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DEATH(月夜涙)

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前書き

人生の残酷さ

人間の人生が残酷極まりないことは誰しもが何らかの形で思うことだと思う。 私が考える残酷な理由の最大のものは、1人の人間がなぜかふと一度地球上に誕生して意識を獲得し自分を認知し生きていく中で色々なことを経験して身につけても必ずいずれは死んでしまいもう二度と同じ自分として地球上に再度現れることができないという厳然とした事実だと思う。 せっかく生まれて来て苦労して獲得したものを全て手放さなければいけないことの残酷さには絶叫したくなる。 そして生きてきた人生の記憶も死んだ瞬間にリセットされ、まるでなかったかのごとく永久にその記憶はどこかにいってしまうのだ。 本当に「この私は地球上に存在していたのか?」と疑いたくなる。 近視眼的に見れば周囲の人間が生きている限り私と過ごした日々を記憶として保持してくれるだろう。 しかし、その周囲の人間達もやはり数十年もすれば皆同じようにあの世に行ってしまう。 そうするといずれ遠くない将来に自分のことを知っている人が誰もいなくなり、記憶はほぼ完全に寸断され生きていたことすら忘れ去られていく。 例えば100年前にインドの大都市の路上で貧しい生活を強いられていたホームレスの方がいたとして(今も昔もインドにはたくさんの貧しい路上生活者がいる)その人は確かに生まれて来て苦しい人生を強いられあっけなく死んでいったのだが、今や誰からも完全に忘れ去られほとんど生きていたのかどうかすら定かではないような状態になってしまう。 自分の意識や記憶が死んだ瞬間に全てリセットされてなくなってどこかに消えてしまい、その後周りの人達もあっけなく死んでいき、いずれ誰一人自分のことを知るものが地球上にいなくなる。 これは絶望的な状況のような気がしてならない。 本当に私は地球上に存在したのか?幻だったのではないか?気のせいではないのか?なんかの間違いではないか? などと思ってしまう。 もともと、存在しなかったものがある時ふとこの世に生まれ、苦労して生きながらえて色々な思い出を作ったと思ったらまた死んで永遠にこの世から消えていく。 いったい、人間て何をしているんだろう? 考えれば考えるほど人生が虚しくなる。 何をどう頑張っても最終的な結果としては同じようなものだ。 だとするといったい今を一生懸命に生きる意味は何なのか? まだ後先考えず今だけを一生懸命生きているぶんにはいいと思うが、その人が自分の人生の将来というものを頭に思い描きそのために今を生きていたとするとその思い描いた将来もいずれ通り過ぎ、死と共に消えてなくなってしまう。 「将来」は全て「その先の将来」である死にとって代わられてかき消されていく。 人生とはそういうものだとはわかっていてもなんだか絶望的な気分になる。 明るく生きたいという気持ちもあるが一方で真面目に考えれば考えるほど明るく能天気に生きることなんてできないという気持ちにもなる。 どんなにお金をためても宝くじを当てても恋人や友達をたくさん作っても旅をして世界各地をまわっても仕事を頑張って評価され、賞をもらっても悩んでも苦しんでも楽しんでもこの世の成功を全て手に入れても結局人間は死という絶対的な限界があっていずれはその大波に飲み込まれていく。 このことをどう考えればいいのかわけがわからない。 軽く考えることもできない。楽観的にもなれないし、真剣に考えても結果は一緒だからあまり意味がない。 どうにも乗り越えられない壁を前にして右往左往している状態だ。 本当に私っていったい何なのだろう? 別にいなくてもいいんだけどなーー。ってまた心の中でつぶやいた。

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