- 1. X 2017/07/29(土) 15:16:42.45 0
- 哲学やってる人~!
裁きも出てるのでよかったら見てくださいね↓
http://blogs.yahoo.co.jp/honest_and_hawk/55615652.html
↑ヨハネの黙示録 20世紀~現代 解説
http://macrospirit.seesaa.net/article/432830420.html
↑裁き マクロ精神分析 裁きは真と偽(善悪二元)の裁きです。携挙についても解説。
http://synchronicity7.seesaa.net/article/433130959.html
↑神による歴史のプログラム シンクロニシティ-共時性-【概説】
http://individualspirit.seesaa.net/
↑個体精神分析 - 401. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 08:38:25.80 0
- 記号にすぎない
- 402. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 08:40:12.89 0
- ハサミやノリも、必要がないときは、邪魔な物体でしかない
使い方を知らないのなら、存在しないも同然 - 403. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 13:57:02.66 0
- 意味の失われた世界は世界であり得るのか?
- 404. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 14:42:34.69 0
- ネコにとってさえ、トイレはトイレだ
ネコの世界内で、それは特別な意味を持っている
トイレ以外のところで排便することはない - 405. 学術 2018/11/09(金) 15:50:07.03 0
- 証拠というか神と暮らしていれば証拠などいらないだろうさ。
- 406. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 16:24:40.32 0
- >>405
結局は、そういうことでしょうな - 407. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 16:26:37.77 0
- 神の存在証明を見て、「こんなの証明になっていない」となるのは、存在証明した人たち、アンセルムスや聖トマス、デカルトといった人たちがみんな、神とともに暮らしてるような人たちだったからだな
- 408. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 16:34:10.03 0
- トイレというのは化粧室のことで、ネコにとって排便が化粧と関連付けられていると考える証拠はない
- 409. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 21:05:23.67 0
- 近代までの哲学では、モノ=存在は客観的なあり方をしており、人間はそのあり方をいかに正しく認識できるかということが問題とされた。
しかし、『存在と時間』においてハイデガーは、存在のあり方は決して客観的ではなく、人間によって規定されていて、人間はその存在のあり方を規定する存在なのだと述べた。
こうした人間のあり方を、ハイデガーは「現存在」と呼んだ。 - 410. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 21:05:44.68 0
- 現存在は、朝起きてから夜寝るまでの日常生活のなかで、歯ブラシや箸(はし)、衣服、靴、車、机、パソコン……など、数多くの道具を使う。
そうした道具は、衣服や靴を身につけ、きちんとした身なりをし、車に乗って会社へ行くため、机の上でパソコンを使うのは仕事の資料をつくるため……というように目的と手段のネットワーク=「道具連関」を形成している。
つまり、道具は、たんに〝客観的に〟そこに存在するというものではなく、現存在にとって意味のある連関なのである。
そして、現存在は、誰でも必ず、この道具連関のなかで生きている。
こうした現存在のあり方を、ハイデガーは「世界-内-存在」と呼んだ。 - 411. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 21:07:31.77 0
- ところが、こうした現存在のあり方は、日常のなかに埋もれ、自分を何かの目的を達するための道具としてしまっている。
そんな自己は、道具であるがために、かけがえのない存在などでは決してなく、他の誰かと交換可能な存在にしかすぎない。
こうした道具化された交換可能な現存在のことを、ハイデガーは「ひと」(ダス・マン)と呼んだ。 - 412. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 23:05:54.44 0
- >人間によって規定されていて、人間はその存在のあり方を規定する
>存在なのだと述べた。こうした人間のあり方を、ハイデガーは
>「現存在」と呼んだ。
こういう順序で考えるから筋道が分りにくくなって、「人間中心主義」
という誤解がつきまとふことになる。そのことにハイデガー自身にも
責任があるとしてもね。 - 413. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 23:08:30.43 0
- 木田なんとかいう人とか、日本でハイデガーを中心的に紹介してきた人々の
説明だと、それが輪をかけて酷くなる。 - 414. 考える名無しさん 2018/11/09(金) 23:25:00.82 0
- 「人間」という表現は、目の前にある(手前/vorhandenでもいいが)客観的な
対象としての生物種を指すものと理解されるように一般に用いられている
のだから、それを現存在(Dasein)と呼んだというのでは、説明の論理的な
順序として奇妙であることにすぐに気づかなければならない。 - 415. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:34:20.59 0
- ハイデガーのやった仕事を、木田はおおよそ次のように整理している。
デカルト以来哲学は存在を忘却してきた。だが哲学というのは、ギリシャで産声を上げたときには、
存在についての驚きの感情かライン出発したのであるし、その後も存在とは何か、を中心に展開してきたように、
そもそも存在についての問いなのだ。
ところが、デカルト以来哲学はこの根本的な問いを忘れてしまった。だから自分(ハイデガー)は、
再び存在への問いという哲学の原点にかえり、哲学を存在の学として再構成するのだ。
だがその場合、この存在という概念は、プラトンやアリストテレスによって深められた存在論にそのまま立脚することはできない。
彼らの存在論は、存在についての一面的な見方に立っている。
それ故、存在についての見方を改めて、真の存在論を展開する必要がある、と言うのである。 - 416. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:36:42.90 0
- ギリシャ以来、「存在論」だった哲学が、デカルトやカントその他のおかげで、すっかり「認識論」になってしまった。
それを再び、存在論に戻そうとした。
木田元によると、そういうことらしい。 - 417. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:38:42.74 0
- ギリシャの存在論については、それ自体が膨大な問題領域を抱えており、議論し出すとキリが無いので、木田は一応それを、「存在=現前性=被制作性」という概念セットで整理したうえで、それにハイデガーは「存在=生成」という概念セットを対立させた、とする。
この「存在=生成」というアイデアは、ニーチェの思想に深く影響されたものである。 - 418. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:41:02.42 0
- 「存在=生成」ってのは、ニーチェというより、アリストテレスの考え方なんじゃないかな?
- 419. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:45:00.88 0
- ハイデガーは、「存在論の哲学」として、哲学の歴史を再構成しようとした。
書かれることなく終わった「存在と時間」第2部は、こうなるはずだった
第2部 存在論の歴史の現象学的解体
第1編 カントの時間論について
第2編 デカルトの「我あり」と「思う」について
第3編 アリストテレスの時間論について - 420. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:48:03.36 0
- 第2部が本論だったのだが、序論でまず現存在を分析したところ、あまりにも長くなってしまったため、本論を始める前に終わった
- 421. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:49:00.91 0
- 本書巻頭言はプラトンの対話篇『ソフィステス』の引用から始まる。
「われわれが『ある』という言葉でもって一体なにを思い描いているのか、という問いの答を、今日われわれは持っているだろうか?われわれは、いままでその答えを持っていると思い込んでいたのに、今では全く心許なくなっている。」
ハイデッガーは、引き続き序論第1章第1節において、「存在の問い」(Die Frage nach dem Sein)の必然性を明らかにする。本書で彼が取り上げるのは、存在の意味についての問い―ある(Sein)とはどういうことなのか?―である。 - 422. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:49:23.36 0
- 木田氏はジョージ・スタイナーのようなゲテモノまで妙に持上げることを
しているから、商売人としての立場を最優先している印象が強い - 423. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:51:14.94 0
- Dasein (ダーザイン) (ドイツ語発音: [ˈdaːzaɪn])とは、ドイツ語で文字どおりに直訳して「ここにいる」という意味で、哲学用語でもあり、現存在(げんそんざい)とも訳されている。
ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーが自分のコンセプトを説明する語として用いており、とくに著書「存在と時間」においてよく使われる言葉として知られている。
ダーザインは実存哲学の用語であり、自己を現にそこ(da)にある(sein)ものとして自覚する存在、つまり人間的な実存とのこと。 - 424. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:53:39.68 0
- >>422
まあ、哲学マニアならともかく、世間の一般人なら「ハイデガー」という名前を知ってるだけでも、かなりの物知りだ
そんなマイナーな分野で本を売るのは、それなりに大変なのだろう - 425. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 07:56:51.71 0
- >つまり人間的な実存とのこと
そう言い換えると、Daseinがその時点でDas Manに変換されるわけでしょう。
常に既に「頽落した」世界内存在者としての。 - 426. 学術 2018/11/10(土) 08:12:05.07 0
- 存在の神秘に触れること。存在やあるから一歩も進まないというと嘘があるだろうがね。
- 427. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 08:14:46.20 0
- いずれにしても、「大陸哲学」というカテゴリーを作り上げて、ヘーゲルであれ、
フッサールであれ、ハイデガーであれ、あんなものはまともな哲学ではないと
「哲学」の制度的な枠組みから排除して、「大陸哲学」について比較文学科
などの「文芸」という枠組みにおいてしか制度的に論じることを許さないという
仕組み作りを強力に推進してきたのが英米を中心とする自称「分析哲学」の
連中だ。その事実を意図的に誤認して、あたかも「大陸哲学」を論じる人間が
その分類自体の基準が不明な「分析哲学」を排除してきたかのように思わせる
ように誘導しようとしている人間が、「大陸哲学」を専門として商売している
研究者にも少なからずいる、というより、そうすることで、自らの哲学研究者
としての立場というより、私的な自己利益の保全を図っている。 - 428. 学術 2018/11/10(土) 08:17:13.50 0
- 大陸?海を忘れては地球では哲学して暮らしていけない。
- 429. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 08:19:23.81 0
- 私は、研究者でも学者でもない世間の一般人だが、複数の研究機関でその実態を
長い間、直接に身近に見てきた。 - 430. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 10:55:08.85 0
- >>425
たしかに、これだと、「ダーザイン」と「ダスマン」の違いが分かりにくい - 431. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 11:25:53.79 0
- 「人はいつか死ぬ。だが当分の間、自分の番ではない」という信念のもと、日常生活に埋没して生きている
それが、ダス・マンの生き方 - 432. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 11:36:02.53 0
- 「こうしてアレコレ考えている以上、ボクが存在するのは疑う余地がない。
そのボクにとって存在するのだから、これらの存在者たちは存在することが保証された」
というような、存在了解をする世界で唯一の存在
それが、ダーザイン - 433. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 11:42:54.35 0
- 目の前の机や椅子も、本当に存在するのかどうかは疑わしい。
夢かもしれないし、幻覚かもしれないし、何者かが自分に見せている立体映像なのかもしれない。
でも、間違いないことが1つある。
それは、そんなことを考え、疑っている自分が存在することだ。
それだけは疑う余地がない。
そんな、間違いなく存在することが確信できる自分にとって、これらの机や椅子は明晰判明に存在している。
となれば、これらが存在するということを、認めてもよいのではないか。
これ以上は、疑ってみても意味がない。
これらが存在することは、確実な真理ではない。
だが、それらが存在するという了解のもとに生きていくことはできる。
・・・・・というのは、フッサール的な考え方 - 434. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 11:45:31.98 0
- そんな存在了解をすることができる、世界で唯一の存在
それが、現存在、つまり自分自身 - 435. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 11:46:04.72 0
- つまり、現存在こそが、すべての存在者が存在するという根拠
- 436. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 11:55:14.41 0
- 関連
禊健太郎(波平)、来年で40歳職歴無し
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1515930103/l50
哲学板のスレが平日の昼間でも伸び続ける理由
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1495078955/l50
■■□ おら 働いたこと ねえだ~ □■■
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1524236117/l50
働かずして輝きたい
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1536808996/l50
228考える名無しさん2018/09/19(水) 10:51:23.870
無 職 が 悟 っ た ら し い(笑)
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535902578/l50 - 437. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 13:52:52.55 0
-
高尚な文系の最高峰である哲学研究者は
苧疾呼玖差亥苧饅湖にしゃぶりつきながら
生と死を哲学するのだよ
凡人は働け!
______
_ <_______,`ゝ /
__ `ソ/-=・=- -=・=-\/ ̄/
\/゜ ,ハ \/ rへ,ノ
__>-へ| i ,‘,,-,,', |ノ :.\_ いいかな?
.:/从へ,'"-===-';.ノ从rーヘ_
_::ノ :ノ`⌒Y⌒´:: \ - 438. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 21:35:23.88 0
- ハイデガーは、第2節において、「存在了解」ということばを提出する。
人間は、植物や動物などと異なり、明快に概念化できないにせよ、おぼろげながら自分が何やら存在していることを知って生きている。
ハイデガーは、そんな存在の仕方を「存在了解」というのだ。
その「存在了解」の仕方を、ハイデガーはあえて「曖昧な」「存在了解」とする。 - 439. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 21:37:22.82 0
- ここで問題になっている「存在」ということについても、我々は何らかの了解を持っているのである。それをハイデガーは「存在了解」と名づける。
これは「いいかげんな、あいまいな存在了解」というべきものだが、一つの事実として我々が持っているものであって、我々はそれを手がかりにして、存在というものについての高度な認識に向かって進むように出来ているものなのである。 - 440. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 21:49:32.69 0
- 物質は、世間の人々が通常、考えるような意味では「存在」していない。
物質は、よくできた立体映像であり、仮想現実だ。
非常に緻密で精細にできているから、本物としか思えないだけで、それでもやはり立体映像であることに変わりはない。
そんな仮想現実を、とりあえず本物の存在者と見なして生きていくしかない。
それが、人間の限界だ。 - 441. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 21:53:33.55 0
- 「たとえ仮想現実であるにしても、だからどうたというのか。
自分にとって、この世界は本物の存在なのだから、それでよいではないか」
という意見もあるだろう。
もちろん、それでいい。
生きていく上で、なんの不都合もない。
だが、それによって、「この世はよくできた仮想現実である」という、厳然たる事実が変わるわけではない。 - 442. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 21:56:50.09 0
- 物質は、マクロのレベルでは、確かに存在しているように見える。
しかし、ミクロのレベルまで拡大すると、すべては粒子でできている。
コンピュータの中の存在が、ドットでできているのと同じだ。
さらに、その粒子を拡大していくと、だんだん存在がボヤけていく。
もっと拡大すると、何もなくなる。
後には、無が残る。
それが、物質というものの真の姿だ。 - 443. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 21:58:18.04 0
- スマホは実在しますよ
- 444. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 22:05:18.07 0
- 修羅の国 焼肉定食
- 445. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 22:27:56.74 0
- ニーチェの「神は死んだ」を拡大解釈する教授もいるけど、決して宗教を否定しているわけではないよwww
- 446. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 22:38:51.22 0
- ひと昔前の日本語は、ハイデガーの用語法と似たようなもので、
自己紹介をするときの「手前(ども)は~」とか、相手を下に見て
「手前(てめぇ)は~」と呼ぶときの「手前」は、まさしく
「手前にあるもの」を表していて、"Vorhandensein"であるわけだ。
だから、ハイデガーの用いる「vorhanden」という表現に対して、
日本語の訳語においても「手」に関連した表現にしたいという
のは自然なことだが、「vorhanden」を「手近」としてしまう
のは問題があるだろう。なぜなら、「手近」というのは、
英語にするなら、ほぼ「within reach」の意味で用いられており、
ハイデガーの表現における「vorhanden」には対応していないから
である。だからといって、「手前」という表現も、「~する手前で」
のように時間的に直前であることを表すように用いられるように
なっているので、現代の日本語の訳語としては意味が通りにくい。
「手」が「目」に変わってしまうのは望ましいことではない
とはいえ、「手前」の代わりに「目(の)前」を用いることは、
それなりに適切な妥協案だろうと思う。 - 447. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 22:46:32.58 0
- 目の前の机や椅子も、本当に存在する存在者なのです。
- 448. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 22:49:50.68 0
- o(^-^)oワクワク
- 449. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 23:07:02.40 0
- 「Angst」を「不安」と訳しても、「安らひ」の否定となるだけで、
差し迫った感じというか、切迫感が十分に感じられない。 - 450. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 23:17:04.30 0
- パニック障害とかかな?
- 451. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 23:21:02.10 0
- Daseinの本来性としてのパニック障害w
- 452. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 23:29:37.63 0
- 鼻息が荒すぎるやつは交感神経の高ぶりを自分で沈められない
- 453. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 23:32:04.91 0
- Bernardo Soares、「Livro Do Desassossego」(不安の書/不穏の書)というのが
あるから、何が書かれているのかと思ったら、レビューに引用があった。
「一流の詩人は自分が実際に感じることを言い、二流の詩人は自分が感じようと
思ったことを言い、三流の詩人は自分が感じねばならぬと思い込んでいること
を言う。」
「芸術において重要なことは表現すること。表現されたもの自体はつまらぬものだ。」
「深淵が私の囲いだ。『わたし』という存在は測ることができない。」
「わたしとは、私と私自身とのあいだのこの間である。」
「私はもはや自分のものではない。私は、打ち捨てられた
博物館に保存された私の断片なのだ。」
「神の不在。それもまた、ひとつの神である。」
「あらゆるものがわれわれとは違っている。だから、すべては存在する。」
「ただ考えない者だけが結論に達する。考えるとはためらうことだ。
行動の人はけっして考えない。」 - 454. 考える名無しさん 2018/11/10(土) 23:40:19.92 0
- スレタイに対する解答としては、これがいいのかな?
>「神の不在。それもまた、ひとつの神である。」 - 455. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 00:11:43.01 0
- >>445
大川隆法によると、ニーチェは死後に地獄に落ちた。
「神は死んだ」という言葉が、あの世で嘲笑のマトになったんだそうな(笑) - 456. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 00:16:25.25 0
- 宗教板でやれよ
無職が終日語ってるよ
お友達がいるよ - 457. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 00:16:47.68 0
- それにしても、「神は死んだ」というのは、現代の精神状況をそう表現したのであって、別にニーチェが神を殺したわけではない(笑)
- 458. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 00:21:57.19 0
- 「神は死んだ」(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズム(虚無主義)を表す言葉として広く引用される言葉である。
ニーチェによれば、神・霊・魂といった虚構によって、栄養・健康・住居といった人生の重大事が軽んじられてきた。
神が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上やからだを冒涜することである[2]。
地上的・身体的な人間は「超人」である。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘とされる[2]。
ニーチェは「神々の死」とも述べている。 - 459. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 00:29:09.22 0
- 神は死んだ
この世が残った - 460. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 00:29:55.03 0
- かつては、神を冒涜するのが罪だった
今は、この世を冒涜するのが罪 - 461. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 00:31:21.69 0
- 「この世は巨大コンピュータ内の仮想現実」などといって、この世を冒涜する輩があとをたたない
- 462. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 00:32:05.27 0
- だが、言ってることは正しい
- 463. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 01:40:58.64 0
- 器官なき身体 とか 器官劣等性 とか
- 464. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 06:23:06.12 0
-
おんどりゃああああああああ
眞ん子さまのお通りじゃあああああああ
ものども頭が高いわ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ / ̄ ̄ ̄\ \
/ / / \ ヽ
f / /| ヽ |
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(V / `ーーV)
| ヽ●) (●ノ |
人 ( ノ
∧ (__人__) ∧
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_,. ‐''"´ `丶、
, ‐''´ _,. -―- 、 ;ー-- 、ヽ
厶ノ ̄ /`ヽ、o_, 、_oイ └′
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! ヽ、 ’ / 〉
'. /`(;;U;)'^ー一'7 ′
! / / ′
ヽ ヽ、 | / __
ヽ 〈 ノ '´ 〉 ドタドタドタッ!!
`′ 〈_, -‐'′
- 465. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 09:07:41.50 0
- ハイデガーの著作の日本語の訳者や読者は、「自分が感じねばならぬと
思い込んでいる」日本語の表現によってハイデガーの表現を理解しようと
していないか、絶えず自問する必要があるだろう。 - 466. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 09:25:01.66 0
- 学者や研究者というのは、こういう発言をして「他人の畑を荒らす」のは
マナー違反だという考えが身に沁み込んだ人が多いんだけど、哲学というのは
絶えず問い直すことをその本質とする営みなのだから、それを自らに禁ずる
なら哲学すること自体を諦めなければならないことになる。まあ、そうやって
一生、哲学をすることなく、哲学(者)研究者としての道を歩もうとするのは
勝手だが。 - 467. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 09:32:43.88 0
- >>447
陽子や電子が集まってできたカタマリに、「これは机だ」、「これは椅子だ」という意味を、脳が付与している - 468. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 09:34:43.52 0
- いきなりドヤ顔
- 469. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 09:35:16.06 0
- トイレで、便器に向かってオシッコするのは正しい
洗面所で、洗面台に向かってオシッコするのはおかしい
それが、人間の脳による意味づけ
両方とも、陽子や電子が集まってできたカタマリにすぎず、オシッコも単なる液体にすぎない - 470. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 09:43:13.71 0
- ネコでさえ、そこらじゅうで排便したのでは、自らの生存環境が悪化すると知っている
「この箱はトイレだ」という意味づけをしている
ネコも、ネコなりに道具連関の中で存在する - 471. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 09:51:14.46 0
- 海辺の鳥は、海で魚を食べて、陸で糞を落とす
海洋から栄養分を吸い上げ、それを肥料として、陸地で空中から散布しているのだ
江戸時代の日本人は、海の魚を捕って食べ、糞便を肥料にして田んぼに撒いていた
これも海洋から陸地への栄養素の移転であり、非常に有意義な行為だった
現代では、糞便を地上に散布するわけにいかない
「肥料」という意味は失われ、代わりに「汚物」という意味が付与された - 472. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 10:53:21.85 0
- >Die Erschlossenheit ist wesenhaft faktische.
- 473. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 10:57:24.51 0
- >Die Erschlossenheit ist wesenhaft faktische.
"aletheia"や"Unverborgenheit"や"Entdeckt-sein(Entdecktheit)"を
"Erschlossenheit"と渾然一体に理解しているのでは、この言明が導かれ
ている理路をたどることができないわけです。 - 474. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 11:03:30.54 0
- 「存在と時間」の日本語訳は、この論述の理路をたどることを可能にしているのか、
それが問われなければならない。
Durch die frühere Analyse der Weltlichkeit der Welt und des innerweltlichen
Seienden wurde aber gezeigt: die Entdecktheit der innerweltlichen Seienden
gründet in der Erschlossenheit der Welt. Erschlossenheit aber ist die Grundart
des Daseins, gemäβ der es sein Da ist. Erschlossenheit wird durch Befindlichkeit,
Verstehen und Rede konstituiert und betrifft gleichursprünglich die Welt,
das In-Sein und das Selbst. Die Struktur der Sorge als Sichvorweg-schon
sein in einer Welt-als Sein bei innerweltlichem Seienden birgt in sich
Erschlossenheit des Daseins. Mit und durch sie ist Entdecktheit, daher wird
erst mit der Erschlossenheit des Daseins das ursprüngliche Phänomen
der Wahrheit erreicht.Was früher hinsichtlich der existenzialen Konstitution
des Da und bezüglich des alltäglichen Seins des Da aufgezeigt wurde,
betraf nichts anderes als das ursprüngliche Phänomen der Wahrheit.
Sofern das Dasein wesenhaft seine Erschlossenheit ist, als erchlossenes
erschliesst und entdeckt, ist es wesenhaft “wahr”. Dasein ist “in
der Wahrheit”. Diese Aussage hat ontologischen Sinn. Sie meint nicht,
dass das Dasein ontisch immer oder auch nur je “in alle Wahrheit”
eingeführt sei, sondern dass zu seiner existenzialen Verfassung
Erschlossenheit seines eigensten Seins gehört. - 475. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 11:17:32.28 0
- "zu jdm/etw gehören"を「~は~を含む/~は~に含まれる」と訳すべき
必然性も、必要性も私には理解できないし、そのように理解しようとした
時点で、私には、ハイデガーの論述の理路を追うことが不可能になる。 - 476. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 16:04:08.07 0
- The earlier analysis of the worldliness of the world and the inner world But being demonstrated:
the Entdecktheit of the inner-worldly existence establishes in the openness of the world.
But openness is the basic type of existence, according it its there is.
Openness is by State, Understanding and speech concerns the world, immediately originally constituted the in - being and the self.
The structure of concern as Sichvorweg already be in a world as at inner-worldly existence is in itself Openness of existence.
With and through them is Entdecktheit, therefore is only with the openness of the existence the original phenomenon the truth reached.
What earlier in terms of the existential Constitution the da and the everyday existence of as was pointed out,
was nothing more than the original phenomenon of truth.
If existence intrinsically is its openness, as erchlossenes opens up and discovered, it is intrinsically "true".
Existence is "in the truth". This statement has ontological sense. She's not saying that being ontisch always or only ever "into all truth" was introduced,
but that to his existential condition Openness of its same being heard. - 477. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 16:08:00.54 0
- いまどき、ドイツ語を読む必要はほとんど無い
日本語はともかく、英語とドイツ語の自動翻訳は、もはや完成の域に達している - 478. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 16:13:42.48 0
- 「ハイデガーの哲学」に向けられる批判は、ハイデガーの哲学的な言説の
どのような理解に基づいているのか、それが問題にされなければならない。
Dass es“ewige Wahrheiten”gibt, wird erst dann zureichend bewiesen sein,
wenn der Nachweis gelungen ist, dass in alle Ewigkeit Dasein war und sein
wird. Solange dieser Beweis aussteht, bleibt der Satz eine phantastiche
Behauptung, die dadurch nicht an Rechtmäβigkeit gewinnt, dass sie von
den Philosophen gemeinhin“geglaubt”wird. - 479. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 16:19:49.60 0
- >英語とドイツ語の自動翻訳は、もはや完成の域に達している
>>476が何を言っているのかさっぱり分らないんだが?
なんとなくそれなりにうまく翻訳されているかのような偽の印象を受けるのは、
ハイデガーの表現が全体として基本的な語彙で構成されているからだろう。 - 480. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 16:39:19.30 0
- >>479
まあ、そんなもんだな(笑) - 481. 考える名無しさん 2018/11/11(日) 18:39:47.43 0
- 私は、ハイデガーの研究者ではないし、ハイデガーの信奉者でもないので、
ハイデガー個人がどれほど酷く批判されたところで、痛くも痒くもないのだが、
長年繰り返されてきた、「ハイデガーは、悪であるナチスに協力したのだから
悪だ」という批判以外に、ハイデガーの論じた哲学に対する「批判」が何を
哲学的に批判しているのか未だによく理解できない。ハイデガーが言葉遊び
のような無駄話をすることがよくある、というのであれば、それはそうかも
しれない。しかし、(それが害悪をもたらすものであれ)無駄話から哲学的な
論考を批判するというのでは、哲学の批判的な検討にはなり得ないだろう。 - 482. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 07:25:44.70 0
- 私自身は、ハイデガーが唐突に「死」を論述に導入する時点で歩みを誤っていると思う。
- 483. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 10:27:28.66 0
- 第二編において明らかに急に論述のレベルが変わっているのに、論述に
用いられる表現を第一編と同じレベルに無理に保とうとしているから、
哲学と思想の区別が不明になる。 - 484. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 11:54:39.25 0
- 「不在」を哲学的に適切に捉えることができていないから、
「無」に過剰な意味を負わせてしまう。 - 485. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 12:10:10.80 0
- >>482
まあ、第一次世界大戦のおかげで極限状況だったからねえ - 486. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 12:13:17.04 0
- >>484
その欠点に思想業者(ハイデガー自身を含む)が便乗して悪乗りするという構図かな - 487. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 14:05:11.73 0
- 日本語に変換するなら、「我(minor being)」の「ひと(人/等)とな(成)り」
としての「成熟(maturing)」について語っているわけでしょう? - 488. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 14:31:33.78 0
- 無論、この場合、「日本語に変換するなら」という条件が付くわけで、
日本語の表現における「ひととなり」の「ひと」は、"Das Man"
ではなく、「ひと(人/等)しさ」を意味しているわけですが。 - 489. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 16:55:22.09 0
- "In-der-Welt-sein"の側から"Dasein"について語ろうとするなら、当然のこと
ながら"In-der-Welt-sein"によって用いられる表現によって分析を進めなければ
ならない。ハイデガーの言説はそのことに明らかに失敗している。 - 490. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 17:33:53.07 0
- 「存在の専門家」という妄想
- 491. 考える名無しさん 2018/11/12(月) 19:18:19.76 0
- >Die Erschlossenheit ist wesenhaft faktische.
"Erschlossenheit"が"faktische"であるなら、Daseinの本来的な存在の様態
を明らかにするための"In-der-Welt-sein"としての"Dasein"の分析は、
"faktische"な記述から始めなければならないはずである。ハイデガーが
"Dasein"を分析しようとする論述は十分に"faktische"であると言えるのか、
それが問われなければならないだろう。 - 492. 考える名無しさん 2018/11/13(火) 12:34:24.19 0
- 「『不在』が「存在する」」ことを認められないような奇妙な形而上学に
囚われているから、論述が錯綜して、俗流の過剰な解釈を導入しなければ
収拾がつかなくなる。 - 493. 考える名無しさん 2018/11/13(火) 21:21:43.88 0
- 呼び声を聞くということに関して言えば、ドイツ語の「Ruf」に相当するのが
日本語の「を」だろう。「をかし」とは、「『をき(≒呼び寄せ)』を生じる」こと、
つまり、「呼び寄せられる(≒ひ(引/惹/魅)かれる)」ことであると解釈する
ことができる。その場合、「を」という「呼び声」を聞くのは、"Dasein"
であり、呼び声を聞くことによって生じる「心地」が"Befindlichkeit"であるが、
ハイデガーであれば、そのような"Dasein"は、「頽落」した世界-内-存在
としての"Das Man"であると言うだろう。しかし、ハイデガー自らが記述する、
死に向かい、良心の呼び声を聞く、本来的な負債によって規定される自己の
在り方も、現存在の本来的な存在の態様というより、なにか極めてドイツ的な
思想の表現であるという印象を生じてしまうことは、やはり、ハイデガー自身の
"Das Man"としての「頽落」の様態を特徴的に反映していると言わざるを
得ないのではないか。 - 494. 考える名無しさん 2018/11/13(火) 21:28:43.39 0
- 日本語の古語において「を」は、「こちらへを」と呼びかけ、「を」と応じる
ように用いられた。この場合、「を」は、「Why not ~ ?」という呼び掛け
と、それに応じる「Why not?」という返事であると解釈することができるだろう。 - 495. 考える名無しさん 2018/11/14(水) 12:08:29.40 0
- 「我(われ)」が「引け目」のある存在であることは、日常言語としての
日本語においてあまりにも当たり前のことであるので、ハイデガーが
その「引け目」に相当する"Dasein"の本来的な"Schuld"を何か特別に
解明されるべき存在の様態として論述することは、日本語話者の耳には、
むしろ、宗教的な思想の説教のように聞こえることになる。 - 496. 考える名無しさん 2018/11/14(水) 22:44:19.73 0
- ハイデガーの表現には独特の色がついている。普通の現象学的な表現であれば、
「不確かさ」と言うところを"Angst"と言うから、宗教色に染まったような
言説になり、哲学的な考察を述べているというより、思想を伝えようとして
いるように感じられることになる。だからこそ、独特の人気を得ることに
なったのだろうけれど。
>Das Faktum der Gewissensangst ist eine phänomenale Bewährung
>dafür, daß das Dasein im Rufverstehen vor die Unheimlichkeit seiner
>selbst gebracht ist. Das Gewissenhabenwollen wird Bereitschaft zur Angst. - 497. 考える名無しさん 2018/11/14(水) 22:50:26.93 0
- ハイデガーの場合には、エポケーとしての不確かさが強迫性を帯びるのである。
- 498. 考える名無しさん 2018/11/15(木) 01:12:37.71 0
- ハイデガーの"Angst"についての論述は世界-内-存在の態様を適切に記述する
ことに失敗していると私は思う。人々は、世界-内-存在としての「頽落」において、存在の本来的な"Unheimlichkeit"から逃避して"Angst"を忘れているわけでは
ない。人々は絶えず"Angst"を自らのものとして感じているのであり、だからこそ、
常に何かを「頼みに」しようとするのである。「信仰」において「trust in God」
とは、「神を頼む」こと、つまり、「神を頼みにする」ことであるが、社会の
制度的な枠組みとしての宗教が政治的に後退した、社会制度が世俗化したと
いっても、人々は「~を頼む」ことをやめたわけではない。「~を頼む」
ことが、以前は、社会制度によって「神を頼む」または「祖先の霊を頼む」
ことに導かれていたのに対して、別の形態で導かれるように変容しただけである。
だからこそ、ハイデガーがいくら「良心の呼び声」を強調したところで、
"Angst"の自覚を促す言説は、むしろ、「~を頼む」ことの必要性を強く
意識させることになり、いかがわしい宗教的な思想を伝えようとしている
という印象をもたらすことになる。 - 499. 考える名無しさん 2018/11/15(木) 13:59:33.85 0
- 「決意性」または「覚悟」などと訳されることの多い"Entschlossenhei"に
ついて、ハイデガーは次のように明確に述べている。
„Die im Gewissen-haben-wollen liegende Erschlossenheit des Daseins
wird demnach konstituiert durch die Befindlichkeit der Angst, durch
das Verstehen als Sichentwerfen auf das eigenste Schuldigsein und
durch die Rede als Verschwiegenheit. Diese ausgezeichnete, im Dasein
selbst durch sein Gewissen bezeugte eigentliche Erschlossenheit
- das verschwiegene, angstbereite Sichentwerfen auf das eigenste
Schuldigsein - nennen wir Entschlossenheit. "
つまり、「決意性」または「覚悟」などと表現されても、現象学における
普通の表現に戻すなら、ハイデガーの言う"Entschlossenheit"とは、
「不確かさに留まる『決意/覚悟』」に他ならないわけで、現象学に
おいて通常は「エポケー」と表現される態度のことである。 - 500. 考える名無しさん 2018/11/15(木) 14:02:09.44 0
- >>499
誤:"Entschlossenhei"について
正:"Entschlossenheit"について