はどうも苦手だ。 「最後に、一ついいですか?」 先生は、微笑みながら頷く。 「老いるってどんな感じですか?毎日、ちょっとずつ、浸食され、殺されていくようなものですか?」 言った後で、すぐにしまったと思う。 いくらなんでもこれは流石に失礼だろう。 だが、村地先生は、微笑んだままこう言った。 「多分、不老不死得た人間にとっての一年は、私にとっての十年くらいの意味を持っている。まあ、小学生に言ってもわからないだろうがね」 先生は、この1年後に、亡くなった。 老いによる肺がんが原因だったと聞く。 先生の家族は、最後まで彼を不老不死になるように説得し続けたが、先生は、断固として、聞く耳を持たなかったようだ。 そして、先生が亡くなるのと時を同じくして花音に超能力が発現した。 この街で超能力者が誕生するのは初めてのことだったから、称賛と奇異の目が彼女に向けられた。 彼女はそんな周りの反応から逃げるように小学校を卒業するとすぐに、アルカディアへと向かった。 それから、一年後。中学2年の進級を前にして俺も超能力者になりアルカディアへと赴くことになった。 でも、今でもふとした瞬間に思うことがある。 先生は天国で大切な誰かに再会できたのだろうか。 人間は、何処から来て、どこに行くのだろうか?はたして俺はこの世界で、目を覚ますまで、どこで何をしていたのだろう? 俺が、生まれる前の世界。 俺のいない世界。 そんな世界のことを思った。 するとなんだか、妙な感じがした。
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nttq
2019年6月18日 9時09分
「公立の小学校に通っていた小学5年くらいのころ」に「高級官僚の父の意向の下、地元の公立中学に通っていた」のですか?
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nttq
2019年6月18日 9時09分
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