学界の反応は冷たい。鈴の表面に刻まれた絵を高麗初期の歴史書「駕洛国記」の記述に無理に当てはめた解釈だとの見方だ。伽耶史専門家の大多数が「文献研究者に一度も意見を聞くことなく、性急に発表したことによるハプニングだ」「歴史の歪曲(わいきょく)を超え、創作のレベルだ」などと批判した。
これまで伽耶については、文献に残された記録や研究者が少ないため、新羅、高句麗、百済の力に押されて疎外された王朝だったとされてきた。最近は「全ての道は伽耶史に通じる」という言葉まで登場した。少しでも縁故がある地方自治体が発掘結果の誇張競争を繰り広げているありさまだ。バランスを取るべき文化財庁からして誇張に輪をかけている。あるベテラン教授は「発掘によってファクトを明らかにすべき考古学が歪曲した歴史を後付けで証明する学問に転落するのではないかと懸念される。伽耶史の発掘が現在のように地方自治体の地域開発論理に引っ張られれば、政権が交代した後、伽耶は抜け殻しか残らないだろう」と苦言を呈した。
ホ・ユンヒ文化部次長