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施設か、グループホームか。知的障害者の暮らしの場

記事公開日:2018年07月25日

※この記事は2017年7月24日放送の番組を基に作成しました。
2016年7月に発生した障害者施設殺傷事件から1年。事件が起こった津久井やまゆり園の再建をめぐって、入居者家族や地域、自治体の間で議論が繰り広げられています。施設での暮らしを再び求める人がいる一方、地域に根差したグループホームを待ち望む声も聞かれます。障害者の暮らしの場について考えます。

家族会や地域から上がる、再建要望と反対の声

19人が亡くなり、27人が負傷した障害者施設殺傷事件。事件が起こった津久井やまゆり園に入所していた、尾野剛志さんの息子、一矢さんは重傷を負い、一時意識不明となりました。現在は、仮に移転した施設で過ごしています。でも、これからどこでどう暮らすのか、まだ決まっていません。

画像(尾野一矢さん 44歳)

去年9月、尾野さんたち家族会は、元の場所に同じ規模の施設を建て直すよう神奈川県に要望しました。県は一度、その方針で建て替えると発表します。しかし、地元の障害者団体などから「生き生きと地域の中で暮らせる神奈川県を作ることこそが必要である」との考えから、反対の声が上がりました。

“隔離につながる大規模施設は時代に逆行する”との考えから、建て替えは小規模にとどめ、地域で暮らせるグループホームなどを整備すべきだと主張したのです。県は改めて専門家による検討会議を開催。しかし、意見は分かれ、いまだ結論は出ていません。

6月、やまゆり園の今後を話し合う市民集会が開かれ、尾野さんも参加しました。

「やまゆり園にいると、すごく落ち着いて穏やかに暮らせるわけですよ。それはなぜかと言うと、一緒に寝泊まりしている仲間が側にいて、いつもケアしてくれる職員がいるから。もしグループホームができて、ぽんとはなされたらどうなるか。僕らにもまだわからないんですよ。」(尾野さん)

しかし、反対する声が相次ぎます。

「施設に入っている人たちで、ここで生活したいと言って入った人は1人もいない。」
「今の若い親御さんたちは入所施設は望んでおらず、グループホームで暮らさせたいというのがほとんどです。」
「みんな一緒にという言い方自体、人権を無視している。それぞれの選択する自由がある。」

グループホームを運営する人などが、障害者は施設でなく、地域の中で暮らすべだきと主張しました。

障害者政策で揺れ動く暮らしの場

議論の原点は、やまゆり園がたどってきた歴史のなかにあります。1964年、県立の施設として、全国に先駆け、重度の知的障害者の受け入れを始めました。当時、成人した障害者への公的な支援はなく、親たちは偏見をおそれ、自宅で隠すように育てるしかありませんでした。追い詰められた親たちは、安心して預けられる施設の設置を神奈川県に求めたのです。

候補地にあがったのが、産業もなく、高度経済成長から取り残された小さな集落である、相模原市の山間にある千木良でした。受け入れに手を挙げたのは、生き残りをかけてのことでした。

画像(1950年代の千木良)

当初、地元では強い反対があったと言います。しかし、地元の人たちを職員として採用する計画が明らかになると、住民の反応は大きく変わります。このことは、やまゆり園と地域との間に特別な関係を生み出しました。最初は警戒していた人たちも、顔なじみの職員を通して、入所している障害者と触れあっていきます。お祭りには子どもたちも参加するなど、つながりは日常的になっていきました。そんな地元の人たちとの関係は、家族にとって大きな支えになりました。

しかし、時代と共に、施設での暮らしは少しずつ変わっていきます。やまゆり園ができた60年代以降、親の訴えから全国で障害者施設が作られました。国の障害者政策も入所施設の充実へと大きく舵を切り、1970年に厚生省(現在の厚生労働省)がまとめた長期構想には、知的障害者の施設を従来の4倍のペースで整備すると記されています。入所施設の需要が高まるなか、やまゆり園の入所者は当初の100人から倍増。そのなかには、自分や他人を傷つけるおそれのある、ケアの難しい人も少なくありませんでした。対応する職員の余裕はなくなり、施設での暮らしは次第に管理的になっていったのです。

その後、1981年の国際障害者年には、欧米から「障害者も施設ではなく、地域で暮らすべきだ」という考え方が持ち込まれます。日本の当事者や家族たちも、地域で暮らす選択肢を求めるようになりました。2000年代に入ると、国も障害者政策を大きく転換します。グループホームなど、地域での暮らしの場所を整備し、施設中心の福祉を改めると宣言したのです。やまゆり園でも、施設を出て地域で暮らしたい人のためにグループホームを設立しました。

杉山純さんは、24歳の時にやまゆり園に入所。以来17年間、園で落ち着いた暮らしを送ってきました。

5年前、園に勧められて系列のグループホームに移ります。すると、純さんの行動に変化が表れたと言います。

画像(杉山純さん 45歳)

「最初は、施設から家に帰ってくると外に出ようとしなかったけれど、最近、ようやく外へ出るようになりました。今は外出して、コーラを飲むのが楽しみのよう。グループホームで生活したおかげで、みんなと一緒に楽しむことができるようになったのかなって。」(杉山さんの父)

しかし、地域で暮らす場所の整備は、なかなか進んでいません。

やまゆり園に入所して3年になる、平野和己さんは、園に入る前、両親が地域の中で暮らして欲しいと、グループホームを探しました。しかし、受け入れてくれるところは見つかりませんでした。

画像(平野和己さん 27歳)

周囲の薦めで入所したのが、やまゆり園。職員たちのケアによって和己さんの様子は落ち着いていたと言います。しかし、施設の外で過ごす時間も大切にしたいと、両親は毎週のように外に連れ出してきました。

「やっぱり閉じ込められている感覚があると思う。我慢して、慣らされて。でも、それが普通だと思っていると思う。」(和己さんの父)

そんな最中に起きた事件。和己さんに被害はありませんでした。でも、今後はどこで暮らすのか。やまゆり園の再建をめぐり議論が続くなか、両親が願うのは、和己さんが地域で暮らせる選択肢ができることです。

専門家が提言する、新たな選択肢

本人が安心して暮らせるのは、大規模な施設なのか、地域の中のグループホームなのか。社会福祉が専門の東京成徳短期大学教授、大塚良一さんに対立を乗り越えるヒントを伺いました。

画像(東京成徳短期大学教授 大塚良一さん)

「まず、施設に入られる方もグループホームに入られる方も、どちらに入っても幸せになるということが大切ではないかと思います。施設に入りたい、または地域の中のグループホームで生活したい。こうした意向が尊重される支援体制が重要ではないでしょうか。」(大塚さん)

そして地域か施設かという二択自体を、今一度問い直すことが必要といいます。

「現在は選択肢があまりにも乏しい。施設とグループホームしかない。それだけではなくて、当然、在宅も考えられる。そこには何が必要か。例えば、お年寄りの方を在宅で介護する場合は、ホームヘルパーが必要になる。ならば、知的障害者のホームヘルパーを、どういう形で支援の対象の中に入れていくか。今までの知的障害者支援に大きく欠けていた部分ではないかと思います。」(大塚さん)

画像(本人が入所施設、デイサービス、グループホーム、ガイドヘルパーに囲まれたイラスト)

さらに、ほかのものと組み合わせることで、新たな形の暮らし方も模索できると大塚教授は続けます。

「“終生保護”という言葉がありましたが、一生涯そこを使うのではなく、ある期間は施設、ある期間はグループホームがいいという方がいたら、その方に合わせて使っていくことも考えられる。デイサービスも含めて、あらゆる機関を使えるような形が大事になるのではないかと思います。それにいちばん大切なのは、障害者のことをよく理解し、マネージメントできる体制を作っていくこと。体制的にどういうものを作っていくかよりも、どういうものを利用者が望んでいるだろうかを考えること。その方に合った支援というのは何か、そのポイントがいつの時代でも抜けていたのではないでしょうか。」(大塚さん)

どう再建するかにゆれた津久井やまゆり園。これまでの千木良地域における入所施設の建て替えに加え、芹が谷地域に入所施設の整備を行うことを発表しました。2つの施設の合計定員は132名。それぞれの施設の定員はこれから利用者に意思確認を行い決定すると発表しました。また、グループホームなどでの暮らしを希望する人については、地域移行のための支援をするとしています。 障害のあるひとりひとりが、安心して暮らせる場を見つけるための試みが始まっています。

※この記事はハートネットTV 2017年7月24日放送「シリーズ 障害者施設殺傷事件から1年 第1回 暮らしの場はどこに」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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