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(2002/02/25)
神慈秀明会の聖教書が、明主様のオリジナルのみ教えが修正されている、または複数のみ教えを結合させたものがある、などは、みなさんも聞いたことがあると思います。ここでは聖教書の記述とオリジナルとの違いを研究していきたいと思います。
参考にした書物は以下の通りです。
いづのめ教団版「天国の礎」
昭和29年発行「御神書」 (明主様オリジナルであると考えて間違いない書物でしょう)
昭和33年発行「天国の礎」(二代様版。5冊セット。二代様独自の改変が随所に行われている)
昭和52年発行「天国の礎」 (3代様版?。1冊。上記五冊セットを一冊にまとめた物だが、序文に修正が入っている。最近まで東方之光で販売していた)全文はこちら(旧版天国の礎 全文)
岡田茂吉全集
み教え比較の基準は、まずいづのめ教団版の「天国の礎」と「聖教書」を比較し、明らかな違いがあった場合に紹介しています。
今回の比較では、文意が変わらない程度の単語や語尾の少々の変更や、「世界救世教」を「神慈秀明会」と置き換えたり、「患者」を「信者」、「治療所」を「支部」、「光明如来」を「大光明」に置き換えたようなものは省略しております(しかしそのレベルの改変も結構ありました)。
まずは「聖教書」と「いづのめ版天国の礎」の比較を基本とし、違いが認められたものはさらに「二代様版天国の礎」や「御神書」「岡田茂吉全集」との比較を試みています。
なお、「御神書」と「いづのめ版天国の礎」には基本的に違いはありませんが、いづのめ版には人権上の配慮による改変が少々あるようです。
(○:特に問題無し|■:問題、またはコメント有り)
聖教書 日付 研究 誠 昭和23年9月5日 ○ 序 - 神慈秀明会とは何ぞや 昭和23年9月5日 ■ 東方の光 東方の光 昭和27年11月12日 ○ 救世主 昭和25年11月20日 ■ 神人合一 昭和27年5月7日 ○ 私の告白 昭和24年10月5日 ■ 大黒様 昭和24年12月30日 ■ 宗教は奇跡なり 昭和24年6月11日 ○ お説教 昭和27年8月25日 ○ 悲劇を滅する 昭和24年6月11日 ○ 神仏はあるか 昭和22年2月5日 ○ 無神論について 昭和29年1月6日 ○ 科学の力 昭和23年9月5日 ○ 安心立命 昭和27年12月10日 ○ ①の文化 昭和27年9月10日 ○ 世界人たれ 昭和26年10月3日 ○
「だからこの際少なくとも日本人全体は、今度の講和を記念として世界人となり、今までの小乗的考えを楊棄し、大乗的考えになる事である。」今度の講和とは「1951年(昭和26)9月8日のサンフランシスコ講和条約」の事。実は、み教えには、この講和条約以降、初めて説くことが出来たというものが多い。こういうところに、み教えには説かれた日付が重要である理由がある。神の芸術 昭和24年12月20日 ○ 宗教と政治 昭和23年9月5日 ○ 宗教と芸術 昭和23年9月5日 ○ 芸術の使命 昭和24年10月15日 ○ 真理の具現 昭和24年7月16日 ○ 正しき信仰 正しき信仰 昭和23年9月5日 ○ 常識 昭和23年9月5日 ○ 善と悪 昭和23年9月5日 ○ 社会悪の根源 昭和24年5月14日 ○ 悪に対する憤激 昭和26年2月25日 ○ 善人よ強くなれ 昭和24年10月15日 ○
いづのめ版「天国の礎」には、「そのため悪人はそれをよいことにしてますます爪を伸ばし善人を苦しめる」が欠落しています。ミスだと思います。五智を説く 昭和24年8月20日 ○ 神と佛の文字 昭和24年10月8日 ○ 大乗と小乗 昭和25年12月6日 ■ 観音信仰 昭和24年4月20日 ○ 信仰の種類 昭和24年8月30日 ○ 霊界と現界 序文 昭和24年8月25日 ○ 火素・水素・土素について 昭和18年10月5日 ■ 自然力 昭和22年2月5日 ○ 霊線について 昭和23年9月5日 ■ 幽霊はあるか 昭和22年2月5日 ○ 霊界の審判 昭和22年2月5日 ■ 霊界の構成 昭和22年2月5日 ■ 生と死 昭和22年2月5日 ■ 祖霊と死後の準備 昭和24年8月25日 ■ 死後の種々相 昭和24年8月25日 ○ 霊憑りについて 昭和26年12月5日 ○
本来龍神なるものは、並々ならぬ強い力と、そうして智慧を有っているから、人間を自由にし、場合に依っては人に傷害を与えたり、命をとる事等朝飯前である。昨年の事件の時なども、多くの悪龍が活躍した事は以前も書いたが、そういう場合血も涙もない残虐極まるものである。
「昨年の事件」とは明主様が投獄された法難事件のことです。生霊 昭和24年8月25日 ○ 守護神 昭和22年2月5日 ○ 悪人は病人なり 昭和26年11月21日 ○ 龍神界 昭和22年2月5日 ■ 天狗界 昭和22年2月5日 ○ 邪神活躍 昭和25年12月25日 ○ 最後の審判と浄霊 最後の審判 昭和25年1月20日 ■ 夜の終り近づけり汝ら悔い改めよ 昭和24年12月31日 ■ 最後の審判とは何か 昭和28年6月17日 ○ 第三次戦争は免れる事ができる 昭和26年10月17日 ○ 力 昭和27年4月9日 ■ 私の光 昭和27年5月25日 ■ 浄霊の原理 昭和24年5月30日 ■ 浄霊と幸福 昭和27年3月25日 ○ 大三災と小三災 昭和24年8月13日 ○ 火事と浄霊 昭和27年2月20日 ○ 方法論と結果論 昭和24年7月23日 ○ 宗教プラグマチズム プラグマチズム 昭和23年9月5日 ○ 人間は想念次第 昭和24年9月3日 ○ 主観と客観 昭和25年3月18日 ○
聖教書には万朝報を「まんちょうほう」とふりがなしているが、これは「よろずちょうほう」が正式な読み方。しかし「まんちょうほう」も間違いというわけではないらしい。誠の有る無し 昭和25年1月28日 ○ 「正直者は馬鹿を見る」とは嘘だ 昭和24年4月20日 ○ 正義感 昭和28年12月23日 ○ 順序 昭和24年8月30日 ○ 主の字 昭和24年9月3日 ○ 下座の行 昭和23年9月5日 ○ 自分の悪に勝て 昭和26年6月20日 ○
参考:「悪に勝つ」怒る勿れ 昭和23年9月5日 ○ お任せする 昭和26年11月28日 ○ 我と執着 昭和23年9月5日 ○ 我を去れ 昭和25年2月18日 ○ 優しさと奥床しさ 昭和25年10月25日 ○ 善を楽しむ 昭和23年9月5日 ○ 夫婦の道 昭和23年9月5日 ○ 子供の不良化 昭和25年4月22日 ○ 恋愛哲学 昭和25年1月21日 ○ 夢について 昭和23年9月5日 ○ 神に愛される 神に愛される 昭和24年5月25日 ○ 私というもの 昭和24年8月30日 ■ 信仰は信用なり 昭和24年6月18日 ○ 欲張ったヨクのない人 昭和25年2月11日 ○ 名刀をつくる 昭和24年 ○ 行き詰り 昭和27年10月29日 ○ 大いにみ教えを読むべし 昭和25年11月29日 ■ 運命は自由につくられる 昭和27年10月25日 ○ 罪穢と病気 昭和22年2月5日 ■ 霊層界 昭和22年2月5日 ○
即ち本教の教修を受けることである
↓
すなわち浄霊法の講習を受けることである霊界の不思議 昭和24年10月25日 ○ 霊波と霊衣 昭和22年2月5日 ■ 奇跡の解剖 昭和26年6月6日 ■ 信仰の合理性と再浄化 昭和28年5月27日 ■ ご神意を覚れ 昭和28年12月2日 ■ 信仰の醍醐味 昭和23年9月5日 ○ 天国は美の世界 昭和26年7月11日 ○ 物を識るという事 昭和25年8月15日 ○
東山御物に(ひがしやまごもつ)と振り仮名されているが、これは「ひがしやまぎょぶつ」が一般的
再びベルグソンについて 昭和26年7月18日 ■ 新人たれ 昭和25年10月11日 ○ 神示の健康法と農法 神示の健康法 健康の真理 昭和25年4月20日 ○ 人間は健康の器 昭和25年4月20日 ■ 身体をこわす 昭和24年7月30日 ○ 病気とは何ぞや 昭和28年1月1日 ■ 栄養の喜劇 昭和25年4月20日 ■ 日本人と精神病 昭和24年9月25日 ■ 農業の大革命 昭和27年1月30日 ■
聖教書研究の考察
聖教書研究のまとめとして、次のことを報告したいと思います。
やはり改変箇所は多い
このページ作成は大変な手間がかかりました。まったくたまったもんじゃあありません。聖教書の改変箇所が多いか少ないかという問いには、「大変多い」と自信を持って答えたいと思います。実際に比較ページを書き上げた私が言うのですから間違いありません。これくらい改変されていると、み教えの著作権で訴えられることもないのではないでしょうか。改変の傾向
(1) 二代様版天国の礎からの引用が多い。(二代様改変を原典に戻していないものが多い)会主様は明主様のみ教えの原典をお持ちだったはずですが、なぜかそちらではなく二代様が修正を入れられた「天国の礎」からの引用が多くなっています。会主様は原典に戻すことにあまり興味を持たれていなかったようです。だから「信仰の五つの柱」にみ教え復活が入っていないのでしょう。二代様が隠された「素盞鳴尊」や「神界、仏界のこと」に関する教えも、原典に戻すことなくそのまま隠し続けています。二代様版にあるみ教えは二代様版を採用し、ないみ教えは原典から持ってくるという傾向があるようです。例)霊界の構成 ご神意を覚れ(2) 伊都能売という言葉を意図的に隠している。素盞鳴尊のことを隠した流れからでしょうか?伊都能売に関することもかたくなに隠しています。「伊都能売の身霊」というみ教えは重要であり聖教書に採用されるべき物でありましたが採用されておりませんし、(1)のように二代様のみ教え改変をそのまま転載した結果というものでもありません(二代様は伊都能売の言葉は隠しておられなかった)。どうして会主様が伊都能売の御名前をかたくなに隠し続けたのかは不明です。なお、伊都能売大神という神様については、こちらをご参照下さい。
「大自在天と乙姫と観音様」(3) 聖教書の聖典としての完成度を上げるための改変、削除、合体が目立つ。聖教書の「一冊の聖典」としての完成度を高めるために、他のみ教えと重複する箇所を削除したり、表現を修正したりしています。また二つのみ教えを抜粋、改編して合体させ、一つのみ教えであるかのように表現しています。例)おおいにみ教えを読むべし 祖霊と死後の準備 栄養の喜劇(4) 救世教の雰囲気を残す言葉を削除している。「奇跡の解剖」で「熱海大火の際、本教仮本部が不思議に焼けなかったのもその意味である。」という一文を消去したり、霊界の構成で「これは現在開業中の私の弟子が実見(聖教書では「実験」)した事実であるが」の「開業中」という言葉を消したりしています。いづのめ教団の天国の礎について
いづのめ教団版の天国の礎は、人権に配慮した結果の改変が一部行われていることがあり、そのため聖教書と異なっている(聖教書の方がオリジナルに近い)という例もあります。例) 生と死 霊線についてなお、いづのめ版天国の礎の後書きには、「人権に配慮しみ教えを改変した」旨が明記されておりますので、次のリンクよりご参照ください。いづのめ版天国の礎について
002 神慈秀明会とは何ぞや
このみ教えは教団名以外、特に修正箇所はありません。
本来このご論文の題名は、「観音教団とは何乎(なんぞや)」で、「信仰雑話」の序文としてしたためられていたものでした。二代様版天国の礎において、「世界救世教とは何ぞや」という題名に変わり、序文となりました。聖教書でもそれが受け継がれています。
なお、聖教書、および、「二代様版天国の礎(初版)」「いづのめ教団版天国の礎」では、
それによって大いなる切り替え時をやすく越えらるる事で、いわゆる神の試験にパスするのである。その唯一の方法としての信仰であることを次に説明してみよう。
となっています。しかし、秀明紙創刊号、および「三代様版天国の礎」では、
それによって大いなる切り替え時をやすく越えらるる事で、いわゆる神の試験にパスするのである。その唯一の方法が信仰である。
となっております。確認は出来ていませんが、この部分は2代様版天国の礎が少々版を重ねた後、おそらく三代様の代に(離脱の前に)、より当たり障り無きよう改訂されたものではないでしょうか。それが聖教書ではオリジナルのみ教えに戻されたということです。
004 救世主
以下が変更箇所です。なおこの御論文は当然、明主様を救世主と呼びたくなかった二代様の、天国の礎には掲載されていません。ですから赤字の箇所は、聖教書における初めての修正ということになります。
私が信徒を介して行なう間接的力によって、絶望と決した難病が治り、決定的死の運命が復活され、健康人間として活動されるようになった実例は、実に今日まで何万何十万を数えるか分らないほどである。古往今来人間の寿齢なるものは運命のままに委せられ、文化の進歩も医学の発達も、こればかりはどうにもならないとされてきたことはいうまでもない。ところが右に述べたごとく、人類唯一の欲求たる生命の延長が、可能となったとしたら、(←この赤字部分を削除。その結果、「この実相」の「この」がさす言葉が変わってしまっている。)この実相を把握し、信じ得る人の歓喜は如何ばかりであろうか、恐らく形容の言葉もないであろう。しかしこの事実を人の言葉や本教刊行物によって知ったとしても、直ちに受け入れられない事は致し方あるまい。ある者は迷信とし、ある者は大山師とみるのもまた当然であろう。
元来、私は大聖者たろうとも救世主になろうとも望んだ事は些かもない。何となればそれほどの自分とは思っていなかったからである。ただ若い頃から人類愛に燃える余り、宗教人となって大いに世を救いたいと思っていたばかりである。ところが宗教界にはいりある程度の修業が終わった頃、私は神霊の啓示を受けると共に、時の推移するまま不思議な事が次々に(起こる。)起こってきた。そうして予想だもしなかった驚くべき霊力を与えられたことである。然も途方もない運命の転換は私をして驚嘆させずにはおかなかった。実に奇跡から奇跡へと進んでゆく。これを例えて言えば、私が何かを希うと、必ずそれが実現する。私が墨で紙へ文字をかくとその文字が生きて躍動する。その紙をたたんで“おひかり”として懐へ入れると、その刹那から気持が明るくなり、奇跡が起こり始める。人の病気を治し得る力も発現する。不幸の境遇の人も漸次好転する。また私がかいた文字を床へ掛けたり、額にかけたりするとその文字から光を発し、肉眼で見る人もよくある。勿論家庭も明るくなり、農家においてはたちまち収穫が増したりして漸次天国化するという実例は、多くの信者達が常に異口同音に唱えるところである。
006 私の告白
聖教書、および、昭和45年12月号の秀明紙では、次の部分が欠落しています。
ついには観音様の御本体は伊都能売(いづのめ)という神様であることを知り、いずれ時期が来れば、観世音菩薩はある期間救いのために化身されたのであるから、最後には元の神位に復帰さるるということなども分かったのである。
この「私の告白」は、昭和24年10月5日の「自観叢書」第四篇の一節ですが、この「私の告白」の前に位置する「観世音菩薩と私」というみ教えが、秀明紙72号に掲載されています。しかし、こちらの掲載分も次の部分が欠落しています。
その後暫くして私は三月ばかり神憑りになった事がある。そのときは種々の神や仏が憑ったが、その中で観音様のご本体である伊都能売の神様が憑られ、私の使命を知らせてくれた。それは観音様が私の肉体を使って人類救済の大業をさせるという事や、二千六百年前、釈迦出世の時代、観自在菩薩としてインド補陀落迦(ふだらく)山上に安住され、教道を垂れたことなど、種々の因縁を明らかにされたが、それ等は非常に興味津々たるものであった。
さらに、昭和59年4月号(169号)に掲載されたみ教え「六踏三略の巻」においても、赤い文字の部分を省略しています。
ここで分かり易く示してみれば、六の文字は何時も言うとおり月であり、水であり、五六七の真中であって、丁度現在の世界、つまり夜の世界で、これを踏んで立つという意味である。三略とは三つの計略ではなく、三つの経綸である。即ち、五六七、三六九、上中下、経、緯、伊都能売というわけである。
これらの改変は明らかに伊都能売之大神の御名前と御事跡を隠そうとされておられます。(平和民族である大和民族の宗家、伊都能売神皇は、朝鮮から攻めてきた素盞鳴尊との戦いを避けるため、身を隠しインドに逃げ、観世音の姿となり、そこで釈迦に仏教の元になる教えを説いたというみ教えがあります。伊都能売之大神は観世音菩薩のご本体の神様です。神慈秀明会が教える「観音様のご本体は主神」というのは、間違いです。)
こちらの調査では、二代様、三代様の時代に「自観叢書第四篇」が再発行されたことを確認することは出来ませんでした。つまり「私の告白」「観世音菩薩と私」は、会主様ご自身の意志で、「伊都能売之大神」の御存在を隠そうとされたということになります。後述する「霊界の構成」のように二代様のみ教え改変を参考にしたというわけではないということです。
007 大黒様
大黒様という題名のみ教えは存在しておらず、これは自観叢書第九篇 「光への道」に掲載された「麹町時代」というみ教えの一部です。秀明紙95号に「麹町時代」が掲載されていますが、その後ろに「大黒様」のみ教えをくっつけ、最後に数行の文章を付け足せば、原典の「麹町時代」が復元できます。
麹町時代
前項の如く、私は昭和三年から昭和九年迄六年間、霊的研究と相俟って、神霊療法による病気治療の確信を得る迄に至ったので、之を引提げて世に問うべく決意した。そこで、其頃の東京市の成可中心を選ぼうとして、麹町平河町に、ピッタリ条件の叶った貸家があったので、そこを借りて、信仰的指圧療法という建前で治療所を開業した。そこを応神堂の名をつけ、五月一日から始めたのである。最初は一日数人位の患者でしかなかったが、漸次殖えるに従って段々手狭になって来たので、麹町半蔵門に私が経営した大本教の分所を利用する事となった。恰度その頃私は大本教を脱退し、右の分所は私の自由になったからで、そこを治療所とし、毎日通って治療に従事していたのである。
処が、『奇蹟物語』にかいた霊写真の奇蹟が表われたのが十月十一日であった事と、病気が治った信者の卵のような人が相当出来たので、一つの新しい宗教団体を作るべく計画し、漸く準備も出来たので、その年の十一月二十三日仮発会式を応神堂で執行し、翌十年正月元旦半蔵門の出張所で、正式の発会式を行ったのである。名称は大日本観音会といった。茲で大黒様に関する奇蹟を一つかいてみよう。よく人に聞かれる事は、本教の信者は必ず大黒様を祀るが、観音様とどういう関係があるかと訊かれるが、之は尤もな話で、今日迄そういう行り方は世間になかったからである。私が大黒様を祭り始めたのは斯ういう訳があった。
(中略)
お名前は「みろく大黒天」とつけた。麹町時代、玉川時代来た人はよく知っているはずである。此大黒様を写真に写した事があるが、其際はっきり円光が表れたので、当時信者の乞いにより数百枚頒布したのである。これでみても普通の大黒様ではないことが分かる。製作年代は豊臣時代と思われ実に名作である。
030 大乗と小乗
このみ教えは冒頭と最後が違います。
昔から大乗小乗の言葉がある。勿論これは仏語であって、仏教においても相当詳しく説かれているが、どうも納得出来うるような説は、私の寡聞のためか未だ聞いたことがない。これについて私見を書いてみよう。
因みに阿弥陀如来は法身弥勒であり、釈迦如来は報身弥勒であり、観世音菩薩の応身弥勒のご三体を、三尊の弥陀と称え奉るのである。また日の弥勒が観音であり、月の弥勒が阿弥陀であり、地の弥勒が釈迦であるとも言えるのである。ここで注意すべきは、観世音菩薩の御本体は天照大御神の顕現という説があるが、これは誤りで天照大御神は大日如来と顕現し給うのである。
この「天照大御神=大日如来」を隠したのは、「では観世音菩薩の御本体は?(答:伊都能売之大神)」という質問を避けるためであることは容易に想像が出来ます。このみ教えは二代様版天国の礎には存在しておらず、聖教書での初めての改変であると思われます。
034 火素水素土素について
「火素水素土素について」は、昭和二十九年発行の御神書に掲載されている文面がそのままですので、聖教書は御神書を原典として作られ、改変はないものであると思います。
ところで御神書の「火素水素土素について」は、「明日の医術」第二篇(昭和十八年十月五日)に掲載された「発熱」に関するご論文という形で、いづのめ版「天国の礎 浄霊編 上」(P223)に掲載されているものの一部となっています。こちらは「火素水素土素について」の前後に文章があり、挿絵も挿入されています。おそらく昭和二十九年発行の御神書はこれを再編纂したものなのでしょう。こちらを全文掲載いたしますのでご参照下さい。
リンク:病気症状とその解剖「発熱」
036 霊線について
そうして人間は生前に死後の世界在るを信じない人が多いから、死後霊界において安住ができず、生の執着によって浄化不充分のまま再生する。そのために罪穢がまだ残存しているから、その残存罪穢に対し現世において浄化作用が行なわれる。浄化作用は苦しみであるから、生まれながらの善人でありながら不幸であるのは、右の理に由るのである。また生まれながらにして不具者がある。例えば盲目とか聾唖、奇形とかいうのは、変死に因る死のため、その際の負傷が浄化半途にして再生するからである。この再生について今一つ顕著な事実を書いてみよう。嬰児が出産するや、その面貌が老人のようなのがよくある。これは老人が再生したためで、二、三ヶ月経ると初めて赤児らしき面貌になるもので、これは経験者は肯くであろう。
赤い部分は「聖教書」にありますが「天国の礎」には記載されていません。「御神書」にはありましたので、いづのめ版天国の礎の、人権上の配慮であると思われます。
038 霊界の審判
それから仏説にある閻魔の庁即ち審判廷に行きそこで審判を受けるが、そこは娑婆と異なり厳正公平で些かの依怙もなく誤審もない。その際閻魔大王のお顔は見る人によって異なるそうで、悪人が見ると御目は爛々として口は耳元まで裂け、舌端火を吐き、一見慄然とするそうである。然るに善人が拝する時、お顔は優しく柔和にして威厳備わり、親しみと尊敬の念が自ら湧くという事である。勿論一人々々浄玻璃の鏡に照らし、その罪を判定する。また閻魔の帳面の記録によってだいたいの下調べを行なうのである。現世における裁判官は霊界では冥官であり、その監督は神道における祓戸の神が行なうといわれている。閻魔大王は神道における国常立尊という神様ということになっている。審判によって判決を与えられ、それぞれの天国または地獄へ往くのである。故に六道の辻とは、その名の如く、極楽往きも地獄往きも上中下の三段二道で、その辻になっているからである。
上記の赤い部分が聖教書からは省かれています。「私の告白」や「霊界の構成」の項を併せて見て頂くと判りますが、聖教書は神様の系譜を隠す方向で改変されています。
039 霊界の構成
天国における一段階に一主宰神あり、第一天国は太陽神である天照大御神であり、第二天国は月神である月読尊(つくよみのみこと)および神素盞鳴尊(かむすさのおのみこと)であり、第三天国は稚姫君尊(わかひめぎみのみこと)である。また仏界は神界より一段低位で最高が第二天国に相応し、第一天国はない。第二天国は光明如来(観世音菩薩)第三天国は阿弥陀如来および釈迦牟尼仏である。そうして霊界においてもそれぞれの団体がある。神道十三派、仏教五十六派等であり、また何れもその分派が数多くあって、各々の団体には、主宰神、主宰仏及び宗祖、教祖がある。例えば、大社教は大国主尊、御獄教は国常立尊、天理教は十柱の神等であり、仏界においても真宗は阿弥陀如来、禅宗は達磨大師、天台は観世音菩薩等々で、また各宗の祖である弘法、親鸞、日蓮、伝教、法然等は各団体の指導者格である。
この意味において生前なんらかの信仰者は、死後霊界にはいるや所属の団体に加盟するをもって、無信仰者よりも幾層倍幸福であるかしれない。それに引き替え、無信仰者は所属すべき団体がないから、現界における浮浪人の如く大いに困惑するのである。昔から中有に迷うという言葉があるが、これらの霊が中有界で迷うという意味である。
故に霊界を知らず、死後の世界を信じないものは、一度霊界に往くや安住の所を得ないため、ある時期まで惚うけたごとくなっている。この一例として先年某所で霊的実験を行った際、有名な○○○○氏の霊が霊媒に憑依してきた。早速○○夫人を招き、その憑霊の言動を見せたところ、確かに亡夫に相違ないとのことであった。そうして種々の質問を試みたが、その応答は正鵠を欠いていたそうである。これはまったく生前霊界の存在を信じなかったためで、現世においては○○ほどの卓越した人が霊界においては右のごとくであるにみて人は霊界の存在を信じ、現世にあるうち、死後の準備をなしおくべきである。
天国や極楽は如何なる所であるか、否いったい天国や極楽などという世界は事実存在するものであるか、たいていの人は古代人の頭脳から生まれた幻影に過ぎないと思うであろう。然るに私は、天国も極楽も浄土も厳存している事を信ずるのである。
曰く「私は今し方、何ともいえない美しい所へ行って来た。それは花園で、百花爛漫と咲き乱れ、美しき天人達が大勢いて、遥か奥の方に一人の気高い絵で見る観世音菩薩のようなお方が私の方をご覧になられ、微笑まれたので、私は有難さに平伏した。と思うと同時に覚醒したのである。そうして今は非常に爽快で、このような気持は、罹病以来未だ曽てなかった」との事である。そのようなわけで翌日から全然苦痛はなく、否全快してしまって、ただ衰弱だけが残るのみであった。それも一ヵ月くらいで平常通りの健康に復し、その後もなんら異状はなかったのである。以上は全く一時的霊が脱出して天国へ赴き、観世音菩薩より霊体の罪穢を払拭されたのである。そこは第二天国の仏界である。
これは現在開業中の私の弟子が実見(聖教書では「実験」。実験では意味不明。)した事実であるが、今から約二十数年以前・・・
また動物の使役(聖教書では虐待)について世人の誤解している事がある。それは動物に対し人間と同様に見る事で、動物虐待は人間から見ると非常に苦痛の如くに思うが、実はそれほどではない。むしろ牛馬のごときは虐待さるる事を欲するのである。故にわざと歩行を遅々とするのは、鞭を当ててもらいたいからで、鞭の苦痛で走るのではない。牛馬は打たれる快感を貪りたいためである。これについて人間にもサデスムス(聖教書および二代様版ではサディズム。いづのめ版ではマゾヒズム)という性的変態症があるが、これは肉体的虐待によって快感を催すのである。勿論これは牛馬の如き虐待を好む動物霊の憑依によるのである。
霊界の構成は最も長いみ教えであるためか、改変箇所も比較的多くなっています。特に重要なのは、「第一天国から第三天国」というくだりの削除です。実はこれは、「二代様版天国の礎」で削除された部分でありました。二代様は素盞鳴尊を信仰する大本教信者であったため、この箇所を削除したと思われます。そして二代様に忠実であられた会主様は、この箇所を復活なさらなかったのでしょう。
○○○○氏の箇所は、「祖霊と死後の準備」にて同様の話が出るため、重複を避け、聖教書の聖典としての完成度を上げるために削除したと思われます。
「開業中の」が欠落している箇所は、救世教の雰囲気を残す単語を消し去りたかったのでしょう。その結果、聖教書の文章は意味不明になってしまいました(現在なのか二十数年以前なのかが不明)。
また後半の「サディズム」の部分は、あまりに表現が露骨で会主様が耐えられなかったのかもしれません。この箇所は2代様版天国の礎では原文のとおりでしたので、聖教書において削除した物です。
040 生と死
以上の如き数種の例によってみても、人間は死に際し、執着や恐怖等なく、平安に大往生を遂ぐるよう、平常から心掛くべきである。
生まれながらにして畸形や不具者があるが、これは霊界において、完全に浄化が行われないうち再生するからである。例えば高所から転落して手や足を折った場合、それが治り切らないうちに生まれてくるからである。
また早く再生する原因として、本人の執着のみでなく遺族の執着も影響する。
いづのめ版ではこの文章がまるまる欠落しています。しかし二代様版では記載されており、御神書にもありましたので、いづのめ版の人権上の配慮であると思われます。
041 祖霊と死後の準備
冒頭の部分の、以下の赤いところが削除されてます。「生と死」において同等の内容があるからとはいえ、ずいぶんと思い切って削除したものです。「そもそも」だけ残っているところが笑いを誘います。
そもそも死に際し霊体離脱の状態はいかんというに、これについてある看護婦が霊視した手記が相当よく書いてあるから記してみよう。
これは西洋の例であるが人によって霊の見える人が西洋にも日本にもたまたまあるのである。私は詳しいことは忘れたが、要点だけは覚えているがそれはこうである。「私はあるとき、いまや死に垂(なんなん)とする病人を凝視していると、額の辺から一条の白色の霧のようなものが立ち昇り、空間に緩やかに拡がりゆくのである。そうする裡(うち)に、雲煙のごとき一つの大きな不規則な塊のようなものになったかと思うと、間もなくしかも徐々として人体の形状のごとくなり、数分後にはまったく生前そのままの姿となって空間に起ち、じっと自己の死骸を見詰めており、死体に取りついて悲嘆にくれている近親者に対し、自分の存在を知らしたいような風に見えたが、なにしろ幽冥所を異にしているので諦めたか、しばらくして向き直り窓の方に進んでいき、いとも軽げに苑へ出て行った」というのであるが、これはまったく死の刹那をよく表している。
右手記は一般人の生から死への転機の状態であるが、西洋の霊界は平面的であり、東洋の霊界は立体的である。これは日本は八百万の神があり、大中小上中下の神社があり、社格も官幣、中幣、県社、郷社、村社等、種々あるによってみてもいかに階級的であるかが知らるるのである。これに反し西洋はキリスト教一種といってもよいのであるから、まったく経と緯の相違であることは明らかである。故に前者は多神教で後者は一神教というのである。
次に人の死するや、仏教においては四十九日、神道においては五十日祭をもって一時打ち切りにするのであるが、、、
047 龍神界
聖教書の「龍神界」は、『天国の福音』 (昭和二十二年二月五日)に掲載された物と同一で、特に修正はみられません。ところでこのみ教えには別バージョンがありますので、以下のリンクでそれを紹介します。また、九頭龍権現については、「右の龍神に就ては種々神秘があったが、何れ他の著書で発表しようと思う。」とありますが、それにあたるみ教えはいまのところ見つかっていません。代わりに九頭龍権現に関する記述のあるみ教えを数点、以下のリンクで紹介していますのでご参照ください。
リンク:龍神界に関する御教え
050 最後の審判
聖教書の最後の審判については、「いづのめ版天国の礎」とさほど相違はありません。ところで「いづのめ版天国の礎」には、すぐ隣にもう一編、「最後の審判」と題されたみ教えが掲載されています。ここではこれを紹介したいと思います。私たち秀明信者が持っていた「最後の審判」のイメージと少し異なるものが記述されています。
リンク:もう一つの「最後の審判」
051 夜の終わり近づけり汝ら悔い改めよ
岡田茂吉全集では、「一次元の転換」が西暦1881年とされており、横に註釈で、西暦1882年(明主様ご生誕)に修正されています。「二次元の転換」が1930年(昭和五年)と書かれており、横に註釈で1931年(昭和六年)と修正されています。聖教書の「一次元1881年」「二次元1931年(昭和6年)」とは見解が異なりますが、私は「明主様が1年ずつ間違えた。1年ずらすとどちらも意味のある年度になる」とする岡田茂吉全集の説が納得しやすいと思います。
054 力
そうして私が現在顕わしている力だけでさえ、病気を治す人間を作り、農業の増産法(聖教書では「栽培法」)を教え、神の実在を分らせる奇跡を顕わしているばかりか、大規模な地上天国や美術館をも造っているのだが、これらはほんの小手調べで、時と共にだんだん押し拡がり、何れは世界的に天国を造る事になろうから、本当の神力はこれからである。
「力」のみ教えは、二代様版天国の礎には掲載されていません。聖教書が編纂された昭和40年代後半は離脱してすぐのころなので、美術館など気配も無かった上、救世教の箱根美術館や熱海美術館を意味してしまう「美術館」という言葉を削除したのでしょう。
聖教書でこのみ教えを読んでいたときは、「大規模な地上天国をも造っている」という言葉は、漠然と「この世に天国を作ること」の意味だと思っていましたが、実は「熱海や箱根の造営」の意味であることが、後ろの「美術館」という言葉から分かります。
055 私の光
右の如く、月光では薄明りで、はっきり見ることができなかった。なにしろ月光は太陽に比較して六十分の一の光度でしかなかったからである。従って夜の期間中は宗教は固より、何もかも徹底的に見えないのは当然で、それがため人間は迷いを生じ、真の安心立命は得られなかったのである。ところが昼となるや天日の下、地上一切のものは明々白々に露呈されるので、 分らないものはなくなるわけである。故に昼の文明を創造する私としては、一切が分るのは当然である。
明主様の御論文には、随所に「月は太陽の六十分の一の光度」という記述があります。これは当時の学説を明主様がそのまま引用されたものなのでしょう。
056 浄霊の原理
浄霊の原理のみ教えはもっと長く詳細な説明がされており、聖教書の浄霊の原理はそのうちほんの一部を切り出して転載した物です。
リンク:浄霊の原理 全文
これを読むと、秀明会の認識していた浄霊の原理と、明主様の仰っていた浄霊の原理の差異がはっきりとすると思います。
082 私というもの
次の所に違いがあります。
こんなわけで罵詈怒号のような声を聞いたり、愚痴や泣言を聞かされたりする事が何よりも幸いのである。また一つ事を繰り返し聞かされる事もずいぶん幸い。どこまでも平和的、幸福的で執着を嫌う、これが私の本性である。
これは二代様版天国の礎で修正された箇所であり、聖教書では二代様版天国の礎をそのまま転載しています。
「私という者」というみ教えがもう一編有りますので、こちらを掲載します。また、「さきに私の観た私という論文を書いたが」という一文が聖教書「私というもの」にありますが、この「私の観た私」という御論文を掲載いたします。
リンク:私という者
リンク:私の観た私
087 大いにみ教えを読むべし
「大いにみ教えを読むべし」は、「大いに神書を読むべし」(S25/11/29)と「大いに注意すべき事」(S27/05/14)を合わせた物です。
「大いに神書を読むべし」「大いに注意すべき事」のどちらも、最後の部分が削除されています。
それから私に質問する場合、御神書の中にちゃんと書いてある事がらが よくあるが、これらは平素全 く御神書を読むのを怠っているからである。 だからできるだけ御神書を読む事で、読めば読む程信仰が深 くなり、魂が磨けるのである。御神書の拝読を疎かにする者は、力がだんだん減るものである。信仰が徹底すればするほど、貪るように読みたくなるもので、 繰り返し繰り返し肚にはいるまで読むのがよいの である。勿論読めば読むほどご神意がはっきり分るものである。
これについて、ついでにいま一つ言いたいことがある。それは浄霊の場合、病原が判らないのに、判ったような顔をしたがる。これは最もいけない。そういう人に限って思うように治らないと必ず霊的だといって逃げる。本当からいえば病原が霊的か体的かなどは、非常に判り難いものであるが、人間は元来霊体一致だから、浄霊の場合区別はないのである。というのは、霊が治れば体が治り、体が治れば霊が治るからである。ところが浄霊者は浄霊でスラスラ治れば普通の浄化と思うが、治らないと霊的と思いやすいが、これは大変な間違いである。ちょうどお医者が治りが悪い病気だと結核性にするのと同様である。
「大いに注意すべき事」は次の通りです。赤いところが削除されています。
私のかいた文字を粗末にすると必ずお気付けがあるから、注意して貰いたい。これはおまもりに 限らず、すべての文字がそうである。というのはその上へ他の品物を載せると、霊的に大変なご無礼になるから必ずお気付けがある。何となれば一字々々に神霊が宿られているからである。そのくらいの偉力がなければ、万人を救うことができるはずはないからで、つまり私の文字は生きているので、そのつもりで扱うべきである。左のお陰話はそのことを神様がお示し下されたものであるものである。 「祖霊の戒告」「お守様の御箱の上の位牌に立腹」
祖霊の戒告 お守り様のお箱の上の位牌に立腹大分県 如意輪中教会 某女史(29)私は昭和二十五年十二月に入信した者でございます。この度戴きました御守護の一端を御報告さして頂きます。昭和二十六年二月二十二日家の例祭を済ませた翌朝の事でございました。中教会からちょっとお寄り下さった池辺先生に、胸の辺りが苦しいので御浄霊を御願いし、十分程で汽車が来ましたので私も左程の事もありませず、すぐ御帰りになりました。帰られまして三十分位すると突如吐気を催し、沢山の生つばのようなものが出ました。それから全身がだるくなり、腹部が猛烈に痛くなり、居ても立ってもいられなくなりました。五分か十分毎に出産の際の陣痛のような痛みがおそって来ました。初めは食当りでもしたのではないかと軽々しく考えていましたが、翌日になっても依然として痛み続け、堪えられなくなりましたので、中教会へ自動車にて連れて行って貰い、牧先生奥様より御浄霊を戴きました。丁度長女治子(五歳)も麻疹がはっきりせず、肺炎になりかけていましたので非常に苦しがり御浄霊を戴き楽にして頂きました。四日目に会長先生の奥様が態々お出で下さいまして私の浄化につき「何か霊的な事があるのでしょう、あなたが人工流産された水子の位牌をお造りなさい」とおっしゃられまして、私もその日便所に行ってのかえり、廊下で急に頭から引張られるような感じがしてクラクラと目まいがして倒れ、意識不明となりましたので、不図あの子供が知らしているのかも知れないと思っていた矢先でしたので、早速位牌を造る事を心に決めました。すると不思議にも四日間痛み通した腹痛と全身のけだるさはスーッと軽くなり、四日目に初めて夕食を頂きました。奥様より治子と共に御浄霊を戴きましてその晩はよく眠りましたが、翌日になりますと前にも増して痛み出し、四、五分問おきに下腹をえぐるように痛み、全身がフラフラとしてだるく、今迄に味わった事のない苦しみでございました。仰向いていると腹痛がひどく、うつ伏していると腰が痛く頭が重くて起きれないのでした。お産の時以上の苦しみでございました。お見舞に来て下さる方々には何とかして医者に連れて行こうとして下さる方もあり「もしもの事があったら」と主人に忠告をして下さる方も沢山ありましたそうですが、ただ光明如来様にお縋りする私達は最後迄お縋りすればきっとお守護頂ける事を信じていました。毎日の激痛に心身共に疲れました。丁度一週間目の二十八日中教会の奥様にお出で下さるようお隣りの阿部さんの奥様(信者)に電話をお願いしました。その間主人が床を片付けるからと掃除をしている間別の部屋で座っていますと、何かしら気分がよくなり、阿部さんが帰って来て下さった時には笑声も立てて話せるようになり、奥様が来て下さいまして「今来る途中何かしら胸が苦しくなり、何か霊的に知らせて来たのではないかと思います」とおっしゃって、すぐ光明如来様に天津祝詞を奏げられてお願いして下さいました。そして仏壇の方を御覧になり「ああこれで分りました。もう楽になりますよ」とおっしゃって下さり、吃驚しました。それは仏壇のお位牌の下に、最初私が戴きましたお守様を桐箱に入れて置いてあったのでございます。それから嘘のように元気になり、一週間痛み続けた腹痛もよくなり、食事も沢山頂け、本当に生れ変ったように元気にして頂きました。後で分ったのですが、よくなる朝の二時頃に急に胸が苦しくなり、沢山の青いにがい薬のようなものを下腹からつき上げて吐きました。それから下腹が楽になったようでございました。奥様からお聞きして分らせて頂いたのですが、私の下腹にある薬毒に祖霊が憑って来たのだろうとの事でございました。お隣りの奥様に電話をお願いすると同時に私の体が楽になったのでございました。再度の祖霊の知らせにいかに霊の偉大なるかを分らせて頂きました。「大いにみ教えを読むべし」のすぐ後ろに、まるで同じみ教えの項目であるかのように、御書体を大事にしなくてはいけないという主旨の、「大いに注意すべき事」を、改変しつつ合体させて聖教書に掲載したことは、私には何らかの意図を感ぜずにはおれません。書物としての聖教書を大事にさせたいという気持ちはわかりますが、そのためにみ教えをここまで改変するのはどうかと思います。また、神慈秀明会がこのみ教えで言うように「み教え一文字一文字に神霊が宿っている」という信仰なら、なおさら一文字たりともみ教えの改変は行ってはいけないと思うのです。
089 罪穢と病気
特に改変箇所はありませんが、同じ題名の別のみ教えを紹介します。
リンク:罪穢と病気
092霊波と霊衣
また本教の布教師(聖教書では「浄霊の取次者」)も霊衣の厚い者ほど治病成績が良い。また多くの人を救うほど、その布教師(聖教書では「信者」)は多数者から感謝を受ける結果、霊衣はいよいよ厚く、多々益々成績優秀となるわけで、こういう人は私の弟子中に多数あるのである。
この改変は、文脈としては大した違いではないのですが、神慈秀明会というところは、御在世当時の布教師がしていたことを、末端信者にさせようとしていたところでした(自己放棄等)。そういう意図がこの改変に隠れているような気がしたので、あえて取り上げてみました。
093 奇跡の解剖
以下の一文が削除されています。
高い所から落ちた場合、霊衣が厚いと地や石の霊に打つかってもふんわり軽く当たるから怪我をしないし、また家にも霊があるから、その家の主人が有徳者であると家の霊衣が厚いから、火事の時など、火の霊はそれに遮られて燃え移らないのである。熱海大火の際、本教仮本部が不思議に焼けなかったのもその意味である。しかし稀には焼ける場合もない事もな いが、それは焼ける必要があるからで、これは神様の経綸のためだが、滅多にはない。
094 信仰の合理性と再浄化
このみ教えには特に改変箇所がありませんが、このみ教えの続きのみ教えがありますので紹介します。
リンク:信仰の合理性について
095 ご神意を覚れ
これは以前も書いた事があるが、本来人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。処が何しろ祖先以来の薬毒(聖教書では罪穢)があり、又生まれてからも、本当の事を知らないが為毒をやたらに入 れるので、それが為反って病気を増す事もあるが、これも止むを得ないのである。併し神様は、お役に立 つ人が病気の為働けないとすれば神様の方では損になるから、速かに治して下さるのは当然で、何等心配 はないのである。処がそれを知らない人達は、薬を唯一のものとし、病気を抑えるのみであるから、全く
霊体一致の(原文には「霊体一致の」はない)真理に外れており、完全に治る訳には行かないのである。又、火事で焼け、泥坊に盗られ、詐欺に遭い、相場や競馬、競輪等で儲けようとして損をしたり、商売の失敗、病気で金を使う等々、総て物質の罪は物質で浄化されるのであるから、仮令人間の法律は免れ得ても、神の律法は絶対であるから、どうしようもない。すべて相応の理によって浄化が行われるのである。
この記述は2代様の天国の礎から変更になったものであり、それをそのまま聖教書で使用したようです。
099 再びベルグソンについて
特に改変箇所はありませんが、「私は以前、フランスの有名な近代哲学者であるかのアンリ・ベルグソンについて書いたことがあるが」という冒頭の「以前書いたアンリ・ベルグソンのみ教え」と思われる物をリンクします。
リンク:直観の哲学
101-02 人間は健康の器
聖教書の以下の記述ですが、
また近時流行薬の一つとして用いられるペニシリンにしても、もとはカビという事であるが、これらも人間が口へ入れるものとして造られたものではない。
いづのめ版天国の礎では次のようになっています。
また近時流行薬の一つとして用いられるペニシリンにしても、原料は植物の苔という事であるが、これらも人間が口へ入れるものとして造られたものではない。石または土に美観を添えるためのものである。
天然ペニシリンは青カビから抽出するものですので、明主様は間違えて記述され、聖教書において訂正された物と思われます。
なお、このみ教えは自観叢書第十篇の一節であり、「健康の真理」「人間は健康の器」「真の健康と擬健康」という3篇が連続しています。「真の健康と擬健康」につなげるため、「人間は健康の器」の文末は次のようになっています。
この理によって農民の菜食も自然に適っている。二六時中休みなく労働に堪え得るという事は、菜食が適しているからである。その理を知らない栄養学は、近来農 民 に魚肉を食わせようとするが、これを行なえば農民の労働力は減少するのである。それに引き替え漁民は魚食のがめ持続的労働はできない。間歇的に労働する。また魚食は敏感性を高めるので漁業に適するので 自然は実 によくできている。以上は薬剤と食物の反自然的誤謬を概略書いたが、特に薬剤がいかに有毒であるにかかわらず、なぜ昔から応用したかという根本原因を漸次説き進めてみよう。
「真の健康と擬健康」は、いづのめ版天国の礎、浄霊編 上にて拝読できます。
101-04 病気とはなんぞや
この「病気とはなんぞや」とは、実は有名な「アメリカを救う」の中の一節です。次の通り文頭、文末が削除されています。
現在アメリカにおける病気の漸増は何がためであるかを、その根本から説いてみるが、まず病気なるものの発生原因であるが、驚く勿れ病気というものは医療が作るのであって、特に薬剤がその中心をなしているという事実である。つまり病気を治し、病人を減らそうとするその方法が、反対に病気を治さないようにし、増やしているというとうてい信じられないほどの迷妄である。そうしてこれは説明の要のないほど明らかであるにかかわらず、それに気がつかないのであるから、まったく二十世紀の謎といってもよかろう。それどころかますます医学に信頼し、これを進歩させれば病気は解決できるものと固く信じているのである。ではそのような不可解な原因はどこにあるかというと、それは医学の考え方が逆になっており、病気をもって悪い意味に解釈しているからである。それをこれから徹底的に解説してみよう。
本来人間なるものは、生まれながらにして例外なく先天性毒素と、後天性毒素とを保有している。先天性毒素とは無論親からの遺伝であり、後天性毒素とは生まれてから体内へ入れた薬毒である。
このように薬毒をもって溶解排除せんとする毒素を固めて来たので、今日の人間がいかに有毒者であり、病気が起こりやすくなっているかは、近来予防衛生などと喧しく言ったり、感冒を恐れるのもそのためである。また人間の寿命にしても六十余歳となったといって喜んでいるが、これも大変な誤りである。というのは人間病さえなければ百歳以上は楽に生きられるのに、百歳以下で死ぬのは病による不自然死のためで、無病となれば自然死となる以上、長生きするのは当然である。
右のごとく医療とは病を治すものではなく、一時的苦痛緩和手段で、そのため絶対安静、湿布、塗布薬、氷冷、電気、光線療法等々、すべての療法は固め手段ならざるはないのである。その中に一、二違うのは灸点と温熱方法であるが、これも一時的熱の刺戟によって、その個所へ毒素を誘導させるので楽にはなるが、時間がたてば元通りになるから何にもならないし、またラジウム放射で癌を破壊する方法もあるが、これも癌だけの破壊なら結構だが、実は組織をも破壊してしまうから、差し引きプラスよりマイナスの方が多いわけである。
以上のごとく現在までの療法という療法は、徹頭徹尾固め方法であって、治す方法とは毒素を溶かして排除させる以外決してないのである。なによりも医師は"治す"とは言わない。"固める"というにみて明らかである。しかも固め方法の内最も有効なものが薬であり、その薬が病原を作るのであるから、医療を受けるほど余病が発りやすく、悪化するのは当然である。その結果ついに生命の危険にまで及ぶのである。それについてこういうことがある。治そうとして熱心に高貴薬など用いる患者ほど成績が悪く、その反対にどうでもいいと思う患者ほど治りがいいという話は、医師からよく聞くところである。また衛生に注意する者ほど弱く、無頓着の者ほど健康であることや、医師の家族や病院の看護婦などが多病であるのもよく聞くところである。面白いことには稀な健康者、長寿者に訊いてみると、「自分は病気したことがないから、医者や薬の厄介になったことはない」などというが、吾々からみればそれだから健康であり、健康だからそうであるので、この点大いに味わうべきである。
101-05 栄養の喜劇
聖教書の「栄養の喜劇」は、「栄養の喜劇」という御論文と、「栄養」という御論文を合体させて作り上げたみ教えです。おそらく聖教書の中で最も激しく改変されたものでしょう。文章の細かいところも多数直されており、とても引用して解説することは出来ません。「栄養の喜劇オリジナル版」と「栄養」の御論文をリンクいたしますので、ご自分の目で変更箇所をご確認下さい。
リンク: 「栄養の喜劇 オリジナル」
リンク:「栄養」
101-06 日本人と精神病
微妙な文章の修正がみられますが大筋同じです。だが最後に削除された箇所があります。
最後に当たって根本的解決法を書いてみるが、それには頭脳への送血妨害である凝りの解消である。凝りを解消するには勿論本教浄霊による以外、世界広しといえども他にないことはここに断言する。故に本教信者は普通二か三で、三の線から逸脱する者はまずあるまい。なによりも本教信者の品性をみればよく判る。以上の意味によって、今日の社会悪防止に、本教がいかに大なる功績を挙げつつあるかである。また凝りの本質はなんであるかというと、いうまでもなく薬毒である。
なお、本文内「この狐霊については私の実験を元とし近く詳細に書くつもりだから読者は期待されたいのである」とありますが、秀明信者の皆さんはかれこれ35年、期待して待ち続けたことでしょう。こちらの御論文をリンクいたしますので、ご参照下さい。35年待たされただけあって、かなり面白い内容です。また、このみ教えが秀明で公開されていれば、東京クレージーや岡山クレージーといった霊憑事件は防げたかもしれません。
リンク:「狐霊について」
102 農業の大革命
こちらも改編箇所が多く、引用して比較することが難しいため、原文を紹介いたしますのでご確認下さい。
リンク:農業の大革命 全文
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