相模原市の知的障害者施設、『津久井やまゆり園』での殺傷事件から 来月(7月)で3年になります。やまゆり園で暮らしていた人たちの多くは、横浜市にある施設などに仮住まいしていますが、中には、地域で暮らすことにした人もいます。新たな生活で大きく変わった、ひとりの女性を取材しました。
事件のとき、やまゆり園に暮らしていた、重度の知的障害がある松田智子さん(39歳)。いまは小さなグループホームで、5人の仲間と職員のサポートを受けて暮らしています。
ホームの中で自由に過ごし、豊かな表情を見せる智子さん。
しかし、やまゆり園では、足のケガをきっかけに、長年、車いすに拘束されていました。
事件前の支援記録には、『突発的な行動もあり、 “見守りが難しい” 』とされていました。
1年前、やまゆり園とは別の施設で暮らし始めた智子さんに、母親が、幼い頃 活発だった智子さんのことを考えて、地域での暮らしを体験することを勧めました。
理学療法士が体の状況を詳しくみたところ・・・
『ひざが伸びないね~』
長年の拘束の影響か、足腰や背中の柔軟性が失われていることがわかりました。
『ここ、カチカチだ。背骨の動き自体が固い』
施設で、背中のかたさをほぐす取り組みを始めるとともに、散歩、カフェでの食事、美容室などにも出かける2か月の生活を体験。楽しそうな表情が出てきたことから、去年7月、グループホームに移りました。
グループホームでは、できることは智子さん自身がやることにしています。
『自分の衣類やタオルをしまう』 『洗濯ものを干す』といった日常の行動が、生活する意欲の向上につながるとの思いからです。
「興味のあることは自分からやろうという感じだったので『これはやろうか』と。大人として、最低限のことは自分でやれるように」と話すのは、グループホームの支援員。
毎日、周囲を散歩していると、地域の人から声がかかります。
『こんにちは~暑いね。採っていっていいよ』
『本当ですか!?ありがとうございます。ともちゃ~ん、ビワ!』
今年4月からは、週に2日、仕事もしています。
地域の資源回収です。集積所まで出しに行くのが難しい人の部屋を訪ねて受け取ります。
『はい ありがとう』
この仕事の中では大変なこともあります。
『頑張れ!最後まで。重いか・・・』
重いものも、職員に手伝ってもらって運び
『順番待ち!順番待ち!』
順番も、我慢して待たなければなりません。
生活支援員は「周りにあわせる行動は必要。身につけてほしい。智子さんにとっても すごくいい」といいます。
生き生きと暮らす智子さんの姿を、母親は頼もしく受け止めています。
「チャレンジして、失敗することもあるかもしれないけれど、そういうのも “生きるということ” かな。そこから得られるものも、あの人はきっと感じるし、生きるということではないかな」と話していました。