平成に入ってから注目されはじめた「ひきこもり」。平成が終わろうとする今、全国でひきこもり状態にある人の数は依然多く、本人や家族の高齢化も深刻化しています。「ひきこもり」が生まれた時代背景とともに、かつて当事者だった人たちと支援者らの話し合いから、解決の糸口を探ります。
平成のはじめから注目され、今なお解決していない「ひきこもり」。日本には今、ひきこもりの人が100万人近くいるといわれています。
東京 練馬区にある「けやきの森の季楽堂」は、ひきこもりの当事者や家族などが定期的に集まって、対話を重ねている場所。この日、話し合うために集まったのは、ひきこもりの経験者、長年支援に携わってきた医師や支援者などです。
就職活動に乗り遅れたことがきっかけで、6年間自宅にひきこもっていた泉翔(いずみ・しょう)さん(31)。自分と同じようにひきこもり、苦しむ人がなぜ減らないのか。つらかった自分の体験を語り、考えたいと、この場所へ来ました。
泉さん「当時は、ひきこもりという言葉はそもそも知らなかったと思う。単に不登校だったり、登校拒否であったり、学校に行かない。自分の状態が何なのかっていう。ただ自殺念慮というか、希死念慮というのがあった。でも、そういうとき、死ねないというか、死ぬって発想はそんなにないというか。おそらく死ねないから生きてるだけでした」
林恭子さんは、高校2年のときに不登校になり、10代20代とひきこもる日々を送りました。
林さん「自分が生きるっていうことを、本当に命がけで、ただ必死に生き抜くっていうことしかできなかったので。周りというか、出来事の記憶はないままにきた30年だった。だから、『甘えてる、怠けてる』って、ひきこもりは言われて。『じゃあ、やってみなさいよ』って。あんなしんどいことは、本当に誰でもできることじゃないって言いたくなるくらい。激烈な苦しさ」
「ひきこもり」が公的な文書に登場したのは平成元年。「ひきこもり」は「無気力」とならぶ、問題行動として位置づけられ、「不登校」の延長にある一部の若者の問題とされました。世間からは「甘え」や「怠け」だという声も多くあり、支援は民間のフリースクールなどに限られていました。
平成10年代に入るとひきこもりのイメージはさらに悪化します。
17歳のひきこもりの少年が犯行におよんだ佐賀高速バスハイジャック事件のほか、ひきこもりの若者による事件が相次ぎ、犯罪予備軍と印象づける報道もありました。
精神科医の斎藤環(たまき)さんは、長年ひきこもりの治療に携わり、平成10年に出版した著書の中で、ひきこもっている状態の人たちを、初めて「社会的ひきこもり」と呼びました。
そして、「6か月以上自宅にひきこもって、社会参加をしない状態が続いている人」と定義しました。
斎藤さん「当時は、もともと不登校で学校に籍がなくなったあとも、同じような生活をしている人という位置づけで、無気力症と(呼ばれていた)。でも私には違和感があって。葛藤してるし、悩んでるし、もがいてるので、無気力というのはちょっとおかしい。外出できない人という誤解がいちばん困ると思ったので、『社会的』をつけました。物理的ひきこもりじゃないですから、つけざるをえなかったというのはあります」
当事者へのインタビューをもとに、なぜひきこもるのかを研究してきたのは、社会学が専門の松山大学准教授の石川良子さんです。
石川さん「私が関わるようになった人たちが、たまたま同年代、少し年上の人が多かったので、そういう意味で、みんないわゆるロスジェネだった。話を聞いてみると、いい学校に行って、いい会社に入って、それが幸せだっていうふうに育ってきて、いざ二十歳ぐらいになってみたら、はしごを外されたみたいな世代。ひきこもりはよくないものという世の中だから、出て行けない。だから、ひきこもってるんじゃなくて、ひきこもらされているっていうふうに見ていく必要があると思います」
藤里町福祉協議会会長の菊池まゆみさんは、秋田県藤里町でひきこもりの実態調査を行い、100人以上の人を支援してきました。
菊池さん「最初の頃、高齢者が中心の福祉をやってたので、訪問すると若い人がいるとか、タブー視されてた時代がすごく長くて、向き合っていなかった。そういう問題を抱えた人を地域で支援するというと、排除が始まって、入院させてしまえ、あれしろ、これしろになってしまうから、相談に応じてもつなぐところは精神科病棟しかなかったという状態でした」
秋田県藤里町では、平成21年、住民への調査で現役世代およそ1,100人のうち、ひきこもりの人が113人いることが判明。どう支援をしたらよいか悩んでいたとき、ひきこもる若者から「本当は働きたい」と告げられます。
彼らには社会と関わりたいという気持ちはある。でも自信がなく、どうしたらいいのかわからないのではと考えた菊地さんは、介護ヘルパーなど資格が取得できる講座を開設。住民なら誰でも参加できるようにし、ひきこもっている人がいるすべての家にチラシを投函しました。するとひきこもっていた人たちが研修会場に次々と姿を現したのです。ひきこもっている人の多くが社会に出るきっかけを求めていると、確信した瞬間でした。
菊池さん「こみっと(町の福祉施設)っていうところを、高齢者と利用者が一緒に使ってるんです。そうすると、老人クラブさんがコピー機を使えないでうろうろしてる。『はいはい、やってあげます』って登録者がやってあげてる。『お前すごいな』って褒めてる。成功体験っていう言い方にはならないかもしれませんが、地域の人にどんどんどんどん認めていってもらえる」
斎藤さん「周りに心理士も精神科医もいない、内面には一切寄り添わないという徹底した姿勢でやったのは、私はすばらしいなと思ってるところもあって。要するに病人扱いされないっていうあたりが、安心の源だったかもしれない。たとえば調査するときに、内閣府の荒っぽい調査みたいに、お宅にひきこもりいますか、みたいなことやらないじゃないですか。窓口を作って、ここを利用したい人はいますかという配慮のある聞き方をされていて、これは当事者の尊厳、配慮ができないと、方法論として成り立たないですよね」
菊池さん「若者が1回普通のラインから外れてしまうと、もう戻れないと思ってしまってる。大丈夫、戻れる。何回失敗してもいいみたいな、そういうことをやりたいなと思ったんです」
平成20年代には、日本経済の不況のあおりを受けて、若者の労働環境が悪化。新たに20代、30代でひきこもる人が増えます。
こうしたなか、国や自治体による支援も強化されますが、その多くが就労をゴールとするものでした。ひきこもり当事者に問題があるという前提のもと、「社会に適合」させるための訓練に重きが置かれ、当事者たちの「回復」に至らず、長期化する人も多く残りました。
齋藤さん「就労がゴールですねと言っちゃいけないところが、ひきこもり支援の難しいところ。ゴールに設定されちゃうと、非常に摩擦が生じやすくなってしまいます」
林さん「私も今、多くの女性たちから聞く言葉が、『生きていていいと思えない』と。こんなだめな自分は、この社会の中で申し訳ないと、生きていく価値がないんだって、すごく言うんです。自分のことを否定している。それが、どこからそういうことが起きてるのか、そういうことを考えていかないと、経済的自立とか、就労するようなことを目指していても、生きてていいと思えない人には、それはあまり意味がないというか、届かないんじゃないかと」
石川さん「こういう話をしてると、でも、なんだかんだいって稼がないと生きていけないでしょっていう言い方をされてしまう。働かないと生きていけない。でも生きてていいと思えないような人からすると、稼がなきゃ生きていけないでしょというのは宇宙人的な言葉に聞こえるはずで、だから、どういう支援が必要なのかというところに届かない」
斎藤さん「僕が出会ったひきこもりの人たちのほとんどは、自分自身を否定している。自分が嫌いである。自分は存在しなくていい人間であるということを口にする。この意識が、1つはつらさの根源にあるかもしれないと思ってる。自己肯定感さえあれば全然オッケーなんですけど、肯定できないからずっと苦しんでいる」
泉さん「ひきこもりであるか、ひきこもりでないかっていうのは、別にどっちでもいいというか。しんどいんですよね。それをどうにかしたい。仕事をしてる…でも、変わんないんですよね、しんどさ自体は。『ひきこもってたとき』『ニートだったとき』『仕事してから』その表面的な状態像に名前をつけて課題としても、根本の問題が触れられてないような感覚があって、根本の課題そのものに直撃する名付けがなされたらいいなというのは、しばしば思いますね」
かつては若者の問題とされていたひきこもり。しかし、今や年齢の中心は、30代40代といわれ、生活を支えている親も高齢化しています。
そんななか、活発になっているのが、ひきこもりの当事者や経験者による自助会や居場所づくりです。全国で開催している「ひきこもり女子会」は、林さんが「男性がいると緊張して参加しづらい」という女性の声に応え、立ち上げました。
「ひきこもり女子会」ではカウンセリングや就労の支援などは一切行いません。ひたすら同じつらさを抱えている人たちと語り合います。それが自分の存在を認める一歩になると、林さんは考えています。
林さん「実は、私は本来、自己肯定感って結構高いほうだったと思ってるんです。ただ、ひきこもりって20年以上の時間、それが徹底的に潰されてたというか、なくなっていた。でも、何かにそう思わされてたと思う。でもその後、日本語が通じると初めて思えた支援者、私の場合は精神科の先生でしたけれど、初めてようやく息ができる感覚になりました。何の特技もなければ、どんないいこともないけど、それでも、私は生きてたっていいはずだっていう、揺るがない思いみたいなのが取り戻せました」
泉さん「僕はいわゆる昨今の生産性に関わる議論とかに、飲み込まれていく感じがある。世の中の役に立ってないと人はだめみたいな価値観というのかな。僕なんて生産性ないんです。それでもそれなりに生きていいよっていうか、ただ生きてることが許されるというふうになったら、ひきこもりの根源にあるしんどさが薄れていくんじゃないかと思ったりする」
石川さん「生きるってどういうことだろうとか、どういう社会が望ましいんだろうっていうのは、ひきこもってるとか関係なく、みんなにとって大事なこと。ひきこもりを入り口にして、考えられるんだよねっていうようなことを、やっていきたい」
斎藤さん「生きる意味が問われない社会というか、優生思想的な方向に行きそうな発想は減っていってほしい。自分の欲望を持っちゃいけないとか、欲望を実践しちゃいけないと思い込んでる人がいっぱいいるので、僕らはもうちょっと、安心して欲望を発揮してかまわない、発揮してほしいという方向を目指すほうがいいかもしれない。その欲望の結果としてどういう方向を目指すかは、それこそ百人百様ですから。それに見合った支援の形態を考えていきたい」
泉さんは、運営しているひきこもり経験者の会で、毎月音楽会を開いています。
音楽会といっても観客はいません。楽器を持ち寄り、ともに時間を過ごすだけ。自分たちがありのままで過ごせる場を作りたいと始めました。
泉さん「生きるのに必要ないと言われたら、いろんなものってきっとなくなっていく。友達も、なくてもたぶんあした死なないし、居場所活動も死なないからいらないって、どんどん削られていくと思う。でも、そんな人生、ぺんぺん草も生えんやろうって思うんですよ。だから、僕は自分の活動は何なのかと思ったときに、食卓に飾る花みたいなもんかなと。僕らのやってる活動、理解はしなくていい。納得までもいかなくていい。そういうのもあるよねと言ってもらえるぐらいになってもらえたらなと思ったりする」
ひきこもりの当事者たちは、長い間どう生きていくか悩み、苦しんできました。その「生きづらさ」から解放される社会を作れるかどうかが求められています。
※この記事はハートネットTV 2018年12月4日放送「シリーズ平成が残した宿題 第3回 ひきこもり 何が“問題”だったのか」をもとに作成しました。情報は放送時点でのものです。