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2017年1月26日(木)

障害者殺傷事件 半年 家族会 会長の思い

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阿部
「相模原市の知的障害者施設『津久井やまゆり園』で、入所者など46人が次々と刃物で殺傷された事件から今日(26日)で半年です。
亡くなった方々の遺族は今も心の整理がつかず、事件を受け止めきれずにいます。」

和久田
「そうした中、施設に入所する人たちの家族会の会長が遺族の思いなどを踏まえて初めてカメラの前で語りました。」

障害者殺傷事件 半年 家族会 会長の思い

津久井やまゆり園 家族会 会長 大月和真さん
「(時間がたつのが)早いとか遅いという感じ方もあるが、『よくここまで来られたな』ということ。
まだ(被害にあった)一人一人のご家族の中に日常は取り戻せていない、気持ちの整理もついていない。」
 

去年(2016年)7月26日、相模原市の知的障害者施設に刃物を持った男が侵入。
入所者が刺されて19人が死亡、27人が重軽傷を負いました。

津久井やまゆり園 家族会 会長 大月和真さん
「朝5時半くらいに、あるお母さんから電話があって『今、津久井(やまゆり園)で大変なことが起きている。私の息子も刺されて』という悲痛な話を聞き、何が何だか分からなくて『分かりました。行きます』と言って、すぐに津久井(やまゆり園)に飛び込んだ。」

大月さんの息子は被害を免れましたが、その凄惨な事件にこれまでにない衝撃を受けました。

津久井やまゆり園 家族会 会長 大月和真さん
「身の毛がよだつというか、言葉では表せないが、すごい衝撃が走る。
悔しかった。
なんでこんなことになったんだと。」

殺人の疑いで逮捕されたのは施設の元職員、植松聖容疑者。
これまでの調べに対し“障害者は不幸をつくることしかできない”など、一貫して障害者を冒とくする供述を続けているということです。
植松容疑者に対する専門家の精神鑑定は来月(2月)20日まで行われる予定です。
犠牲者の葬儀に参列した大月さん。
亡くなった19人の遺族は、いまだにさまざまな事情から事件について語ることが難しいと言います。

津久井やまゆり園 家族会 会長 大月和真さん
「遺族の中で『津久井やまゆり園という言葉を聞きたくない』という方もいる。
その事件のことを思い出して、兄弟とか子どもたちがどんな目にあったのか、どうしても思い出しちゃう。
一人一人障害が違う、一人一人家族が違うので、それぞれの苦労があるし、それぞれの思いがあるので、ひと言では言えない。
みんな励まし合いながら、この苦しい時間を過ごしていくしかない。」

障害者殺傷事件 半年

阿部
「取材を続けている社会部の松井記者です。
事件から半年がたっても、遺族の方々の心の傷は計り知れないものがあるようですね?」

松井裕子記者(社会部)
「今回の事件では、男女合わせて19人が亡くなりましたが、家族の意向があったとして、警察はこれまで名前を公表していません。
この半年、私たちは亡くなった方たちを知る人たちに取材を重ねてきました。
 

そこから少しずつ19人の人柄やエピソードが見えてきたので、それをまとめ、ウェブサイト『19のいのち』を作りました。
犠牲になった方たち一人一人の“生きた証し”を残していくことで、“事件を風化させないように”という思いから作りました。」

和久田
「1つ1つのイラストで亡くなった方を表しているんですね。」

松井記者
「こちらの70歳の女性はお兄さんが大好きな方でした。
また、ラジオが大好きで、いつも肌身離さず持っていた66歳の男性もいました。
取材を通して見えてきたのは、かけがえのない人生を生きてきた一人一人の姿でした。」

障害者殺傷事件 半年 19人の“生きた証し”

私たちはまず、犠牲者をよく知るという男性を訪ねました。
事件が起きた知的障害者施設の元職員、細野秀夫(ほその・ひでお)さんです。

亡くなった49歳の男性を10年にわたり担当してきました。
笑顔が印象的で、活発だったその男性。
時折、気持ちが不安定になることもあったと言います。

津久井やまゆり園 元職員 細野秀夫さん
「彼の場合、コミュニケーションをとるのは時間かかった。」

心を通わせるきっかけとなったのは囲碁でした。
毎週日曜に放送される囲碁のテレビ番組。
普段は活発な男性が、番組の間は静かに集中していたと言います。

津久井やまゆり園 元職員 細野秀夫さん
「ベットの上にかしこまって、じっと。
かしこまって、テレビから絶対目をそらさなかった。」

それから囲碁を通じて男性との関わりは深まっていきました。

津久井やまゆり園 元職員 細野秀夫さん
「(テレビ画面の)並んでる石を見て『こんなところ打ってるけど、おかしい。僕だったらこっちだ』『先生知らないの?』って。
『囲碁知らないんだよ残念ながら。将棋なら分かるけど』と言うと、『今度僕、教えてやるよ』なんて話もしたことある。」

“時間をかけて寄り添えば心は通じる”。
男性からそのことを学んだという細野さん。
理不尽に命を奪った事件に憤りを感じています。

津久井やまゆり園 元職員 細野秀夫さん
「この人たちも精いっぱい、精いっぱい生きてきた。
この人たちが生きていたっていう証し、絶対忘れてはいけない。
こういう事件があったんだという部分、残さなくてはいけない。」

 

少しずつ見えてきた19人の面影。
私たちは、一人一人を絵で表わすことにしました。
男性が囲碁を好きだったことなど、それぞれのエピソードをイラストレーターに伝え、象徴となるものを描いてもらいました。
ご遺族の了承を得られた方については、似顔絵にしました。

イラストレーター ヨネヤマタカノリさん
「それぞれの方にストーリーがある。
生きていた形がある、というのが出せれば。」


 

こうして集まった19人のいのちの証し。
その1人、55歳の男性です。
この男性に特別な思いを寄せる人がいます。


 

元職員の中川尚也(なかがわ・なおや)さんです。
介護の仕事に就いて初めて担当したのが、亡くなった男性でした。
今回の事件に強い怒りを覚えています。

津久井やまゆり園 元職員 中川尚也さん
「亡くなられた方を知った時に、コミュニケーションをとれない人を刺したって。
正直うそつくなよって、あの人は(コミュニケーション)とれる。」

介護の仕事に慣れない中川さんにとって、男性は仕事のやりがいを教えてくれた、かけがえのない存在でした。

津久井やまゆり園 元職員 中川尚也さん
「本当に勉強する部分が多かった、もう勉強することしかなかった。
厳しいながらも優しかった。
やればやった分だけ笑顔で返してくれる方だった。
本当に(最初の担当が)彼で良かったと、今でも思う。」
 

当時、男性に感謝の思いを伝えたいと考えた中川さん。
少し足が不自由だった男性が歩きやすいよう、特注した靴をプレゼントしました。

津久井やまゆり園 元職員 中川尚也さん
「最初はすごく戸惑っていた。
慣れると歩きやすかったみたいで、(靴を)指さして笑ってくれることが多かったので良かった。
気に入って履いていたみたいで、ボロボロになっても『これを履くんだ』って。」

その靴を履いて散歩に出かけるのが好きだったという男性。
施設の周辺を30分ほどかけて歩くのが、いつもの散歩コースでした。
行き先は、100円で缶コーヒーが買える自動販売機です。

津久井やまゆり園 元職員 中川尚也さん
「みんな100円握りしめて行く。」

その場所を訪ねてみると…。

津久井やまゆり園 元職員 中川尚也さん
「コーヒー(の自動販売機)なくなっている。
ここにあった。
ここで飲んでいた。」

思い出の自動販売機はなくなっていました。

津久井やまゆり園 元職員 中川尚也さん
「ここでコーヒーを買えるんだと、一生懸命歩いていた。
なくなったのは、ちょっと寂しい。」

津久井やまゆり園 元職員 中川尚也さん
「(男性は)よく笑っていた。
当然怒ることもあった、悲しむこともあった。
喜怒哀楽が本当によく分かる豊かな方だった。
僕らは(一緒に)居たものとしてしっかり覚えてますし、どんなことがあっても忘れない、忘れるはずはない。」

障害者殺傷事件 半年 ある遺族の思い

阿部
「改めて、失われた命の重さを感じます。
今、遺族の皆さんはどんな思いでいるのでしょうか?」

松井記者
「今、お伝えした55歳の男性の家族は、両親が男性のことをとても大事に育ててきたこと、また、男性も両親のことが大好きで、面会できるのを楽しみにしていたことを語ってくれました。
今回の事件では、体の傷がひどくて棺の中の顔だけを見て、お別れをせざるを得なかったということで、今も事件の衝撃を受け止めきれずにいるということでした。
こういうかたちで命を奪われる人を、決して出してはいけないとも話していて、いつかは男性のことも伝えたいという思いもある一方で、社会に伝えていく中で“どんな反応があるのか”と思うと、まだ怖くてそうしたことを語っていく心境には、今はなれないということでした。」

障害者殺傷事件 半年 19人の“生きた証し”

和久田
「取材を通して今、一番感じていることはどんなことですか?」

松井
「今回の事件で、容疑者は“障害者は不幸を作ることしかできない”とか、“意思疎通ができない人を狙った”などと供述しました。
しかし、亡くなった方たちの取材を重ねれば重ねるほど、決してそんなことはないということを感じました。
豊かな感情を持ち、周りの人たちと深く関わり合いながら、ささやかでもかけがえのない人生を生きてきました。
事件から半年がたち、社会からその衝撃が薄れてきているように思います。
改めてあの事件が奪ったものの重さや痛みを想像し、二度とこのような悲劇が起こらない社会にしていくためにも、少しずつでも伝え続けていきたいと考えています。」
 

<関連リンク>
19のいのち -障害者殺傷事件-

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