16 新暦100年 12の月 (半年後) テンカ すっかり辺りは闇が満ち、肌に当たる初冬の冷たい風が頬を撫でる。 空を見上げると、満点の星たちが綺麗に瞬いていた。 そこに見える無数の星には何があるのだろう? そこにはわたしたちと同じような天使が存在するのだろうか? はたまた見たことも想像したこともないような生命体が存在するのだろうか? わたしは、いつでも無数に光り輝く星たちを見ていると、なんだかこの世界は、ひどく矮小で不完全なものだと思えてくる。 世界全体から見ればこの世界はとても小さい。 次の瞬間に永遠に消え去っても、なんらおかしくはない。 わたしは思う。 この世界もわたしという存在も永遠には続かない。 いつかは消えてなくなる。 永遠に。 そんな風に思うようになったのはきっと黒金の壁の外の世界で世界の広大さを知ってしまったからだろう。 すでに天使たちは寝静まった後のようで日中の喧騒は聞こえない。 そんな静寂の中から、ソプラノ色の透き通るような歌声が聞こえてきた。 わたしは、わたしたちのホームの隣にある小さな丘を登る。 中天に架かる青い満月が、もう見慣れてしまった銀髪の少女の姿を照らし出す。 思えば、シルが空から降ってきてもう半年もの月日が流れた。 その間には本当にいろんなことがあってわたしとケノンを取り巻く環境は一変した。 「♪♪♪」 「眠れないの?」 シルは、わたしの接近に全く気付いてなかったようで一瞬、ビクリと体を震わす。 「テンカさん……ケノンさんは?」 「ケノンならもうぐっすりと眠ってるよ。本当マイペースで、羨ましい限りだよ」 「そうですね」とシルは微笑みながら言った。 「この世界じゃ、寝たり食べたりしなくても問題ない。わたしたちにその必要はないから。眠くもならないしお腹もすかない。でもみんな、一週間に一度くらいは思い出したように眠るし、ご飯を食べたりする。まるで昔はそういった習慣があって、そうしなくちゃいけないって、無意識下の本能の部分に掻き立てられるみたいに」 シルは黙っていた。 わたしはシルの膝に置かれた黒金の壁の外の世界から持ち帰ったであろうハードカバーの文献に目をやる。 タイトルは「クローン人間と神」著者・周木律 「それを読んでいたの?」とわたしは言う。 「はい。テンカさんは、クローン人間というのは知っていますか?」 シルの問いにわたしは、首を横に振る。 しかし、クローン。 文字面からして、なんだか不穏な響きを含んでいるように思える。 シルは「クローン人間と神」/周木律 をわたしの方に差し出した。 わたしはそれを手に取る。 わたしとケノンは、外の世界の物質に触れられない。 しかし、外の世界の物質に触れることのできるシルがアマガミ村の中に持ち帰ったものについては、アマガミ村の中において、それを自由に触れることができた。 それが何故かは解らないけれど。わたしは「クローン人間と神」を適当にパラパラとめくってみた。 曰く、クローンとは、一個の細胞、または生物から無性生殖的に増殖した細胞の一群であり、元となったオリジナルとは全く同一の遺伝子組成を持つ個体。 クローン人間の製造は、人道的見地から長らく国際的に禁止されていたが、西暦2150年頃から突如として人類に発現しはじめた超能力という力の謎を解き明かすためにその一部が容認され始めた。 作り出されたクローン人間は、短命であることが多く、神エルにより不老不死が実現した西暦2200年においても、クローン人間には、突発かつ急激的な老化現象などが散見された。 その直接的な原因だが、クローン人間には人間が人間足りえるための「核」のようなものがないからだ。(その「核」を人間は生まれながら当然のものとして持っている) そして、「核」がないことが、クローン人間をオリジナルの人間と比べて人間として薄弱なものにしている。 また、その「核」を人工的に作り出すことは西暦2200年現在の科学技術をもってしても不可能。 もしかすると、「核」は神様が、我々人間に与えてくださった「ギフト」なのかもしれない。そしてクローン人間が超能力者になる確率は一切の例外なく0.0000%だった。 「クローン人間と神」の作者/周木律は、最後に生命を人工的に作り出すという、神をも恐れない神への冒涜に対して神様が怒っていると締めくくっていた。 「あの」神様が、クローン人間に対して怒りを感じていたのだろうか? 今度会ったら直接クローン人間について聞いてみたい気もするけれど。 でもきっと何も教えてはくれないだろう。 というか、記憶喪失の疑いがある神様がそもそもクローンなんて言葉を知っているとは思えない。 「なんだかゾッとしますよね。自分と全く同じ生物を人工的に作り出すなんて。やっぱり人間というのは、怖い生き物ですね」 「そうね。もう今更って感じもするけれど」 人間という生き物は、悪魔以上に狂気に満ちている。 人間の社会は本当に狂っている。狂気というのは人間の宿阿だ。 なにが原因で人間の社会はそんなふうに狂っているのだろう? しかし、悲しいことに人間というのがプレイヤーであって、わたしたち天使とイコールで結ばれるわけであるけれど。 それはあえて言わない。そんなことはシルもわかっている。 「でも、もうシルと出会ってから半年くらいになるんだね」とわたしはおもむろにそう言った。 「ええ。いまだに、こちらの生活には慣れませんが……。でもお二人には本当に感謝しています」 「いいのよ。気にしなくて。友達が増えて、わたしもケノンも本当に嬉しいし」 「友達……」 「それでさ。シルは、何か失われた記憶を思い出せそう?」 「いえ……。まだ……。でも、最近よく何度も同じ夢を見るんです。」 そう言ってシルはゆっくりと瞼を閉じた。多分、ここではない遠いどこかの世界へと意識を飛翔させているのだろう。 そしてその世界というのがきっとシルの故郷だ。 「夢?」 「はい。近いようで届かない。そんな夢を」 「ふ~ん。そこが、シルが前にいた場所なの?」 「解りません。ですが、すごく懐かしい感じがするんです。こう郷愁といいますか」 「空から来たっていうのは、確かなんだよね。自分が天使であるのも。まあ実際にシルが空から落ちてくるのを見ているんだし、今更、疑っているわけじゃないんだけどさ」 「はい」シルは力強く頷いた。それは確かであると。 「そう……。わたしもね、ケノンを見ているとなぜだかとても懐かしく感じることがあるの。なんでなんだろうね」 「それは、テンカさんが今も昔も、ケノンさんと一緒にいたからじゃないですか?」そう言ってシルは相好を崩した。 「やっぱりシルもそう思う?そうなんだ。多分、わたしは記憶を失う前、アマガミ村に来る前もケノンと一緒にいた。当のアイツは、さっぱりみたいだけどね」 脳裏には、今もベッドの上で、幸せそうに寝息を立てて眠っているであろうケノンの姿が浮かんだ。 そんな顔を、わたしはアマガミ村以外のどこかでもきっと見ている。 「なんだか、素敵ですね。それ」 わたしは、地平線の彼方へ視線を向ける。 その先にあったはずの<黒金の壁>は半年前のあの日から姿を消したままだ。 他の天使/村民にとってはまだそこにあるみたいだけれど。 「わたしね、いまだ信じられないの。もう何度も壁の外で見た光景が」 「そうですか……。正直、わたくしはこの世界で目覚めてすぐに、え~と。黒金の壁の外に行ったので何が正しくて、何がおかしいのかよく解らないんです。基準というものがないので……」 「壁か……本当はなにも見えてなかったんでしょ?」 「え…あ…はい…ごめんなさい。最初から、わたくしには何が何だか」 「謝らなくてもいいよ。シルは何も悪くないじゃない。きっとおかしいのはこの世界で、わたしたちの方なんだから。でもやっぱり、わたしたちアマガミ村の<天使>たちとシルの言うところの<天使>ってのは、全く別のものなんだと思う」 シルは一瞬驚いたように目を丸めたが、やがて観念したように言った。 「はい……わたくしもそう思います。わたくしとケノンさんやテンカさんはまったく別の存在であると。わたくしたちは、本来、全く別の世界にいて永遠に交わるはずはなかった……。2つの異なる世界は決して交わってはいけなかった。そこにあるはずのない存在がーーあってはいけない存在がこの世界に与える影響というのは、どういったものなのでしょう?おそらくわたくしは、この世界に長くいるべきではないのでしょうね」 わたしは一つ息を吐く。それは、冬の冷気にあてられて、白く輝く結晶となって消える。 「シルは空からやってきた本物の天使。じゃあ、わたしたちは何者?」 わたしはかつて「黒金の壁」が天をも貫かんとして屹立していた方向。 いや、そう見えていた方向を見やる。 「わたしは、黒金の壁の外から来た。そこに、わたしはいた。わたしはもともとは天使じゃなくて人間だった。わたしは人間だ」
コメント投稿
スタンプ投稿
nttq
2019年6月18日 0時32分
「満点の星たち」っていいですね。100点満点ですかね?
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
このコメントを報告
キャンセル
nttq
2019年6月18日 0時32分
すべてのコメントを見る(1件)