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【にっぽんルポ】

心の病 焦らず輝く 東京・調布「クッキングハウス」

心を病んだ人が自分のペースで働くレストラン「クッキングハウス」。手助けをするスタッフやボランティアと交わり、いつも笑顔が絶えない=東京都調布市で

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 心の病になっても、自分らしく輝きたい。

 東京都調布市にあるレストラン「クッキングハウス」は、統合失調症、うつ病、不安神経症などを患う人がスタッフ、ボランティアと共に働いている。人呼んで、「不思議なレストラン」。

 二十代から七十代まで「メンバー」と呼ばれる約六十人が「超フレックスタイム」で店に集う。接客、調理、配達など好きな時間にできる仕事をする。三十分だけ働く人、食事だけして帰る人も。店に来る努力さえすれば、わずかながら基本給があり、仕事をすれば給料が増える。

 平日の昼間に開店し、メニューは一日一種類で千円。無農薬野菜を使い、豆腐ハンバーグに玄米ご飯、おみそ汁にぬか漬けといった家庭料理でもてなす。メンバーがお客さんに突然話しかけて戸惑われたり、「たくさん食べてほしい」と茶わんにご飯をぎゅうぎゅうに盛ったり。そんなことは日常の風景だが、地域に親しまれて二十七年も続いている。

 「この小さな場所から皆に、夢と希望を発信していきたい」

 NPO法人「クッキングハウス会」代表の松浦幸子さん(71)は話す。心の病を抱える人の居場所をつくろうと一九八七年に会を設立し、九二年からレストランを始めた。「できることを褒めること」「安心感をプレゼントすること」を心掛け、決して焦らない。引きこもりの状態から、十年かけて社会復帰した男性もいる。

 そんなレストランを始めたきっかけは、松浦さんの息子が不登校になったことだった。

昼食後、メンバーらと手をつないで合唱する代表の松浦幸子さん(前列左)=いずれも東京都調布市のクッキングハウスで

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◆不登校きっかけ

 NPO法人「クッキングハウス会」代表の松浦幸子さんの長男は中学生のとき、不登校になった。母親として「できれば学校に行かせたい」と最初は思ったが、建前にとらわれず生きようとする息子の姿に、「弱い人の立場から物事を考えたい」と思い始めた。

 松浦さんは三十二歳で専門学校の社会福祉科に入学。そこで通年の実習先として精神科病院を選んだ。鍵のかかった十畳の部屋に八人の患者。「みんな、社会に出ることを諦めているように下を向いて、暗い顔をしていた」

 長期の入院生活で友人も仕事も失い、家族にも見放され、退院できても再発する。「この人たちと街の中で暮らしたい」と強く思うようになった。

 卒業後、松浦さんはソーシャルワーカーになった。「行政を待っていてもだめ。自分のできることから始めよう」。もう一人の仲間と資金を出し合い、食事作りを通した居場所「クッキングハウス」を十二畳のワンルームから始めた。病院で暗い顔をしていた人が、ぽつりぽつりと話をするように。化粧をしたりスーツを着たり身なりを整え、にっこり笑って訪れる姿に、手応えを感じた。

 地域の人と交流できるオープンな場所として、五年後にレストランを開いた。「精神障害者に包丁を持たせるなんて」という声もあったが、お店は繁盛した。常連客の会社員遠藤亜矢子さん(36)は「おいしいご飯が食べられ、みなさん気さくに声を掛けてくれるので、温かい気持ちになれる」と話す。

 働く人たちと客の交流も魅力の一つ。「つらそうなお客さんを見つけると、声を掛ける人もいる。傷ついて、病んで、生き直すことができた人だからこそ分かる」と松浦さんは話す。

クッキングハウスに集まる人たちの交流会で、近況を報告する斉藤敏朗さん(左端)

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◆「横座りの関係」

 心を患いながら働く人を「メンバー」と呼ぶのは、支える側のスタッフらと「横座りの関係」という意味を込めている。

 その一人、斉藤敏朗(としあき)さん(40)=東京都新宿区=は十九歳から二十三歳まで引きこもり生活を送っていた。

 「幼稚園のころから人と関わるのに恐怖感があり、周りから奇異の目で見られた」。小学校になるとそれがいじめに変わった。高校までは通ったが、就職氷河期のころに大学進学を失敗したことに絶望し、引きこもりになった。

 「無味乾燥な日々、自立できずに家族にも迷惑をかけ、死んだ方が楽になると考えた」。ある日、母に「死にたい」と伝えると、「そういう気持ちなのは仕方ないね。ゆっくり寝てね」と言われ、楽になった。

 母親に連れられて初めてクッキングハウスを訪れた日は、斉藤さんの誕生日。メンバーらに「ハッピーバースデー」を歌ってもらった。「ホームランをかっ飛ばすのではなくて、一塁から二塁へとゆっくり行けばよくなるよ」という松浦さんの言葉に、「ここなら」と思えた。

 メンバーそれぞれに、つらい思いを抱えている。寄り添い、肩をたたいて励ましてくれる仲間に出会い、斉藤さんは時間をかけ、約十年で社会復帰をした。フィットネスクラブなどを運営する会社に勤務し、「最近、部下もできたんです」とにこやかに話す。今もクッキングハウスに訪れ、イベントの司会をするなどメンバーの中心的存在として活躍している。

「心病む人とともに、この街で豊かに暮らす」「自分らしさを取り戻せる場所」。クッキングハウスが掲げる理念は、店で働く人たちをありのまま受け入れようとしている

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◆一人一人大切に

 レストランの上階には、生活・就労支援の場「クッキングスター」がある。対人関係を身につけるため買い物の場面やあいさつを練習するトレーニングや、社会復帰後の近況報告をするミーティングなどを通じ、メンバーが安心して過ごし、気軽に話せる場となっている。

 岐阜県郡上市のフォークシンガーの増田康記(やすのり)さん(68)は月に一度、クッキングスターでメンバーに音楽を教えている。日本フォークソング界の草分け的存在の笠木透さんの弟子。五年前に亡くなった笠木さんの遺志を継ぎ、クッキングハウスで歌や曲作りを教えている。「世の中で大変な目に遭った人だからこそ、書くべき詩がある。自分も励まされている」

 石川県で自宅を開放した語らいの場「紅茶の時間」を開くエッセイストの水野スウさん(72)も、活動を支える一人。松浦さんの著書を読んだことがきっかけで年に一度、講演に訪れる。「私にできることは、お茶を出して話を聞き、いいところを褒めること」。松浦さんの活動と重なる部分を感じた。「社会が理不尽に踏み付け、存在価値がないように感じる人もいる。クッキングハウスのメンバーは一人一人が具体的に大切にされている」と話す。

 誰だって人生の途中で悲しみに暮れて、心が折れることがある。そんな時こそ、誰かとつながっていたい。クッキングハウスの理念の一つは「心病む人とともに、この街で豊かに暮らす」。松浦さんは言う。「病の部分は受け止め、健康な部分を生かしていく。それが、人と人が連帯して生きていける道になるのではないでしょうか」 (文・竹谷直子/写真・市川和宏)

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